第六十一話 火計の決算
夜の静寂を切り裂き、
五千の精鋭騎馬隊が闇を駆ける。
その先頭に立つ曹操の傍らで、
峻は馬車を捨て、自らも馬に跨っていた。
「……峻。事務屋が戦場の最前線に立つなど、
前代未聞だな」
曹操が、猛る馬を御しながら不敵に笑う。
「……自分の書いた『脚本』が、
正しく上演されるかを見届けるのも
……事務官の職務ですから」
峻は、慣れない手綱に必死に掴まりながら答えた。
峻が導き出した烏巣への進撃ルートは、
地図上の最短距離ではない。
敵の偵察兵が「交代の遅延」を起こし、
最も注意力が散漫になる「管理の空白地帯」を、
縫うように設定された、計算された死角だった。
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烏巣。
袁紹軍の生命線である巨大な兵糧基地。
そこを守る淳于瓊の陣営は、
峻の「不平等の罠」によって士気が、
最低まで落ち込んでいた。
「――火を放て!」
曹操の号令とともに、
五千の松明が夜空を舞った。
乾燥しきった兵糧の山に、
峻が事前に「輸送のミス」を装って、
混入させておいた精製油が、
爆発的な勢いで燃え上がる。
「なっ……! なぜこれほどまでに燃える!」
慌てふためく袁紹軍の兵たち。
峻は、燃え盛る炎を冷徹に見つめていた。
それは、彼が数ヶ月かけて積み上げてきた、
「袁紹軍の無駄な在庫」が、
一気に「負債」へと変わる瞬間だった。
「……淳于瓊殿。貴方が管理を怠ったその数字が、
今、貴方たちを焼き尽くしているのですよ」
峻は、燃える米の匂いが漂う中、
懐から一枚の木簡を取り出した。
そこには、袁紹軍がこれより失う「物資の総額」と、
それによって彼らが維持できなくなる、
「兵の数」が、残酷なまでに正確に記されていた。
「曹操様。
……これで、袁紹軍の『倒産』が確定しました」
「……ははは! 倒産か! 峻、お前らしい言い草だ!」
曹操の咆哮が、烏巣の炎をさらに煽る。
官渡の戦いの勝敗が決した。
それは、武将の勇猛さによるものではなく、
一人の事務屋が「敵の管理能力」という急所を、
正確に突いた結果だった。
夜明けの光が、
燃え尽きた烏巣の煙を白く染める。
峻は、煤で汚れた手で眼鏡を直した。
(……これで、次の一ページがめくれる)
中原の覇権。その巨大な帳簿に、
曹操の名が決定的な勝利として刻まれた。




