第五話 郭嘉の試験
補給幕舎に戻ってからというもの、どうにも落ち着かなかった。
理由は分かっている。
郭嘉だ。
あの軍師の視線は、明らかに何かを探っていた。
(絶対、疑われてるよな……)
帳簿をめくりながらため息をつく。
その時。
「少し手を貸していただけませんか?」
聞き覚えのある声。
顔を上げると、郭嘉が入口に立っていた。
周囲の兵士たちが一斉に緊張する。
俺だけ逃げ場がない。
「俺、ですか?」
「ええ。簡単な相談ですよ」
絶対簡単じゃない。
*
連れて行かれたのは小さな天幕だった。
机の上には地図と木簡が並べられている。
郭嘉は座ると、何気ない口調で言った。
「補給隊の一部が遅れています」
「遅れ?」
「三日後の合流に間に合わない可能性がある」
それはまずい。
補給が遅れれば進軍が止まる。
「原因は?」
「雨で道がぬかるみ、予定通り進めないそうです」
なるほど。
よくあるトラブルだ。
郭嘉は俺を見た。
「あなたなら、どうします?」
――来た。
これ、試されてる。
俺は地図を覗き込んだ。
現在地、予定経路、周辺地形。
前世の癖で、自然と整理が始まる。
「……荷が多すぎますね」
「ほう?」
「全部を運ぼうとしてるから遅れる。優先順位を決めた方がいいです」
木簡の物資一覧を見る。
穀物、矢、予備装備、酒樽。
「三日以内に必要なのは穀物と矢だけです。残りは後続隊に回せば軽くなります」
郭嘉の目が細くなる。
俺は続けた。
「あと、この丘陵地帯。雨でも通れるはずです。距離は少し伸びますが速度は維持できます」
指で経路をなぞる。
沈黙。
長い沈黙。
(やばい、余計なこと言ったか?)
だが次の瞬間。
郭嘉が小さく笑った。
「……なるほど」
彼は立ち上がり、天幕の外へ命じた。
「伝令。補給隊へ指示変更」
命令が飛ぶ。
俺はぽかんとしていた。
「え、今ので決定ですか?」
「ええ」
あまりにも即断だった。
「失敗したらどうするんです?」
思わず聞くと、郭嘉は肩をすくめた。
「その時は私の責任です」
さらっと言う。
この人、怖い。
*
翌日。
報告が届いた。
「補給隊、予定より半日早く合流!」
天幕がどよめく。
「軽量化が功を奏しました!」
「進軍速度維持可能!」
兵士たちが歓声を上げる。
俺はただ瞬きを繰り返した。
(本当に上手くいった……)
いや、理屈では分かっていた。
でも実際に結果になると怖い。
郭嘉が隣に立った。
「やはり、あなたは面白い」
「偶然ですよ」
反射的に答える。
郭嘉は笑った。
「偶然が続くなら、それは才能です」
否定できなかった。
いや、したかったけど言葉が出ない。
彼は少しだけ声を落とした。
「あなた、自分が何をしているか分かっていますか?」
嫌な質問だ。
「……雑務です」
数秒の沈黙。
そして郭嘉は吹き出した。
「そういうことにしておきましょう」
完全に信じていない顔だった。
去り際、彼は振り返らずに言った。
「曹操様は人を見る目があります」
その言葉だけ残して。
俺は地図を見つめたまま立ち尽くした。
(なんか、どんどん仕事の規模大きくなってないか……?)
気づけば俺の“雑務”は、軍全体の進軍計画に関わり始めていた。




