第二話 仕事の成果は、静かに現れる
「補給記録を……全部、ですか?」
思わず聞き返してしまった。
目の前に立つ荀彧は、穏やかな笑みを浮かべたまま頷く。
「ええ。あなたが整えた帳簿は非常に分かりやすい。これまで誰も出来なかったことです」
いや、そんな大げさな。
俺はただ、散らかっていた物を整理しただけだ。
「ですが俺、新人ですよ?」
「だからこそ、でしょう」
意味深な言葉を残し、荀彧は去っていった。
……断れない空気だった。
*
翌朝。
俺は山のように積まれた木簡を前に、軽く絶望していた。
「多すぎるだろ……」
補給記録は部隊ごとに形式が違い、日付も数量もバラバラ。中には誰が書いたのかすら分からないものまである。
これで軍が動いているのが奇跡だ。
(まず統一だな……)
俺は深呼吸し、作業を始めた。
・日付順に並べ直す
・物資ごとに分類
・担当者名を記号化
・不足分を別記載
前世では当たり前だった作業。
だが、この世界では誰もやっていなかったらしい。
気づけば日が傾いていた。
「……よし」
新しい記録表を完成させた瞬間、背後から声がした。
「ほう」
振り返ると、昨日の補給責任者の男が立っていた。
帳簿を覗き込み、眉を上げる。
「一目で分かるな……」
「どこに何がどれだけあるか、すぐ確認できます」
男は黙ったままページをめくり、やがて低く呟いた。
「……おかしい」
「え?」
「第二輸送隊の消費量が合わん」
指差された数字を見る。
確かに不自然だった。受領量に対して消費が多すぎる。
計算し直す。
間違いない。
「横流し……ですか?」
男の顔が険しくなった。
*
その日の夕刻。
輸送隊の調査が行われ、隠されていた兵糧が見つかった。
兵士たちがざわめく。
「もし気づかなかったら、次の進軍で足りなくなってたぞ……」
「誰が見つけたんだ?」
視線が、なぜか俺に集まった。
いや、俺じゃない。
帳簿が教えてくれただけだ。
「偶然ですよ」
そう言ったが、誰も信じていない顔だった。
*
翌日。
補給幕舎は妙に慌ただしかった。
「進軍命令だ!」
兵士たちが走り回る。
本来なら準備に半日はかかるらしい。
だが――。
「もう積み込み終わってるぞ!?」
「不足確認済みだ!」
「出発できる!」
現場が驚きに包まれていた。
整理された記録のおかげで、確認作業がほとんど不要になったのだ。
俺はその様子を、端でぼんやり眺めていた。
(効率化しただけなんだけどな……)
その時、背後から落ち着いた声がした。
「軍の動きが早くなりました」
振り向くと、荀彧が立っている。
「戦では、一日が勝敗を分けます」
彼は静かに続けた。
「あなたは剣を振るわずして、軍を強くした」
いや、だから大げさだって。
否定しようとした瞬間、伝令が駆け込んできた。
「報告! 予定より早く布陣完了! 敵軍が対応できておりません!」
幕舎がどよめく。
荀彧は小さく笑った。
「歴史は、時に小さな仕事から動きます」
その視線が、まっすぐ俺に向けられる。
「あなたには、もう少し働いていただきましょう」
……嫌な予感しかしない。
こうして俺の雑務は、いつの間にか曹操軍全体に関わる仕事へと変わり始めていた。




