第十四話 与えられた席
翌朝。
本営の空気は、昨日までと明らかに違っていた。
理由は分かっている。
俺の腰に下げられた木札。
――軍務補佐。
それがすべてだった。
通路を歩く。
兵たちが道を空ける。
だが以前のような気安さはない。
敬意とも、警戒ともつかない視線。
(……距離ができたな)
足音だけがやけに響く。
補給幕舎へ入る。
中の空気がわずかに止まった。
帳簿係たちの手が一瞬止まり、すぐ動き出す。
だが視線だけが残る。
「おはようございます」
声をかける。
返事は揃わない。
数人が小さく頭を下げただけだった。
以前なら雑談の一つもあったはずだ。
席を見る。
机が一つ、奥に新しく置かれていた。
他より少し高い位置。
監督者の席。
誰が用意したか考えるまでもない。
「……座らないんですか」
若い帳簿係が言った。
声は硬い。
「あなたの席でしょう」
“あなた”。
名前ではない。
距離を示す言葉だった。
椅子に手をかける。
少し迷う。
だが立ったままでは余計に空気が歪む。
ゆっくり腰を下ろした。
視界の高さが変わる。
それだけで、世界が別物になった気がした。
帳簿が運ばれてくる。
「本日の搬入予定です」
差し出した男は目を合わせない。
以前、一緒に夜番をした兵だった。
「ありがとう」
言うと、わずかに驚いた顔をした。
紙面を見る。
数字は正常。
流れも問題ない。
だが。
空気が重い。
「……納得いかねぇな」
低い声が響いた。
幕舎の奥。
年長の補給係が立っていた。
腕を組み、こちらを睨んでいる。
「戦にも出てねぇ奴が」
周囲が静まる。
「急に上に座るのか」
誰も止めない。
止められない。
「俺たちは何年ここで働いてると思ってる」
言葉は荒い。
だが怒鳴りではない。
積もった感情だった。
反論はできた。
命令だと言えば終わる。
だが、それでは駄目だと分かる。
「……その通りです」
口にすると、男が眉をひそめた。
「俺は経験で言えば皆さんより下です」
視線を正面へ向ける。
「だから、仕事で証明します」
沈黙。
空気が少し揺れる。
「監督するために来たわけじゃありません」
帳簿を開く。
「補給を止めないためにここにいます」
一拍。
「それができなければ、この席にいる意味はない」
男はしばらく黙っていた。
やがて舌打ちする。
「……口は達者だな」
だが先ほどほどの棘はなかった。
その時、伝令が飛び込んできた。
「報告!」
息を切らしている。
「南倉庫で搬入遅延! 荷車が戻ってきません!」
ざわめき。
予定外。
帳簿をめくる。
南倉庫。
今日の主搬入路。
(早い……)
昨日の襲撃。
まだ終わっていない。
「原因は?」
「不明です! 連絡も途絶えています!」
幕舎の視線が一斉に集まる。
試されている。
この席に座る資格を。
立ち上がる。
「予備搬入を回します」
「は?」
「第三倉庫の備蓄を南へ移動」
即座に指示を書く。
「今止まる方が危険です」
帳簿係たちが動き出す。
反射的に。
長年の習慣が命令より早い。
先ほどの男がこちらを見る。
少しだけ目が変わっていた。
「……本気か」
「仕事ですから」
外へ出る。
荷車が動き始める音。
歯車が回り出す。
軍は止まらない。
背後で誰かが小さく言った。
「……補佐殿」
呼び方が変わっていた。
完全ではない。
だが。
席は、少しだけ認められ始めていた。




