第十一話 崩れ始めた均衡
補給線が襲撃された。
その言葉が、本営の空気を一瞬で変えた。
「場所は!」
誰かが叫ぶ。
「北東街道、第三中継所! 護衛隊が交戦中!」
地図が広げられる。
兵たちが一斉に動き出した。
怒号。足音。命令。
戦場の音だった。
俺は地図へ視線を落とす。
北東街道。
昨日まで確認していた補給経路だ。
(早すぎる)
粛清の翌日。
まるで、内部事情を知っていたかのような。
「どう見る」
低い声。
気づけば、曹操がこちらを見ていた。
周囲の視線が一斉に集まる。
軍議の場で、雑務上がりの俺に問いが向けられている。
一瞬だけ迷う。
だが。
「偶然ではないかと」
口にしていた。
「理由は」
「襲撃地点が正確すぎます」
地図の一点を指す。
「ここは補給量が最大になる日です」
数人の将が顔を上げた。
「通常の偵察では把握できません」
「つまり?」
曹操の声。
「内部情報が漏れている可能性があります」
室内が静まり返った。
「……面白い」
小さく笑ったのは郭嘉だった。
「では、どうする?」
試すような声。
考える。
帳簿の山。
整いすぎた数字。
粛清。
そして今回。
線が繋がる。
「補給を止めないことが最優先です」
「続けろ」
「襲撃されたと知られれば、各倉庫が動きを止めます」
混乱が連鎖する。
「だから表向きは予定通り搬送を継続」
「危険では?」
武官の一人が言う。
「はい。ですが――」
一拍。
「本命を別経路で動かします」
郭嘉の目が細くなる。
「囮か」
「はい」
「誰が考えた?」
「……今、考えました」
数人が息を呑む。
即興。
だが理屈は通っている。
曹操が地図を見下ろしたまま言う。
「成功率は」
「敵が内部情報に頼っているなら、高いかと」
「失敗すれば?」
「補給が途絶えます」
沈黙。
自分でも分かっている。
これは提案ではない。
賭けだ。
曹操は、ゆっくり頷いた。
「採用する」
空気が動いた。
「夏侯惇に伝令。囮部隊を編成しろ」
「はっ!」
命令が走る。
軍が動き出す。
その最中。
「随分と大胆だな」
郭嘉が隣に立った。
「……勢いでした」
「嘘だ」
即答だった。
「君は数字で戦っている」
小さく笑う。
「ようやく戦場に立ったな」
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外へ出る。
兵たちが慌ただしく走り回っていた。
荷車が動き、馬が嘶く。
補給とは、戦そのものだ。
今さら理解する。
帳簿の向こうにあったものを。
背後から声。
「おい」
振り返る。
片目に眼帯をつけた武将が立っていた。
鋭い視線。
威圧感。
夏侯惇だった。
「貴様が例の補給係か」
「……はい」
「妙な作戦を出したそうだな」
腕を組む。
「失敗すれば兵が死ぬ」
「承知しています」
「ならいい」
あっさり言った。
「俺が前に出る」
去り際、彼は一度だけ振り返る。
「帳簿だけ見てる奴かと思ったが」
わずかに口元が緩んだ。
「少しは戦の顔になったな」
その言葉に、胸が重くなる。
誇らしさではない。
責任だった。
空を見上げる。
夕焼けが赤い。
どこかで、もう血が流れている。
(補給を守る)
それが仕事だ。
だが今は違う。
俺の判断で、戦の形が変わろうとしていた。




