第十話 最初の粛清
帳簿の山を前に、俺は手を止めた。
違和感。
まただ。
数字は合っている。
誤差もない。
だが、整いすぎている。
「……同じだ」
あの時と同じ匂い。
修正された帳簿。
誰かが後から整えている。
問題は。
(誰が、どこまで関わっている)
ここから先は確認ではない。
判断になる。
補給倉の奥。
夜番の兵が灯りを揺らしていた。
「まだ調べるのか?」
呆れた声。
「はい」
帳簿を並べる。
搬入記録、保管記録、配給記録。
三つを重ねる。
普通なら微妙にズレる。
だが今回は、一直線。
「……やっぱりだ」
保管担当の印だけ、微妙に新しい。
墨の濃さが違う。
書き直し。
つまり。
「途中で数字が変えられている」
証拠は揃った。
だが胸が重い。
ここから先は、もう作業ではない。
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「迷っていますね」
背後から声。
振り向かなくても分かる。
「郭嘉殿……」
「報告すれば数名が処罰されます」
淡々と言う。
「黙っていれば?」
「補給は崩れます」
即答だった。
郭嘉は頷く。
「では答えは出ています」
「……」
「仕事とは選択です」
静かな声。
「誰かを守るために、誰かを切る」
言葉が重い。
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翌朝。
補給担当者三名を集めた。
倉庫の空気が張り詰める。
「監査の結果を報告します」
俺の声が少し硬い。
三人の表情は様々だった。
無表情。
苛立ち。
そして、怯え。
「帳簿の改竄が確認されました」
一人が立ち上がる。
「待て! 証拠はあるのか!」
竹簡を差し出す。
「墨の重なり、記録時間、印の更新順」
逃げ場はない。
沈黙が落ちた。
やがて一人が崩れるように座り込んだ。
「……最初は少しだけだったんだ」
掠れた声。
「戦が長引いて、皆疲れていて……誰も止めなかった」
連鎖。
推測通りだった。
兵が入ってくる。
拘束の準備。
三人が連れて行かれる。
一人が振り返った。
「恨むぞ」
その言葉は静かだった。
怒鳴りではない。
だからこそ重い。
足音が遠ざかる。
倉庫に沈黙が残った。
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手が震えていた。
「……これで良かったんでしょうか」
郭嘉が隣に立つ。
「良い悪いではありません」
「では?」
「必要だった」
短い答え。
「兵が飢えれば、もっと多くが死ぬ」
視線は外へ向いている。
「あなたは人を罰したのではない」
一拍置く。
「軍を守ったのです」
慰めではない。
事実としての言葉だった。
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本営。
曹操の前に立つ。
「処理したか」
「……はい」
短い報告。
曹操は竹簡を読み、頷いた。
「早いな」
「証拠が揃っていました」
「違う」
顔を上げる。
「決断が早い」
視線が真っ直ぐ刺さる。
「多くの者は躊躇する」
机を指で叩く。
「情で遅れる」
静かに言った。
「貴様は仕事を選んだ」
評価なのか試験なのか分からない。
曹操は続けた。
「覚えておけ」
「はっ」
「人を救う仕事ほど、恨まれる」
その言葉は不思議と重くなかった。
もう少しだけ理解していたからだ。
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本営を出る。
兵たちの視線が変わっていた。
友好的ではない。
だが、軽くもない。
距離を置きながら、道が開く。
(……怖がられてるな)
少し苦笑する。
昨日までとは違う。
軍務補佐として見られている。
それが何を意味するのか。
もう分かり始めていた。
その時、伝令が走ってきた。
「緊急報告!」
息を切らして叫ぶ。
「前線より要請! 補給線が襲撃されました!」
胸が跳ねる。
戦が、こちらへ近づいてきていた。




