第一話 配属先は戦場の裏側でした
俺の仕事は、戦うことじゃない。
書類を揃え、物資を数え、怒鳴られないようにすることだ。
――ここは、曹操軍の補給幕舎だった。
*
「おい、新入り! そこに積んである袋、数え直せ!」
怒鳴り声に肩を跳ねさせ、俺は反射的に返事をした。
「は、はい!」
気づけば、土の匂いと汗臭さに満ちた巨大な天幕の中に立っていた。
周囲では鎧姿の兵士たちが忙しなく行き交い、米袋や武具が山のように積まれている。
どう考えても、日本じゃない。
いや、それどころか――。
(これ、三国志の世界じゃないか……?)
混乱する頭を押さえながら、俺は手元の木簡を見る。
そこには乱雑な字でこう書かれていた。
『兵糧 受領記録』
どうやら俺は、曹操軍の兵站――つまり補給担当の末端役人になっているらしい。
戦場に転生とか、普通もっとこう、武将とか軍師とかじゃないのか。
なんで雑務係なんだよ。
*
「数え終わったか!」
「え、えっと……たぶん、三百二十袋です」
「たぶんじゃ困る!」
怒鳴られた。
だが、怒鳴った男のほうも帳簿を見て首を傾げている。
「……記録だと三百八十だな」
四十袋も違う。
いやいや、おかしいだろ。
俺は思わず周囲を見回した。
袋の山は雑然と積まれ、種類も混ざっている。
受領印も統一されていない。誰がどこまで管理しているのかも不明だ。
(これ……管理方法が終わってる)
前世の記憶が、嫌でも蘇る。
俺は中小企業の総務部だった。
在庫管理、発注確認、部署調整――つまり、こういう「誰もやりたがらない仕事」が専門だった。
そして断言できる。
この現場、絶対に兵糧不足を起こす。
「……あの」
気づけば口を開いていた。
「袋に印を付けて、種類ごとに列を分けませんか? あと受領した人の名前も統一して記録したほうが――」
周囲が静まり返った。
やばい。出しゃばったか?
だが、怒鳴っていた男は腕を組み、少し考えてから言った。
「……やってみろ」
*
それから半日後。
「おい……なんだこれ」
兵士たちがざわついていた。
米袋は種類ごとに整列し、木簡には数量と担当者が一目で分かるよう記録されている。
誰が見ても、状況が把握できた。
「不足分、すぐ分かりますね」
俺が言うと、男は無言で帳簿と山を見比べた。
そして。
「……輸送隊が誤魔化してやがったな」
小さく呟いた。
本来届くはずの兵糧が、途中で抜かれていたらしい。
もし気づかなければ?
次の進軍で兵糧不足。
最悪、軍が止まる。
俺は背筋が寒くなった。
(いやいや、ただ整理しただけなんだけど……)
その時、幕舎の入口がざわめいた。
兵士たちが一斉に道を開く。
入ってきたのは、黒い外套を纏った細身の男だった。
穏やかな笑みを浮かべながら、鋭い目が周囲を観察している。
「面白いことをした者がいると聞きましてね」
静かな声。
場の空気が変わる。
誰かが小声で囁いた。
「……荀彧様だ」
――曹操軍きっての名臣。
その人物が、まっすぐこちらを見ていた。
「これを整えたのは、あなたですか?」
「え、あ……はい。整理しただけです」
荀彧は帳簿を手に取り、しばらく眺める。
そして、ふっと笑った。
「整理、ですか。なるほど」
その視線が、妙に楽しげに細められる。
「軍を動かすのは武勇ではなく、秩序です。あなたはそれを理解しているようだ」
いや、そんな大層な話じゃない。
ただ仕事をしただけだ。
だが次の言葉で、俺は凍りついた。
「明日から、補給全体の記録を任せましょう」
――え?
雑務係のはずだった俺の仕事は、その日を境に少しずつ変わり始めた。
そして後になって知る。
この“帳簿整理”が、歴史の流れをわずかに変え始めていたことを。




