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第7話 嫉妬するカイエンと支える息子

 数日後、カイエンは国境の視察を終えて帰還した。

 兵の数は確かに増えていたが、露骨な侵攻準備とまでは言い切れない。訓練の頻度も高まっていたが、それも威嚇や示威行動の範疇にすぎない。

 結局のところ、確たる証拠は何ひとつ得られず、胸に重い澱を抱えたままの帰還だった。


(……状況証拠ばかりで掴みどころがない。だが、やはり背後には王都の思惑があるはずだ)


 玄関前に立つフィオナを見た瞬間、歩みがわずかに緩む。

 彼女に向ける使用人たちの視線が、以前とは明らかに違っていた。

 遠巻きに見守るだけだった彼らが、今は親しみを込めて接している。


 カイエンは足を止め、胸の奥に奇妙な熱を覚えた。


(俺が遠征に出ている間に、屋敷に溶け込み、信頼を得たというのか……。フィオナ、お前は――)


 言葉にならない思いを飲み込む。

 わずかに緊張を宿しながらも、フィオナは柔らかな微笑みを浮かべている。


「……おかえりなさいませ、カイエン様」


 その声に胸が熱を帯びたが、返した言葉は短かった。


「……ああ。問題なかったようだな」


 もっと労いの言葉をかければよかったのに。

 結局、口をついて出るのは素っ気ない一言だけ。


(なぜだ……なぜ俺は、いつもああいう態度しか取れない……!)


 背を向けながら、胸の奥に苛立ちと後悔が渦巻く。

 ふと視線を横に向ければ、やはり黒髪の少年が当然のようにフィオナの隣に立っていた。


(……またか)


 小さく舌打ちを飲み込み、カイエンは足早に屋敷へと入っていった。



 フィオナの声を背に受け、苛立ちと自己嫌悪を抱えたまま屋敷に入ったカイエンは、すぐに執務に戻った。


 国境で得られた情報を整理し、文書に記す。机上に広げられた地図や報告書に目を走らせているうちに、わずかな時間が過ぎていった。


 使用人から次の会議の報告を受け、場所を移そうと執務室を出たところで、ふと廊下の先に人影を見つける。


 黒髪の少年――ダニエルだった。

 先ほどまでフィオナの傍らにいたはずだが、今は一人で歩いているらしい。

 すれ違うように近づいた瞬間、二人の間に張り詰めた沈黙が落ちる。


(……あいつ、いつもフィオナのそばに…)


 その一瞬の苛立ちが、思考より先に言葉となって口をついて出た。


「……お前、彼女のそばにくっつきすぎじゃないか?」


 ダニエルは一瞬、瞬いたあと――ふっと笑った。


「……ああ、なるほど。そういうことですか」

「そういうこと?」


 冷徹な声を装いながらも、カイエンの視線はわずかに揺れていた。

 ダニエルはわざと肩をすくめる。


「彼女は……僕の大切な人ですから。守りたいと思うのは当然でしょう?」

「……っ!」


 カイエンの表情がわずかに崩れる。

 冷徹と噂される辺境伯の頬に、赤みが差したのをダニエルは見逃さなかった。


「もしかして……嫉妬、ですか?」


 挑発めいた囁きに、言葉を失う。

 その沈黙に、ダニエルは小さく吹き出した。


「……安心してください。僕が彼女を奪うなんて、ありえませんよ」



 ダニエルが軽く笑ったのを背に、カイエンは歩を進めた。


(……俺は、何を言っているんだ。嫉妬? そんなもの、子供のすることだ)


 言い訳を探せば探すほど、頬の熱が引かない――。

 辺境伯としての威厳も冷徹な仮面も、その一瞬で吹き飛んでいた。


(ああくそ……! まるで十代の若造のようじゃないか)


 胸の奥にチクリと走る羞恥に、カイエンはひとり顔を背けた。



 カイエンの背中が遠ざかり、廊下に静けさが戻る。

 ダニエルは小さく息を吐き、視線を前へ向けた。


(……やれやれ。父上が嫉妬するなんて、思いもしなかった。でも――)


 その奥に確かに揺れる想いを見た。

 母を想っているからこその嫉妬。その事実に、胸の奥が少し温かくなる。

 廊下の先から、柔らかな光がこぼれていた。

 光に導かれるように歩くと、窓辺に佇むフィオナの姿が見えた。

 外の光を受けて淡く輝く横顔は、けれどどこか心細げで――。


「……母上」


 呼びかけると、フィオナははっと振り向いた。

 その瞳の奥に不安が滲んでいるのを、ダニエルはすぐに察した。


「父上のことなら、大丈夫です」


 まっすぐに告げる。


「父上は、決して母上を独りにはさせません。――もう、安心して大丈夫です。」

「ダニエル……」


 その言葉の確かさに、胸の奥がじんと熱くなる。

 フィオナは思わず彼の黒髪にそっと触れた。


「ありがとう。あなたがいてくれて……心強いわ」


 彼女の手を握り返し、ダニエルは小さく頷いた。

 その青い瞳に宿る決意は、年齢をはるかに超えたものだった。


(母上を守る。父上がどれほど不器用でも、僕が傍にいる限り、母上を孤独にはさせない――)


 そう固く誓う少年の心を、フィオナはまだ知らない。

 けれど、ほんのひとときだけでも、不安が和らいでいた。


 その微笑みが、嵐の前の静けさだと知る者は、まだいない。


 数日も経たぬうちに――フィオナを狙う影が、屋敷へ忍び寄るのだった。


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