第17話 断罪の大広間
長い道のりを越え、馬車が王都の城門をくぐった。
石畳に車輪が響く。遠く、王宮を囲う白い城壁が陽光を受けて輝いている。
その向こうに、尖塔が空を突き刺すようにそびえ立っていた。
人々の往来は賑やかで、華やかな祭りの余韻を思わせる喧騒に包まれていた。
しかし、その喧騒の中に、冷ややかなざわめきが混じる。
「……辺境の領主だ……」
「……めったに王都に来ない……」
言葉のすべては拾えずとも、好奇と畏れを帯びた視線が突き刺さるのをフィオナは感じ取った。彼女は身を縮めそうになる体を必死に支え、胸を張った。
(怯んではいけない。……私はカイエン様の妻になるのだから)
カイエンは無言でフィオナの手を取り、しっかりと握った。
「心配するな。俺がいる」
短い一言が、彼女の胸にじんわりと広がっていった。
やがて馬車は王宮の前で止まる。
陽光を反射して輝く大理石の階段の上には、荘厳な扉がそびえていた。
その奥に、すべてを裁く舞台――断罪の大広間が静かに待っている。
フィオナは息を呑み、カイエンの袖をわずかに掴む。
「……カイエン様」
か細い声に、彼は答えた。
「怯えるな。この視線も囁きもーー俺がすべて受け止める」
その言葉に勇気を得て、フィオナは一歩を踏み出す。
二人の影は、重々しい宮殿の扉の奥へと吸い込まれていった。
大広間の天井は高く、金と朱で彩られた装飾が威圧的に輝いている。
左右には列席した貴族たちが居並び、さざめきながら視線を注いできた。
「……あれが辺境の女か」
「王家の秘宝まで盗んだそうじゃないか」
「噂どおりだな。強欲で野心に満ちていると聞く」
「よく顔を出せたものだ」
耳に届く囁きは冷ややかで、フィオナの胸を突き刺す。
胸の奥で息を詰める彼女の手を、カイエンがしっかりと握る。
視線の先――玉座の隣に控える少女が、ふわりと微笑んだ。
橙を帯びた茶髪は陽光のように輝き、琥珀色の瞳は無垢な光を宿している。
舞踏会でオスカーに視線を送り、頬を染めていた王女、アメリア。
彼女はいまも変わらず憧れの色をその瞳に映し、無邪気に婚約者を慕う箱入り姫であった。
そして壇上に立つのは、堂々たる態度の王太子オスカー。
「よくぞ参った、辺境伯カイエン。そして――辺境伯夫人フィオナ」
彼は柔らかく微笑み、手を広げた。
「本日は、我が婚約披露の祝いに集まってくれた皆に、心より感謝を申し上げる」
広間に拍手が起こる。
だが、その笑みはわずかに冷たく歪んだ。
「――だが、その前に。王家として看過できぬ重大な報告がある」
紫の瞳が冷ややかに光を帯び、声が鋭く響く。
「辺境伯夫人フィオナ。お前に問う――
王家の秘宝を盗み出し、あまつさえ侯爵家と結託して反逆を企んだ罪――断じて見逃すことはできぬ!」
侯爵家ごと潰すことは容易い。だがオスカーが狙ったのは、あくまでフィオナ個人の命と尊厳だった。
「やはりか……!」
「辺境伯領は危険だと前から思っていた」
「国を揺るがす女を、ここで裁かねばならぬ!」
ざわめきが広間を満たし、貴族たちの声が一斉にフィオナへと向けられた。
不安が胸を押し潰そうとする。足が震えそうになる。しかし彼女は、指先を握りしめ、必死に言葉を絞り出す。
「……私は誇りをもって歩んできました。人を貶めるようなことは、決してしておりません。
そのような罪を着せられるのは、この身が許せても――私の人生が許しません!」
その声は広間に凛と響き渡った。
だが群衆は冷笑し、「見苦しい」と罵りの声を上げる。
そのとき――。
「黙れ!」
カイエンが低く力強い声を放つ。
その双眸は鋼のように揺るがず、広間に張り詰めた空気を震わせた。
「この俺が、ルグランツの名に誓って断言する。
フィオナは無実だ。
彼女を疑うことは、この家の誇りを汚すことに等しい!」
広間に鋭く響いた声に、群衆がざわめいた。
辺境伯カイエンがルグランツの名を懸けて断言する――その言葉の重みを、誰もが感じ取った。
廷臣たちでさえ顔を見合わせ、ためらいを見せる。
だがオスカーは、静かに口角を上げた。
――つい先ほど、密偵から魔石越しに報告を受けたばかりだ。
『……オスカー殿下。仕込みは完了しました』
『よくやった。あとは断罪の時を待て』
青白い魔石の光が掻き消えた後に残った確信――。
(証拠は揃った。あの密偵が仕込んだ以上、逃げ道はない)
紫の瞳が嗤うように細められ、広間へと戻る。
「……なるほど。さすが辺境伯だ。威勢だけは立派だな」
声が場を支配した。
「だが――証拠がある。お前の妻は、まぎれもなく罪人だ」
その冷酷な響きが広間に届いた瞬間、群衆のざわめきが怒涛のように押し寄せた。
「やはりそうか!」
「王家の秘宝を盗んだ女だ!」
「辺境の女など信用できぬ!」
罵声と嘲笑が入り混じり、矢のようにフィオナへ降り注ぐ。
胸が押し潰されそうだった。
どれほど否定の声を上げても、この喧噪の中では誰にも届かない――。
(もう……抗えないの……?)
冷たい汗が背を伝い、視界が揺れる。
カイエンの隣に立っているのに、世界から切り離されたように孤独だった。
かつて夢見た未来――彼と寄り添い、辺境の地で共に生きる日々が、粉々に砕け落ちていく。
胸の奥が締めつけられる。
鏡に映った断罪の光景が、現実と重なっていく。
冷たい大広間、嘲りに囲まれ、孤独に震える自分。
――運命は変わらないのか。
隣で立つカイエンの拳が震えているのに気づいた。
彼は怒りに燃えていた。だが、この場で剣を抜けば反逆と見なされ、すべてが終わる。
そのことを彼自身が一番わかっている。
(……どうする?――どうすればフィオナを護りきれる?)
カイエンは奥歯を強く噛みしめた。
自分の生涯を懸けると誓った女が、目の前で群衆に蹂躙されている。 剣を抜くこともできず、誓いを果たせない無力感が胸を切り裂いた。
それでも彼は、フィオナの肩に手を置いた。 冷たい広間の中で、それだけが、唯一の熱だった 。
(――俺が護る。必ず。……たとえすべてを失っても)
――そのとき。
大広間の扉が、轟音と共に開かれた。
振り返った群衆の視線の中、扉口に、荒い息を吐く少年の影が現れた。
その声が、広間の空気を切り裂く。
「――母上!」




