第15話 父と子の誓い、母の安堵
外庭に夜風が吹き抜ける。
カイエンは深く息を吐き、真っすぐにダニエルを見据えた。
「……十五年後。フィオナが断罪されたと言ったな。何があった? なぜそんな結末になったのか、すべて話せ」
その声は低く、押し殺した怒気を孕んでいた。
ダニエルは唇を噛み、そして決意を込めて頷いた。
「……母上は、王都で国家反逆の罪を着せられました」
「反逆だと?」
カイエンの眉が跳ね上がる。
「はい。侯爵家と辺境が結託し、王家に刃向かったと……偽造された契約書が“証拠”として突きつけられました。
見つかったのは、この屋敷の中。さらに、母上の侍女が“証言”をしました」
フィオナの顔から血の気が引く。
「侍女……」
ダニエルは苦しげに続けた。
「母上が信頼していた侍女です。何年も仕えて、やがて侍女長にまでなりました。けれど……実は殿下に仕組まれた間者でした。
彼女の証言と、偽造文書が揃って……母上は大広間で断罪され、処刑されたんです」
カイエンの瞳が怒りに燃える。
「……その侍女は今、この屋敷にいるのか?」
「いいえ。まだ雇われていません」
ダニエルは即答した。
「僕の知る未来では、六、七年ほど前にこの屋敷に入ってきました。今はまだ……いないはずです」
だが――いずれ必ず現れる。
その時には偽造文書と証言が揃い、彼女を追い詰める未来に繋がってしまう。
「……王都の廷臣どもが、それを鵜呑みにしたのか」
「はい。母上は“反逆の証”を捏造され、民衆の前で処刑されました。
父上はその場で命を落とすことはありませんでしたが……母上を救えなかったことを、きっと一生、悔やみ続けたはずです」
そこまで言うと、ダニエルの声は震えた。
「だから僕はここに来たんです。もう二度と……母上を失わないために」
夜の外庭に、重い沈黙が落ちた。
カイエンは腕を組み、深く息を吐き出す。
「……つまり、偽造された契約書と侍女の証言で、フィオナは断罪されたというわけか」
「はい」
ダニエルは真剣な眼差しで頷いた。
「ですが侍女はまだ雇われていません。いま防げば……未来は変えられます」
カイエンはしばし目を閉じ、考え込んだ。
「……よし」
目を開き、扉の方へ声を張る。
「兵を呼べ!」
廊下に控えていた従者が慌てて駆け出していく。
すぐに兵士たちが駆け込み、庭に整列する。
「……まずは証拠を守る。燃やされては何も残らん。屋敷に魔封じの間を設けろ。捕らえた者も書き付けも、すべてそこに封じ込める。護符の炎すら封じる結界を張れる者を呼べ」
兵たちが息をのむ。領主の声は揺るがず、冷徹な決意がにじんでいた。
「さらに――結界が安定したのち、侯爵家の家紋を見極められる鑑定役も呼ぶ。細工があれば暴けるはずだ」
フィオナははっと顔を上げ、青ざめた面差しに小さな希望の光を宿す。
ダニエルは安堵の息をつき、強く拳を握った。
(これで……母上を陥れる未来を断てるかもしれない)
それから数日。
屋敷の空気はいまだ張り詰めていたが、刺客の影は見えず、束の間の静けさが訪れていた。
広間の窓辺で、フィオナはそっと胸に手を当てる。
「……本当に、未来は変えられるのでしょうか」
隣でダニエルが頷き、真剣な瞳を向けた。
「母上が亡くなる未来なんて、僕が絶対許しません。必ず……変えてみせます」
その言葉にフィオナはかすかに微笑む。
「……そうね。あなたがここにいてくれるだけで、心強いわ」
カイエンは黙って二人のやり取りを見ていたが、やがて低い声を洩らした。
「家族の前では甘い言葉もよかろう。だが――未来を変えるには、それだけでは足りぬ」
その場の空気が一瞬張り詰める。
フィオナは困ったように二人を見比べたが、やがて小さく息を吐き、席を外した。
「……お二人で、もう少し話していてください」
母の背が扉の向こうに消え、広間には父と息子だけが残った。
ダニエルは唇を噛み、真正面から父を見上げる。
「僕を疑っていますか、父上」
カイエンの鋭い眼差しが息子を射抜いた。
短い沈黙ののち、低く答える。
「……ああ。おまえが未来から来たという言葉も、運命を変えられるという誓いも、簡単には信じきれぬ」
冷たく言い放ちながらも、胸の奥で別の声が囁いていた。
(本当は信じたい。だが――もし信じて裏切られた時、フィオナも領地も、すべてを失う。それが怖いのだ)
その矛盾を悟らせまいと、カイエンは微動だにせず、ただ息子を見据え続けた。
ダニエルは驚いたように目を瞬かせ、やがて力強く拳を握りしめる。
「では証明します。未来は必ず変えられる――母上は、僕が守ります」
カイエンは静かに息を吐き、瞳を伏せた。
「……その言葉、しかと胸に刻んでおこう」
短い沈黙のあと、父子は互いに視線を外した。
それ以上の言葉はなく、夜は静かに更けていった。
――そして数日後。
辺境邸に、慌ただしい足音と共に兵の声が響いた。
「報告いたします! 刺客を取り押さえました!」
兵士が駆け込み、黒衣の男を押さえつけて跪かせる。
男の手は縛られ、なお必死に身をよじるが、多勢に囲まれては逃げようもない。
刺客の護符が紫に光を放ちかけた瞬間、兵の一人が黒い腕輪を叩きつけた。
「魔封じだ! 今のうちに押さえろ!」
紫光は一瞬でかき消され、刺客は呻き声を上げて膝をつく。
数人が一斉に飛びかかり、荒々しく腕を縛り上げた。
「捕らえました! さらに懐から羊皮紙を発見!」
兵が差し出したのは、王家への反逆を示す偽造契約書だった。
カイエンの目が鋭く光る。
「……間違いない。だが魔道具の効力は長くはもたん。数分しか保てんぞ!」
彼は低く吠えるように命じた。
「急げ! 刺客も文書もすぐに魔封じの間へ入れろ!」
「はっ!」
兵たちは刺客と文書を抱え込み、一斉に駆け出した。
重厚な扉が開かれると、冷たい空気が吹きつけた。
厚い石壁に囲まれた部屋の中央には、複雑な魔法陣が刻まれている。
兵たちが刺客をその中へ叩き込み、偽造契約書を鉄製の箱に封じると、淡い光が一斉に走った。
「……っ!」
刺客が苦悶の声を上げる。護符が紫光を放ちながらも、結界に弾かれて砕け散った。
光が収まり、兵たちは息を呑んで一歩、後ずさった。
その場にいた誰も、鉄箱に近づこうとはしなかった。
――護符と同系統の呪が、文書にも仕込まれている可能性がある。
「結界が安定するまで、箱には触れるな。封印を維持しろ」
兵たちは従った。――鉄箱は応急隔離にすぎない。正式な解析と解除には術師と鍵が要り、当分は開けられない。
「これで……燃やされる心配はない」
カイエンの低い声に、兵たちは安堵の息を吐いた。
「……助かったのですね」
フィオナは胸に手を当て、小さく震える息を漏らした。
ダニエルは彼女の隣に立ち、強く頷いた。
「はい。これで――運命は変えられるはずです」
その言葉の意味を、フィオナとカイエンだけが理解していた。
だがカイエンは、冷たい視線を結界の中に残したまま、低く呟いた。
「――気を抜くな。これで全てが終わったと思うのは、早計だ」
結界の光は静かに脈打ち、部屋には重い沈黙だけが残った。
それは確かに勝利の証でありながら――どこか、嵐の前の静けさを思わせた。




