第14話 未来を知る息子と、信じる父
数日後。祭りの喧騒が去った屋敷に、不穏な気配が漂い始めていた。 警備の兵が増員され、巡回の足音が昼夜を問わず響く。
領内に不審な影が紛れ込んでいる――そんな報告が立て続けに寄せられていたのだ。
「ただの噂に過ぎん」
書類をめくりながら、カイエンは吐き捨てるように言う。だが、瞳の奥に宿るわずかな陰りをフィオナは見逃さなかった。
一方、ダニエルの表情は鋭さを増していた。
「……違います。これは三つ目の死に繋がる兆しかもしれません」
その声音には、少年らしからぬ焦燥がにじんでいた。
やがて、屋敷の侍従が蒼ざめた顔で駆け込んでくる。
「報告いたします! 屋敷の裏手に、何者かが忍び込んだ形跡が――!」
一瞬で、場の空気が凍りついた。
カイエンの瞳が鋭さを帯びる。
「場所は?」
「裏門のそばです。警備の目をすり抜けた形跡が……内部にはまだ入られておりません!!」
フィオナは息を呑み、指先がかすかに震えた。ダニエルが即座に立ち上がる。
「やはり……! 三つ目の死が迫っているんです!」
カイエンの表情に、わずかに怒気が走る。
その拳が音もなく握られた。
「全員を集めろ。屋敷の警備を倍に増やせ。出入りする者は身元を洗い直せ!」
低く鋭い声が広間に響き、兵たちは一斉に駆け出していった。
だが、命じる当人の表情には複雑な影が差していた。
「……王都から遠く離れたこの辺境にまで、刺客が来るとはな……」
口にした疑問は、誰に向けたものでもない。
その言葉に、ダニエルが食い下がるように声を上げた。
「父上、これは偶然じゃありません。未来で母上が断罪されたのも、陰謀が仕組まれていたからです。
……始まっているんです。もう、母上を狙う流れは!」
フィオナの顔色がさらに青ざめる。
屋敷の裏手――物資搬入口のあたりに、忍び込んだ痕跡が見つかったという。
もしあと一歩踏み込まれていたらと思うだけで、背筋が粟立つ。
カイエンは腕を組み、鋭い眼差しで黙り込んだ。
未来の話を信じきることはできない。だが、すでに現実が動き始めていることだけは否定できない。
「……必ず見つけ出す」
低く呟いた声には、領主としての冷厳さと、一人の男としての焦燥が入り混じっていた。
その横で、ダニエルの拳が固く握られていた。
(まだだ……母上の死は、必ず回避できる。僕が来た意味は、そのためにあるんだ)
屋敷の警備が張り巡らされるなか、それでも闇は音もなく忍び寄っていた。
夜更け、フィオナの私室の前に黒い影が滑り込む。
影は袖から取り出した羊皮紙を、机の引き出しに押し込もうとする。
――王家への反逆を示す偽造契約書。
発見されれば、フィオナを陥れる決定的な証拠となる代物だった。
だがその手が震えた。背後に灯りの気配――巡回の兵が迫っている。
「……ちっ」
影は証拠を仕込み切れぬまま懐に押し戻し、窓から飛び降りた。
外庭。兵士が気配を追って駆けつける。
「そこだ、逃がすな!」
短剣を抜き、黒衣の男が必死に抗う。
だが多勢に囲まれ、捕縛は時間の問題に思えた。
その時だった。
「……熱い、な、なんだこれは……!? やめろ、やめ――!」
懐の護符――主に忠誠を誓う契約の証が、紫の炎を噴き上げた。
兵の目の前で、刺客の体は護符ごと燃え上がり、証拠もろとも灰へと変わる。
風に散ったのは、舞い散る灰だけ。
「なっ……」
あまりの光景に、兵たちは言葉を失った。
やがて、静寂を裂くようにダニエルが口を開く。
「……殿下の仕掛けだ。部下の命すら、証拠隠滅のために使い捨てるなんて……」
その言葉に、兵たちがざわめいた。
カイエンは目を細め、すぐに声を張り上げる。
「全員、下がれ。――今すぐだ!」
領主の命に逆らえる者はいない。兵士たちは困惑の色を残しつつも一礼し、外庭を後にした。
やがて足音が遠ざかり、残されたのはカイエン、フィオナ、そしてダニエルだけ。
張り詰めた沈黙の中で、ダニエルが一歩前に進み出る。
「父上……」
拳を強く握りしめ、少年はまっすぐに見据えた。
「十五年後、母上は断罪の場で処刑されました。僕はその場にいたんです」
その言葉に、フィオナは息を呑む。
カイエンの表情は凍りつき、言葉を失った。
今までは戯言として切り捨てられた“未来の告白”が、目の前の異常な出来事と重なり合っていた。
「……ふざけたことだと思っていた。
だが、この目で見た灰の惨劇――あれこそが、王家の闇そのものだった」
険しい表情のまま黙り込むカイエンを、フィオナが心配そうに見つめた。
「……そんなに怖い顔をなさらないで、カイエン様。見ているだけで胸が締めつけられます」
ダニエルもすかさず口を挟む。
「そうです父上。母上を守るために頑張ってるのに、怖がらせてどうするんですか」
「……おまえは余計なことばかり言うな」
カイエンは眉をひそめ、むっとした声を返す。
そのやり取りに、フィオナの唇がかすかに緩む。張り詰めていた空気に、ほんの一瞬だけ和らぎが生まれた。
だが――その刹那にさえ、未来の影は重くのしかかってくる。
カイエンは目を閉じ、深く息を吐いた。
「信じぬわけにはいかぬ。未来を変えるために来たというのなら――俺も共に抗おう」
カイエンは顔を上げ、フィオナの瞳を真っすぐに見つめた。
「フィオナ……俺は必ず、おまえを護る。十五年後など待たずとも、命を狙う者がいるならば――今ここで断ち切ってみせよう」
その声には領主としての冷徹さと、一人の男としての情熱が入り混じっていた。
フィオナはかすかに目を見開き、そして静かに頷いた。
「……カイエン様」
その横で、ダニエルは強く拳を握りしめた。
「ありがとうございます、父上。これで……未来は必ず変えられるはずです」
フィオナは二人を見つめ、胸の奥に小さな安堵の灯を抱いた。
――たとえ運命がいかに険しくとも、三人の歩みが、静かに始まっていた。
未来を変える力になる、と信じて。




