01-5.悪役令嬢は断罪される
……もう一度、君に会えるなんて。
彼は、メイヴィスがメイヴィスとして振る舞うことが許された相手だった。
アルベルトと婚約をするよりも前から交友があった。
……セシル。
公爵邸の隣に邸宅を構えていたオルコット伯爵家の次男、セシル・オルコットはメイヴィスが唯一心の許せる友人だった。
「これは、私の生き方を証明する為の唯一の方法なのよ」
メイヴィスは優しく笑いかける。
死を覚悟した時に限って、感情を取り戻したかのようだった。
「私が選んだことは間違いではなかったと、家族に伝えなくてはなりません。そうしなければ、優しい彼らの心を傷つけることになってしまうから」
友人に宛てた遺書として書くことも許されなかった相手が目の前にいる。
セシルとの思い出は心の中に留め、死後の世界に持っていく覚悟だった。その覚悟が一瞬で崩れ去ったのを感じてしまう。
……君が傍にいたら違ったのだろう。
アルベルトから婚約破棄を告げられた時よりも動揺をしていた。
……私は君を置いて死のうとは思わなかっただろう。
考えても仕方がないことだということは知っていた。
それでも、頭を過ってしまう可能性を振り払うようにメイヴィスは笑ってみせた。
「本当は、もう一通、遺書を書いていきたかった」
メイヴィスは感情のままに言葉を口にするのが苦手だった。
しかし、死が迫っているからこそ、自然と感情が表に出てくる。
「私の自慢の親友、セシル・オルコット宛に謝罪の手紙を遺さなくてはならなかった」
メイヴィスは涙を流すことさえもできない。
泣いてはいけないと自分自身を叱咤する。
「それすらも出来ない私をどうか許して、セシル。私の気持ちはあの頃と同じよ」
メイヴィスの言葉に対し、監視役は震えていた。
正体を隠すことさえも忘れてしまったかのようだった。
「いりません。そんなものは、必要はありません。だから、そんなことを言わないでください。別れの挨拶はしないでください」
監視役――、セシルは泣きそうな声で訴えた。
セシルはメイヴィスの親友だ。立場を弁え、距離を取らなければいけなかった日のことをセシルは忘れることはできなかった。
「以前のようには話してくれないの?」
「……貴女だって以前のようには話してはくれないのでしょう」
「そうね。身についてしまうとそれが普通になってしまうのよ」
メイヴィスは悲しそうに笑った。
昔のようには戻れないのだとメイヴィスもセシルもわかっていた。
「俺だって同じですよ。だから、遺書なんていりません。貴女さえ生きていてくださるのならば、俺は、それだけで幸せになれるんですから」
先ほどした大きな物音は、セシルが剣を落とした音だったのだろう。
監視をしている間、息を潜めていた理由も察することができる。
……セシル。貴方はなにも変わっていなかった。
それでも、メイヴィスは己の意思を曲げるようなことはしないだろう。
古びた兜越しに眼があった。
それは三年前となにも変わらない優しい眼をしていた。
「そう。残念だわ」
触れようと思えば触れることができるだろう。
鉄格子の目の前に立っているセシルに手を伸ばすことだってできる。手を伸ばして触れてしまえば、セシルは手にしている鍵をメイヴィスに渡すだろう。
「貴方を目撃者にしてしまうことを許してちょうだいね」
メイヴィスは手段を変えるつもりはなかった。
覚悟は揺らがない。
それが最善策だとメイヴィスは理解をしていた。
「なにをするつもりですか。公爵令嬢。貴女の罪は死を招くようなものではないでしょう」
セシルは必死に声をあげた。
メイヴィスが決めたことを覆さない性格だと知っている。それでも、必死に説得をする以外の方法をセシルは知らなかった。
「免罪であると知られてはいけないの。婚約者を免罪で死刑にしたなんて知られてしまえば、この国の信用は地に落ちてしまうわ」
「そのようなことは許されません。貴女は生きてここから出るのですから」
「前代未聞よ、それは。バレステロス監獄が生きて出た者はいないわ」
「それならば貴女が最初で最後になるだけです」
椅子から立ち上がる。
真っ直ぐとセシルを見る眼は変わらない。メイヴィスの覚悟は揺らがない。
「それはできないわ」
迷うことなく、足はベッドへと向かっていく。
そして、ベッドの横に備え付けられていたサイドテーブルに置いてある紅茶の入ったティーカップに手を伸ばした。
「私は誇り高きバックス公爵家の娘よ。誇りを踏み弄られることも、利用されることも、家族を傷つけられることも許さないわ」
準備は整っている。
覚悟もできている。
セシルが鉄格子の鍵を開けるか悩んでいる間に終わってしまうだろう。
「こうしてセシルと再会をすることができたのは、不幸中の幸いだったわ。貴方に遺書を残せないけれども、代わり、言葉を残せるのだもの」
メイヴィスは、ベッドに腰を掛ける。
その間もティーカップを離すことはなかった。
「私の友でいてくれてありがとう、セシル。私は貴方のことが大好きだったわ」
メイヴィスは笑った。
運が良かったのだと、幸せそうに笑った。
「君と出会えたことは私の最大の幸福だった」
メイヴィスは後悔はしない。
残された人々のことも考えない。
「君と共に過ごした日々を誇りに思うよ」
メイヴィスは自身のできる最善を選択した。
アルベルトの婚約者としてするべきことを選んだだけだった。
……神様の与えてくださった最後の幸運かもしれない。
それはアルベルトと婚約する以前の日々を思い出させる笑みだった。
なにも思い残すこともなく、メイヴィスは死を受け入れることができる。
「さようなら、セシル」
メイヴィスは用意しておいた紅茶を飲み干す。
紅茶の中には自分自身で調合した毒薬が入っている。
解毒は誰にもできない。
解毒剤を準備する間もなく、死に至るような毒薬をメイヴィスは完成させていた。
「まさかっ――!」
セシルが気づいた時には手遅れだった。
慌てて鉄格子を開けようとしているセシルを見ながら、静かに眼を閉じた。身体はゆっくりとベッドに倒れていく。
「メイヴィー! メイヴィー!」
鉄格子の扉が開けられた。
鍵を放り投げてその中へと駆け込んでいたセシルが、メイヴィスに声を掛けるものの、反応は返ってこない。
万が一にも解毒される可能性を考慮していた。
メイヴィスが飲み越した毒薬入りの紅茶は即効性のものだった。
扉が開けられたままの鉄格子の中、セシルの声だけが響き渡る。
それに対してメイヴィスは穏やかな表情をしたままだった。既に息をしていない。苦しむこともなく、簡単に命を奪い去る毒薬はメイヴィスの死と共に消えてなくなる。
その知識は義弟のエドワルドにすらも教えなかった。
「メイヴィー! お願いだよ。僕をおいていかないで!」
少しずつ体温が冷めていくのを感じながらも、セシルはメイヴィスの名を呼んでいた。
重く閉ざされている扉の奥にいる監視役が異変に気づくまでの間、セシルはメイヴィスの身体に抱き着いたまま泣いていた。