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女王の盾  作者: 鰐屋雛菊
第二章
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〈五〉森の民

 王都には三つの大門がある。南の干城門はいわば表門で、国事にかかわる用件を帯びた者にのみ開かれる。対して東の晨明門は旅行者や小売商ら一般市民のための門であり、西の春宵門は交易施設へと通じている。

 シェルナム王国にとって、交易はもっとも重要な国家事業である。その施設ともなれば当然それ相当の規模であったが、いまや支柱と屋根だけの車庫にはわずか数台の荷車が見えるのみ、空っぽの厩舎のかたわらにまぐさ束がほどかれることなく積まれている。港町さながらの倉庫群や市街地側の塀にそって並ぶ事業所・会館も、ただただ寂々ひっそりと静まりかえっていた。

 破壊の痕はない。驚くほどに整然としてほつれ一つない風景はだが、鮮烈さを欠いた色彩や、おぼろな影ににじんだ輪郭が古い絵画のようだった。

 この調和を乱す異分子もまた存在する。彼らは、いうなればくさびだ。冥の災害を因とするなら、果としてハーシュラン王朝の終焉と四王国の誕生がある。彼らはこの死と生をつなぐ楔なのである。八百年の長きにわたって午睡をむさぼり肥え太ったハーシュランの末裔らが、表向きその有り様を改竄したとしても、決して消し去ることはできない。

 シェルナム王国に降りかかった凶事が、安寧の底に突き刺さる細微な棘をあらわにする。夜が失われ陰影はあるかなしか。闇を領分とする彼らは身をひそめる手だてを奪われて、否応なく明るみに引きずり出された。

 無防備な互いを見いだした瞬間に火花が散った。鳴りひびいた鋼のぶつかる音に、古ぼけた風景画は風景画であることをやめる。命と命が出会い頭に死線上で斬りむすび、一歩もゆずらず渡り合う。

 戦槍斧せんそうふの撃ちこみは、まさに疾風迅雷であった。まばたき一つが死を招く。まともに受けては動きを封じられようと、かわし往なせばそれだけに追われ、更には手にした銀の錫杖を地に立てて高みの見物とばかり、仁王立ちに眺めるもう一人に気を散らされる。攻勢に転じる機を見出せぬ焦慮が散漫を、散漫が隙を生んだ。その隙へと斬りかかる一撃に、ダナイは身体ごと後方へ押しやられる。

「月弓刃とはな」

 立ちこめる砂煙の向こう、どこか楽しげな呟きに続いて思いのほか若い声が詰問調に問う。

「やはり同族か。このような所で何をしておる」

 「同族」の言葉に、ダナイの胸中を苦い亀裂が走り甘い血がしたたった。義兄の叛逆を“谷”に断ぜられてより以来二十年、初めて同族に同族と認められた。確たる叛意に導かれし地にて。だが皮肉に皮肉を重ねたこの現実、この不条理ですら、至極当たり前に“谷”の戦士である二人の男達への嫉妬を嘲弄にすり替えることはできなかった。

「答えぬか」

「よかろう。ならば」

 しゃらん、とすずやかなかんの音を合図に、ふたつの影がゆらり揺れた。殺気という名の猛毒を塗布せし得物が同時に突く。砂のとばりを薙ぎ、斬り上げ打ち下ろす。一刀にて応戦していたダナイは、その猛攻にもう一振りの鞘を払った。青白い刀身にくわえて対なる漆黒が、縦横自在のきっさきを石突を辛うじて防ぐ。二人が一人でも手に負えるかどうかの手練れであった。一度に相手とするは無謀と、錫杖の男の巨躯を利して戦槍斧の死角へ没する。

 突き入る銀の長柄に刀身を添わせてたったの二歩、されど二歩の間合いを帳消しにする。しのぎを削りひるがえし、返す刃がとどくより先に腿のあたりを熱線が走った。半端な振りは半端に肉を裂き、死角の縁より閃いた戦槍斧もまたダナイに浅傷を負わせるだけに終わる。だがもとより不利な者に後退を余儀なくさせたなら、この局面での勝者はいうに及ばず。さらには退けば押すが定石と、容易に退かせてはくれぬ。

 踏みとどまるな。

 肉体感覚が思考を凌駕する。四肢が脳をねじ伏せる。漆黒と青銀の交差が、穿ち貫く錫杖を阻んだ。

 衝撃がすさまじい圧力となってダナイをはじき飛ばす。その身は地に引きずられ転がり、ようやく事業所の外壁にうけとめられるまで砂塵の筋を延々とひいた。

 砂にまみれた墨染めの衣服に、本来ならば目立たない血の赤が広がってゆく。受け身すらとれずにさらした無様を恥じるいとまはない。立ち上がる。全身あちこちから悲鳴があがったが、まだ立ち上がれたし歩けもした。では走れるか。戦えるか。ダナイは素早く背後を確認する。事業所の入り口は建物中央に一カ所だけで、しかもしっかり施錠されている。市街地のように破られている窓もない。ただしなぜか鎧戸の設置は一階のみで、上階では午後の西日を取り入れよとむき出しにされた硝子戸が、仕方なしにあいにくの空模様を映している。

「まさかあの兄者に手傷を負わせるほどの者と出会おうとはな」

 りゅうとした筋肉は男をひとまわりもふたまわりも大きく見せた。そこにいるだけで他者を威圧する体躯であった。しかしその声は意外にも少年めいている。

「見ぬ顔だが外れ者か。名を聞いておこう」

 答えのかわりに、ただ男の目を見る。些細な苦痛に続いて、切り裂かれた右腿の傷のことも頭から消えた。そうして押し黙ったままのダナイに、男はさもありなんと得物を両手に持ちなおす。

 なぜか錫杖の男は後方にとどまっている。傷は浅いはずで、事実その顔色に何ら異常は見られない。これは好機なのか。ダナイはその予断を即座にふり払った。対峙する敵が一人でも依然、劣勢は劣勢のままだ。しかも長丁場になればなっただけ形勢は悪化する。一対一で仕合えるならば願ったり叶ったりとダナイのほうから仕掛けた。真正面からの無謀無策とも思える挙にかえって意表を突かれたか、戦槍斧の男がはじめて防戦一方を強いられる。一瞬の間に数合をかさね、押し切れず押し返し切れずのつばぜり合いの末、どちらからともなく再び間合いのそとへ跳び退る。

「そうでなくてはな」

 喜色を浮かべて戦槍斧の男が咆えた。

 互いの位置が入れ替わっていた。前後から挟撃されればひとたまりもないが、錫杖の男はやはり動くつもりがないらしく、戦槍斧のほうも相棒をあてにしていない。

 袈裟懸けに斬りおろされた斧刃がうなりを上げる。退いて避け、避けきれず鋒が腕をかすめた。かすり傷なら上出来と誘うように踏みこめば、誘いと知っていて打ちかかる。

 転機はすぐにやってきた。その刺突は足の負傷を狙ったものだったのか。しかし鋒は空を突き刺し、柄の上にダナイをのせて静止したかに見えた。地面に叩きつけられた過負荷に穂先がへし折れる。踏み出した一歩で半ばまで、咄嗟に愛器を手放して身がまえる男に先んじて次の一歩でその肩を蹴った。血の赤が軌跡を描く。

 事業所二階の窓に鎧戸はなく、おまけに南端の角部屋には飾りのような狭い露台がはり出していた。跳躍の方向はよかったが距離感に多少の齟齬があり、手すりを越えるに足りずすがるように取りついて落下をまぬがれる。地上からの罵声に押し上げられてなんとか這い上がった。

 ちょうど張り出しの真下あたりにいるのだろうか、声はすれど戦槍斧の男の姿がない。もう一人の敵、あれから一歩も動いていないとおぼしき錫杖の男と目が合う。怒り狂った相棒とは裏腹に、感情の起伏のない双眸が真っ直ぐ見上げていた。


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