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女王の盾  作者: 鰐屋雛菊
第二章
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〈二〉グラシェス

 王都の中央とはもちろん北部の王宮であり、それとは別に存在するもう一つの中心こそ中央広場である。エルナ・デュガーレは四王国以前に「名を秘したる女神の島」の北西部全域と南西部の一部を支配した、ハーシュラン王朝の初代王ラジナッドによって開かれた。拡張を重ねて無様にふくれ上がった「女神の真珠」だが、このとき定められた都の基点は不動であった。

 建国以来シェルナム王国の守護精霊は「風」とされ、いつのころからか象徴として、この基点に風の精霊像が据えられるようになった。愛らしい少女の姿を借りた銅像は、敷石でえがかれた幾何学模様と、方位を示す八つの泉にとりまかれ、いまも砂色の台座の上でほほえんでいる。口もとは慈愛に満ちて、しかし造形物の限界か、まなざしは冷徹に民を睥睨していた。一説によればこの少女像は、南方交易によって王国に巨万の富をあたえた賢君リリス二世の似姿だという。

 その広場のあちこちに、人の群れがわだかまっていた。多くが三人から五人くらいの少人数で、腰に剣をつるしあるいは手に槍を携えている。北の王宮から引き上げてきた傭兵達である。

 そもそも王都エルナ・デュガーレは、荒野のまん中に忽然と現れた感のある巨大都市だが、十万と号する人口は豊富な地下水によって支えられていた。幸いその水量は、事後もおとろえることなく湧出しつづけている。この恩恵は計りしれない。渇きは身も心もささくれさせる。むくつけき男らが、冷たいわき水で喉をうるおし、傷口や武具を洗い清めながら歓談する様子は、表面上はたいそうなごやかであった。水は王都に閉じこめられた人々にとって命綱である一方、心延えにも潤いをあたえている。

 さて。かの者達を「傭兵」と総称するには、実のところ語弊がある。単なる破落戸ごろつき、兇状持ちの無頼漢もいれば、なんの因果でか至極まっとうな人生のなかばで突きあたったこの受難に、やむなく剣を手にした者もあった。しかし個々の事情や前歴に配慮していては、この徒輩めらを一群として扱えなくなり、のちのち雑多不明瞭をひき起こそう。ゆえに便宜上、武装したにわか徒党のやつばらをも含めて「傭兵」と呼ぶこととする。含めてというからには、その身分職業がもとより雇われ兵であった者もいる。たまたま王都に居あわせた不運の数人と、大義という名の悪意によって送りこまれた百名のうち、混乱のさなかに先見の明をもってして生きのびた、渡世巧者ともいうべき数十人だ。

 彼らを率いる長、名をグラシェスといい、その目線を正面からまっすぐ合わせられる者の稀なほどの大男であった。だんびら振りまわす生業にふさわしく筋骨たくましい体躯を誇り、しかして大味な面相のふたつのまなこはいつもねむそうに侮りを誘っていた。曲者にはちがいないが、傑物と呼ぶほどの者でもない。それは本人もよくよく弁えていて、むしろそれこそが強みであった。身の丈を知っていれば、大失態をやらかさぬものだ。

 「名を秘したる女神の島」で一般に傭兵といえば、隊商の護衛として雇われる武装兵を指す。グラシェスは十人に満たぬ手下てかを従えた、ごく平均的な規模の傭兵団をひきいる、ごく平凡な傭兵団長だった。世には生涯に百の野盗山賊の類を退治て名を馳せたり、女だてらの女伊達に人形芝居の人気演目ともなるような名物団長もいるが、そうした派手派手しい所業活躍に比肩する何も持たない凡百の徒であった。これは元来が野心些少にて、労を厭うものぐさな性状に由来するところも大きい。

 閉ざされた王都で完全に秩序が失われていたのは、おおよそ三日間に相当するとされている。それ以前も以後も、法は正常に機能していないが、完全な喪失状態でもない。少なくとも身にしみついた良識は、そうそう簡単にはぎ取れないものだ。「暴の三日」と呼ばれる徹底的な秩序破壊は、善良なるひとびとが耐えきれぬ恐怖に自らそれと同化し、獣性をむき出しにした数日間の悪夢であった。その乱流のなかでグラシェスは、理性を手放さず胆力を発揮した数少ない一人だったのである。

 こうした経緯から、三十数名を率いる一勢力の領袖におさまった男の半眼がいま、場違いな人影をひとつ捉えていた。雨待ちの重い空は明けも暮れもしないが、大鐘楼の鐘はついさきほど七度響きわたったばかりだ。宵の口のこの時刻に、花の都の中央広場において本来ならば、手に手に武器を持ち、思いおもいの防具で身を固めた連中のほうこそ場違いであるから、このこと一つとっても、傭兵達が閉ざされた王都で、如何にのさばっているのかが伺えよう。

 グラシェスの視線の先で足早に広場を横切る男は、一見して南方人のような出で立ちである。膝までとどく丈長のシャツに幅広のズボン、足下は素足に薄べったいサンダルをつっかけている。ただし軽装とはいっても丸腰ではなく、半端な長さの剣が剣帯に吊されて、腰の左側でおさまり悪く揺れていた。常時武器を手放せないのは王都にあって、もはや自明の理なのだ。

 北の泉にたむろする一団は、グラシェスとその手下であった。総勢十一名の男達はほぼ無傷で、身繕いもあらかた済んでおり、空腹を訴える声がちらほらあがり始めていたが、頭領のグラシェスがいっかな腰を上げようとしない。古顔の一人が、なにやら楽しそうな視線の先を望見して、なるほどと合点した。

「ありゃあ、船乗りの野郎っすね」

 顔つきに反して、おうともうんとも判然としない、妙に歯切れの悪い返答を寄越して、グラシェスは手下共に視線を転じた。そうして何を思い立ったか一人肯くと、立ち上がりざま傍らの古顔にあとは任せたと言い置いて歩き出す。

「かしら、どこ行くんですかい」

 仰天して呼び止める声に振り向きもせず、ちょいと野暮用よ、と手を振ってみせる。

「冗談じゃありやせんよ。あんたを一人にすんなって、ヨールの兄貴にきつくいわれてんだ」

「俺は、乳母日傘のおひいさまかよ」

 笑い飛ばす大男のうしろを古顔が追えば、あとの九人も互いの顔を見合わせ、結局はつき従うしかない。

「おいおい、俺にかまうな。ヨールにゃ適当に言っとけ」

 しかし古顔は譲らず、むさ苦しい一団がグラシェスのあとにぞろぞろと続く。向かう先は場違いな船乗り——アスナンの目的地である国立図書館だった。


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