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女王の盾  作者: 鰐屋雛菊
第一章
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〈二〉

 砂煙を上げて迫り来る。ユリスリートは迷わず手荷物を投げ捨てた。たった三頭。されどその馬蹄の轟きは、鞘走りの音を当たり前にかき消す。

 先頭に一、後方に二。互いの距離が緩い。獲物を定めてなおあの広がりよう、包囲を目論むに半端な広がりよう。密集移動ができぬ素人と知れた。

 一の呼吸にて、先頭をかわす。

 身を低く、体を崩さず。振り下ろされた切っ先のうなりが耳元を、あぶみの錆色が目の端を掠めた。

 二の呼吸で砂塵の切れ間、対峙した後陣の左翼が、驚愕にその目を見開く。

 相手が待ち構えているなどと、思ってもみなかったのだ。

 短い悲鳴と、舌打ちが重なった。石を削るような抵抗に、ユリスリートは素早く剣を引く。

 滑り込ませた刃は、骨に阻まれた。四肢の連動に微妙な誤差がある。二月余り、身体を遊ばせていたツケか。

 三頭の馬が駆け抜けたあと、辺りは黄色い靄が立ちこめてくらい。そのただ中、一人残されたユリスリートは目を細めた。

 万全ではない状態で、三人の敵。しかも騎馬。加えてこの陽射し、このだだっ広い荒野。

 最悪だ。

 思わず歯がきしむ。だが、その憂慮は意外な形で軽減される。

 蹄の音が止んでいた。目と鼻の先にぽつねんと、照りつける陽光を弾く白刃。浅傷を負った男は、あろうことか剣を取り落としたらしい。遠く怒鳴り声と馬のいななきに目を転じれば、果たして二つの騎影が遠ざかって行く。

 あれしきで怖じ気づいたのか。

 独り気勢を上げて向かってくる賊の、その形相は。

 猛りより怒りより、悲壮感に満ちていた。


 やはり、とユリスリートは剣を握る左手を見る。旅に出るまでの二月を、半病人のように過ごした。身体も勘も鈍っている。幸い斬られたのは、マントの肩口と数本の髪だけ。運が良かった。

 剣を収めると、背に払ったフードを再び目深にかぶる。動かぬ主の傍ら、痩せ馬が気弱そうな鼻息をもらした。

 哀れには思わない。まばらな顎髭が不精のせいでなく、文字どおり未だ生えそろわない小僧っ子だったことも、仲間に裏切られたことも。一歩間違えば、ああして地に転がっていたのは自分なのだから。感慨があるとすれば、灼熱と呼ぶに相応しいこの時期この時刻を選んだ、その正気を疑うくらいだ。

 太陽に追われ太陽を追い、その姿が見えなくなるまで歩き通す日々も、はや半月。疲労の色は濃い。馬が手に入ったのは幸いと手綱を引く。

 鞍嚢の中を物色すると、使えそうな物は岩塩と水、干したナツメヤシの実が二粒。軽い金袋とそれらを抜き取って、あとは袋ごと遺骸の側に投げ棄てる。

 四王国中もっとも栄えるシェルナムも、交易が停止すれば、途端に困窮する村々はまだ多い。さらに王都は閉ざされ、女王も行方知れずとなれば。

 押し殺した不安の底で、乱の気配が胎動を始める。

 旅路の途中、戦の噂をそこかしこで耳にした。二大貴族は表面上手を取り合い、女王救出を声高に叫んだが、水面下では戦支度に余念がないことだろう。数日をかけて通ってきた、一方の領袖アーテルム伯爵の領地では、鍛冶屋が繁盛していた。大っぴらに募兵が行われるのも、そう遠くはあるまい。

 あの若者達は、そんな気配に飲まれて田舎を飛び出した、農家の小倅と言ったところか。

 足下にうずくまる影を測り、非難がましい馬の視線に構わず、その背にまたがる。入城は翌日になるはずだった。全くもって不幸中の幸い。

 急がねば。

 なぜ。

 湧き上がる焦燥に、反問が覆いかぶさる。

 降り注ぐ陽光の眩しさに目を庇い、押し留める熱風に抗って足を踏み出しながらも。ようやく見つけた木陰で、砂まみれの干し肉を噛んでいたときも。満天の星空の下、剣を抱えて眠り落ち行くさなかでさえも。王都へ向かうと決意してより、それは延々と繰り返されてきた。

 衝動の根源は定まらず。反問の答えは見つからず。

 正気の沙汰ではないと、他人を非難できようか。

 肩越し振り返れば、どこから来たのかどうやって知ったのか、早くも二、三の蝿が飛び交っていた。彼らはこの炎天下のもと、もっとも勤勉な存在だろう。

 かかとで軽く馬腹を打つ。意に染まぬ新たな主の命令に、しかし馬は素直に従った。


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