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女王の盾  作者: 鰐屋雛菊
第二章
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〈十一〉ユリスリート

 石の一本柱がまん中で低い天井を支えている。この石柱に中心を貫かれる円卓をはさんで、入り口側と厨房側に工作用の作業台としか思えない、頑丈だけが取り柄のような大卓が一脚ずつ鎮座していた。厨房との境界を引く間仕切りを兼ねた卓もまた、その役割を実直にこなそうとどっしりと構えている。壁と天上は漆喰の白が殺風景ながら、板張りの床と腰羽目の沈んだ色調や、不意に波紋を広げる木目が目に優しい。

 交易によりもたらされる香辛料は、シェルナム王国の庶民の食生活にまで浸透している。供された煮込み料理はその独特の香りと味わいを損なわず支配されず、程良い塩梅で効いている。踊る湯気は刺激的であり、命の糧となるために捧げられた命が器の底にひしめいていた。

 味、量、値、どれをとっても文句のつけようがないと評判の「兎の尻尾」亭の料理にあえて苦言を呈すなら、主な客層に対してやや品が良すぎることくらいであろう。しかしそれは食肉不足が原因である。この状況下で、大の男共の胃袋を満足させるために亭主のラスティオが費やす工夫と、採算を度外視した「公共心」は並々ならぬものだ。慈善事業というのもあながち的外れではない。

「庶民の味というのも悪くない」

 警邏隊長の感慨深げな呟きに二人の部下が同意する。ユリスリートはその様子を遠くから眺めていた。「遠くから」とは彼の印象であって正確さを欠く。何せ貴族であろう警邏隊員達にとっては破格の待遇である。どこの馬の骨とも知れぬ彼に同席を許しているのだから。

 普段ならば嵩高い男十人が袖触れあわずゆったり座れる大卓に、ユリスリートを含めた四人が座している。和気あいあいとした雰囲気を望んでいるわけではなく、額突きあわせて話さねばならぬような重大な秘密なんぞも知らない。ないが、なぜ話を聞かせるべき相手から、わざわざ最も離れたところへと追いやられるのかと首を傾げたくなる。

 真正面では作り物めいた顔が、優雅な手つきでウサギの煮込み料理を堪能していた。物を食しているのが不自然に思える。そんな造作だ。警邏隊長の手前で、横顔を見せて向き合っている二人の部下も整った顔立ちではあるが、まだ人間味が感じられた。そしてこの二人とユリスリートとの間には三人分の空席がある。

 ユリスリートはおおかたのところを語り終え、皿の中身もほぼ平らげていた。そして返ってきた反応が庶民の味云々だった。彼が遠いと思う理由としては妥当であろう。

「こちらから質問しても構わないか」

 ユリスリートにも知りたいことがある。警邏隊は王都の治安保持が本来任務である。それは今も機能しているのかどうか。官憲に対する反応としては、さきほど店をあとにした傭兵達の態度はやや過剰に思えた。

 向かって右側の部下が初めて顔を上げる。

「日常のことに関してならば、そこにいる連中にでも尋ねるがいい」

 ユリスリートの視線に、矛先を向けられた男らはにやにやと曖昧に笑っている。円卓に三人、厨房側の作業台もとい大卓には二人が居残っていた。破落戸ごろつきと大差ないような連中を簡単に信用するほど、ユリスリートは世間知らずではない。相手は選んだつもりだった。だが貴族が対等と認めるのは同じ貴族のみである。彼らにとって平民以下など人に非ずで、なれなれしく口を利くなとでも言いたいのだろう。そしてそれが当然だった。うっかりしていたユリスリートにこそ非がある。それが貴族なのだ。

「君は賢明だ」

 王都は閉ざされ女王は生死不明という国家の一大事が起こって三ヶ月が経過した。シェルナム王国がどのような状態に置かれているか、ユリスリートは知っていることを端的に説明した。二大貴族はまだ表面上は協力体制にあること、ゆえに戦は起こっていないこと、他の三つの王国に表立った動きはないこと。警邏隊長はこれらの話にまったく興味を示さなかった。

「質問の相手として我々を選ぶ、君のその選択は正しい。しかし適材適所という言葉がある。そしてそれ以前に決まり事があってね。つまり君は我々にとって管轄外なのだよ」

 ずっと無反応だった警邏隊長はそこまで言うと、料理と一緒に配膳された水の瓶に手を伸ばす。左側の部下が慌てて腰を浮かせかけたのを無言で制し、手酌で銅製のコップに水を注ぎ入れた。ユリスリートは黙って先を待つ。

「外から来る人間に対して、責任を負う範囲を分担することとしたのだ」

 まず商人や旅人などの一般人は商工会が、南方人はミーザム街を占拠しているライサラ一派が引き受けて、王都で生活していくための補佐をすることとなっていた。

「我らは公人に対してその責を負う。君が一般人なら商工会の三老の誰かを訪ねるといい。そうだな、今夜はもう遅い。明日にでも」

 語尾に重なるように遠く鐘の音が聞こえてきた。鳴り納めの九の鐘であった。ユリスリートの視点が警邏隊長をこえて、ふたたび一カ所だけ切られた窓へ注がれる。相変わらず朝とも昼ともつかぬ薄ぼんやりとした街並みの一部分があった。

「だが君は何も知らずここへ来たわけではあるまい。もしその目的が財宝なら」

「どういう意味だ」

「失敬。だがその手合いは多いのだよ。町をうろつくならず者の大抵が、このどさくさに王宮から宝飾品をかすめ盗ろうとやって来た。君は違うと」

「違う」

 即答したユリスリートに極上の笑みが返される。極上の、無機質な笑みであった。

「よろしい。ならばもう一人の人物の名を君に教えよう。おそらく君にとってもっとも有益な人物となるだろう。グラシェスという男だ。詳しいことは」

 赤銅色のコップをやや骨張った指が軽く叩く。鈍い金属音に中の水がかすかに震えた。波紋の勢いを借りるように、水色の瞳が間仕切りへと向けられる。ちょうど漆喰壁の向こうから亭主の大きな身体が、前掛けで手を拭きながら現れた。

「ラスティオ君、きみはグラシェスとは昵懇じっこんの間柄だったね」

 突然の問いかけに、亭主が顔をしかめる。

「昵懇てほどでもないですがね。あいつがどうかしましたかい」

「彼に」

 目線でもってユリスリートを指すと、ラスティオは即座に了解した。それを潮に二人の部下が立ち上がる。

「君の話は参考になった。この危機に瀕して未だ国土が戦乱に見舞われていないのは女神のご加護であろう。尊い血が流れぬうちに我らも使命を全うしたく思う」

 「尊い血」のあたりで誰かが鼻を鳴らした。左側の部下がまなじりを上げてふり返ったが、傭兵達は素知らぬ顔だった。警邏隊長とユリスリートがほぼ同時に立ち上がり同方向に動く。警邏隊長は椅子の左側へ、ユリスリートは右側へ。片方の眉がわずかに跳ね上がり、作り物のような顔に生身の表情が生まれる。ユリスリートが剣を右に佩いていると気づいたせいだった。

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな。私はバナムス・レクトロノワ。この非常事態に際し王都警邏隊を仮に預かる者だ」

 ユリスリートは後悔していた。出る杭は打たれると言うように、下手に目立って良いことなどない。

 王都の警邏隊長は近衛隊長と同格である。それは有事においての軍団長と同格であることをも意味する。レクトロノワなる男は素性こそおかしなところはなさそうだが、どう見てもまだ三十にすら届いていない若輩だ。傭兵団の団長ならいざ知らず、国家の重鎮として名を連ねるとなるとやはり無理がある。火事場泥棒のように言われたとき、ではお前はどうなのだと訊きたかったくらいだ。そんな相手とよしみを通じる気はない。

 だがまさか名乗り返さぬでは、先方の面子が立たない。二人の部下もとうぜん黙っていないだろう。

「ユリスリート」

 仕方なくぶっきらぼうに応える。彼が持つ唯一のものである。唯一の、彼にとってだけ意味のある、ただの名である。そのはずであった。

「ユリス、リート?」

 顔貌がまだらに乱れる、それはまさにそんな現象だった。端正な顔が複数の意図にひき裂かれ、歪みねじれていた。次いでよろける身体を支えるように卓に両手をつき、顔を伏せ肩を震わせる。

 小さく、笑っていた。

「ユリスリート。ユリスリート! 素晴らしい」

 不審と好奇のまなざしがユリスリートに突き刺さる。だが何が起こっているのか彼にだって分かりはしない。自らの名が、唯一彼にのこされた「かけら」が、いったいこの男に何をもたらしたのか。

「今宵ここで君に会ったのはやはり女神の酔狂に違いない。だがしかし。私にとって君にとって吉凶いずれであるかは、もとより女神ですらご存知ではあるまいよ」

 震える声で一息にまくし立てると、何事もなかったかのようにしなやかな長身はすっくと背筋を伸ばした。相変わらず面白味のない美貌の中で、水色の瞳の奥に燃えさかる昏がりが見え隠れしている。あまりにも生々しいにんげんの顔であった。

「ごきげんよう、ユリスリート君。君の前途に女神と精霊の加護あらんことを」

 自らと並べて吉凶云々と言いながら、ユリスリートの前途を言祝ぐ。空々しさすら潔い。ユリスリートの、周囲のすべての者の戸惑いを押し流すほどに。

「あんたもね、警邏隊長さん」

 真四角に近い扉の前で、レクトロノワがふり返る。極上の笑みはもう無機質ではなかった。背筋を凍らせるような凄惨さがあった。

 緋色の後ろ姿は来たときと同様に颯爽と消えた。だが残像が一同の網膜に焼きついている。

 卓上には水がなみなみと湛えられた銅製のカップがある。澱みない所作、言動、思考。少なくともレクトロノワという男は愚鈍ではない。むしろ明晰であり、何らかの才覚を感じさせる。

 だが水は湛えられたまま、置き去りにされていた。

 楽しげに話しかけてくる亭主に謝罪し、ユリスリートもまた居酒屋「兎の尻尾」亭をあとにする。聞いておかねばならない話はまだ尽きぬが、今日はもう充分だ。

 暮れぬ町に再び踏み出す。入り口の上部にぶら下がる看板のウサギから目を逸らして、灰色の空を見上げた。

 王都での第一日目が過ぎようとしていた。


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