気になる人
r4.12.25
今日、ほぼメンヘラひきずってましたね。ずっと堕ちてた。変な返信をしてしまったのではないのか、飽きられてしまったのではないか、変な発言をして嫌われてしまったに違いない、不安だ、のように本当にずっと病んでた。少し時間ができると、直ぐに病んでしまう。ちょっとくらい自分の夢の方にも時間とか気遣いとか残せばいいのにね。こんなんだったら寧ろ寝込んでた方が違う方向に気が行ってて苦しくはなかったかも。ずっと頭には、幸せでふわふわしてて、あまあまな感情でいっぱいだったから。
返信が来なくても、私が回復するまではラインしてこないだろうという自分なりの推察される理由があった。でも今では返信が来ない理由はただ一つ。単純にわたしからのラインがそこまで良いと思ってくれていないこと。忙しい時は結構返してくれなかったりするので、そういう所が不安になってしまう。あまり気にしすぎると本当にメンヘラになってしまうし(既になっている)、自分のやるべき事に身が入らない。
自分の夢が大事だし、自分が一番大切なのに、相手の事を気に掛けてしまう自分が嫌いだ。自分ばっかり好きで本当に情けなくなってしまう。自分には価値があると思いたいのに、ふと追いかけて返事を待ち遠しく思ってしまう自分が惨めに思えてしまう。そして自分の生活を優先しているあの人を見て卑屈に感じて、劣等感すらも感じてしまう。これが躁の時には自分が優秀な人間のように感じて、あんな人になんかに自分は収まらない、寧ろ自分はもっとそれ以上の価値があるのではないかと思う時もあるくらいだ。自信がある時には、寧ろ何故好きになってしまったのかが分からなくなる時もあった。勉強も総じてあの子よりも出来て、友達もあの子よりも多くて、多才で、課外活動も多くしていて、それでいて複数の部活にも参加して実績も役職も持つ私が真逆のあの子の下で操られて心を乱されてしまうだなんてなんて愚かなことなんだと思ってしまう。性格が悪いとつくづく思う。
r4.12.27
・自分は良い人でもないし出来た人でもない。確かに褒められると気分は良いし、束の間の自己肯定感が上がることは分かっている。しかしながら、当の本人には何の価値もなく、皆が見えている私の姿とは虚構に過ぎないとさえも思うのである。キミの目に映るわたしという存在は、卒なく様々な物事をこなし、性格もまぁまぁ良くて、可愛いのかもしれない。君がそう言ってくれるのは、お世辞ではないだろうことは表情から読みとることが出来るけれど。友人からも、○○だからできるでしょ、よくお出来になるようで、というような印象を抱かれているようであるが、決してそんなことはない。教授から褒められても、嘘偽りの自分が対象であるのだから考えすぎると誉め言葉に値しない。中身がないのだから。
自分はどうしようもない、救いようもない屑だ。
欠点だらけで、何よりも自分の人生に対する信念がない。将来の夢は破れてしまい、もう何事に対しても気力がない。自分は敗者なのだから、これ以上何も望めないし生きている意味が皆無なのである。本当に好きなことなんて分からない。明日が何故来てしまうのかさえも疑問に思ってしまう。こんなにも恵まれている事にも感謝できず、ただ這い蹲っている。
自己嫌悪や希死念慮を抱いては周りの人にぶつけて迷惑をかけまくる。周りの人だって苦しんでいるのに自分だけだと重い殻に閉じこもる。好きな人ができても、幸せな感情に浸れるのは今だけなのだと生き急いでいる。この時は永遠に続くことなんてないのだと初めから諦めている。これが写真を撮る所以だ。いつか幸せなど終わりが来るのだから、今を精一杯楽しむ。遊べるときは遊んで、自分の思い出のひとつとして大切に仕舞う。自分なんかは恒久な幸せを享受するのに値しないと思う程、幸せから遠ざかっていく。自分なんかを愛してくれるような崇高で寛容な人間なぞいる訳がないのだから。ある程度親密になれば自分の方から手を引くべきなのだろう。幸せになれる人に、自分なぞが関わってはならぬ。自分の好きな人までも不幸にはしたくないという、せめてもの乙女心なのである。自分と幸せになる未来を妄想してはそれを打ち砕く事の繰り返しが日々の生活なのだ。