竿と楽器
ランチタイムをとうに過ぎた昼下がりのファミリーレストランに女子高校生が三人、ドリンクバーだけで延々とボックス席を占拠し続けている。会話はない。
女三人寄れば姦しい――とは言うものの、来る日も来る日も同じ顔ぶれがそろえば、流石に話題も尽きる。
――学校がなくていいけど、やることもなくて暇だ……。
夏休みを満喫し尽くして財布の中身も使い果たして、懐具合とは反比例に気分が飽和状態の茜は、シートに深くもたれかかって、ぼんにゃりと呆けていた。
突然――。
茜の対面に座った二人の小柄な方の女子、萌がテーブルを両手でバンッと叩き立ち上がった。
「そうだ、バンドをやろう!」
何事が起きたのかとこちらに視線を向けてくるウエイトレスや周囲の客を気にする様子もなく、萌は鼻息を荒くしている。左腕で小さくガッツポーズを作ると、私イイこと言ったといわんばかりの得意顔を茜に向けた。
「やだよ、怖いじゃん」
長身を窮屈そうにかがめて読書に勤しんでいた麻耶が、本に視線を向けたまま横から口を挟んだ。
「怖い? 何で?」
萌の問い返しに麻耶が答える。
「うん怖いね。怖いし、そもそも当たったら痛そうじゃん。ってか絶対に痛いよね。硬球っていうくらいだから硬いんでしょ?」
切りよく段落の終りまで読み終えたらしく、麻耶は栞を挟んで本を置いた。顔を上げると同時に長い髪を耳にかけた。
茜はもたれていたシートから身を乗り出しテーブルに肘をついた。
「それ、バント。女子は野球なんてしないし、汗臭いのは男子の領分。そもそも、萌が言ってるのはバントじゃなくてバンドだし」
「野球じゃなくてサッカーか。それなら私たち、か弱い女子でもできるね」
大柄で、三人の中で一番その言葉からかけ離れた体型の麻耶が淡々と口にした。
「それ播戸だよね、Jリーガーの播戸竜二選手。こう言ったら悪いけど、『サッカーする』を『播戸する』って言い換えられるほどの選手じゃないよ。それにね、私が言いたいのはその播戸じゃなくて――」
萌の言葉を麻耶が遮る。
「何だ、ハンソデバンドのことか。あれは中々良い馬だった」
「だね。ちなみに、現在は麻布大学の乗馬用の馬としてセカンドライフを送っているらしいね。種牡馬にはなれなかったけど悪くない余生だな」
ウンウンとうなづいて茜が付け加えた。流れに棹差して会話を進めていく。
「だーかーらー、私が言ってるのはバンドじゃなくてバ・ン・ド、だってば! 野球でもサッカーでもないし、ましてや競馬の話なんてしてないよ。何で二人ともそんなオッサン臭い趣味してんの? ……ん? んん? あれッ? バンドじゃなくてバンドだっけ? 違う? バンドじゃなくてバンドだっけ……?」
萌は自分でも何を言っているのか混乱しているらしい。ポニーテールがハテナマークになりそうな勢いで首を捻っている。
「バンドか――」
茜が「――まァ、やることに対してやぶさかではないけど」と言いかけたところで、
「嫌よ」
間髪入れずに麻耶が拒否した。
「やろうよ」
萌がしつように食い下がるが、麻耶は、
「私は自分を売るような真似は、しないわ」
ゆっくりと首を横に振った。
「バ……バ……。何だ援交じゃないな。あれか、ひょっとしてバイトのつもりか?」
茜の問いかけに麻耶は小さくうなづいた。分かりづらい……と茜は思った。
「謝れ! 全国の労働者諸君に謝れ! ホールのウエイトレスさんに謝れ、キッチンのコックさんに謝れ! 労働は尊いんだぞ、汗は美しいんだ。汗の一滴は黄金一粒の価値があるんだ」
萌は周囲の迷惑も構わずわめき散らす。
「汗にそんな価値があるなら、私は汗を売って小遣い稼ぐことを選ぶわ」
「私もだなァ」
麻耶の意見に茜も同意する。
「そうじゃなくてッ!」
萌は再びバンッとテーブルを打って立ち上がった。
「少し落ち着きなよ、萌」
どうどうどう、と茜は萌をなだめ席に着つように促す。
萌は「ハァ」とひとつため息をつくと、へたれこむように腰を下ろした。グラスのコーラをストローでずずずッと吸い込む。
「暇だからバンドでもやろうか」
「それ、さっきから私がッ――」
麻耶の台詞に、萌はゲホゲホとむせた。コーラが気管に入ったらしい。
茜は「大丈夫か」と萌を気遣いながらも、
「別にバンドをやるのは構わないけどさ、二人とも何か楽器弾けるのか?」
訊いてみた。
回復した萌は、言いだしっぺらしく、
「私、幼稚園の頃にピアノ習ってたよ。あと、実はギター弾ける」
少しだけど、と付け加えた。
「で、ふたりは何かやってた? 何か楽器弾ける?」
一拍の間を置いて、
「「舌鼓!」」
茜と麻耶の声が重なった。
「「かぶった!」」
茜は麻耶と視線を交わし、火花を飛ばす。
――ちくしょう、こいつと同じ発想かよ。
茜はギリギリと奥歯を噛み締めた。
「舌鼓って……それ、楽器じゃないじゃん」
萌は呆れたように指摘する。
「まァ」
「確かに」
茜と麻耶が同時にうなづく。
「二人ともやる気はあるけど、経験はないってことかァ……。でもでも、これから練習すればいいよねッ」
萌の発言を受けて、
「茜ちゃんは、口三味線も弾けるよねぇ」
麻耶がニヤリと薄ら笑いを浮かべた。
「人聞きの悪いことを言ってくれるね。それじゃ、まるで私が嘘吐きみたいじゃないか。そういう麻耶は、立派な腹鼓をお持ちのくせして。いや違うか、人を陥れようと画策するあたりは腹鼓じゃなくて腹芸って感じか」
「私は別に腹黒くない」
「ま、まァ。二人とも落ち着いて、ね? 茜も麻耶も器用そうだからすぐに上達するよ。バンドがんばろうね」
――調子のいいことばかり言っちゃって。
茜は麻耶に目で合図を送ると、萌の方に向き直り声を揃えて叫んだ。
「「この、太鼓持ち!」」