ブラック派遣会社を20歳で退職して、原付に乗り名古屋から九州の南まで帰ろうとしました。
この小説は前に書いたモノを改稿しています。
今日は20歳で初めての会社を退職して、原付乗って名古屋から九州の南まで帰ろうとした話をしたいと思います。
拙い文章力ですが、よろしくお願いします。
まず退職するまでの過程についてのお話しです。
当時、東京の某専門学生に在籍していた18歳の自分は仕事に就く、というのが大嫌いでした。
そこで、担任から紹介された、これまた某派遣会社に務める事が決まります。
この時まで私は『自分で考える』という事を一切してきませんでした。
「なんとなく、働いておかないとダメだよね」
これだけしか考えておらず、どういう仕事をやるかも一切わかっておりません。
ただ『現場で働く』という情報のみを抱えたまま卒業し、入社式を行い、名古屋の某大手製造業に派遣されました。
……そこで見たモノは凄まじいモノでした。
「遅いぞ! さっさとしろ!!」
「もたもたするな!! 派遣のくせに!!」
大手会社なので人の出入りが激しく、今日いた人が明日いなかったりする事もしばしばで、1日で辞める人もいたり、窃盗で逮捕されたりなど、唐突に会社に来ない人が沢山いました。
仕事で役に立たない人は正社員の会話の種となってしまいます。
(ああ、ここは戦場なんだな……)
と、状況を理解した私は、そりゃもうシャカリキに働きました。
毎日朝5時に起きて、昼3時ちょっとに帰る。
※1週間の交代勤務で、夜は夕方5時に働いて深夜1時に終わります
東京から名古屋に来て方言もわからず、話す友達もいない。
仕事は単純作業、これを繰り返すと人間、本当に生きてる意味があるのかな? と考えたりします。
「ふえええ……」
意味もわからず、睡眠中に布団の中で泣き出してしまったり……。
某配信サイトと、某オンラインゲームにはとても感謝しております。
今度そのエピソードも書けたら嬉しいです。
趣味でストレスを抜いてこなかったら私は今頃自殺しているのだと、振り返った今でも思いますね。
皆さんに誤解しないでほしいのは、会社に対して不満を漏らしたい訳ではありません。
先程言った『自分で考える』というのが欠如していたからこそ、会社に行っても楽しみを見出せない。
生きてて当たり前の事もせず、雇って頂いた会社に文句や不満を垂らすなんて、滑稽ですよね。
だから派遣先の会社様に恨みなどはございません。
むしろ2年間ありがとうございました、良い社会経験となりました。
……話を戻しまして、私は『自分の人生』というのを本気でしてきませんでした。
そこで夜勤 ※週交代制 だったある日、とうとう人生の転機が訪れます。
※微グロ注意です
――深夜、原付で単独事故を起こしてしまいました。
手首が複雑骨折し、派遣会社にお休みをもらい。
その恩返し(今思うとよくわかりません……)として、もう1年働こうと決意し。
結局、計2年間務めました。
そして20歳になった3月、とうとう退職を上司に伝え4月に退職しました。
ちなみに当時の給料は派遣会社に相当引かれてしまったので、手取り13万ぐらいです。
「え、大手でこれ!?」
と皆さん思われるかも知れませんが、ブラック派遣員です。
正社員は軽く20~30はもらえると思います。
貯金も残り5万、とりあえず親に辞めた事を報告して、返ってきた母からの言葉は「なら帰ってこんね、お父さんも待っとるけえ」と一言いわれ、辞めた事に対しては特に言われませんでした。
お借りした寮の部屋を綺麗にして、荷物をまとめ、駐車場で残った1台の原付……。
もちろん、購入したバイクショップで引き取ってもよかったのですが、この時私はとんでもない事を思いついたのです。
「……これで帰るか!!」
長い導入でしたが、こうして原付で旅する話が始まります。
まずオイルを足してもらおうとバイクショップへ。
お世話になった店長から、「大きな荷物抱えてどうしたの?」と聞かれたので。
「実家に帰ります」
と私が答えると。
「……え、これで帰るんだ? どこまで?」
「九州までです!」
――店長は漫画のように、口を大きく開けてスパナを落としました。
聞けばどうやらエンジンが調子悪く、「どう考えても九州まで持たないからやめておきな」と全力で止められました。
しかし私のエンジンはレッドゾーンまっしぐら。
ここで計画を中止する気なんて全くありません。
そこでは適当に「わかりました」と返事しつつ、とうとう原付で出発してしまいました。
まず某配信サイトをつけ。
「今から原付で実家まで帰りまーす」と発言。
「どこまで?」とコメントで聞かれたので、そりゃもう九州の南まで、と答えたら。
「大丈夫?」
「バカ乙ww」
「若いっていいよね」
など、視聴者のありがたいお言葉を頂き、原付を固定カメラに取り付け出発。
名古屋を出るまでマイクで雑談しながら走らせていると……。
「あれ、ここも原付ダメなんだ」
当時のマップアプリでのルート検索は当然、高速を推奨するルートばかりです。
車が前提であり、原付は考慮されてなかった訳ですね。
その都度迂回しながら走っていると、住宅地に迷い込んで進めなくなったり。
違う方向へ進んでいたりと、とにかくノープランでめちゃくちゃな旅でした。
「せーかいじゅうのぼーくらを~なみーだーでうめつーくして~」
自分で選択をする、自分で何かする。
たったそれだけで楽しかったんです。
私は、先の見えない未知の連続にワクワクしていました。
雲と共に続く青い空。
見知らぬ風景。
おいしそうな飯屋。
ヘルメットのバイザーを上げれば、4月の風が気持ち良く私を歓迎してくれます。
少しコンビニでご飯休憩を入れてはまた進み、川越市辺りまで進むとすっかり夜になり、1日目は終わります。
その日は寝る場所を決めておらず、屋根のついた公園のベンチで就寝しました。
「大阪まで行くぞー!!」
訪れた2日目、意気込みながら今日も配信を開始。
漫画喫茶に泊まったり、人気のない公園で野宿したり、銭湯へ行ったりと、その時その場で思いついた事をとにかくします。
そこには自分を縛っていた仕事や日常など、既にありませんでした。
体験した事のない『無限に広がる自由』があったのです。
どこへ行ってもいい、どこで何をしてもいい、誰にも何も言われない。
楽しい20代の始まりだったなと、自信を持って人に言えます。
と、ここまで書きましたが、すいません山口県に着くまで特に印象的なモノは覚えていません……。
大阪でUSJを見たかったのですが、1週間で着く予定が予想以上に進まず、漫画喫茶で1日を過ごしたりと、途中からとにかくグダグダな旅になったというのは覚えています。
それもそうですよね、1日の半分以上は原付に乗りっぱなしだったので、雨の日とかカメラが濡れる為配信出来ず、カッパを着ながら運転していたのは覚えています。
中古で買った、私のホンダのデュオSRのタイヤが悲鳴をあげ、雨に足を取られてはスリップしたりなど。
転んだ事とかもありました。
「やばい! これやばい! 頭文字Dみたいだ!!」
と、テンション高く視聴者に向けて叫び続ける私。
今は無き2ストエンジンだったので、アクセル開ければブオンブオンしてとても楽しかったです。
7日目、とうとう親から。
「いつ帰ってくるん?」
と連絡が来てしまいます。
まだ私は広島県の呉市にいました。
ちょうど大和ミュージアムと海上自衛隊が見たかったので、呉市の某ネカフェの上の階にある銭湯でのんびり過ごし、夜10時辺りに退店して出発。
※某これくしょんのブースとかあってとても楽しめました。
店を利用すると入浴チケットもらえたりと、オススメです。
ちなみにどうして呉市に寄ったのかと言うと、軍艦好きもあるのですがマツダのRX-7に憧れていたのです。
歳を取ってRX-8を購入し、その理由も広島が好きでマツダが好きだからです。
話を戻して、とうとう着いた山口県。
「……あれ?」
徐々に落ちる回転数、何度アクセルを開けても加速しません。
そう、デュオSRくんはとうとう限界を迎えてしまいました……。
スタータースイッチを押してもかからず、最悪な事に山の中で止まってしまいます。
とりあえず冷静に。
「ごめんちょっと配信の問題発生したから終わるねー」
と某配信サイトを終了。
が、ここでアイフォンをアップデートしたのが失敗でした。
当時の最新バージョンは急速に電池が減るバグがあったのです!
電池が急速に減っていき、とにかく焦った私はレッカー移動してもらおうと電話!
……が、待ってる間に電池0%!
(終わった……)
絶望的です。
道路の真ん中で立ち止まり、ルートを調べていた時、交番を見つけました!
セーフッ!! 原付を人が住んで無さそうな家の前へ置き、その方向を頼りに国道を歩いて、何とか辿り着くと、なぜか私服の警官? の方にご説明、モバイルバッテリーをお借り頂き、お茶まで頂いてしまいました。
本当に感謝しております、ありがとうございました。
その後レッカーさんが到着し、事情を聞かれる私。
「旅をしています」
「え? どこから?」
「名古屋からです」
「ここまで来たの!?」
店長と同じく驚いた顔をしていました、雑談を交えつつ、人生初のパトカーに乗ります。
「なんか犯罪者みたいです!」
私は本気で思って言ったのですが、警官の方は笑っていました。
パトカーで原付の前まで着くと、今度は警官の方々が私の原付を調べているではありませんか!!
何が起きたのかとトラックを降りて話を聞くと、どうやら人が住んでないと私が勝手に思っていた家に、人が住んでいたそうで……。
※大変ご迷惑をおかけしました、申し訳ありません。
その住まれていた方がドアを開けると知らない原付が置かれており、不審に思って通報したそうです。
「職業は何してるの?」
「あ、退職して今旅に出てます」
私を連れてくれたもう1人の警官さんが補足説明も行い。
問題は無事に解決しました。
「(車検証見て)愛知から来たの?」
「そうです」
「俺も愛知出身だよーっ」
「えーそうなんですか!?」
レッカーの運転手、家の人をそっちのけで名古屋のお話でしばらく盛り上がる私達。
ちなみに余談なのですが、親がチューリッヒに加入していたのでそこに電話したら15キロまで無料だったそうです。
業者に頼んだら3万持って行かれてしまったので、皆さんこういう時は加入している車両保険などの会社に電話しましょう(泣)
そのまま原付を連れて近くのネットカフェに到着、この時私の財布は0円でしたが、親に来てもらおうと思って中へ入り一泊、当時某これくしょんが夏イベントだったので、最終面をプレイしつつ、店の人に事情を説明して、電話をお借りする事に成功しました。
「もう着いたかえ?」
と、母が聞いたので、
「いやそれが、原付止まってしまって今山口のネカフェおるんよ」
「なんね、止まったあ!?」
びっくりした声で母は大慌て、そして何故か冷静な私。
「という訳で迎えプリーズ」
母は「わかった」と言って、朝から新幹線に乗ってもらい、昼過ぎに山口に到着。
わざわざタクシーでネカフェまで来てもらいました、ありがとうマイマザー。
色んな人に大迷惑をかけながらも、こうして私の旅は終わり、原付も山口県のバイクショップへ引き取ってもらう事にしました。
ありがとうディオSRくん。
君との旅はとても楽しかったよ。
私は母と一緒に新幹線に乗って帰り、無事九州の南へと帰れました。
あまり内容は面白くなかったかも知れませんが、盛らずに言うとこんな感じです。
とにかく『自由』を満喫して、楽しかったのは覚えています、最高でした。
またいつか一人旅に出たいですね。
この旅で学んだ事、それは『人の温もり』です、私の人生は人に助けられてばかりだと本当に思います。
こんな自分でも何か人の為に出来ないか、何か、自分が人生で学んだ事をネット小説で、誰かに楽しく伝えられないかなと思い。
今回この話を書いてみました。
少しでも皆様の暇が潰れたなら嬉しいです。
以上で私の名古屋から九州の南まで帰ろうとした話は終わります。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
◇ ◇ ◇
もし良ければまったりギャグのファンタジー小説も書いてますので、読んでみてください!
999人で組むパーティの最後尾、その999人目の俺はパーティから抜けたら急に覚醒して、入る人数によって弱くなっていく。 ~今更パーティに戻ってきてくれと言われても今の暮らしが気に入っているから断る~
【https://ncode.syosetu.com/n1932hg/】
またこういった話を書きたくなったら、今度はノープランで富士山登ってライトも無く、夜に下山したら死にかけた話を書きたいかなと思います。
※ペンライトを貸して頂けたお二人のご老人の方、本当にありがとうございます。
でわでわ。駄文失礼しました。