後編2 (最終話)
「わたし。……この子、知ってる気がする」
「はぁ? わたしを知ってるんですか? それってどういう?」
気になったのか、喜緑さんが問い詰めた。知っていると言い出したのは姉の方だが、妹は不思議そうに二人のやり取りを眺めているのみ。僕もそうだ。
「気がするって言っただけでしょ、なんで責められなきゃなんないの?」
「そういうつもりは無くて。……ごめんなさい」
「気に食わないの? カレシに声かけたから? それってかなり自己チューだよね」
うつむき口をとがらせる喜緑さん。ブツブツと。
「カレシとか、そんなんじゃないです」
まぁ、そんなんじゃないんだけどね。何故だか軽くショックを受けた僕だった。
「へぇ、そんなんじゃないんだ? こりゃウケるよ」
「お姉ちゃん、もうそのへんで止めときなよ。いっつもSっ気出すんだから。そんなだから……」
「そんなだから、ナニ?」
「あ、え? えーと……」
「言いかけたこと、途中で止めんな」
「忘れちゃったんだから仕方ないっしょ! ダレだが、人の名前だよォ」
「人の名前?」
姉は考える風を見せたが止めたようだ。頭を押さえて「もーっ」と不快気に呻った。
「アッタマ痛たぁ、何なの?!」
生前を思い出そうとしたからだ。そんな事をしたら体の不調となって表れる。
「ではそろそろ。二人いっぺんに行きましょう。僕がまとめてご対応します」
その後は手続きも順調に進んだ。
来世の二人の要望に多少の差異はあったが、結局は仲が良いんだろう、何となく妥協点が見つかり最終的には完全に一致した。
「では待合で少しお待ちください。申請手続きに入りますので」
しかし異変は程なくして起こった。双子の妹の方が僕の後ろを追いかけて来たのである。セラさんに承認印を押してもらい振り返ると、青ざめた顔で立っていた。
「どうかしましたか?」
「あ、姉が呼んでます。すぐ来てもらっていい、ですか?」
待合に戻ると、姉がシクシク泣いていた。どうしたのかと尋ねても明快な理由は聞けなかった。
「分かんない、分かんないの! あの子が気になるの!」
「あの子って?」
「あの、受付の子よ。名前……名前が、……違う! そうじゃなくって!」
こういうケースは稀だが経験はある。生前の記憶が頭の片隅に残っていて、それを剥がそうと作用する冥界の気、というか、見えない力のようなものが苦痛や不快感など、本人に何らかの弊害をもたらすのだ。最良の措置は、とにかく当人に満足を与える事。要するに心残りを消し去ってやる事だった。
僕は喜緑さんに助けてもらおうと再度受付に帰った。
だが、こちらでも思いがけないトラブルが発生していた。
「喜緑さん、喜緑さんっ! どうしたの? 大丈夫かい? 辛いのかい?!」
「分かりません……息が……苦しいです。でも、それだけです」
強く胸を押さえている彼女に言い知れない不安を覚え、僕は何度も背中をさすってあげた。
とりあえずそんな生半可な行為をすることで、彼女への胸裏を示した。
セラさんから受け取った水に口をつけ、やや落ち着ちつきを取り戻した喜緑さんの前にふたり、女の子が並んだ。あの双子だ。
なぜか涙目の姉が深々と、物も言わずに頭を下げた。妹もつられて低頭する。
何事かと面食らった。僕だけじゃない、喜緑さんも同じ反応だ。当然セラさんも。
「具合はもう大丈夫なんですか?」
余裕のない喜緑さんに代わって僕が尋ねると、相手も姉でなく、妹の方が「ええ」と短く答えた。
姉はまだ涙ぐんでいた。
何を思ったのか、喜緑さんは自分のバックからアメをまさぐり出し、それを姉に押し渡した。
姉は手の平に置かれたアメを見て……。とうとう、「ワアン」と声を上げた。
「え? え? えーっ? 仕出かし、ですか? わたし、また?」
うろたえた喜緑さん。思わず後ずさる。しかし姉の両腕がそれを追いかけ、彼女を引き寄せた。
「ありがとう。ありがとう。……ありがとう」
アメを握りしめて謝意の言葉を繰り返した、そしてそのまま踵を返してしまった。
「ち、ちょっと? 待ってよ! お姉ちゃんっ」
「伊刀くん、頼むよ?」
セラさんに言われるまでもない。
「はいっ。転生所まで二人を送り届けます!」
妹と共に姉の背を追いかけた。
そうしてどうにか転生の部屋に送り届けた僕は、
「辛くないですか」と双子に、特に姉を労わった。
「ええ」
またもや妹が代弁したので、もう一度、
「出発できそうですか?」と見送りのつもりで声をかけた。
すると姉が、
「大丈夫です。妹が一緒だから」
力強い声音で答えた。
「喜緑さんに伝えてください。ありがとう、チョコレートって。それと、わたし、生まれ変わっても絶対にあなたにもらった恩を忘れませんからって」
そうして、双子の少女はとけるように消えていった。
――同じころ、喜緑さんも、セラさんに見送られ、消えていた。入院先で意識が戻ったんだという。
僕は結局彼女に、好きと言う気持ちを伝えられなかった。
◇ ◇
「伊刀くん、ここ間違ってるよ。それと、ここもね」
「あ、はい。すみません」
「晩御飯、今日もどうだい?」
「はい……いえ、ダメですよ。このところ一週間ずっとお付き合い頂いてるんですから! もう心配ないっすよ!」
溜息をついたセラさんは、小包を僕に渡した。
「自分の部屋に戻ってから開けるように。いいね、分かったね?」
「はぁ」
休憩所に入った僕は、上司の言いつけをさっそく忘れて中身を覗いた。
少女マンガのぶあつい雑誌が一冊、封入されていた。ペラペラとめくるが何の変哲もない。意味が分からなかった。
ところがあるページをたまたま開いたとき、手が止まった。どうしてかドキリと心臓が鳴った。
――その作品には チャレンジ賞 と大きな文字が書かれていた。
ある少女が仮死状態になって冥界に行き、そこで死神の職員と出会い、亡くなった人々を転生させる仕事を手伝うことになる。
色々な人の転生を見るうちに、自分の人生そのものが果たして満足いくものだったのか、後悔が無かったのか、精一杯遣り抜いたのかを自問する……という内容だった。
息せき切ってセラさんのデスクに迫った僕。
「伊刀くん。いまは勤務時間」
「セラさん! これっ!!」
「特例中の特例だよ。くれぐれも内密にね」
「作者、蒼樹ミドリって……」
コホコホ誤魔化すセラさん。トボケ顔で。
「僕たちが死神だったって、彼女にバラしたんですか?」
「え? ああ、そういうのは最初に説明してたよ?」
「僕が、その、あの、彼女を……」
「そんな下卑た行いはしないよ」
「……彼女の記憶、消さなかったんですか?」
「そんなこと、出来るはずないでしょう! もっての外だよ、伊刀くん!」
いい加減あっちへ行きなさいとばかりに手をヒラヒラさせるセラさん。
「でも、このマンガ! 見てください! ほらこの最後のページ、ラストの一コマ」
雨上がりの朝、露に濡れた蜘蛛の巣を見やって、女の子が一言つぶやく――。
『もう一度、《伊住》さんに会いたい』
「これ、僕の名前にソックリです」
「ハハハ。フム、なるほどそーだね。伊刀くんの名前にソックリだね」
「……僕、けっきょく彼女に気持ちを伝えられなかったです」
「フーンそう。……じゃあ、彼女と一緒の気持ちだったというわけだ。そりゃお互い様だったね」
「……それ、やな言い方ですよ」
「そーかい。そりゃすまなかったね。お詫びに今晩はなんでも奢るとしましょう。……付き合ってくれるかい?」
「いいえ。ひとりでいいです」
「そうかい。そりゃあ、残念」
「セラさん」
「なんだい」
「……ありがとうございます」
僕は、生まれて初めて人前で男泣きというものを経験した。
「……ああ。それとね。トンネルの落盤事故で閉じ込められていた男の子が生き延びてね。十日ぶりに救出されたそうだよ」
上司、セラさんは、話を聞いていなさそうな僕の横顔を見て何やら言い、ふわりと笑った。
(了)