探偵の妻は死神
話とは関係ないですが、二〇一九年七月二十二日で初投稿から五周年となります。最低でも一ヶ月一作の投稿ペースを続けていられるのは、読んでいただいている皆様のおかげです。ありがとうございます。
俺の妻は世界で一番かわいい。俺の妻は世界で一番優しい。そして、俺の妻は世界で一番恐ろしい。これは、俺と苗子が遭遇した事件の中で、俺が最も印象に残っている悲劇の記録だ。
苗子が元太を産んで退院した、二〇〇七年の夏のことだ。俺はとある事件の依頼を受けていた。依頼人は伊是名小律。俺と苗子とは中学校が同じだった。苗字が変わっていたが、久しぶりに会った苗子はすぐに気づいていた。髪型が当時のままだった。
「三年五組だった人たちが殺されてるの」
小律が言った。俺も小律も、三年五組だった。小律の調べでは、これまでに殺害された人数は七人。その順番に法則性があるようには思えなかった。五人目と七人目の犠牲者の遺族から小律に葬儀の連絡があり、不審に思った小律が少し調べたところ、この連続殺人事件が発覚した。
「どれも最近の事件みたいで、私も不安なの。だから玻璃くんに解決してもらえば安心だなあって」
「わかった。調べてみよう。きっと警察も捜査してるだろうから、『俺が解決する』っていう依頼を遂行できるかは怪しいけど」
依頼人は事務所を後にした。
「おとーさーん。ばんごはんだよー」
知らない女性が出ていくのを待って、二階から歩美がやってきた。
「ああ。いま行くよ」
今年から小学一年生のこの娘は、料理や掃除の手伝いといった、お姉ちゃんになるための練習を頑張っていた。ドラマでやっていた花嫁修行の真似事だろうが、一生懸命やる姿はとても愛らしかった。それが今やすっかり反抗期になってしまって……。
失礼。話が逸れた。家族四人で夕食をとった後、子供を寝かしつけてから、俺は再び一階の事務所で事件について思考を巡らせていた。そこにアイスココアを持った苗子が現れた。
「お疲れ様」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
「このココアは私のだけど?」
そう言って、苗子はココアを一気に飲み干した。
「……夫をいじめるのがそんなに楽しいかい?」
苗子は笑った。世界一かわいくて、世界一怖い笑顔。
「楽しい」
確かに心の底から楽しそうだ。さらに苗子は続ける。
「ほんと、二人でいると退屈しないね」
苗子と結婚したのは一九九九年。それからこの日まで、旅行に行けばそこで人が死に、事務所にいれば事件を警察ではなくこちらに持ち込む人が訪れ、休日でも主に歩美が何かしらやらかしていた。苗子は自身が死神に魅入られている、と冗談めかして言った。私は今でも本気で苗子本人が死神である説を主張している。
結果、これまでに起きた事件がいずれも月曜日の夜に発生していたことから、次の月曜日にも残る三年五組三十三人の誰かが殺害されるだろうという予測を立てた。顔なじみの刑事に電話したところ、警察ではアリバイや動機などから、半田忍が怪しいと睨んでいると聞かされた。三年五組の元クラスメイトだ。
八月最後の月曜日。俺と苗子は子供たちに留守を頼んで、半田の自宅へ向かった。警察がその周囲を取り囲んでいた。四人目の犯行時、犯人はものすごい脚力で警察官から逃げ切っている。なので警察ではない俺と苗子で油断させ、逃げきれなくしてから逮捕するという作戦を立てた。半田はインターホンを鳴らすとすぐに出てきた。
「よう。久しぶりだな」
「こんにちは」
「ああ、玻璃に……海桜か。二人揃って急にどうした?」
半田は俺たちが結婚したことを知らなかった。その代わりに中学生にして既に探偵を名乗っていた俺を思い出したのか、少しドアを閉じようとするそぶりを見せた。
「最近、三年五組だった奴らが殺されてる。何か知らないか?」
「……知らないな」
「本当か? どの事件もここから自転車で行ける範囲で起きているが」
俺は少しずつ警察の捜査結果を明かした。それに半田はひとつひとつ言い訳していった。目が完全に泳いでいた。やがて言い訳のストックが尽きた。
「……犯人はお前なんだろ?」
答えの代わりに飛び出たのは、ポケットに隠していたナイフだった。それは苗子の左胸に刺さった。半田は倒れた苗子を飛び越えて逃走を図ったが、既に包囲していた福岡県警に取り押さえられた。俺は苗子を抱き抱えた。悲鳴すら上げることなく、苗子は息絶えていた。
犯行動機は怨恨だった。就職に失敗した半田は同窓会の知らせが来る度に劣等感を抱くようになり、やがて劣等感が殺意に変わっていったのだという。たったそれだけ、と思うかもしれないが、半田にとっては重大なことだったのだ。半田は居場所がわかった元クラスメイトから順に殺害していった。
事件から数日たったある日。俺が元太を抱っこであやしていると、歩美が不思議そうにこちらへ寄ってきた。お母さんは仕事で忙しい、と言ってごまかしていたが、いよいよ限界が来たかと思った。
「おとーさん、おかーさんはなんのしごとしてるの?」
「ああ、えーっと、秘密だよ。警察以外には知られちゃいけない仕事で、歩美にも話せないんだ」
「……おとーさんにおんぶされるのが?」
歩美は首を傾げて言った。いつものかわいい声だったが、俺は世界で一番恐ろしい声を聞いた気がした。
「退屈しないね。ふふっ」
耳元で苗子の声がした、気がした。それ以来、歩美は何かが見えるようになった。成長した元太は俺を真似て探偵を目指し始めた。これも、あの死神の仕業なのだろうか。