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水晶宮の魔法

「素晴らしい発表でした! 三人に盛大な拍手を!」


 拍手が上がる。

 卒業試験当日、ロゼリアはずっと気持ちが落ち着かなかった。

 

「き、緊張するわ……」


 ロゼリア・レオン・ギルバートの三人は、卒業試験の練習を全て人目に付かぬように行ってきた。

 『紙の鳥』を除けば、人前で大きな魔法を使うのは、ロゼリアは仮面舞踏会の日以来初めてだった。

 あの日の失敗と周囲の目を思い出すと、ロゼリアは手が震えた。


「大丈夫だ。心配するな。君なら出来る」

 緊張を隠せないロゼリアに、ギルバートがいつもの調子で言う。


「で、でも……」

 ギルバートの言葉を聞いても、ロゼリアは安心出来なかった。

 自分たちの順番が近付くにつれ、悪いことばかりが頭に浮かぶ。

 そんな時。

 目を瞑って震えていたロゼリアの手を、誰かが包み込んだ。


「え……?」

 瞼をあげたロゼリアは、予想外の人物に驚いた。

 てっきりこんなことをするのは、ギルバートだと思っていたのに。


「あの、えっと……」

 相手は、いつも自分に意地悪な言葉ばかりかけるレオンだった。


「何を心配しているのか知らないけれど、僕やギルが側にいるのに、失敗するはずがないだろう」

 レオンはいつもの調子で、当然のように言う。


「君は一人じゃない。――もし、たとえ君がヘマをしそうになったとしても、君のことは僕たちが支えてあげる」

 レオンは、最後の方だけどこか落ち着かない様子で言った。

 ロゼリアはその言葉を聞いて、不思議と胸が熱くなるのを感じた。


「おや、珍しく優しいじゃないか。レオン」

 からかうように、ギルバートが乱暴にレオンの背を叩く。


「緊張していては、出来るものも出来なくなると思っただけだよ」

 レオンは珍しく早口だった。


「見苦しいぞ~。レオン。どうせ心配して言葉をかけるんなら、もっと優しく言うべきだぞ? ん?」

「五月蠅いよ、ギルバート。君、いい加減黙ってくれないか?」


 レオンの機嫌が明らかに悪くなる。一方、元凶であるギルバートは、上機嫌で笑っていた。


「照れるな照れるな」

「照れてない!!!」

 

 本番を直前に控えているというのに、二人の言い合いがいつもと変わらず、ロゼリアは思わず笑ってしまった。

 いつの間にか、体の震えは止まっていた。


「……うん、そうよね。私は、私が出来ることを、精一杯やればいい」


 ギルバートと喧嘩をしていたレオンは、自分に言い聞かせるようにロゼリアが呟いた言葉を聞いて、静かに頷いた。


「ああ。――君は、それでいい」


 

「次の発表は、ロゼリア・ディラン、レオン・クリスタロス、ギルバート・クロサイトの三人です。三人とも、入場してください!」


 進行役の声に合わせて、三人は舞台へと上がった。

 レオンとギルバートの登場に、会場からわっと歓声が上がる。

 幼等部の生徒たちはもロゼリアを応援していたが、その声は他の二人を応援する声に掻き消されてしまっていた。


 目の前に広がる、人、人、人。

 だがその人々の中に、自分への期待をロゼリアはは感じられなかった。


 ――今の私は誰よりも、期待されてはいない。


 歓声を聞いて、ロゼリアは冷静にそう思った。


 期待や羨望。

 『海の皇女』として生きる中で、ロゼリアはこれまでずっと、人の視線に晒されてきた。

 多くの人間がいればどうしても、成功を妬む者や、失敗を願う者は混じる。

 誰かの悪意に触れたとき。

 それに初めて『おそれ』を感じたときに、ロゼリアはかつて視線から逃れることを選んだ。

 『海の皇女』の名前はずっと、ロゼリアにとって足枷そのものだった。

 あの日からずっと、ロゼリアは普通の少女でいたいと願っていた。

 なのに。


 ――悔しい。


 自分に向けられる歓声の少なさに、ロゼリアは今は不思議とそう思った。

 逃げていたばかりの頃の自分とは違う。

 自分は努力を重ねてきたのだと、今はそう思えるからこそ、ロゼリアはもっと自分を見て欲しいと思った。


 ――おかしい。私はずっと、目立ちたくなかったはずなのに。だからずっと、一人で過ごしていたはずだったのに。


 ロゼリアは胸に手を当てた。

 魔法を生み出す心臓が、体に流れる血液が、熱く滾るのをロゼリアは感じた。

 だがその高鳴りが、これまでと違うことにも、彼女は気付いていた。

 この胸の高鳴りは、『おそれ』ではなく『昂揚』だ。


 ――私に期待していなかったこと、後悔させてあげる。魅せてあげる。『三人の王』の一人、『海の皇女』はここにいる!


 自分のすぐ側に立つ、小さな少女の纏う雰囲気が変化したことに気が付いて、レオンは思わず息をのんだ。

 怯えていたはずの子ウサギが、まるで獲物を狙う、血に飢えた鮫のような気迫へと変わる。


「さあ、そろそろはじめようか」


 ロゼリアの変化を、まるで最初から知っていたかのように、ギルバートは少しも驚くことなく笑みを浮かべた。



 三人の中で、最初に動いたのはレオンだった。

 レオンは様々大きさの魚の氷像を作り出しては、その体に魔方陣を刻み込んだ。


「氷……? 氷の彫刻に、炎で魔方陣を描き込んでるのか? 一体何のために……」


 観衆たちは、これから何が行われるのか食い入るように見つめていた。

 そして彼らが、レオン一人に注目していた時。

 ギルバートは、いつものように余裕たっぷりに笑って、空に向かって手を上げた。

 その瞬間、巨大な会場を覆うように、水の天井が作り上げられる。


「え!? なにこれ!」

「クリスタロスには、これほどの魔法を使える人間がいたのか!?」


 レオンの影に隠れ、ギルバートの能力に気付いていなかった者たちからどよめきが起こる。

 二人に向けられる歓声が、より一層大きくなる。

 そんな中、ロゼリアは静かに目を伏せて、時が来るのを待っていた。 


 魔法の発動は、王家に引き継がれる魔法の中でも最難関。

 魔法はそれぞれ独立しており、複数の生き物を動かすためには、個々の生き物の形にあった魔力を吹きこむ必要がある。

 

「本日ここにお集まりになった皆様を――我が龍宮へ、ご案内いたしましょう」


 ロゼリアはそう言うと、『海の皇女』の名に相応しく、美しく微笑んだ。

 そして彼女は、レオンが作った氷の魚たちを、水の泡で包み込んだ。それはふわふわと宙に浮き、ギルバートの作り出した水の中に入ると割れた。

 氷で作られた魚たちが、まるで生きているかのように水中を泳ぐ。

 それは幻想的で、美しい光景だった。


 ――昔々あるところに、三人の神様がおりました。ある日三人は二つの木を見つけると、その木に人の形を与え、一人目の神は木に息吹を与えてやりました。そして二人目の神は感情と知性、最後の神は、言葉と感覚を与えてやりました――


 創生の神話を思わせるほどの光景。

 三人は一つの、新しい生き物を生み出すために動いていた。

 命の始まり。

 彫刻でしかない生き物たちに息を吹き込む。

 まるで本当に、そこに命があるように思わせる。


 それこそがディランに古くから伝わる、『水晶宮の魔法』だ。


「綺麗。まるで水族館の……大きなトンネルの中にいるみたい」


 アカリは思わず、その光景を見て呟いた。

 美しい光景に大きな歓声が上がる。


「これってまさか、『海の皇女』の……」

「『水晶宮の魔法』!?」

「『海の皇女』しかつかえなかったっていう、あの……?」

「しかしあれは水晶で出来た彫刻だという話だっただろう? まさか彼は、水の中で氷に刻んだ魔方陣を保たせているのか?」


 氷を水に入れてしまえば、当然その氷は溶ける。

 だが驚くべきことに、レオンの作り出した水の魚は、美しい形をそのまま残していた。

 三人の作り出す全てのものが人々に驚きと感動を与え、そして彼らには賞賛が向けられる。

 自分を讃える声が響く。だがロゼリアは、一人静かな気持ちで、水を泳ぐ魚たちを見つめていた。


 『海』。

 そこには、沢山の生き物が住んでいる。

 生き物たちの習性は様々で、その大きさや特性から、食物の連鎖は起こる。


 命の循環。

 小さな生き物たちは、大きな生き物によって時に食べられてしまう。

 それが摂理だ。

 生き物たちは、広大な海を生きる中でそれを受け入れるしかない。

 だが同時に、たとえどんなに大きな生き物であっても、その命が失われたときは、新しい幼い命を育てる糧となる。


 愛すべき水の国。

 その国を導く者として生まれた誇りを胸に、自分を生かす、『世界』に耳を澄ます。

 水の中の生き物たち。

 たとえ目の前の氷の魚が象られた偽物だとしても、ロゼリアは愛したいと思った。


 昔からロゼリアは、水の魔法が得意だった。

 頭ではなく体が、魂が、理解しているような気がしていた。

 ロゼリアが『海の皇女』しか扱えなかったとされる水の魔法を扱えたのは、僅か三歳の頃だった。

 本を読む必要など無かった。

 ただ魔法の存在を知ったとき、扱う術を体が知っていた。


 天才だと人は言った。教えることはないと言われた。

 その言葉を掛けられる度に、いつか自分が、愛すべきこの国を守るのだとロゼリアは心に誓った。

 そう。

 かつて、『海の皇女』と呼ばれた女性のように。


 世界の吐息に自らの呼吸を合わせる。

 他の魔法とは違い、人体の多くを構成する水を司る水魔法は、使い方を誤れば自分の体をも傷つける。

 だからこそ、幼いうちから水魔法を扱える子どもは少ない。

 自分と外界を同一のものと捉えてはならない。

 水魔法はその性質故に、自己の確立が最も必要な魔法だとも言われている。

 自分自身を保ちながら、水を自由自在に操るには、単に魔力や魔法への理解だけではなく、物質への理解も必要となる。


 水とは、何か。

 海に面した領地を多く持つディランは、貿易の要となる島や港多くを保有しており、漁獲量だけでなく、物品の輸送の収益でも世界最高を誇る。

 陸での輸送経路において強みを持つグラナトゥムとは対照的なディランにおいて、王族が幼い頃から学ぶのは、水との付き合い方だ。


 ――水は我らの友である、と心得よ。

 ――水は我であり、我は水であり、そして水は、我らの母であり父である。


 しかしディランの歴史とは、水による発達の歴史であり、水による喪失の歴史でもある。

 どんなに強い魔力をもっても天候の力に人はあらがえず、そして多くの人間が海で命を落とした。


 でも――それでも。

 『海の皇女』と呼ばれた女性は、誰よりも海を愛していたということが、今も記録に残っている。

 

 『水晶宮』の魔法は、そんな彼女の魔法だった。

 その魔法を完璧に操りながら、ロゼリアは目を細めた。


 ――愛すべきもの。私が背負い、受け入れるべきもの。


 それをもう一度、ロゼリアは思い出したような気がした。


 悠々と魚たちが、空の色の透ける海を泳ぐ。

 その光景に誰もが心が奪われ、もっと見ていたいと思ったが、三人は顔を見合わせると頷いて、巨大な水槽を少しずつ小さく小さくしていった。

 ロゼリアは、手に抱えられるほどに小さくなった水の球を両手で包み込むと、その中で泳ぐ魚たちを、慈しむかのように微笑んだ。


 ロゼリアの手のひらの中の水の球を徐々に小さくなって、最後はロゼリアの手の中で、全ての魔法が消える。

 それはまるで、『海の皇女』として――水に関わる全ての命に、祈りを捧げるかのように。


「『海の皇女』! 『海の皇女』!」


 観衆たちはまるで聖女のようなその姿に、わっと声を上げた。

 ロゼリアは顔を上げて、自分を見つめる人々を見た。

 『落ちこぼれ』と呼ばれていた頃のロゼリアはもういない。そこにいるのは間違いなく、『赤の大陸』に並ぶ『青の大海』ディランの正統な後継者だと、今は誰もがそう認めている。


 始まる前とは違う。

 自分に向けられる歓声に満足そうに笑ったロゼリアは、ギルバートとレオンの手を取って、静かに頭を下げた。


 

 その光景を見て、アカリはぐっと拳に力を込めた。

 ロゼリアたちの発表が終われば、今度は自分たちの番だ。


 多くの人間の前で何かを行うなんて――それはアカリが元の世界を生きていた頃は、絶対になかったことだ。

 自分を評価される舞台。初めての経験。

 緊張で、アカリの手は震えていた。

 そんな彼女に、ローズは自分の手を重ねて笑った。


「私たちは、私たちの出来ることをやればいい。大丈夫です。何かあれば私がどうにかします。だから、心配はいりません。アカリ」

「……はい。ローズさん」


 緊張でおかしくなってしまいそうな自分とは違い、いつもと変わらない様子のローズに、アカリは苦笑いしてから静かに頷いた。

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