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君が「君」に溺れたときは 後

「ようこそ。アジュール陛下」

「お久しぶりです。今日はロゼリアのことで、突然お仕掛けてしまい、申し訳ありません。それより、その呼び方はやめて欲しいと、以前そう伝えましたね?」


 アジュールとは、青を意味する言葉だ。

 『海の大海』ディランの王は、美しい青の瞳で、じっとロイを見つめた。

 子持ちの国王だと知らなければ、絶世の美女とも思える外見は、人を魅了する力がある。


「……お久しぶりです。叔父上」

「はい。ロイくん」


 くすりと笑うその姿は、まるで水の精霊のように美しい。

 血脈を辿れば人魚の血も混ざっているとされるディランの皇族の系譜には、美しい髪と瞳を持って生まれる人間が時折生まれる。


 その中でも、アジュールは先祖返りと呼ばれるほどの美貌の持ち主だ。

 外見だけなら母親似で父親と比べると快活そうなロゼリアとは違い、アジュールは儚げな印象を周囲に与えるのに、彼の口から出るロイと交わす言葉は、まるでロイと同い年の青年のようでもあった。

 ロイは昔から、アジュールの前になると幼い頃に戻ったような気持ちになる。

 アジュールがロイを甥っ子として子供扱いするせいもあるのだが、ついアジュールの魔塔独特な雰囲気に飲まれてしまうのだ。


「あの子のことを、貴方に任せてしまって申し訳ありません。一人娘ということもあってどう接してよいか、僕もわからないところがあるのです」

「ロゼリアとは昔からよく話をしていましたし、叔父上は気になさらないでください。それにロゼリアも、最近は友人も出来たようですし、魔法の訓練も意欲的に行っています。手紙でロゼリアが魔法を使えなければ連れて帰ると仰っていましたが、その判断は時期尚早かと思います」


 ロイの言葉に、アジュールは波の模様の描かれた空色の扇を手に苦笑いした。


「ありがとう。でも、ロイくん。あの子は僕のただ一人の後継者。そう思って育ててきましたが、そうやって期待をかけすぎるのも、良くなかったのではないかと最近は思っているのです。君があの子を思ってくれていることは知っています。ですが、父として、国を治める者として――線引きは必要かとも思います。あの子が僕のあとを継ぐに相応しい者かどうかは、今日判断させてもらいます」


 人ならざるほど美しいその人に、反論は許さないという強い意思を感じて、ロイは言葉を飲み込んだ。


◇◆◇


「ロゼリア」


 アジュールのまとう空気が、少しだけピリリとしたものに変わる。

 ロゼリアの待つ訓練場についたアジュールは、後継者に対するいつもの口調で命じた。


「約束通り、お前が今使える魔法を、今日は見せてもらおう」


 ロイに対する、アジュールの口調は柔らかい。

 だがそれは、甥であるロイの前だからだ。皇帝としてのアジュールの口調は違う。

 凄絶な美貌故に、『皇帝』としてのアジュールは、人に畏怖の念を抱かせる。

 

「……わかりました」


 ロゼリアは深呼吸をすると、石に魔力を込めた。

 『もし失敗したら』と思うと、ロゼリアは手が震えた。そのせいで、魔法が上手く使えない。


 ――やっぱり。やっぱり、私はダメなの? 私は変れないの……?

 その時だった。

 隠れていた子どもたちが立ち上がり、大きな声で叫んだ。


「頑張れ~~!!!」

「え……? なんで、みんなが……」


 ロゼリアは魔法を使う手を止めて、声の方を振り返った。


「……ロイくん。今日はここに子どもをいれないで欲しかったのですが」


 突然の乱入者に、アジュールはロイに咎めるような視線を向けた。


「すいません。彼らがどうしてもというので」

「……」

「実は先日学院でとある催しをしたのですが、その際に一つ、彼らの願いを聞くと約束していまして。それの彼らが、どうしても彼女を応援したいと願うものですから」


 グラナトゥムの国王が一度だけ与えた権利。

 それを娘のために使おうとするなんて――アジュールは、娘にそれほど親しい存在が出来たことが驚きだった。

 『友人』になり得る年頃の子どもたちから、ある時期から距離を取ろうとした娘が。


「彼らはロゼリアの友人なのですか? 少し年が離れているように思いますが……」

「……」


 クラスの編成が実技の試験の結果のせいで決まったことは、ロイはアジュールには言えなかった。

 実力主義の魔法学院。

 入学時の正当な評価とはいえ、ロゼリアの学院での評価をアジュールに話すことは憚られた。


 ロイとアジュールが二人が話をしている間、ギルバートはこっそりロゼリアに近付くと、いつもの調子で話しかけた。


「よっ。元気か?」

「きゃっ」

 意表をつかれたロゼリアは、思わず声を上げた。


「ど、どうして貴方がここに」

 突然の乱入者。

 だが張り詰めていた緊張が、ギルバートがそばにいるというだけでとけたことにロゼリアは気が付いた。

 手の震えも、いつの間にかおさまっていた。


「君がなかなか魔法を使えないみたいだから、見に来たんだ」

「……戻って。このままだと、お父様が貴方をお怒りになるわ」


 ロゼリアは、ギルバートにそう告げることしかできなかった。

 自分のせいで、彼にまで迷惑をかけるわけにはいかない――しかしロゼリアの思いなどおかまいなしで、ギルバートはロゼリアに尋ねた。


「ところで、ロゼリア。君はいつから、魔法がうまく使えなくなったんだ?」

「……どうして今、そんなことを聞くの?」

「何事も、原因があるから結果がある」


 少し疲れたように尋ねたロゼリアに、ギルバートは落ち着いた声で言いきった。


「私が使えなくなったのは、『海の皇女じゃないなら、私に価値なんてない』そう言われてからよ」

「それで? 君はその言葉を、『正しい』と思ったのか?」


 ロゼリアは、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……わからない。私は、誰かの笑う顔が好きだった。それだけで、幸せだった。でもそうやって、私がなにか行動するたびに、それは施しであったり利用できると彼らはいったの。私は……私は、ただ」


 誰かに自分が持つ水を、あげたいと思っていただけだった。

 

 空から降る雨が、全てのものに恩恵をもたらすように。

 だがそれを傲慢だと、利用価値があるとか誰かに評価されたときに、ロゼリアはどうすれはいいかわからなくなってしまったのだ。

 自分のすべてを、否定されたような気がして。


「じゃあ君は『彼ら』も、そんな人間だと思っているのか?」

「それは……」

 ロゼリアは返事に詰まった。


「君には彼らが、君に利益を求める人間のように見えるのか?」

「……もしかしたらいつかは、彼らもそうなるかもしれないわ」


 父を前にしている今だからこそ、ロゼリアはそう思った。

 学院の中は、外の世界とは違う。

 魔法の才能があっても、王族と平民には大きな壁がある。

 この学院は、この場所は、夢のような場所だ。誰もが平等なんて理想に過ぎない。

 力を示さなければ、存在を認められない世界があることを、ロゼリアは知っている。

 ――……でも。


「本当はその答えは、もう出てるんだろう?」


 自分のことを心配そうに、でもどこか期待して見守る幼等部の生徒たちを見て、ロゼリアは唇を噛んだ。

 たとえ可能性が低いとしても、これからも彼らに変わらぬ瞳を向けてほしいと、そう思う自分の心こそが、答えなのだと知っている。


「君は今、檻の中に居る。君は――鳥はずっと、檻の中に居た。そしてずっと焦がれていた。自分も、みんなと同じように青い空をかけたい。悠然と広がるあの青を、共に飛び回りたい」


 ディランの後継者として、ロゼリアは周囲に期待されて育った。けれど本当は、『普通の少女』でいたいと思うことは何度もあった。

 『普通の少女』のように、友人を作って、笑い合えることを願っていた。


「その願いは、空へと届く。だから君は、君の心のままに飛べばいいんだ」


 ギルバートの言葉は優しく響く。

 ロゼリアはその声を聞いて、自分の胸の中に、風が吹き抜けたような感覚があった。

 ――信じても、願ってもいいのだろうか?

 でもその思いを否定する昔の記憶が蘇って、彼女は目を閉じた。


「自分を否定するな」

 ギルバートはそう言うと、ロゼリアの頭を優しく撫でた。


「君がもし、近くに居る者だけに水を与えることで否定されて苦しんだなら、もっと広い世界を知ればいい。でも君の想いを受けとめてくれる誰かに、君の心や魔法が、支えになるようなそんな誰かに出会うためには、君は世界を知らなくちゃいけない。今の君は、井戸の中にいるようなものだ。世界を知らない君は、とじられた井戸せかいの中で、自分の作り出した水に溺れている。そんなの、勿体無いと思わないか?」


 ――勿体ない、だなんて。

 そんな考え方を、ロゼリアは初めて聞いた気がした。


「井戸の蓋は俺が壊してやる。俺も、君も。この力は、一人で抱えるべきものじゃない。自分のためだけのものじゃない」


 十年間眠っていた少年が口にする言葉の筈なのに、ロゼリアはギルバートの言葉が、もう何十年、何百年も生きてきた人間の言葉のようにも思えた。


「大丈夫。君なら出来る。今はその感覚を、少し忘れてしまっているだけだ。だって君は、その名に相応しい魂をその体に宿している。そのことは君が誇るべきことで、君を否定するものじゃない。『君は今のままでいい』なんて言葉は、きっと今の君は、求めてはいないんだろう?」


 それはロゼリアが、『海の皇女』として生きることを諦める言葉だ。


「だから俺は、君に言おう。自分を誇れ。君の弱さ、優しさを。それこそが君の強さだと、かつての君はちゃんとわかっていたはずだ。だって君は紛れもなく――『海の皇女』なんだから」


 ギルバートはそう言うと、パチンと指を鳴らした。

 すると同時に、二人を水が取り囲んだ。

 空の色をうつす水はキラキラと輝き、紙で作られた海の生き物たちは、楽しそうに空を泳いでいた。

 ロゼリアは目を見開いた。


 ――自分はこの光景を、知っている。いいえ、違う。私は、ずっと知っていた。知っていたのに、失った。


 小さな紙の魚たちは、水で作られた空を泳ぐ。

 それは幼い頃のロゼリアが、使っていた魔法とよく似ていた。


 『水晶宮の魔法』


 ただ彼の魔法は、幼い頃彼女が操っていたそれよりは、生き物たちの動きが随分とぎこちない。

 それはギルバートが自分と違って、海の中の魚の動きを、詳しくは知らないためだと彼女は思った。

 

 魔法が使えなくなり、部屋の前に閉じこもる前――ロゼリアは、海が大好きだった。

 『青の大海』ディランの皇女として生まれ育ったロゼリアにとって、海の中の生き物たちは、ずっと彼女の誇りだった。

 『海の皇女』と呼ばれることも、未来を期待されることも、何もかもが自分にとって誇らしいものの筈だった。

 だから、知ってほしいと願った。

 自分が愛する愛しい世界。そんなものを、誰かと共有したいと思った。

 でも、その心は踏みにじられた。


 自分の心をわかってくれる人なんて、この世界には一人もいない。

 『あの日』からずっと――そう思って生きてきた。


「君が『君』でいたいなら、信じる相手を間違えるな」

「――私は……」


『みんなは喜んでくれるかしら』

 昔のロゼリアは、貴族の子供たちを招待してお茶会を開くこともあった。

 彼女の暮らす宮殿は龍宮と呼ばれており、かつて『海の皇女』が暮らした場所だとされていた。


 『三人の王』の一人、『海の皇女』ロゼリア・ディラン。

 数多くの功績を残したその女性は、海を、そして海の生き物を愛していた。

 龍宮の中心部にはガラス細工や宝石で作られた講堂があり、その壁にはこの海に生きるあまたの生き物が、回遊する姿が写し取られている。

 触れればひやりと冷たいその場所が、ロゼリアはお気に入りだった。


『明日は何かあるのか?』

『大切なお友達だもの。みんなにも私の見てもらいたいの。楽しみだわ』

『そうか。――いい一日になるといいな』

『ありがとう。ロイ!』


 『友人たち』を招く前の日に、ロゼリアはロイとそんな話をして笑っていた。 

 きっと素敵な一日になる。

 そう期待して、ロゼリアは『彼ら』を招いた。


『この場所には、秘密があるの!』


 ロゼリアはそう言って、魔法を発動させた。

 講堂は水で満たされる。


 『海の皇女』ロゼリア・ディラン。

  ディランの歴史上唯一の女性でありながら、王として国を導いた女性は、生涯誰とも結ばれることなく、一生を終えたと言われている。

 彼女が愛したのは誰だったのか――その説は様々あるが、異国の王であったという話も残っている。

 その『海の皇女』が最も愛したという魔法――そしてその名を継ぐ自分が、この世界で一番愛する魔法を。

 知ってほしいと願わなければ、喜んでほしいと思わなければ――今のように魔法が使えなくなることなんて、なかったのかもしれない。


『な、なんだ?! これ』

『まさかこれ……水晶宮の魔法!?』

 

『大丈夫。水の中でも息が出来る魔法も一緒にかけているから』

 美しいこの国の景色。

 大切だから、大切な友達だと思っていから。見てほしかった。知ってほしかった。

  美しいこの景色を、自分が愛するものを。

 けれどロゼリアのその思いは、彼らに届きはしなかった。


『突然魔法を使うなんて、何を考えているんだか』

『自分が使える魔法を、見せびらかしたかったのよ』

『そんなこと、言ったら駄目よ』

 『水晶宮の魔法』を披露した後で、ロゼリアは偶然『友人達かれら』の話を聞いてしまった。

 その声は、まるで愚かな道化を嘲笑うかのようだった。


『遠い異国の舶来の品も、あの子に頼めばなんだって手に入るんだから』

『最初から何でも持っている、皇女様が羨ましいわ』

『ええそうよ。海の皇女でなかったら』

『友達になりなさいとお父様が仰らなければ』

『友達になんてならなかった』


 その言葉を聞いてしまった時、ロゼリアは自分の心にヒビが入る音を聞いた気がした。

 器は、心は、ひび割れて溢れてしまう。

 それからだった。ロゼリアが、魔力の制御が上手く出来なくなったのは。


『――ロゼリア様? どうかなさいましたか?』

 けれどロゼリアは、何も知らない周囲の人間たちに、彼らのことを告げ口する気にはなれなかった。

 そうしてしまえば、自分という存在を、自分が否定するような気がした。

 自分の意に反する者たちを、ロゼリアは罰することは望んでは居なかった。

 ただ悲しかった。胸が痛くてたまらなかった。

 水魔法。

 息をするかのように使えていたはずのものが、腕いっぱいに抱えていた宝物が、手のひらからすり抜けていくのをロゼリアは感じた。


『一時的なものでしょう。大丈夫。ロゼリア様のお年頃であれば、よくあることですよ』

『しかし……』


 大国の跡継ぎとして期待されていた『海の皇女』の名を継いだ人間が、今更魔法が使えないなどあってはならない。

 周りの大人たちの視線は、憐れむようにも、蔑んでいるようにも彼女には見えた。

 胸を押さえる。目を瞑る。忘れてしまえと思うのに、自分を否定する言葉は消えてはくれない。


 『国の宝』から『出来損ないのお姫様』。

 やがてロゼリア自身に関わることを周りの大人たちはためらうようになり、『友人』たちの訪れもなくなった。

 期待して、厳しく接していた父は、自分に無理をさせないように気をつかっているようにロゼリアには見えた。


 そんな中、唯一自分に態度を変えなかったのは、ロイ・グラナトゥムだけだった。

 彼だけは信じていい。彼だけは分ってくれる。

 そう思って、ロゼリアはロイと二人で時を過ごした。

 しかしあるとき、ロイはロゼリアにこう尋ねた。


『ロゼリア。お前は、前世のことを覚えているか?』

『え……?』

『すまない。妙なことを聞いた』


 その時、ロゼリアは気付いてしまった。

 天才だと呼ばれるロイの力が、前世に起因するものだと言うことを。

 彼には昔の記憶があることを。だから誰に否定されても、揺るがぬ自分で居られるのだと。

 そう思ったとき、やはり自分の心を理解してくれる人なんて居ないのだと思った。 


 ――彼は、私とは違うのだ。私とは違って、自分が自分でいい記憶りゆうを手にしている。


『三人の王』の転生者。

 そのはずなのに、『同じ』じゃない。彼に私の気持ちなんてわからない。私の魔法は壊れてしまった。この心は壊れている。そんな自分が、魔法を使えるはずなんてない。


 暗い部屋で、一人で過ごす日々が続いた。

 そんな自分を見かねてか、父に無理やり入れられた学院で、沢山の人の目の前でロゼリアは魔法を失敗した。

 実技での結果のせいで幼等部に入られて、そこでロゼリアはリヒトと出会った。

 どんなに頑張っても魔法を使うことができない彼は、今の自分と同じだと思った。   


 誰からも期待されない、同じ『出来損ない』なのだと。

 だがそう思うことに、彼の実の兄は怒りを示した。

 強い否定の言葉を、直接向けられることは久しぶりのような気がした。

 そして一人泣いていたそんなときに、ロゼリアはギルバートと出会った。


『子どもは、遊びながら学ぶものなんだぞ』


 陽だまりのような笑顔は、不思議と『誰か』に似ている気がして心地よかった。

  空を翔る鳥。

 魔力を持つ者と、そうでない者との間にある大きな壁。

 その壁を超えた古代魔法の紙の鳥は、平和の象徴である純白の鳥のように今のロゼリアには思えた。 

 ロゼリアは、水中を泳ぐ魚たちを見上げた。 


『海の皇女。約束通り、君にこの魔法を渡そう。誰よりも海を愛する君にこそ、この魔法は相応しい』


「……っ!」

 その時、知らない声が頭に響いて、ロゼリアは思わず目を瞑った。

 記憶の中で、『誰か』が笑う。

 白い鳥を空へと飛ばす。金色の髪を揺らして。

 それは紙の鳥。『彼』が作り出した、平和と幸福の象徴。 


 ――これは祈りだ。これは、『彼』の祈りだ。 


 そんな言葉が、ロゼリアの頭に浮かぶ。


『協力してくれ。大陸の王。海の皇女!』


 その声は、確かに自分の中に響いているはずなのに、強く胸を打つはずなのに、すぐに朧気になって消えてしまう。

 『彼』を思い出そうとすると、まるで魔法にかかったかのように、靄がかかって思い出せない。

 でも、これだけはわかる――ロゼリアは、何故かそう思えた。


 ――これは記憶だ。きっと、遠い昔の。優しい貴方との、大好きだった貴方との、懐かしい思い出だ。


「私、私は……」


 ――ああそうだ。今も昔も変わらない。私はただ、みんなが笑えるそんな世界を作りたいと願っていたの。誰かにその感情を否定されても、それが私だったの。それこそが、『海の皇女』だったの。


 『彼』の声を聞いたせいだろうか。

 今のロゼリアは、不思議とそう思えた。


「さあ、『海の皇女』。今度は俺に、君の魔法を見せてくれ!」


 ギルバートは『彼』によく似た笑みを浮かべて、高らかに言った。

 ギルバートが魔法を解いたその瞬間、ロゼリアの視界には、青い空が目に写った。

 ロゼリアは大きく息を吸い込んで、それから紙に触れて魔力を込めた。

 失敗する姿なんて、もう頭の中には浮かばなかった。


 ――私なら、出来る。だって私は、『海の皇女』なのだから!


「――飛び立て!!!」

 ロゼリアの声と同時に、空に一斉に、真っ白な紙の鳥が飛び立っていく。


「とんだ……!」

「すごい。すごーい! いっぱい、いっぱい!!」

 美しいその光景に、子どもたちが声を上げる。


「でき……た……?」


 ロゼリアは、空を見上げて目を大きく見開いた。


 ――よかった。できた。出来たんだ……。


 だがその瞬間、安堵感と一緒に張り詰めていた気が緩んで、どっと疲労感がロゼリアを襲った。

 うまく立つことができずよろめいた彼女の体を、背後にいた大きな手が支えた。


「……大丈夫?」

 声の主が誰か気付いて、ロゼリアは思わず顔を上げた。

 『賢王』レオン――自分を気遣うような彼の瞳に、ロゼリアは目を瞬かせ、それから顔を隠して視線をとそらした。


「――だ、大丈夫。ありがとう。気が抜けただけ」

 心臓の鼓動の音がうるさい。

 ギルバートだと安心出来るのに、レオンだとどうして自分の心はこうも騒ぐのか――彼に触れられている場所から、体に熱が広がっているように思えて、ロゼリアは緊張した。


「ロゼリア」


 レオンから表情を隠すように、少し距離を取って背を向けたロゼリアを、アジュールは静かに呼んだ。

 ディランの皇族の印である青の瞳には、ロゼリアは今も昔も、優しい色が灯っているように思えた。

 ロゼリアは父が、自分とロイとでは口調を変えていることを知っている。

 不器用な人なのだと、そう思う。

 精霊病と呼ばれる病で、愛する人を失って。ただ一人の娘である、後継者が魔法を使えなくなったことで――どれだけ父が悩んだか、ロゼリアにはわからない。

 部屋に引きこもっていた自分を突然学校に行かせたり、行動は読めないところもあるけれど、それはすべて自分を思っての行動のように、今のロゼリアには思えた。

 

「お父様。心配して来てくださったのに、申し訳ありません。確かに私の魔法は、不完全です。私じゃない人が復元したこの魔法だけが、今の私が扱える、ただ一つの魔法です」


 『古代魔法』の一つとされる『紙の鳥』。

 基本的に魔力が低くとも扱えるとされる古代魔法は、その魔法を復元した人間が褒められたとしても、使えるだけの人間が誇れるものではない。


「昔のように魔法を使うことは、今の私には出来ません。――でも。ここで、やりたいことが出来ました。この場所で同じ時を過ごし、学びたい仲間が出来ました。だからまだ、国には帰りません。……私は」


 ロゼリアは、まっすぐに父を見つめて言った。


「私は、ここにいたい。ここでもう一度、頑張りたいと思うのです。だから……もう少しだけ私のことを、諦めないで待っていてください」


「……そうか」

 長い沈黙の後、アジュールは静かに頷いた。


「それでは、頑張りなさい。ロゼリア」

 ロゼリアはその日初めて、自分に向けられた父の笑顔を見たような気がした。

 後継者に対してではない――娘の成長を喜ぶような彼の笑みに、ロゼリアは胸が締め付けられるのを感じた。


「はい。お父様」

 青色の瞳は弧を描く。血の繋がりのある二人の笑みは、どこか似ている。

 アジュールはロゼリアに背を向けると、静かにその場を後にした。

 アジュールの後を追うように、ロイも場を離れる。


「ロゼリア!」

「ロゼ〜!!!」


 アジュールがいなくなった瞬間、ロゼリアの周りには幼等部の生徒たちがどっと押し寄せた。

 よかった、よかったと口にすつ彼らに抱きつかれ、頭を撫でられてもみくちゃにされ、ロゼリアは少し慌てたあとに、困ったように息を吐いて、子どもらしく笑った。



「しかし、一つ疑問なのですが」

「なんでしょうか。叔父上」


 それから少しして、ロイと共に歩いていたアジュールは、とあることに気付いてぴたりと足を止めてロイに尋ねた。


「彼はどうして、『水晶宮の魔法』が使えるのでしょう?」


 ディランに古くから伝わる古い魔法。

 それは魔法陣の刻まれた複数の対象物を、水の中で同時に動かす魔法だ。

 直接水晶に魔法陣を刻んでいるため、使おうと思えば他の人間も使えるだろうが――その魔法陣は、本来公開されていない。

 そしてその魔法を使うには高度な魔力操作と魔力量が必要なため、扱えたのは『海の皇女』のみとされる。

 そもそもその魔法が使えたからこそ、ロゼリアの名は世界に轟いたのだ。


 『ハロウィンパーティー』なんて馬鹿げた企画をギルバートが持ってきたときから、ロイはずっと気になっていたことがあった。 

 それはギルバートが、『彼』と関わりのある人物ではないか、ということだ。

 『先見の神子』――ギルバートの行動や能力・言葉は、ロイには記憶の『彼』と似ているように思えた。


 『水晶宮の魔法』

 その魔法を作ったのが誰なのかを、ロイは知っている。制作者なら、『彼』なら、使えてもおかしくはない。

 いや、もし彼でなくても――『先見の神子』であるなら、自分と同じように『彼』を知る人間ならば……。

 ロイの中の、『彼』の時代の記憶は曖昧だ。

 そして『先見の神子』にまつわる記憶もまた、ロイはうまく思い出すことが出来なかった。


「……そのことについては、自分もまだわかりません」

 アジュールの問いに、ロイはそう返すことしか出来なかった。


◇◆◇


「『ありがとう。凄く、上手だね』」


 アカリのいない部屋で、ローズは一人呟く。

 

「駄目ですね。これでは、やはり違和感が……。『普通』に喋ろうと思っても、つい癖でこちらが出るあたり、私は完全な騎士というのには程遠いのかもしれません」


 公爵令嬢として生きてきた自分が、騎士言葉おとこことばで話をすれば、どうしても自分の中に違和感が生まれる。

 ローズは最近、それを強く感じていた。


「女の子は――『王子様』に、やはり憧れるものなのでしょうか」


 学園に来て、アカリの護衛だというのに他の生徒たちから好意を向けられて、ローズはその瞳の中に宿る『期待』に気が付いた。


 心優しい王子様。

 自分に望まれるのがそれならば、『そうあろう』と思っても、なかなかうまく行かない。

 だがそもそも、この姿でいられるのも、ローズはあと少しの時間しかないように思えた。

 学院から国に戻れば、すぐに自分の結婚式だ。

 それまでに、ベアトリーチェにとって『相応しい自分』にもならないといけないような気がして、ローズは頭をおさえた。


 王子様のような騎士。

 貴族の妻として恥ずかしくない淑女。

 それは、正反対の生き方だ。


「『私』は、周りに私が求められる、『私』は……」


 寝台に寝っ転がって天井を見上げ、小さな声で呟く。

 自分で選んだものは殆どない、家族が選んだ美しい家具の並ぶ部屋を思い浮かべて、ローズは静かに瞳を閉じた。



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