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君が「君」に溺れたときは 前

「ローズ。最近、彼女に何か変わったことはあった?」


 ローズがレオンに声をかけられたのは、リヒトの座学の試験中、一人廊下で待っている時だった。


「『彼女』、とは?」

「……『海の皇女』――ロゼリア・ディランのことだ」


 レオンは珍しく、少し間を置いてこたえた。

 いつもは余裕たっぷりのレオンが、妙に落ち着かない様子に見えて、ローズは不思議に思って彼に尋ねた。


「レオン様は、ロゼリア様と仲がよろしいのですか?」

「…………は?」

 長い沈黙の後、レオンはぽかんと口を大きく開けた。


「その、なんといいますか。レオン様は周りにたくさんの女性を侍らせても、一人の方に執着されているようには、あまり見えなかったので……。ただ、彼女に対しては少しは違う気がして」

「それは僕が君を――いや、これは……今はいい」


 ローズの言葉にレオンは深いため息を吐いて、頭痛がするとでもいいたげに頭を抑えた。


「君が何を勘違いしているかはしらないけれど……。君の兄が勝手に決めたとはいえ、今回のことは彼女が失敗すれば僕も被害を被る。だからできるだけ早く、問題は解決しておきたいんだ」


 レオンの言葉は、完璧主義の彼らしい言葉ではあった。

 レオン・クリスタロスという人間は昔から、基本的に打てる先手はすべて打つ、という性格なのだ。

 

「そうですね。数日前……レオン様が幼等部に来られた次の日あたりから、元気がないように見えます。ここ数日、何かずっと思い悩んでいる様子でしたし、学校以外のことなので、何か悩まれているのかもしれません」

「ローズも僕と同意見か」

「レオン様もそう思われていたのですか?」


「まあね。どうにも訓練にも身がはいらない――という様子だったんだ。僕が彼女に会うのは基本放課後だけだけどね。リヒトのお守りで、そばで見る機会の多い君が言うなら間違いはないだろう。今日も訓練の約束をしているし、本人に聞いてみることにするよ」

「……レオン様が真正面からお尋ねに?」

「ああ」


 ローズは驚きを隠せなかった。

 いつものレオンなら遠回しに言葉を選ぶか、周りの人間から真実を探りそうな気がするのに。

 ロゼリアに関しては、自分から自発的に動くつもりらしい。


 『三人の王』。

 もしかしたら前世での繋がりが、レオンにそうさせるのだろうかと考えて――ローズはその考えを、頭から打ち消した。

 レオン・クリスタロスは、現実いまを重んじる人間だ。

 だがだとしたら、レオンが『出会ったばかりの少女』を気にかける理由がなんなのか、ローズにはわからなかった。


「用は済んだし、僕はこれで失礼するよ」

 リヒトが教室から出てくるより前に――レオンはそう言うと、ローズに背を向けた。

 ローズはそんな彼の背中を見ながら、不思議そうな顔をして呟いた。


「いつもなら慎重なあの方が……一体、どうなさったのでしょう?」



「……約束、破ってしまったわ」

 学院の中の湖を前に、ロゼリアは一人、手紙を手にうなだれていた。


「何も言わずに行かなかったこと、彼は怒っているかしら」


 今日は訓練をする約束をしていた。

 けれど父からの手紙のことが気にかかって、ロゼリアは二人との約束をすっぽかしてしまった。

 キラキラと光る湖の水面を見つめて目を細める。

 自分の魔法のことでこれまでずっと悩んできたというのに、『水』に関わる場所が一番落ち着くだなんて、矛盾していると心のなかで自嘲する。


「私のために、二人とも時間を割いてくれているのに。……でもお父様のことで、とても他の人に相談なんてできないわ」


『魔法が使えないなら国に連れ戻されると言われているの。だから、魔法を使えるようにもっと協力してほしいの』

 そんなこと誰かに相談したとして、相手を困らせるだけだ。


 ――私は、『海の皇女』なのに。こんな私じゃだめなのに。


 ロゼリアがそう考えて顔をしかめていると。


「え?」


 急に地面に影がさしたに気付いて、ロゼリアは顔を上げて目を瞬かせた。

 空を仰げば、日を隠すほどの大きな鳥が、頭上を飛んでいたからだ。

 巨大な黒鳥はロゼリアを見つけると、ゆるやかに高度をおとし近寄ってくる。

 ロゼリアは慌てた。

 赤い瞳に黒い翼。そんな鳥の名前なんて、一つしか浮かばない。


「ここにいたのか。『ロゼリア・ディラン』」


 巨大な黒鳥――レオンはレイザールから降りると、つかつかとロゼリアのもとへと近寄った。

 ロゼリアは思わず一歩後退ると、上目遣いで彼に尋ねた。


「どうして、貴方がここに」

「君が時間になっても約束の場所に来ないから、空から探させてもらった。僕との約束を破るなんて、随分といい度胸だね?」


 レオンの声は語尾こそ上がっていたが、目は笑っていなかった。


「ご、ごめんなさ……」


 ――確実に怒らせた。


 ロゼリアはそう思い、慌てて頭を下げた。


「簡単に謝るくらいなら、約束を破るのはよくないな。ところで」

 レオンはロゼリアの目線の高さにかがむと、彼女の目元に指を添えた。

「どうして君はいつも、一人で隠れて泣いているんだ?」

「……っ!」


 レオンの指先は、透明な雫で濡れていた。

 ロゼリアは乱暴に手で顔を拭った。


「わ、私は、泣いてなんかないわっ!」

「嘘をついても無駄だよ。……ああもう、目を擦ったらダメだ。赤くなってる。ほら、こっちを向いて」


 レオンはそう言うと、手巾を取り出してロゼリアの目元を拭った。

 その仕草は、まるで幼い子どもにするように、どこか優しい。


「……ごめんなさい」

 ロゼリアは無意識に、そう口にしていた。

 レオンはその言葉を聞いて、はあと深いため息を吐いた。


「謝る前に、どうして君が泣いているのか教えてくれ。僕は別に、理由なく君を叱ったことなんてないはずだけど? 悩みがあるなら、それはそれでいいよ。でも君が僕に君のことを教えてくれないと、僕は君に何もしてやれないだろう?」

 

「貴方が私のためになにかしてくれるの……?」


 慰めようとしてくれているのだろう、とロゼリアは思った。

 だがその中で、レオンが口にした思いがけない言葉に、ロゼリアは目を瞬かせて尋ねていた。

 レオンはロゼリアから視線を反らして言った。


「……君が転べば僕やギルバートも転ぶ。今の僕たちはいわば、運命共同体だからね」


 あくまで試験のために心配してるのだ、というレオンの言葉に、ロゼリアはどこか納得して――それから、少しだけ胸が痛むのを感じた。


「そうよね。……私達、同じ仲間だもの」

 

 沈んだ彼女の声を聞いて、レオンは一瞬ばつの悪そうな顔をすると、ロゼリアの隣に黙って腰を下ろした。


「それで? 君は、何を悩んでいるんだ?」

「お父様が。……お父様が、ここに来ると仰ったの」

「それの何が問題なの?」

「お父様がいらっしゃったとき、私がもしまだ魔法を使えないままなら、国に連れて帰ると仰ったの」

「……なるほどね」


 レオンは表情の暗いロゼリアを見て、合点がいったという顔をした。


「それが、君が最近元気がなかった理由か」

「……」


 沈黙は肯定だ。レオンはそう判断した。


「一つ、君に質問してもいいかな?」

「何?」

「君の父は、どういう人?」

 レオンの問いに、ロゼリアは返答に少し迷った。


「お父様は……厳しくて、『優しい』人よ」

「『優しい』?」

 ロゼリアの言葉にレオンは首を傾げた。


「魔法を使えない限り、皇族である私は後ろ指をさされる。お父様は、私のことを心配してくださっているの。私のお母様は、私が幼いときに病でなくなったの。私のことを気にかけられるのは、そのせいというのもあるかもしれないわ」


 愛しているからこそ、心配してくれる。


 それは理解しているけれど――ロゼリアは、父の愛情が辛かった。

 『心配』される度に、『結局お前はダメなのだ』と、そう突きつけられている気がして。

 胸をおさえたロゼリアを見て、レオンはふと何か思い出したような顔をした。


「もしかしたら――君の父は、僕の父上に似ているのかもしれない」

「え?」

 ロゼリアは、レオンの言葉の意味がわからず首を傾げた。


「僕とリヒトの母は、幼いときに亡くなっている。父上は――叔母上も早くになくしているから、昔から僕やリヒトのことが気がかりみたいだった」


 母を早くに亡くした父。

 その点において、確かに二人は似ているようにロゼリアは思った。


「父上は昔から、僕に期待を向ける一方で、リヒトには期待する素振りを見せなかった。今、僕が十年もの眠っていたせいで、少し揉めているけれど……多分父上はこれ以上、リヒトに無理をさせたくないんだと僕は思う。魔法を使えないことは、今のこの世界では、王族であるなら非難の目を向けられる理由になるからね」


 これ以上リヒトが傷つかなくていいように――真綿にくるんで大切に大切に……。


 だが真綿といえば、こんな言葉もある。

 『真綿で首を絞める』

 そんな言葉が頭に浮かんで、レオンは小さく頭を振ってから、落ち着いた声でロゼリアに尋ねた。


「それで? 君はどうしたいの? 君の父の言うように、国に戻りたい? それとも、ここにいたいの?」

「私は……」


 レオンがロゼリアに、そう訪ねた瞬間だった。草むらから、幼等部の生徒たちが一斉に現れた。


「今の話、どういうこと!? ロゼ、国に帰っちゃうの!?」

「どうして、みなさん、ここに……」

「ロゼが元気がなかったから、お菓子でも一緒に食べようって誘おうって……でも、そしたら、二人の話が聞こえて」

「やだよ、ロゼ。せっかく仲良くなれたのに、帰っちゃうなんて嫌だよ!」


 ここにいてほしい。一緒に学院で過ごしたい。

 そう口にする子どもたちを前に、ロゼリアは困惑の表情を浮かべていた。


◇◆◇


「なるほどな。……昨日、そんなことが」


 翌日。

 幼等部の教室で、リヒトとローズは昨日の出来事のあらましを聞いた。


「だからさ、ロゼリアのお父さんが来るまで、みんなでロゼリアのために出来ることをしようと思うんだ」

「例えば?」

「グラナトゥムにこれないよう、罠を仕掛ける、とか」

「危険なことはだめですよ。それに大国の王相手にそんなことをしたら、どんな罰がくだるかわかりません」


 ローズは冷静だった。

 

「でも、王様がこなかったらいいんだろ!? だったら妨害すればいいじゃん!」

「それは解決策とは呼べません。そもそも、そんなことをすればロイ様にも迷惑がかかります。それに、ロゼリア様の父君でいらっしゃるディランの皇帝は、貴方方が敬愛してやまないロイ様の叔父にあたる方でしょう?」

「叔父?」


 子どもたちは目を瞬かせた。


「ロゼリア様の母君は、グラナトゥムの第一王女だった方なのです。また、ディランはグラナトゥムに並ぶ大国です。貴方たたちがこの問題に手を出すのはおすすめしません」

「なんだかとたんに怖くなってきた……」


 ロゼリアのために、何かできることをしよう! と意気込んでいた子どもたちは、ローズの話を聞いて肩を落とした。


「誰かを傷つける方法じゃなくても、さ。俺は彼女のことを信じてあげたり、応援したり、そういう気持ちが彼女にとって力になると思う。それにお前たちが動いて、それで罰せられるようなことがあれば、その時に一番悲しむのは、彼女だと俺も思うぞ」


 ローズの言葉で落ち込んだ様子の子どもたちは、リヒトの言葉を聞いて少しだけ元気さを取り戻した。


「……わかった。そうだよな。妨害とかじゃなくても、応援することはできるもんな」

「最近頑張ってるし、ロゼリアにならきっと出来るよ!」

「うん。きっとそう!」


 リヒトの言葉を聞いた子どもたちは、明るい言葉が飛び交わせる。

 そんな中、幼等部の生徒の一人が、こんなことを呟いた。


「でも俺はさ、ロゼリアみいにすれ違えるのも、羨ましいなって思ったりもするよ。魔法が使える子どもは、貴族の養子に迎えられることが多くて。……そうなったら、今のお父さんやお母さんとは、縁を切るように言われることもあるって聞いたんだ。俺はロゼリアのお父さんのことはよく知らないけど、家族だからすれ違える――って、そんな感じがするから。すれ違える相手がいるって、幸せなことだとも俺は思うんだ」


 その話を聞いて、ローズは自分の婚約者であるベアトリーチェが、養父に止められたわけではなかったものの、自分の意志で家を出たというのともあり、ここ最近まで実の親とまともに話していなかったという話を思い出した。

 相手を思うからこそ――すれ違うこともある。

 でもその思いが、本当に相手を思ってのことなら、いつかはすれ違うのではなく、目線を合わせて話が出来ればいいのにとローズは思った。


 それから数日後、グラナトゥムの港にディランより巨大な船がやってきたという話が学院に届いた。

 その日の正午頃、魔法学院の門前に一両の馬車がとまった。


「ついにやってきたぞ!」


 『敵兵敵兵! 襲来しました!』

 ロゼリアを心配して、門の近くで見張りをしていた子どもたちは、その光景を見て驚きを隠せなかった。

 馬車から従者の手を借りて降りてきたのは、青い長い髪が特徴の、美しい青年だったからだ。


「…………って、めっちゃ若い!?」


 予想していなかった『父親』の姿に、誰もが心の中で突っ込んだ。



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