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二つの月が重なる夜に④

「どうやら間違った方に進むと、罠が待ち受けているみたいです!」

「――リヒト様、試してみましたが、空中を飛ぶのは無理のようです」

「じゃあやっぱり、進むにはこれをとくしかいってことか……」


 アルフレッドとローズの報告を聞き、リヒトは顔を顰めてその『問題』を見た。


 鍵を集めて開いた扉。そして現れた巨大な迷路。しかし先に進むには、問いに答える必要があった。


【『地震〇〇〇〇火事親父』さて、〇〇に入るのはなーんだ?】


「ローズ……これ多分、『異世界』の言葉だよな?」

「異世界?」

 リヒトの問いに、ローズは首を傾げた。


「ギル兄上が言っていたんだろう? 異文化交流だって……」

「確かに、そう仰ってはいましたが……」


 ローズが異世界について勉強しようとしたことは、あながち間違いではなかったのかもしれない。今のリヒトにはそう思えた。


 異世界の記憶を持つ『異世界人まれびと』は、アカリの他にも学院内にも存在している。つまり前に進むには、彼らの助力を願うか、実力でとくしかない。

 借り物競争として戦うか、それとも知識で解き明かすか。

 おそらくこれは、そういう勝負だ。

 

「アカリならわかるのかもしれませんが……」 

「アカリは今、どこにいる?」


 アカリは高等部所属だが、ローズが頼めば協力してくれるはずだ。

 リヒトが尋ねると、ローズは表情を少し曇らせた。


「申し訳ありません。最近避けられているようで、話せていないのでわかりません」


 ロイの配慮もあって、今、ローズとアカリの部屋は別室となっている。そのせいで、アカリと顔を合わせるのも、最近のローズには難しくなっていた。


「……なんで避けられてるんだ? ユーリとのことがあって部屋を別れたとは聞いていたけど、喧嘩でもしたのか? 仲は良さそうに見えていたんだが……」

「それが、私にもよくわからなくて」


 ローズは静かに目を伏せた。


「私自身、あまり親しい女性の友人というものがこれまでいなかったので。喧嘩、というものも、あまりしたことがなくて……」


 公の場での『交流』は出来ても、私人として友人を作ることは下手なことはローズ自身自覚していた。


「俺のせいか?」

 ローズが下を向いていると、リヒトが小声で尋ねた。


「いえ。リヒト様と私なら、アカリは私を選んでくれると思うので違うと思います」

「…………そうだな」


 もしかして自分のせいで二人が喧嘩したんだろうか? そう思い尋ねれば、きっぱり否定され、リヒトはガックリと肩を落とした。

 仮にも王子だというのに、何度も振られている気がするのは気のせいだろうか?

 リヒトが項垂れていると、その瞬間、凛とした少女の声が響いた。


「――答えは、『雷』です」


『正解です。雷属性の魔法を使うと、扉が開きます』

 続いて、シャルルの無機質な声が響く。


「わかるのか!?」

 ローズとリヒトが振り返ると、そこには白い布を一枚被った、おばけの格好をした子供がいた。


「雷なら任せろ!」

 子どもたちの一人はそう言うと、貸し出されている石に触れ、魔法を展開させる。

 蛇のように空中を這う雷は、扉の枠を囲むように光を走らせ、一周回ったところで、扉は音を立てて奥の方へと倒れた。


「すごい! 開いた!!!」

 漸く次の道が開かれ、子どもたちがわっと声を上げる。


「リヒト様、あの子……」

「ああ、そうだな。さっきまでいなかった」

 知らぬ間に、一人子どもが増えている。

 リヒトは怪訝な顔をした。

 目元だけくり抜かれた布の奥には、金色の瞳が光って見えた。


【月日が過ぎていくことはとてもはやいということ。矢にたとえてなんという?】


「『光陰矢のごとし』」

『正解です。光魔法と闇魔法を同時に使うと次の道が開きます』

「次は光魔法ね!私に任せて!!」

「闇魔法ならおれがやる!」


 与えられる問題を、お化けの格好をした子どもは次々に解いていく。

 ローズとリヒトは、扉が開くのを後ろから眺めていた。


「……やっぱり、これだけ属性が異なる魔法が必要となると、それを想定してこの迷路が作られた考えるべきだよな」

「そうですね。それぞれ足を引っ張って、自分だけで勝とうとするのは難しいように思います」


 ローズでなくては、全属性の魔法を使うというのは不可能だ。


「だよなあ……」

 となると、ロイの言葉の意味が分からない。

 リヒトはうーんと小さくうなった。


『この学院に最も相応しい行いをしたと判断された者には、俺が何でも一つ、願いごとを叶えてやろう』


 だとしたら、あの言葉の意味はなんだろうか?


「そうなるとやっぱり謎なんだよなあ……」


 鍵をより多く見つめたもの、飴を多く見つけたもの、謎を解いたもの、扉をより多く開いたもの。

 貢献度により表彰されるとして、どれかが該当するにしても、扉を開くための謎解きに魔法が必要になるなら、公平な条件での一人勝ちは難しいようにリヒトは思った。

 そうやって、リヒトが唸っていると。


「リヒト様、わかりました。もしかしたら……」

 ローズが『いいことを思いついた』という顔をして目を輝かせた。


「もしかしたら?」

「あの子は『座敷童』かもしれません!」

「――……は?」

「いないはずのもうひとりの子ども。幸運を運んでくれる存在だと、本に書いてありました!」

「いやいや、待て。なんでそうなる!?」


 積極的に質問を解く座敷わらしがいてたまるか! 

 目立ちすぎである。

 リヒトは頭をおさえた。異世界人まれびとの記録は断片的で、ローズがどの本を読んだからはわからないが、リヒトが知る限り、座敷わらしは屋敷に居付くおばけのようなものだったはずだ。

 リヒトがはあとため息を吐くと、ローズが少し不機嫌そうにたずねた。


「では他に何か思いつかれることでも?」

 この学院の――幼等部の生徒には、あんな瞳の色の生徒はいない。


「声を変える方法はあるだろうし、瞳の色を変える方法は、俺が――……」


 『案を考えて、前ロイに提出しているし』

 そう続けようとして、リヒトは目を見開いた。

 ――まさかあれは、自分が考えた研究の結果の……?

 自分がロイに提出したのは『可能性の提示』のみだ。


「リヒト様?」

「いや、なんでもない。とりあえず、俺たちはあの子の進む後に続こう」

 リヒトが無言になったせいで首を傾げたローズに、リヒトは静かに言った。



 白いお化けの格好をした子どもが問題をとき、協力して魔法を使って、扉を壊して前へと進む。

 問題を読み上げるシャルルの声は相変わらず棒読みだったが、子どもたちは楽しそうに笑っていた。


【次が、最後の問題です。次の〇〇に、貴方が適切だと思う言葉を入れてください】


 最後の問題は、空に浮かぶ巨大なジャック・オー・ランタンの下に作られた、屋根のない櫓で読み上げられた。


【あまねく民に、幸いを。命の芽吹きに祝福を。共に生きる者のため、全ての大地に〇〇よ〇〇】


「……え?」

「これは、どういうことでしょうか……?」


 問題の解答はすべて子どもたちに任せていたローズとリヒトは、最終問題に目を丸くした。

 異世界の知識を要する問題ではないように思ったが、かといってこんな文章、自分たちは知らない。


「……何なんだこの問題」


 リヒトがポツリつぶやくと、問題が掘られた木の板の近くに備え付けられたランタンの中から、シャルルの声が聞こえた。


『学院の生徒として、入れるべき言葉を考えて入れてください』


「……質問なんだが、これは何か元ネタがあるのか?」

 リヒトはランタンに向かってたずねた。


『…………王様、これは何か引用先があるのか、とのことです』

『ないな。俺が考えたからな』


 するとランタンの中から、ロイとシャルルの話し声が返ってきた。


「ないのかよ!」


 リヒトは思わず叫んだ。

 ここまでさんざん知識を問うたり魔法を使わせたりしたくせに、最後の問題が単にロイの考えを予測するも問いとはこれはいかに。


「最後だけなんでこんなにテキトウなんだ……」

『テキトウだと? 失礼な。これは俺が考えた言葉だが、この学院の生徒なら、心得ておくべきことだ』

「……学院の生徒なら心得ておくべきこと?」


 ロイの言葉に、その場にいた全員が首を傾げた。

 ますます問題の意味がわからない。

 だがそんな彼らは、今は巨大な迷路の中心部の高い場所におり、中等部や高等部の生徒たちが、問題を解いてこちらを向かっているのが見えた。


 子どもたちの顔に焦りが宿る。

 ランタンから聞こえるロイの声は、まるで揶揄うようにも彼らには聞こえた。


『どうした? 早くしないと、他の奴らに追いつかれるぞ?』

 

「そんな……」

「せっかくみんなで協力して、ここまで辿り着いたのに……!」

「やだ! 負けたくない!!!」


 子どもたちが、口々に叫ぶ中。

 リヒトは静かに上空を見上げて、目を細めていた。


「ローズ。植物は、基本的に水と光があれば育つ。だが人が水を与えないとしても、植物は芽を出して花を咲かせることもある。それは何故だと思う?」

「それは、根が――……」


 水を吸い上げているから。

 そう言おうとして、ローズは目を瞬かせた。


 夜空に浮かぶ巨大なジャック・オー・ランタン。

 その中には、沢山の飴が――……『あめ』?

 ローズの中に、ある答えが浮かんだ。

 しかしローズが答えを口にするより早く、これまですべての問題をといた子どもは、空を見上げて叫んでいた。


「全ての大地に、あめよふれ!」


 言葉と同時、ジャック・オー・ランタンが爆発して、中から飴が降り注いだ。

 飴は、平等に生徒たちの手に届く。

 しかし呪文を唱えた彼女には、一つの飴も届かなかった。

 だがそれでも、その光景を見つめる白い布のおばけの子どもは、嬉しそうに笑っているようにローズには思えた。

 自分は得なんて何もなくても、まるでそう願うことが当たり前で、幸せでもあるかのように。

 

 問題を解いた瞬間、閉幕のベルの音が鳴り響いた。

 ローズたちのいる場所に、シャルルを抱えたロイが、風魔法を使って空中から降りてくる。


「子守りを任せて悪かったな。君もそれなりに楽しめたか?」

「……それなりに」

「そこは言葉を繰り返さずに楽しめたというべきところだぞ」


 リヒトはロイの自分への問いに、少し疲れたような表情をして言葉を返した。そんなリヒトを見て、ロイはくっくと笑う。

 ロイは抱き上げていたシャルルを床に降ろすと、すべての問題を一人で解き明かした子どもを見下ろし目を細めてから、拡声魔法を発動させた。

 迷路の途中で立ち止まり、ロイたちを見上げていた生徒たちに向かって告げる。

 

「今回の祭りでは、飴を最も多く確保した者ではなく、最も多くの飴を、人に与えた者を勝者とする」


 ロイの言葉に、最初自分が誰よりも活躍しようと争っていた生徒たちは、目を瞬かせた。


「『四枚の葉』が、人に自らの幸運を与えたときに三枚の葉になるように、俺はそういう人間こそ、この学院に相応しいと考える」


【あまねく民に、幸いを。命の芽吹きに祝福を。共に生きる者のため、全ての大地に雨よ降れ】


 それは三人の王により、学院が創設された当初の考えに基づくものだ。


「さあ、お前は何を願う?」

 ロイは笑みを浮かべると、白い布を被った子どもにたずねた。子どもは一度下を向いてから、小さな声で願った。


「……全員が楽しめるような、宴を」

「自分の願いでなくていいのか? なんでもいいんだぞ?」

「それはここで貴方に願うことではないもの。それに、私一人では、ここまで辿り着けたなかった。だから私はみんなが、楽しめるようなものがいいわ」


 子どもの言葉にロイは満足したように頷き、高らかに宣言した。


「わかった。では、ハロウィン・パーティー。今宵の祭りの終わりの宴に、みなを招待しよう!」


◇◆◇


 夜のパーティーは屋外で行われ、仮装のまま参加をとロイが呼びかけたおかげで、橙の柔らかな光に浮かぶ人々の顔色は、ほんのりと朱に染まっているように見えていた。


「つまりあの方は……ここまで想定されていたということでしょうか?」

「だろうな。まあ今回は、幼等部全員で勝ち得たようなものだからって、可能な限り願いを叶えてくれるらしい。レグアルガに乗りたいという願いも叶えてやるといっていた」


 ローズとリヒトは、騒がしい人だかりから、少し距離をとってその灯りを眺めていた。

 会場には休憩所も兼ねて、所々に長椅子が設けられていた。

 夜もくれて、空には星が浮かんでいる。

 こんな真夜中に外に出たのは、ローズは久しぶりのことのように思えた。


「リヒト様は、何か願われたのですか?」

 『幼等部』の願いを叶えるとロイが言ったなら、それはリヒトも該当するはずだ。

 リヒトは、『あの子ども』と同様願いはないと言っていたことを思い出し、ローズは訊ねた。


「……これをやる」

 リヒトはしばしの沈黙のあと、ローズに手に小さな包みを置いた。


「この国で今一番有名な製菓店の菓子らしい。願いの中にあったらって、用意していたって」


 ローズはリヒトから渡された包みを開いた。

 中に入っていたのは可愛らしい小さな菓子だった。

 力をこめたらすぐに崩れてしまいそうな、指先でつまめる程度の丸みを帯びたその菓子は、雪化粧のように白いものを纏っていた。


「いただいてもいいのですか?」

「ああ」

 ローズはリヒトが頷くのを見てから、一つだけ口に含んだ。


「……美味しい」

 口に入れた瞬間、じわりと砂糖の特有の甘さが広がる。少し噛むとほろりとほどけ、香ばしい香りが口の中を満たしてくれる。


「よかった。ローズが気に入って」


 美味しくてもう一つとローズが手をのばせば、リヒトはローズを見つめ、くすりと小さく笑った。


「そのお菓子、どうも砂糖にこだわりがあるらしいんだ。粒子が細かいから、そのおかげで独特の食感と甘さがうまれるらしい。昔と比べて甘味は一般的なものになりつつはあるけれど、この砂糖は通常出回っているものより一度に採れる量も少ないから、値段が他のものより張ってしまうらしいと聞いた。グラナトゥムでは、こだわりの一品を求める層を中心に、今人気が高まっているらしい」


 リヒトの説明を聞いて、ローズはなるほどと思った。

 つまり、これまではなかった種類の砂糖、ということだ。グラナトゥムの――赤の大陸は広いから、これから先この砂糖は、この国の新しい特産物になるのかもしれない。


「リヒト様も召し上がられますか?」

 ローズは、菓子を一つ取ってリヒトに見せた。リヒトは首を傾げた。


「口をあけてください」

「……お、俺はいいっ! それは全部、ローズが食べていいから!」


 ローズの行動が読めて、リヒトは慌てた。

 幼馴染で幼い頃はそういうこともあったとはいえ、この年齢になってそれは恥ずかしすぎる。

 リヒトは顔を真っ赤にして、ローズから顔を背けた。


「……あれ?」

 すると、白い布を被った子どもが一人ウロウロしているのが見えて、リヒトは思わず声を漏らした。

 少し観察していると、子どもたちがやってきて、いつの間にか彼女は退路を塞がれていた。


「今日の、本当にすごかった! ありがとう。おかげで俺たち、願いを叶えてもらえることになったんだ!」

「……」

「穴から見えるのは金の瞳だけど、俺たちの暮らすにそんな色いなかったし……。もしかして、新しい編入生か何か?」

「……」

「仮装だってのは分かってるけど、布被ってたままじゃ話しにくいしさ。顔を見せてよ!」


 布を被った少女は答えない。

 だがその時、一人の生徒が子どもが被っていた布を剥ぎ取ってしまった。

 するとロゼリア・ディランの、美しい長い青の髪があらわれた。


「え……? 海の皇女?」


 瞳の色のこともあり、彼女だと予測していなかった生徒たちは、呆然としてその姿を見つめていた。

 ロゼリアはその隙に布を奪い返すと、再び布を被って彼らに背を向けた。


「……わかったでしょう。私と話しても、きっと楽しくないわ。だから放っておいて」


 ロゼリアがその場を去ろうとすると――子どもの一人が叫んだ。


「……待って!!!」

 ロゼリアはピタリと足を止める。


「布を無理矢理とったのはごめん。あのさ、ギル兄上のこともあるからいうけどさ……リヒトに対するあの言葉はやっぱり許せないけど、ああ言ったことに何か理由があるなら、俺たちにもちゃんと教えてほしいんだ」

「……」

「……俺たちはこれから、一緒に学校生活を過ごす仲間なんだから」

「仲、間……?」 


 ロゼリアは、驚いたように振り返った。


「み、身分の差は勿論あるけど! ここではそういうのは関係なくて、みんなが勉強する場所だって陛下には言われてるから。だから……!!」


 白い布の向こう側の、ロゼリアの顔は見えない。

 二人が立ち止まっている内に、楽しげな音楽が響き始める。


「今回は仮面舞踏会ではなく、仮装舞踏会だ。どうかみな、楽しんでくれ」

 ロイの声とともに、音楽が大きくなる。


「一緒に踊ろう!」

 子どもは、立ち止まるロゼリアに手を差し出した。

 だが今の服のままでは、ロゼリアが踊ることは叶わない。彼女がどうしていいかと困っていると。


「「踊るのですか?」」

 どこからともなくマリーとリリーが現れ、ロゼリアから布をとって笑った。


「「衣装の変更なら、我々にお任せするのです!」」


 二人はそう言うと、ハサミや針や糸やらを構えてポーズをとった。

 そして一瞬で、ただの白い布を可愛らしい衣装に変わる。

 仕上げとばかりに、白い大きなとんがり帽を、双子はロゼリアの頭にかぶせた。


「白い魔法使い、の、完成なのです!」

「です!!」

 二人はそう言うと、満足げに頷いた。


「ここにいる全員を、楽しませるのが陛下より申しつけられた私たちの役目。お前たちの役目は、精一杯楽しむことなのです!」


 ロゼリア相手だというのに、態度を変える様子など欠片もなく、双子はそれだけ言うとその場を去った。

 呆然とその背を眺めていた少年とロゼリアだったが、少しして二人が顔を見合わせると、少年は「そんな顔もするんだな」と笑って、ロゼリアに手を差し出した。


「行こう。ほら、もう音楽が鳴ってる!」


 美しい、星の輝く夜のこと。

 人々の楽しげな声は、柔らかな光の下、こだまするように響いていた。


◇◆◇


「こんなところにいたのか」


 始まりの合図をして、宴の席を離れたロイは、一人月を見上げていた少女に声をかけた。

 どこからか笑い声が聞こえる。

 遠くに灯火は見えるのに、その場所からは、人の姿を見ることはできなかった。


「君が考えたあの問題、なかなか楽しませてもらったぞ」

「そうですか」

「なんだ。反応が薄いな。嬉しくはないのか」

「……別に」

「それにどうしてそう、月を見上げて憂いを帯びた顔をしている?」


 ロイが尋ねても、少女は答えようとはしなかった。ロイは少女が身に着けていた服を見て、こんなことを呟いた。


「――まるで、『なよたけのかぐや姫』だな」


 アカリの足下には、使われることのなかった衣装が散乱していた。

 彼女が『異世界人まれびと』だからだと用意されたのは、美しい文様の織り込まれた唐衣や袿だった。


「罪をそそぐために下界へと落とされた月の姫君。しかしその罪は、直接的には描かれない。帝からの求婚設けていたというのに、彼女は満月の夜、月の世界へと帰ってしまう」

 

 ロイはただまっすぐに、まるで自分の声など聞こえていないかのように月を見上げる少女を見て、わずかに目を細めた。


「君もまた、月の世界の羽衣を身にまとえば、この世界で感じたあらゆる憂いも感情も、全て失ってしまうのだろうか」


 ロイはこの世界だけでなく、異世界の文化についても本を読んでいた。

 それは彼が王として、『異世界人まれびと』を受け入れるときに、必要だと考えたからだ。

 自分の世界を共有できる相手になら、人は自然と心を開くものだから。

 ロゼリアが異世界の知識を多く知っているのも同じ理由だ。

 グラナトゥムに続き、ディランには多くの異世界人まれびとが住んでいる。


「もし君が月の帰還を望まないなら、そろそろ彼女のことを、許してやってもいいんじゃないか」


 ロイのその言葉に返すように、少女――アカリは呟いた。


「許すも何も、別に私、ローズさんに怒ってるわけじゃないですよ。元の世界に帰れることを教えてくれなかったのは、確かに傷つきましたけど……」

「ではなぜ、彼女を避ける?」

「……ローズさんって少しだけ、私の知り合いに似てるんですよ」

「ほう?」


 ロイはアカリの言葉が気になって、興味深そうに首を傾げた。


「その人は、子ども好きで、自分勝手で。こっちの気持ちなんてお構いなしに、自分の好きなように生きている人で。魔法の使えない世界で、魔法使いになるのが夢だなんて、馬鹿みたいなことばかり言ってる人でしたけど」


 だが彼女の語る人間と、ローズの印象が一致せず、ロイは眉間にシワを寄せてアカリに尋ねた。


「そんな人間と彼女と、一体何が似ていると言うんだ?」

「……」


 『知り合いに似ているから』

 そんな理由でアカリがローズを避けているなんて、ロイはアカリの心がわからなかった。

 アカリはロイの問いには答えない。

 彼女は静かに月を見上げ月に手を伸ばすと、ピタリとその手を止めて、唇を噛んでから、手を胸元へと下ろした。


 病は治ったはずなのに、もう痛むはずのない胸が痛くて、アカリは胸を押さえた。

 病気は治らない。魔法なんてこの世界にはない。望む世界はいつだって、窓枠の向こう側にある。

 ――ずっと、そう思っていた。

 白い病室の中で、いつだって優しい人が自分に向けてくれた言葉を、否定して生きてきた。彼女が自分に与えてくれるものが、永遠に続くことを疑わずに。

 その彼女が、ある日突然自分の前から消えることなんて、考えもしなかった。


 だから、きっとこれは罰なのだ。

 誰かに思われて生きていた。それは幸福なことであったはずなのに――それでも、窓の向こうを焦がれ続けた自分への。

 アカリはそう思った。


 だから、選択を迫られる。

 こちらの世界を取るのか、それとも元の世界を取るのか。

 まるで贖罪のために地上に落とされた、自分が生きていた世界なら、誰もが知る物語の少女のように。

 そしてアカリは、結局彼女がどちらを選んだのか知っている。

 アカリは月を見上げた。自分がこの世界に来た夜に似た、けれど二つある月が、今は彼女を見下ろしている。


「『光の聖女』?」


 いつもは呼ばれたら反抗するその呼びかけに、アカリは返事をしなかった。


◇◆◇


 長い夜の宴の後に、月の光の射し込む部屋で、少女は一人小さな声で呟く。


「楽しかった。今日は、ちゃんと話せた。……みんな、笑ってた」


 それはまるで、自分に言い聞かせるかのように。


「私が海の皇女でなくても……あの子たちなら、私と友達になってくれるかしら?」


 みんなで笑い合う、笑い声が響く陽だまりのような時間。

 その風景を想像して、けれどロゼリアは『ある言葉』を思い出して、床に膝をついて耳を塞いだ。

 幼い頃は誰かの笑顔が見たくて、そんなものが大好きで、自分はそのために、魔法を使っていたような気がする。

 けれど今の彼女には、自分が誰かの心を動かしたという過去は、偽りでしかなかったようにも思えた。


 ――違う。違うわ。みんな笑っていたもの。喜んでくれていたもの。私の魔法で、みんなを笑顔に出来てたもの。だから違うわ。私が今魔法を使えないのは、あんな言葉のせいじゃない。


 けれどまるで杭で打たれたかのように、あの日からの自分の時は、止まっているかのように彼女には思えた。

 耳を塞いでも、時が経っても。

 その言葉を思い出すたびにうまく呼吸が出来なくなって、冷たい海の底に引きずり込まれるような、そんな感覚が彼女の中にはあった。

 違う、違うと彼女は首を振る。いいや、違わなくてはならない。

 自分が、『海の皇女』である限り。


 ――誰かのたった一言で、それだけで魔法が使えなくなるなんて、海の皇女である私が、弱くていいはずがない。三人の王の生まれ変わり。『海の皇女』なら私は――強く、強くなくてはいけないの。


 それでも、魔法が使えなくなった日に聞いた言葉を、今でも彼女は忘れることができずにいた。

 響くのは、幼い子供の笑い声。

 無邪気で、悪びれることなんて欠片もなく――ただ声は、彼女の優しさ(おもい)を否定する。

 差し出した想い(あめ)は、地面に落とされ踏みにじられる。


『あの子が海の皇女でなかったら、友達になんてならなかった』


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