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彼女は俺の、ヒーロー(だった)。④

 日々は穏やかに過ぎた。

 

「ゆーり、大丈夫?」

「泣きそうな顔をされないでください。リヒト様」


 グランの訓練で生傷は絶えなかったが、ユーリからすれば、ミリアに比べたらグランは優しかった。

 リヒトとローズは訓練には参加せず、兄たちやユーリたちの様子を、一緒に座って見学していた。


「だって……すごく、いたそうだから。ああ、そうだ」


 リヒトは、傷だらけのユーリの手を見て、大きく手を空に向かってあげた。


「いたいのいたいのとんでいけー!」

「……」


 光の名を宿していても、リヒトにまともに魔法を使えない。だから、リヒトの行動は無意味だ。

 けれど気持ちが嬉しくて、ユーリは期待に目を輝かせるリヒトに微笑んだ。


「ゆーり! ゆーり! いたいの、なくなった?」

「……ええ。ありがとうございます。リヒト様」

「リヒトさま。それじゃ駄目です」

 けれどその瞬間、二人に割って入ったローズがユーリの手を取った。


「傷を癒やせ」

 ローズが光魔法を発動させる。

 すると、みるみるうちに傷が消えて、ユーリは目を瞬かせた。


「……! ありがとうございます」

「リヒト様。おまじないでは、傷は治らないのです」

 ローズはユーリの感謝に頷いてから、リヒトを見てばっさり言い切った。


「あにうえはいたいのなくなったって……」

「それは、レオン様がリヒト様に甘いだけです」

「でも、ぎるあにうえが――ぼくにもつかえる、まほうだって」

「お兄様が……?」


 『お兄様』発案だと明かされ、ローズは少しだけ首を捻った。

 けれど一瞬考えてから、ローズはまた冷静に現実をリヒトに告げた。


「……お兄様も、リヒト様に甘いだけです」

「う……」

「リヒト様。魔法のお勉強の続きをしましょう。リヒト様は王子様なんです。今度はちゃんと、出来るはずですから」

「わかった。……ろーず……」

「じゃあ、行きましょう」

 ローズはそう言うと、リヒトの手を引いて屋敷へとは戻っていった。


「ローズもめげないなあ。どうせ無駄だろうに」

「まあ、やりたいようにやらせておけばいい。結果はおのずと分かる」

 二人の兄たちは、小さな背を見送りながら、そんな言葉を口にしていた。



 それから少しした、ある日のことだった。

 ユーリはグランに連れられ、魔物の討伐に参加することになった。


 黒い臭気を纏う。

 狼に似た生き物は、ユーリにとって未知の存在だった。

 いつものユーリなら、避けられる程度の速さだった。けれど臭気から冷たいものを感じて、ユーリはその場から動けなくなってしまった。


 鋭い爪が、ユーリに襲いかかる。爪は、僅かに彼の胸を掠めた。

「ユーリ!」

 グランがユーリの体を引き寄せなければ、ユーリは確実にその瞬間に死んでいた。


「ローズ!」

「おじいさま?」

「ローズ。彼の治療を!」

 魔物の爪には毒があった。討伐隊から離れ、グランはユーリを公爵邸へと連れ帰った。


「ユーリ!?」

 ローズは慌てて魔法を使った。

 ローズの魔法のおかげで、ユーリは回復した。脂汗の浮かんでいた顔に生気が戻る。


「ローズ様、ギルバート様……?」

 目を覚ましたユーリが目にしたのは、自分の手を取り、心配そうに見下ろすローズの顔だった。


「良かった! ユーリ、もう大丈夫?」

「……本物の魔物と、戦ったんです」

 毒のせいで混濁した意識が戻ったとき、安堵と恐怖心から、ユーリは震える声でそう呟いた。


「殺されるかと、思った。足が、動かなくて。師匠がいなかったら、俺は……っ!」

 自分より幼い少女を前に、ユーリは目に涙を浮かべた。


「痛いのは、怖い。死ぬのは、怖い……っ!」

「いたいの、いたいの、とんでいけー!」


 するとその時、ローズがリヒトのように、意味のない言葉を大きな声で叫んだ。

 ユーリは目を丸くした。ローズがそんなことを言う意味がわからなかった。


「……お兄様が、仰っていました」

 ローズは、ユーリの手を握って言った。


「この言葉は、わるいものを、まをはらうのだと」

「……」

「心が弱っていたら、勝てる敵にも勝てません」

 知己的な赤い瞳はまっすぐに、ユーリを見つめていた。

 ローズは、服のリボンを解いた。


「ユーリ」

「?」

「おまじない」


 ローズは、震えるユーリの手にリボンを巻き付けた。


「赤は、悪いものを追い払う色なの」

 それは、ローズの瞳と同じ色。


「ユーリは負けない。ぜったい、ぜったい負けない。もしユーリが、負けそうになったら、私のことを思い出して」

 幼いローズは、強く何度も言った。


「私はユーリの味方。貴方がどんな怪我をしても、私が治してあげるから。ユーリは、死なない。だから、ユーリは大丈夫。だから……だから」

 けれどその瞬間、ぐらりとローズの体が倒れた。


「ローズ様!? ローズ様、大丈夫ですか!?」

 意識がない。

 ローズの異変を前に、ユーリは慌てて彼女の肩を揺らした。けれどその手を、ユーリはギルバートに止められた。


「そう揺さぶるな。単に眠っているだけだ」

 妹が急に倒れたというのに、ギルバートは冷静だった。


「ローズはああ言ったが……光属性の使い過ぎは命を縮める。妹を早死させないでくれよ。ユーリ」

「ギルバート様……」


 子どもの割に大人びた口調や表情。

 兄が特別素晴らしいからだと羨望の目を向ける妹でさえ、いつも冷静に見つめるギルバートに、ユーリが違和感を感じることは何度もあった。

 けれど『賢王』レオンの生まれ変わりとされる第一王子が、大人たちから賞賛を受けている様を見て、特別な二人だからこそ、その地位に生まれたのだとも思っていた。

 次期国王の第一王子と、その補佐となるであろう公爵令息。

 二人を中心に、この国はまわっていくのたからと。

 だからレオンの言葉を、ユーリは否定はしなかった。

 ある日のことだ。

 訓練を終えて昼食をとっていたとき、レオンがこんなことを言った。


「僕がこの国の王となって国を守ろう。僕は優秀だからね。僕以上に相応しい人間は居ないだろう?」

「俺はこの目をこの国の為に使う。それが俺の役目だ」

「私も公爵令嬢として、お兄様と一緒にこの国の為に力を使います!」

「私は、騎士になって、この国を守ります」


 次期国王はレオン。

 ならば自分は騎士として、この国を守ろうとユーリは思った。


「僕としては、ローズが僕の王妃になってくれたら助かるなあ。僕が王様でギルが宰相で、ユーリが騎士団長。名案だとは思わない?」


 そこに幼馴染の中で唯一、リヒトの名前は存在しない。


「あっ。あの、兄上。ぼ、僕は……」

「リヒトは才能がないんだから、どこかの令嬢と結婚でもすべきなんじゃないかな? 良かったね。王族に生まれたおかげで選り取り見取り」

「そんな! 嫌です。僕だって、兄上たちと一緒がいいです!」

「――リヒト」


 そんな彼に、聞き分けのない子どもをなだめるように、彼の兄――レオンは言った。


「人にはね、向き不向きというものがあるんだよ。君は国王には向いていない。でも大丈夫。僕たち四人がいれば、この国は安泰だ」


 レオンの言葉は、それがリヒトにとって幸せなのだと、言い聞かせているかのようにユーリには聞こえた。


「君は、僕が守ってあげる」

「そうだな。お前は何も心配しなくていい。弟みたいなもんだしな」

「リヒト様、大丈夫ですよ」

「リヒト様は、この剣でお守りします」

「――……僕。僕、だって……」


 身分でいえば、到底釣り合うことのない相手。

 けれど弱くて小さな弟のようなその王子を、ユーリは見守ってきた。

 生まれたときから備わった、天命のような魔力ちからは、望んで得ることは難しい。


『お伽話じゃないこの世界では、どんなに思いをかけたとしても、どんなに努力を重ねても、それが形になってかえってくることのほうが、よほど少ないのです』


 ふと何故か、かつてのミリアの言葉がユーリの頭をよぎった。

 ユーリは首を振った。


 ――これで、いい。これでいいんだ。どうせ誰も認めてくれないなら、俺が強くなって、大切な人を守れば……。


 『平穏』な日々が続いた。

 その中に僅かに混じる違和感を、ユーリはいつも見ない振りをしていた。

 レオンやギルバート。

 優秀な彼らがいればこの国は大丈夫だと、誰もがそれだけを信じて生きていた。

 彼らが原因不明の長い眠りにつく日が来るなんて、思いもせずに。


「レオン様! ギルバート様!!」

「お兄様!! レオン様!!」


 ミリアとローズの声が響く。

 二人の悲鳴を聞いて駆けつけたユーリが目にしたのは、幼馴染の二人が倒れた姿だった。

 その日から、公爵邸から笑い声は消え失せた。

 花のように笑う少女は、どこか虚ろな目で窓の外を眺めるようになった。

 ミリアに導かれて外を歩いても、ローズに昔のような笑顔が戻ることはなかった。


「兄上たちはもう、目を覚まさないかもしれない。だけど、俺は傍に居る。ローズを一人にして、泣かせたりなんかしない。だから」


 幼い頃――彼らが眠りにつく前のリヒトは、自分のことを「僕」と言っていた。リヒトが「俺」といいだしたのは、彼らが眠りについた後。

 まるでローズが大好きだった、「ギルバート(あに)」の真似をするように。


「俺と、婚約してほしい」

「――はい」

 そしてリヒトの言葉に、ローズは久しぶりに、笑って頷いた。


 十年も前のこと。

 ユーリは落ち込んでいたローズに、どう声をかけるべきか悩んでいた。

 ローズのために花を買って、彼女に贈ろうとしたその日、ユーリは二人のやりとりを目撃した。 

 祝福の言葉は言えなかった。

 ただ二人の婚約を、誰もが落ちこぼれのリヒトを補佐するためのものだと言った。

 

「もともとは公爵の地位をギルバート様に、レオン様の王妃にローズ様をというお話でした。……けれどその二人がいらっしゃらない今、ローズ様の悲しみがどれほど深いか……」


 『お嬢様』を敬愛する従姉妹の言葉に、ユーリは何も言えなかった。


「あんまりです。魔法の使えない第二王子の補佐として、才能ある公爵令嬢であるローズ様を、なんて。……こんなこと、幼いローズ様には重荷でしかない」


 その言葉は事実だ。

 誰の目にも明らかだった。二人の婚約が、『契約』でしかないことくらい。


 黒髪に赤の瞳。強い魔力を持つ者の証。

 『ローズ・クロサイト』という少女に、『リヒト・クリスタロス』は釣り合わない。


 この世界で釣り合う者がいるとしたら、彼女と同じ赤い瞳を持つ者か、次期国王として期待されていた少年だけ。

 もしくは、それに準じるような――神の祝福を受けたと人が思うような、そんな特別な人間だけだ。


「『光の巫女』亡き今、神殿の石を使ってギルバートと様とレオン様の生命維持の魔法が使えるのはローズ様お一人でした。まだ幼いお嬢様が、どんな思いで魔法を使われたのかと思うと……失敗すれば二人が死んでしまうかもしれないなんて、そんな魔法を」


 ミリアは口を噤むユーリの手を取って、昔のように『先生』であるかのように言った。


「私は何があっても、ローズ様をお守りします。ユーリ、貴方も。今の自分に何が出来るか考えて行動しなさい」



「ここが、騎士団……。師匠の、剣の……」

 

 ミリアの言葉の翌日、ユーリは騎士団の門を叩いた。

 騎士団の入団試験。

 『二つ名』を持つ騎士との対決。対戦相手は、『地剣』と呼ばれる騎士だということだけ、ユーリは聞いていた。

 『地剣』は、自分より小さな子どものように見えた。

 けれどユーリは絶対に、手を抜くことは出来なかった。


 ――俺は、ここで上を目指す。


「はああああああっ!」


 跳躍する。

 ミリアがずっと、そうしていたように。

 強化魔法ではなく風魔法で、ユーリはミリアの剣をなぞった。

 そんな自分の姿を、『地剣かれ』が見上げているのが見えた。


「これで……終わりだ!!!」

 ユーリがそう叫んで剣を振り下ろせば、なぜか目の前の相手は、少し笑ったように見えた。


「――参りました」

 彼の声を合図に、観衆たちがわっと声を上げ、ユーリを歓迎する声が響いた。

 そんな中で、『地剣かれ』はユーリに手を差し出した。


「私は、ベアトリーチェ・ロッド。これからどうぞ、宜しくお願いします」

「まだ小さいのに強いんだな」 


 差し出された手はやはり小さくて、ユーリは思わずそう呟いていた。

 すると『ベアトリーチェ』が眼を瞬かせ、審判をしていた人間に告げられた言葉にユーリは顔を青褪めさせた。


「お前! 彼はお前より年上だぞ!」

「え? あ、え? も、申し訳ございません!」


 慌てて謝罪すると、ベアトリーチェは小さく笑った。


「いいですよ。どうか、そのままで」

 その声があまりに優しくて、ユーリは少し、どきりとした。不思議とその姿が、ミリアと重なって見えたから。


「これから、宜しくお願いします。セルジェスカ」

「……ユーリでいい」


 ミリアにはいつも、そう呼ばれている。

 ユーリがそう言えば、ベアトリーチェはどこか嬉しそうに笑った。


「そうですか。では私のことは、ビーチェと呼んでください」


 数日後、正式にベアトリーチェから『二つ名』を与えられ、ユーリは騎士として生きていくために、公爵邸を去ることになった。


「貴方は『天剣』です。私が、そうつけさせてもらいました。改めて、これから宜しくお願いします。ユーリ」


 また屋敷が静かになると、ユーリに声をかける者もいたが、ユーリは世話になった礼だけ述べて、屋敷を出ることにした。

「騎士団に入ります。今まで、お世話になりました」

 自分がそう告げた時のローズの顔を、ユーリはちゃんと見ることは出来なかった。


◇◆◇


「ここにいらっしゃったのですね」

「ああ、君か」


 ガラス張りの植物園。

 ローゼンティッヒは声をかけられて振り返ったが、すぐに元に見つめていた方向に視線を戻した。


「見てくれ。よく寝ている」

「……寝ているときは、本当に子供のようなのに」


 メイジスはそう言うと、長椅子で眠るベアトリ―チェに静かに毛布を掛けた。

 ベアトリーチェが少し前まで仕事をしていたであろう机には、赤い薔薇の花が一輪飾られている。


「――薔薇の騎士か」

 ローゼンティッヒは花を見て、懐かしいものを見るかのように眼を細めた。


「こいつはつくづく、薔薇に縁があるな」

 その声音はどこか暗い。


「……そうですね」

「なあ君、君に一つだけ、俺の秘密を教えよう」

「?」


 頷くことしか出来ないメイジスに、ローゼンティッヒは目を伏せて静かに言った。


「俺は、本当は――彼女が死ぬのを、知っていた」


「それ、は………」

 メイジスは、彼の告白に息をのんだ。

 そしてすぐ、彼は眠る子どもの方に目をやった。

 ベアトリーチェがすやすやと寝息を立てているのを見て、メイジスはほっと息を吐いた。


「でも、それでも……。俺は、薔薇の少女のことを話さなかった。それが、彼女の『運命』だったから」


 メイジスは、ローゼンティッヒを肯定も否定もしなかった。

 何故ならメイジスの魔法ちからもまた、喪失から生まれたものだったから。

 後悔は時に、人を強く突き動し、大きな力を与える。メイジスは、それを知っている。

 ただローゼンティッヒは、ベアトリーチェが悲しむことは望んでいるわけではない――メイジスはそう思った。

 だがたくさんの人間を助けるために必要だと判断すれば、ローゼンティッヒはそれを受け入れることのできる人間なのだろうとも、メイジスは思った。


「何かを手にするには、代償が必要だ。青い薔薇のために――精霊病から人々を守るためには、彼女は死なねばならなかった」


 完全な治療薬が完成してから、さほど時間は経っていない。

 けれど青い薔薇を使った未完成の薬は、病の進行を抑えるだけの効力は有していた。

 ジュテファーが命を取り留めたのも、未完成品の薬の効果のためだ。青い薔薇が無ければきっと、世界中で多くの死者が出たことだろう。 

 メイジスはローゼンティッヒの言葉を、黙って聞くことしか出来なかった。


 ベアトリーチェの『兄貴分』であり、彼の命の恩人――王妹であった『光の巫女』の子で、元騎士団長。

 魔法を持たないリヒトより、一〇年間ずっと眠っていたレオンより、王に相応しいと思わせるのは、その外見にも現れている。


 クリスタロス王国初代国王と同じ金色の髪。

 強い魔力を持つ証である赤の瞳。

 彼はその姿と能力故に、一〇年ほど前から人前に姿を見せるのを控えるようになった。

 そしてベアトリーチェが薬を完成させ、漸く肩の荷を下ろしたとき、ローゼンティッヒは正式に、騎士団の退団を申し出た。


「なあ、メイジス・アンクロット。君は俺を、残酷だと思うか?」


 ローゼンティッヒはそう言うと、自分を慕う幼い子どもを見下ろした。

 柔らかな茶色の髪に触れて、ローゼンティッヒは顔を歪めた。


「真実を隠す優しい嘘は、時に人の希望に変わる。青い薔薇のおかげで、あいつは『弟』を救い、自らの地位を盤石なものにした。赤い薔薇の少女を守ることが出来るのは、精霊晶を持つベアトリーチェだけだった」


 ティアの死がなければ、誰からも信頼される『今のベアトリーチェ』は存在しない。


「どんな時も、人が生きていくには希望が必要だ。たとえそれが、どんなに嘘にまみれたものであったとしても。その瞬間ときを生きぬくための希望ひかりは、常になくてはならない。人は今を信じなければ、前に進めはしない」


 眠るベアトリーチェの髪を手で優しく梳いて、ローゼンティッヒは苦笑いした。

 ベアトリーチェの外見は、彼が知る一〇年前とほとんど変わらない。

 だというのに、子どものような彼の肩にのしかかる責任は、この国の中でも重いに違いなかった。

 それは自分が、責任を放棄して彼を置いて国を出たことにも理由があることを、ローゼンティッヒは理解していた。

 けれどもし、時を戻して過去に戻れたとしても、自分は同じ選択をするだろうとローゼンティッヒは思った。


 ベアトリーチェのことを大切だと思う。

 愛しく思う。愛しているかと聞かれたら、そばにいてやりたいかと聞かれたら、自分は躊躇わずに頷くだろう。

 そうわかってはいるけれど、自分には彼以上に、優先すべきことがあることも、ローゼンティッヒは理解していた。

 それに、未来けつまつはすでに見えている。


 誰が何を行い、選択をすることが求められるのか――過程は見えずとも、自分が理想とする未来のために、行動することがローゼンティッヒには出来る。今の自分がこうすることが、『正解』だと知っている。

 そのためには――非道だと思われても、切り捨てなければならないものもあるのだ。

 その時だった。

 ローゼンティッヒの袖を、ベアトリーチェの小さな手が掴んだ。


「――……行かないで」


「ごめんな。ベアトリーチェ」

 ローゼンティッヒはそう言うと、優しく幼子の頭を撫でてから、ベアトリーチェの手をほどいた。そしてローゼンティッヒは立ち上がると、ベアトリーチェに背を向けた。


「……貴方は優しくて、残酷な方です」

 そんな彼の背に、メイジスが言った。


「いいんだ。俺は、どう思われようと」

 ローゼンティッヒはメイジスの声に足を止めたが、振り返ることはなかった。

 彼は扉の前にで立ち止まると、少しだけ寂しそうな顔をして、小さく笑った。


「こいつに一番相応しいのは、あの日からもう、俺じゃない」

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