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彼女は俺の、ヒーロー(だった)。③

「なんでそんなひどいこと言うの!?」

 ユーリは思わず叫んでいた。


「……ユーリ?」

 廊下の向こう側からやってくるユーリに気付いたミリアの父ヘンリーは、宥めるような声で言った。


「ミリアは昨日、街で力を使った。そう報告があってね」

「でもあれは……。あれは、俺のためにしてくれたんだ! それに、助けた女の人だって喜んでた。ミリアに『ありがとう』って、そう言ってたんだ。それなのに、なんでおじさんはそんなこと言うの!? なんで、なんで……? ミリアが、どうして強いことがいけないことなの!?」

「…………」

 ユーリの問いに、ヘンリーは何も言わなかった。


「やめなさい」

 代わりに、ミリアの冷たい声が響いた。


「でも、こんなのおかしいよ!」

「……やめなさい」

「ねえ……。ミリアも、本当はそう思うでしょう!?」

「ユーリ・セルジェスカ!」


 ミリアはユーリの頬を叩いた。

 乾いた音が響いて、ユーリは痛む頬に触れながら、目を潤ませてミリアに尋ねた。


「……なんで? ミリア……」

「申し訳ございません。お父様。これからは、人目に付かぬよう気をつけます」


 ユーリの問いには答えずに、ミリアは静かにヘンリーに頭を下げる。ユーリはわけがわからなかった。

 自分が怒られる理由わけも、ミリアが謝罪する理由わけも。


「ヘンリー」

 その時、グランの声が聞こえて、ユーリは目元をぐいっと拭った。師匠の前で、醜態を晒すわけには行かない。


「旦那様」

「おや。ユーリ、いいところに」

 ヘンリーがグランに向かって頭を下げる。グランはユーリを見つけると、ユーリの肩に手をのせて、ヘンリーにユーリを紹介した。


「実は彼も一緒に来てもらうことにしたんだ。彼には剣の才能がある。王都に戻ったら、孫に剣の稽古をつける予定だ。彼にも一緒に教えたいと思っている」


 グランに認められることは誇らしいことのはずなのに、ユーリは居心地が悪かった。


「――ミリア。今日はもう、部屋に戻りなさい」

「かしこまりました」

「ユーリ。君も一緒に話を……」


 グランがユーリに手を差し出し、ミリアは三人に背を向ける。

 ユーリはグランの手は取らず、部屋へと向かうミリアを追いかけた。


「待って! 待ってよ! ミリア!」

 けれど彼女が、足を止めることはなかった。


「なんで言い返さないんだ! おじさんは、ミリアにいっぱいひどいこと言ったのに!」

「……戻りなさい。貴方はお父様たちと、お話があるでしょう」

「嫌だ! だってそんな顔してるミリア、一人になんて出来ないよ!」

「……ユーリ。貴方は、何もわかっていない」


 ミリアはそう言うと、足を止めて振り向いた。


「お伽話じゃないこの世界では、どんなに思いをかけたとしても、どんなに努力を重ねても、それが形になってかえってくることのほうが、よほど少ないのです」


「ミリア……?」

「ついてきなさい」

 それからユーリの手を取ると、二人がいつも練習を重ねた裏庭に、ミリアはユーリを引っ張った。


「ユーリ・セルジェスカ。剣を取りなさい」

 ミリアはそう言うと、いつものように短剣を取り出した。

「貴方には素質がある。貴方なら、きっと認められる」


 わずかに揺れるミリアの瞳。

 ユーリはミリアに言われたように、長剣を手に取った。

 ミリアの魔法は強化魔法。ユーリの魔法は風魔法。

 加速と空中戦を得意とするユーリとは違い、強化魔法使いのミリアの攻撃をユーリが避けると、その場所にはくぼみのようなものが出来ていた。

 圧倒的な『力』の魔法。

 それは彼女の実力を、強化させただけに過ぎない。ゼロに何をかけてもゼロのままだ。その力の源は、ミリア自身の才覚なのだ。

 ユーリは彼女の剣を受け止めて、その能力の高さに唇を噛んだ。


 ――本当は、知っている。もしミリアが男の子だったら、騎士にだってなれた。いいや、違う。騎士だけじゃない。ミリアは頭がいいから、何にだってなれた。でも、駄目だ。駄目なんだ。今じゃ、この国じゃ。ミリアは公爵家に仕える家の子供だから。そして、何よりも――女性の強さを嫌う今のこの国では、ミリアの強さは認められない。


 ユーリは街でひったくりを捕まえたとき。観衆たちがミリアを見て口にしていた言葉を、ユーリは思い出した。


『身なりは良さそうだが、強化魔法の使い手では、嫁の貰い手もあるかどうか……』

『見たか? さっきの女。怖い怖い。浮気でもすれば殺されかねないな』


 ユーリはミリアに勝てない。けれどグランに認められたのはユーリだけだった。

 自分が得た立場は、本当は正当な評価でない気がして、ユーリは何故か悲しくてたまらなかった。


 ――才能も、努力も。本当は自分ではない他の誰かのほうが、相応しいような気がして。


「……ッ!」

 そんなことをしているうちに、ユーリはいつの間にかミリアに剣を奪われ、地面に押さえつけられていた。

 長剣は弾かれ、終わりを告げるかのように地面に刺さる。


「――男である、貴方なら」


 ミリアが振り下ろした短剣は、ユーリの頬を僅かにかすめた。

 じわじわと鈍い痛みがユーリの中に生まれる。けれどその時、ユーリは自分よりも、ミリアのほうがずっと、強い痛みを抱えているように見えた。

 乱れた髪のせいで、ミリアの表情が見えない。けれどその姿を見て、ユーリは胸が締め付けられた。

 

 ――ミリアはずっと、俺のヒーローだった。でも、この世界は。誰も、俺のヒーローを認めてはくれなかった。



「さあ、出発だ!」

 グランの声を合図に、公爵家の紋章の入った馬車が動き出す。

 ミリアと同じ馬車に乗ることになったユーリは、彼女にどう話しかけていいかわからなかった。


「あの、ミリア……俺さ……」

「『私』」

「え?」

「これからは自分のことは、『私』というようにしなさい。自分の目上の人間の前では」

「わ、わたし……?」


 しかし話しかけようとして、分厚い本を差し出され、ユーリは狼狽えた。


「王都につく前に、この本を全部読んで覚えてください」

「――え?」

「え、じゃありません。王都のお屋敷の方々に会うのに、その言葉遣いはありません。時と場合、身分にあった言葉を使わなければ、大人とは呼べません」


「え……? あの、ミリア……?」


 ――まさか、馬車の中でも勉強をしろと!?


 ユーリは目を丸くした。

 感傷的な彼女はどこへやら。

 『先生』の顔をしたミリアの表情に、ユーリは嫌な予感がした。


「まさか私の従兄弟が、敬語も使えないなんて醜態を晒すはずはありませんね?」

「……お、鬼~~~~ッ!」

 


「ここが、王都……」

「田舎から来たのが丸わかりです。ユーリ」  


 王都の門をくぐったとき、初めて見える風景に、ユーリは興奮で窓から離れることができなかった。


「みてみて! ミリア、凄い! 花がいっぱい飾られてる! あれは何?」


 その中でも、ユーリが特に気になったのは、花に囲まれた純白の建物だった。

 どことなく自分の生家に似たものを感じユーリが指させば、ミリアが読んでいた本を閉じて答えた。


「あそこは王都の神殿です。近々光の祭典が行われます。その準備で、王都は賑わっているのです」

「光の祭典?」


 そういえば毎年春になると、父たちがそんな言葉を口にしていた気がする。

 ユーリが首を傾げれば、ミリアは呆れたという顔をした。


「簡単に言うと、魔物から国を守る結界をはる儀式です。年に一度、神殿の巫女が結界の貼り直しを行うのです」

「巫女って?」


「我が国の今の巫女は、国王陛下の妹君――『光の巫女』と呼ばれるお方です。歴代の巫女の中でも、最も優れた力を持つとも噂されている方です。あらゆる未来を見通す力を持つとされ、その力は『先見の神子』に匹敵すると言われています」


「ごめん。ミリア。あの……先見の神子? って、誰?」

「千年以上の昔から度々歴史書に登場する、この世界で最も強い光属性の魔法を使える方のことです。本来人は生まれ変わるときに前世の記憶を忘れるものですが、その方は自分の前世の記憶を、全て引き継いでいらっしゃるということです」

 

「なにそれ! かっこいい!!」

 ユーリは前のめりになって叫んだ。


「……かっこいい?」

 ユーリの反応にミリアは首を傾げた。


「だって、生まれる前からなんでも知ってるってことなら、勉強も何もしなくて良さそうだし、俺何でも知ってるんだぜ〜〜って自慢できる!」 

「どれだけ貴方は勉強が嫌いなんですか。……全く」

 ユーリが目を輝かせると、ミリアは深くため息を吐いた。

「だって……」


「……一生分の思いを抱えて生きていくのでも大変なのに、前世の記憶まで抱えることが、いいことのわけがないじゃないでしょう? それにもし大切な人がいたとしても、二度と会えないんですよ?」


 両親やミリアや師匠。ユーリは生まれたときから、大切な人がいない世界を思い浮かべた。それだけで、胸が痛かった。


「う……。それは、嫌だ……」

 顔を顰めてユーリが脱力してそう漏らすと、ミリアは苦笑いした。

 

 王都についた夜。

 ユーリはまた不思議な夢を見た。

 夢の中の風景は、王都の景色とよく似ているようにも、違うようにも思えた。


『何をしているんだ?』

『本を読んでいたんだ』

 夢の中で、茶色の髪をした女性は、樹の下で本を読んでいた。


『本?』

『そう。兄上が、書かれた本』

 彼女はそう言うと、こちらに向かって本を差し出した。

 表紙に人形と花の描かれたその本は、彼女には不似合いだった。


『こんな子供向けの本をわざわざ作るなんて。――兄上は、昔から何を考えているのか時々わからない』

『あの方は、特別な方だから。俺たちにはわからないことが、沢山あるんだろう』

『……そうかもしれない』


 どこか少年のような、そんな荒さを残す。その声を、何故か懐かしいとユーリは思った。


『兄上は、遠い未来を知っている。それは時に、兄上を不幸にすることだろう。誰一人として、兄上と同じ世界を見ることはできない。同じ目線で世界を見つめることを、共に生きることだというのなら――それはとても悲しいことだと私は思う。生きているというのに、誰とも心をかわせない。だからせめて、私は兄上が描く物語を、ちゃんと知っておきたいと思う。たとえ同じ目線で世界を見ることはできなくても、せめてそうあることを望む人間がいることを、私は兄上に知ってほしい』


 彼女には兄がいるらしかった。


『でも、こうも思う。もし兄上と同じ目線で世界を見つめられるものがいるとするなら――それは兄上が見た未来を、変えることができる人間かもしれない』

『未来?』

『そう。決められた未来を、【運命】を打ち砕く――そんな力を持つ人が現れたなら、その人はきっと兄上にとって、【運命の人】になり得る人だ』

『運命の、人――……』


 夢の場面が移り変わる。


『おぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃあ!』

 明るい子供の声が響いて、ユーリは少し困惑した。


『母子ともに健康ですよ』

『ほら。ユーリと、私の子どもだ』

 そしてあの茶髪の女性が、小さな赤子を抱いて自分の名を口にしたとき、ユーリは跳ね起きた。


「何? 今の、夢…………?」

 

 ユーリの父や母は光属性の魔法に適性を持っている。

 だからこそユーリは、同じ属性に適性があるのではと言われて育った。

 そして光属性に適性がある人間は、時折『予知夢』をみることがあることを、ユーリは両親から聞いたことがあった。


 ――もしかして、もしかして……?


 ユーリは、とある可能性に気付いて頬を染めた。


 ―――つまり俺はいつかあの子―――じゃない。あの女性と結婚するってことなのか!? もしかして俺、風属性だけじゃなくて光属性も使えて未来が見えるとか!?  有り余る才能――……もしかしたら、俺って天才?


「つまり夢の中の女の子が俺の『運命』の人!」


 言葉遣いは少し乱暴そうな感じはしたが可愛かった気がするし、もし出会えたら絶対に声を掛けよう。

 ユーリはそう、心に誓った。


『ユーリ』


 高鳴る心臓の鼓動に気づかないふりをして、ユーリは布団を被った。

 少しだけ布団から顔を出して窓を見ると、窓の外には月が浮かんでいて、夜の暗い闇の中、ちらほらと雪が降っているように見えた。

 しかし、雪では季節が合わない。

 窓を開けてよく見ると、それは無数の花びらで、それがまるで雪のように、王都に降りそそいでいた。

 幻想的な光景。

 けれど夜の外気はまだ肌寒く、ユーリは窓を締めて再び布団にくるまった。

 彼女の声を思い出すだけで、心臓がどきどきした。


 ――君に、俺の名前を呼んでほしい。君が笑ってくれると嬉しい。君が幸せなら、それだけで、俺はきっと幸せだから。


 会ったことなんてないはずなのに、彼女を思い浮かべると、そんな感情が心に浮かんだ。

「いつか……会えるかな……?」

 星の流れない月の輝く晩に、ユーリは彼女との出会いを願った。



「はじめまして。私は、ユーリ・セルジェスカと申します」


 ――なんで俺が、『私』なんて使わなきゃなんないんだ……!


 グランが用意した服に身を包み、ユーリは、公爵邸を訪れた。

 ミリアの指導通りの言葉遣いは、まだ慣れてはおらずぎこちない。


「貴方が、ユーリ?」


 ――え? この、声――……。


 どこかで聞き覚えのある声に、ユーリは思わず目を瞬かせた。

 そうしてその声の主を見て、ユーリは自分の心臓が跳ねるのを感じた。


「はじめまして。私は、ローズ・クロサイト、です。貴方は、お祖父様の弟子なんですよね? 私、貴方に会えてうれしい!」


『ユーリ』

 夢の中の女の子は、茶色の髪だった。

 目の前の少女は黒髪で、赤い瞳。ドレスを着ていて、勿論軍服なんて着ていない。言葉だって丁寧だ。

 なのに。

 『似ている』と、何故か思った。


「ローズ。ユーリが固まってる」

「お兄様」

「悪かったな。俺はギルバート・クロサイト」 


 ローズの後ろから現れたのは、自分よりも年下のはずなのに、堂々とした少年だった。


「ユーリって、呼んでもいいか?」

「ああ、うん。勿論――って、っったあっ!」


 ギルバートの砕けた言葉遣いにつられユーリが言葉を崩すと、ユーリはミリアに足をふまれた上にギロリとにらまれ、慌てて訂正した。


「……です」

 

 足が痛い。

 痛みをこらえながら涙目で小さく言うと、ギルバートは大笑いした。


「あはははっ! ユーリは面白いな。まあいい。早速だが、屋敷の中を案内しよう」

「お兄さま……」

 ユーリがギルバートに言われるまま、彼のあとをついていくと、残されたローズが悲しげな声で兄を呼んだ。


「ローズもついてこい」

「はい! お兄さま!」

 その一言で、ローズの表情がぱっと明るくなる。

 ユーリはなんだが温かい気持ちになった。彼女が兄を思う気持ちが、手に取るようにわかるようで。


「ローズ様は、ギルバート様がお好きなんですね」

「お兄様は、強くて、賢くて、頭も良くてかっこいいのです!」

「あははは……」


 賢いと頭がいいがダブっている。

 『兄のことが大好きで、少し天然な公爵令嬢』それがユーリが幼い頃抱いていた、ローズに対する印象だった。


 ギルバートは、屋敷の中の図書室もユーリに案内した。


「ここにある本は好きに読んでいい。俺はもう全部頭に入っているから」

「全部!?」


 ユーリは思わず声を上げた。

 自分より年下のはずなのに、どれだけギルバートは優秀だというのか。

 

「お兄様は、何でもご存知なのです! 先生も、お兄様にはもう教えることは何もないっておっしゃったのです!」


 驚くユーリに、目を輝かせてローズが言う。


 ――そういえば夢の中のあの子も、兄を慕っていたっけ。


 そう思って、ユーリは頭を振った。


 ――違う。目の前の少女と、彼女は別人だ。

 ユーリは心のなかで言い聞かせた。そしてミリアから講義を受けてきたユーリ自身、たしかにそう思っていた。

 何故なら夢の中の少女の髪は茶色で、どこにでもいるような平凡な色で、ローズは黒髪に赤い瞳――特別な色を、その身に宿しているのだから。


「ミリア・アルグノーベン」

「はい」

「君には俺の手伝いをと父上は言っていたが……ローズの面倒を君には頼めるだろうか?」

「私がお嬢様を、ですか?」


 アルグノーベン家の長女であるミリアは、元々ギルバート付きになるはずだった。

 主人となるべき相手の言葉に、ミリアは目を瞬かせた。

 驚いていたのはもう一人。


「え!? ではこれからは、もうお兄様は私と遊んでくださらないのですか!? 私、お兄様のご迷惑になっていましたか……?」

「……迷惑、というわけじゃない。だが俺は、いつまでもお前と一緒にいることはできないからな」

「そんな…………」


 ギルバートの言葉に、一番悲しんでいたのはローズだった。


「俺はお祖父様から、そこにいるユーリと一緒に剣をならうよう言われてるんだ」

「え……? お兄様が、剣を!?」

 しかし次の瞬間、兄が口にした言葉によって、ローズの顔色は一瞬で明るくなった。


「楽しみです!」

「そうか」

「お兄さま。お兄さま」


 雛鳥が卵の殻を破って、初めて目にしたものを親と思うかのように――ローズは兄であるギルバートの後ろを、いつもついて回っていた。


 ローズの言うように、ギルバートの優秀さは、数日ともに過ごしただけでもユーリにもよくわかった。


「ギルバート様って、すごく頭が良いんだな。俺が知っている中ではミリアの次だ」

「いえ、でも、あれは――……」


 けれどユーリがそういえば、ミリアは眉間にシワを寄せ、何か考えるような素振りをした。


「? ミリアはそうは思わないの?」

「……いえ。私の勘違いしれませんし、どうか貴方は気にしないでください」


 当時のローズの世界は、兄を中心に回っていた。

 レオンとリヒト。

 年の近い二人の王子が一緒でも、ローズが見ていたのは、兄であるギルバートのようにユーリには見えた。

 

 ある日のことだった。

 ギルバートの姿が見えないと、ローズがユーリの部屋を訪れたことがあった。

 ローズはギルバートを探すのを手伝ってほしいとユーリに言って、ユーリはその願いを受け入れた。

 その途中、ユーリはミリアに出会い、少しの間だけユーリはローズから目を離した。


「ユーリ・セルジェスカ。お嬢様を連れ出して、どこに行ったと思えば――ここには入るなと言われていたでしょう?」

「でも、ローズ様が行きたいって」

「お嬢様の言葉をそのまま受けるものではありません。貴方のほうが歳上なのに」

「――え?」


 ガミガミと怒られて、ユーリは耳を塞いだ。

 そんな時だった。

 当時建築途中だった屋敷の中に入ったローズめがけて、瓦礫が落ちるのがユーリには見えた。


「お嬢様!」


 ミリアの悲鳴が聞こえたかと思うと、どこからともなく現れたギルバートが、冷静な声で言った。


「やはり、こうなったか」


 ユーリは耳を疑った。

 ――この方は、ローズ様に普段あんなに慕われているのに、どうしてこんなに冷静でいられるんだ!?

 そう思ったからこそ、ユーリはギルバートに対して声を荒げた。


「どうして平然としてるんですか! 妹が、ローズ様があんなことになってるのに……!」

「どうしようもないんだ」


 その声はユーリには、何故か泣いているかのようにも聞こえた。


「ここで、また終わる。――やっと全てが、揃ったと思ったのに。今度こそ……やり直せると、思ったのに」

「終わる……?」

「運命は、変えられない」


 全てを諦めたかのような声だった。

 もう何度も、同じ物語を繰り返して――何度も絶望を見たような。

 しかしその瞬間、瓦礫の中から、ローズを抱いたミリアが現れた。


「――ミリア! ローズ様!」


 ユーリは二人の無事を見て安堵した。

 そしてユーリは二人から、目をそらすことが出来なかった。

 傷だらけのミリアの手を、幼いローズの手が包む。

 そしてローズは、まるで小さな薔薇の花のように、美しく微笑んだ。


「私を、助けてくれてありがとう。貴方の手は、人を守ることが出来る手なのね」


 ローズの言葉に、ミリアの瞳が大きく開かれる。

 その瞳は僅かに揺れて、それでもミリアは涙をこぼすことはなく、目を細めて微笑んだ。

 その時からだった。

 小さな『お嬢様』を見つめるミリアの瞳に、主君にのためなら命をなげうつ覚悟のある騎士でもあるかのように、尊敬と忠誠の色が宿るようになったのは。


『私はこの力で、人を守りたいんです』


 大切な人に、自分が掛けることの出来なかった言葉。

 ローズが何気なく口にしたその言葉は、ミリアが心の底から、ずっと求めていた言葉のようにユーリには思えた。


 そしてその時、ユーリは自分の隣でもう一人、大きく目を見開いて、二人を見つめる少年に気がついた。

 自分より年下のはずの少年は、自身より年上であるはずのミリアより、落ち着いた声音でこう呟いた。


「まさか……いや、そうか。運命を打ち破る者に、強化の魔法は与えられる……」


 ユーリは目を瞬かせた。

 なぜならずっと探していた宝物を漸く見つけたとでもいうように――次期公爵であるはずのその人が、真っ直ぐに自分の従姉妹を見つめていたから。


「見つけた。俺の――『運命』」



「ミリア。――君が、僕の『運命』なんだ」

「申し訳ございません。このようなものを、私は受け取ることは出来ません」


 その日からというもの、ギルバートはミリアに好意を示すようになった。

 ユーリやギルバート共に剣を習っていたレオンは、対応に困るミリアに対し、どこか冷めた声で言った。


「最近ギルは、君にご執心だね」


 まるで観察するような目をレオンに向けられる度、ミリアは居心地が悪そうに表情を曇らせた。


「ユーリ、ユーリ」

 レオンと共に公爵邸を訪れていた幼いリヒトはユーリによく懐いていた。


「なんでしょう? リヒト様」

「これ、お花。ユーリにあげる!」


 それは、白い綿毛のたんぽぽだった。


「たんぽぽ?」

「うん! ここに来る途中、見つけたんだ。白と黄色でユーリみたいだったから」

「わざわざ馬車を止めてまでつんだものだから、受け取ってもらえると助かるよ」


 ユーリが受け取るべきか困っていると、レオンに早く受け取るよう言われて、ユーリは白い綿毛の花を受け取った。


「ありがとうございます。リヒト様」

「どういたしまして!」

 元気よくリヒトは笑う。


「ユーリ、その花は?」

 しかしローズに後ろから声をかけられ、ユーリが驚いた矢先、風が起きて綿毛は空に舞い上がってしまった。


「ローズが壊した!」

「すいません。でもこれは、もともとこういうものでしょう?」

 ローズはそう言うと、綿毛にふうっと息を吹きかけた。

「ほら。風が、種を運ぶんです」

「種?」

 ローズの言葉に、リヒトが首を傾げる。


「これは花自体が、種の集まりなんですよ」

「風が運ぶの?」

 ローズは静かに頷く。するとリヒトは、きらきらと目を輝かせた。


「ユーリと一緒ですごい!」

「凄い?」

 ユーリは首を傾げた。


「ギル兄上が、風は見えないけど、ずっと近くにいて僕たちを守ってくれるんだよって言ってたんだ。だから風は、そういう優しい人のための魔法なんだよって」


 リヒトはそう言うと、その名のように、たいようのような笑みを浮かべた。


「だから、凄い」

「ありがとうございます」

 ユーリはリヒトに褒められて、目を細めて微笑んだ。



「ユーリ、手を出しなさい」

「これ……」

「受け取っておきなさい」


 それから少しして、ユーリはミリアから耳飾りを受け取った。


「この石って、まさか、おばさんの……」


 ユーリは目を瞬かせた。

 ミリアの母は、数年前に亡くなっている。耳飾りは、生前彼女がよく身に着けていたものだった。


「ええ。でも私には似合いませんし。この石は、貴方の瞳と同じ色。きっと母も、貴方が身につけることを望んでくれることでしょう」


 ユーリは生前、もし息子を授かることが出来たなら、ユーリのような子どもが欲しかったと言われていた。

 そんなユーリに、いつか彼女は耳飾りをあげようとは言っていたが、所詮それは口約束だとユーリは思っていた。


『ミリアはね、頑張りすぎてしまうところがあるの。だから笑うことも苦手なの。でもユーリ君といるときは、なんだかあの子、お姉さんっていう感じで、とても可愛いの』


 そして腕輪はミリアに、耳飾りはユーリに、指輪は夫であるヘンリーに。彼女の遺産は分けられた。


「……ありがとう。大事にする」


 魔法を使う石は、高価だ。

 ユーリの両親がユーリに渡してくれた首飾りは、風魔法を使う自分には、合わないようにも感じていた。

 瞳と同じ色をした、小さめの石のあしらわれた耳飾り。

 ユーリが母の耳飾りを身につけると、ミリアは満足そうに微笑んだ。


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