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君の見せる夢の景色を

「最後の決闘だ。剣をとれ。ベアトリーチェ・ロッド」

「……」


 最後の決闘。

 その意味を理解して、ベアトリーチェは青い薔薇の刻まれた剣に触れた。

 剣に嵌められた石には触れない。彼は魔法を発動させず、強く剣を握りしめた。


「いいだろう。暇つぶしに君に相手をしてやる。騎士団副団長の実力とやらを、俺に見せてくれ」


 ロイは魔法を使わないベアトリーチェを嘲笑った。

 ロイもまた剣を構える。すべての属性を備えた、精霊晶には触れずに。

 激しい剣撃が繰り広げられる。

 一方的なロイの攻撃を、ベアトリーチェは表情一つ変えずに受け流してた。


「……流石、副団長の名は捨てたものではないな」


 額に汗を滲ませる。ロイはそう言ってまた笑った。

 一方、ベアトリーチェは汗ひとつかいていなかった。日頃の修練の賜物だ。


「貴方に幾つか質問してもよろしいですか?」

 汗を拭うロイに、ベアトリーチェは静かに尋ねた。


「貴方がこの国に来たのは、本当にローズ様に求婚するためですか?」

「ああそうだ」

「しかし貴方は仰った。鍵が必要だと。確かに大国の王である貴方なら、その利用価値は理解されているでしょう。しかしだからといって、それならそうと、直接この国を脅せばよかっただけのこと。貴方はそれをなさらなかった」


「……」

「しかも貴方は、レオン様よりリヒト様を気にかけられていた。何故です? 傀儡にしやすいだけでいいなら、貴方の力量なら、レオン様のほうがむしろ御しやすいと思われるでしょうに」


 ベアトリーチェの問いに、ロイは答えない。

 ベアトリーチェは言葉を続ける。


「私との接触禁止の期間中、貴方はローズ様に手を出した。それにより、目をかけていたはずのリヒト様も貴方に敵意を向けた。傀儡にしたいだけと言うなら、両方の王子に敵意を抱かせるなんて馬鹿な真似、なさるはずはないのに。……それに」


 ベアトリーチェはロイに切っ先を向けた。


「貴方は何故あの時、ローズ様の手を取らなかったのですか? 国をあけてまで、わざわざローズ様のためにこの国に来られたという貴方が」

「たまたまだ。それに、結局彼女のことは君が助けただろう。問題はない。ローズ嬢は俺が連れて帰る。彼女は、俺の国に必要な存在だ」

「ローズ様を貴方が望むのは国の為である。貴方は、そう仰りたいわけですね。しかし貴方の行動は、本当にそれだけですか? ――貴方の心は、一体どこにあるのです?」


 ベアトリーチェの声は冷ややかだった。


「ならば私は、貴方を試させていただく」

「何?」

 目を細めたロイの前で、ベアトリーチェは素早く行動をうつした。


「人のものに手を出すということは、こういうことです」


 ベアトリーチェの剣が飛ぶ。

 ロイは行動の意味が分からなかったが、剣の先に居る人物に気付いて、強く地面を蹴った。


「……っ!」


 ベアトリーチェが放った土の剣は、ロイの体にぶつかって砕け散った。

 本物の剣ではないから、体までは貫かない。ただその衝撃に、ロイの顔が苦痛にゆがむ。

 決闘の相手と、それを観戦する者たちの間に設けられた結界の向こうで、小さな少女は痛みに耐える主君を、目を丸くして見上げていた。


「おう、さま……?」

 そう。ベアトリーチェは剣を投げたのだ。

 彼の後方に居た、壁の向こうの少女シャルルに向かって。


「……おうさま? おうさま! おうさま!」


 泣きだしそうな声で何度も自分を呼ぶ、

いつもは表情を変えない子どもの姿を見て、ロイは口元を緩めた。

 体が痛い。頭がぐらぐらする。でも――この子が、無事でよかった。

 そう思ってしまった自分に、ロイは痛みのせいではなく涙が零れそうだった。


「はは……。そういえば……ここは安全、だった……な」

「おうさま!」

「戦いの最中に敵に背を向けるのは、最も愚かな行為です」


 自嘲するロイの背後で、ベアトリーチェは静かに言った。


「貴方は人が見えていない。それは、自分自身でさえも。命を尊ぶ私が、簡単に人を害するわけがないでしょう? ――牢獄よ。力無き愚か者を、の者を捕らえよ」


 ベアトリーチェは服の下に隠していた腕輪で魔法を放った。

 地属性の魔法、牢獄の魔法。

 土の壁に囲まれた人間は、一時的に呼吸が出来なくなり意識を失う。

 ただこの魔法は、本来魔法を使えるものであれば、無効化が可能だ。

 魔法を持たぬ者。魔法を使えない者。その相手にだけ使う魔法。

 しかし土の牢獄は、ロイの体を包み込んだ。

 ロイ・グラナトゥムは、もう魔法を使わなかった。


◇◆◇


「目が覚めたか」


 ロイが目を覚ますと、そばにはリヒトがいた。

 ベッドのすぐ横に椅子を持ってきて、本を読んでいたリヒトは本を閉じると、じっとロイの顔を見た。


「ローズ放って二度も庇う相手が居て、なんでローズに求婚なんかしてるんだよ」

「……何故、君がここに」

「お前にローズを近付けるわけにはいかないからな。一番無害ってことで俺が選ばれた」


 さらりと告げられた理由に、ロイは自分が何故ここにいるかを思い出した。


「俺は、負けたのか?」

「そりゃあ、戦ってる最中によそ見してれば、強くても負けるだろ」


 リヒトは呆れ声だった。


「なあ。お前がこの国に来たの、ローズの為だけじゃないって感じがするのは気のせいか?」

「君は馬鹿なのか勘が良いのか」


 リヒトの問いにロイは苦笑いした。ベッドの上で、ロイは天井を見上げて目を瞑った。


「俺は、箱を開ける鍵が欲しかった」

「箱?」

「そう。この国に来たのは、そのためだ。俺は鍵が欲しかった。この箱を開ける、な」


 ロイは体に残る痛みに顔を歪めながら上体を起こした。ベッドの横には小さな棚があり、そこにはロイには不似合いな小箱が一つ置かれていた。


「大事なものなのか?」

「――馬鹿な俺の母上が、俺に残した箱だ。開けられない箱を残すなんて、酔狂にもほどがある。ただ、どうしても中が気になって。鍵さえあれば、この箱を開けることが出来ると、そう思っていたんだが……。……どうやらそれは、叶わないようだ」

「……」


 ロイはそう言うと、静かに目を細めた。

 その様子を見て、リヒトは複雑な気持ちになった。

 たとえロイが自分たちを傷つけた相手であっても、リヒトはロイの不幸は願えなかった。 


「リヒト様、入ります」

「ローズ……」

 沈黙を破ったのは、ローズが扉を叩いた音だった。


「――ロイ・グラナトゥム様」

 部屋に入ってきたローズは、小箱を見て顔を顰めた。


「失礼かとは思いましたが、話は聞かせていただきました。何故最初から、そう仰らなかったのです?」

「……」

 ローズの問いに、ロイはこたえなかった。


「理由があるなら、仰って下されば……。ただこれを使っても、貴方の願いは叶わないと思いますが」

 ローズは、ロイが抱く小箱の魔封じに指輪を押し当てた。

 けれど。


「鍵が、開かない……?」

「当たり前です。鍵を開けるには、式と魔力両方が必要なんですから」

「……だったら俺は、何のために。まあこの世界など、所詮このようなものか」


 ローズの方を見て何か言おうとしたロイは、すぐに自分の手に視線をうつした。

 ロイの手は大きい。けれど彼は最後に母が遺した小さな箱ですら、開けることができなかった。


「――願いは、いつだって叶わない」

「……」

「……」


 まるで自分自身に言い聞かせるように呟かれた言葉を聞いて、ローズとリヒトは何も言えなかった。


「この箱の話を……俺の母上の話を、少ししてもいいだろうか」

「……ああ」

 ロイの言葉に、リヒトは頷く。

「俺の母上は、俺を嫌っていた」

 彼はまず、そう呟いた。


「何度もひどい言葉をはかれた。父と同じ髪の色。そして自分の赤い瞳。二人の要素を持つ俺が、憎くてたまらなかったんだろう。でも最後に、あの人は俺の手を握って言った。ごめんなさい、と。……何度も何度も、謝るみたいに。母上はどうやら結婚したくて結婚したわけじゃなかったらしかった。けれど、その瞳が赤かったことから王の妃候補に選ばれ、初対面の父に結婚を申し込まれたらしい。彼女は平民だった。遠い異国の国の出で、もとは踊り子だったと聞いている。しかし魔力はすこぶる高い。父上に見初められた母上は国に一人残され、二人は結婚して俺が生まれた」


 異国を巡業する旅の劇団。ロイの母親は、その一人だった。


「違う国に、見知らぬ国に一人残される。母上にとって、国というものは厭わしかったに違いない。しかし父上を思えば、母上のことばかりはいえない。国の為に生きる。血を繋ぐこと。それがこの世界の王族の義務だ。恋愛結婚なんて許されない。だから父上は正しかった。俺はそう思っている。だが、同時に愚かしい。そして道理を理解せず、子に当たった母上も。この世界はくだらない。俺はそう思っていた。……俺は、母上が嫌いだった。今の自分の立場を理解せず、次期国王である俺を罵倒する、あの人は愚かな人だと思っていた。こんな親から自分が生まれてきたのだと思うと、自分に流れる血が嫌になった。……しかし、何故だろうな。俺を毛嫌いしていたはずのあの人が、なぜか死の直前、俺を呼び出して箱を渡した。俺に、これを持っていてほしいと。開かない箱を渡すなんて馬鹿だろう? 本当に、愚かしいとしか言えない」


 馬鹿だ愚かだとは言いながら、彼の声は完全には両親を否定できてはいなかった。

 自分を厭う産みの親。

 たとえその存在が、自分を傷つける存在であったとしても、人は簡単に希望を捨てることはできない。

 自分が産まれた理由。

 自分が望まれた存在だったと思いたいと願う心は、人が誰かの子どもである限り、必ず生まれてつきまとう。


「だから俺は、君が気に食わなかった。立場を忘れて、夢のような世界を生きる君が、憎らしくてたまらなかった」


 今ならローズには、ロイがなぜ自分に辛く当たったのか、わかるような気がした。

 地属性を持つローズは、望まれて産まれたのだという自負があった。恋愛結婚の公爵家。父と母が愛し合って、自分という人間は産まれたのだという確信が、ずっとローズの中にはあった。

 だからローズも、心のどこかで願っていた。

 自分がいつか大きくなったら、本当に好きな相手と結ばれることを。

 だとしたら、自分のその思いは、その瞳は――感情を映さない彼の瞳には、どのように見えていたのだろう?


「すまない。この国に来て――俺は随分、君を傷付けてしまったな」


 ロイはローズに謝罪した。

 ローズを見る彼の瞳が、眩しいものでもみたかのように細められる。ロイのその視線、ローズは心が揺らぐのを感じた。

 痛かった。苦しかった。この人に、出会いたくなかった。

 ――でも。

 それ以上に傷ついているように見える目の前の相手を、ローズは責めることはできなかった。


「……確かに私は、今まで貴方と接していい思いをしたとは言い難いです。でも、そういう理由があったのなら、私は貴方にこれ以上言わないことにします。――私自身、自分について思う点はありますし」

「……」


 てっきり殴られるくらいはするかと思っていたロイは、拍子抜けで目を瞬かせた。

 ただ、怒りをこらえるように震える彼女の手を見て、彼はもう一度、自分の行いを反省した。

 

「箱についてですが、確か祖父は、貴方の母君にお会いしたことがある筈です」

 ローズはロイの抱く箱を見て、思い出したように呟いた。


「じゃあ、足りないのは式ということか……?」

「おそらくは」

「……それじゃあ、箱はあけられないな」

 ロイは悲しげに箱を見つめた。


「あの」

「……何か文献は残っていないのですか?」

 ローズはロイに尋ねた。

 解呪の式さえあれば、なんとかなると思って。


「なあ」

「もともと母上がグラナトゥムに来られた時から持っていらした箱らしくて、情報が無いんだ」

「……そうですか」


 けれどロイのこたえをきいて、ローズは肩を落とした。

 彼の力になれたらと思ったが、自分では力不足だ。


「おい!!」

 その時、二人に無視されていたリヒトが、しびれを切らして声を上げた。


「どうされたのです? リヒト様」

 はー!はー! っと、荒々しく息を吐くリヒトに、ローズはいつもの調子で話しかけた。


「――お前ら。無視してないで俺の話を聞け!!」

「なんだ?」

「鍵についてだが、もしお前の母上の石があるなら鍵を開けることが可能かもしれない」

「え?」

「え?」

 ローズとロイの声が重なる。


「まさか――そんなことが、本当に可能なのか?」

「ああ。――少し、時間はかかるかもしれないけど」

「……」


 時間がかかるとしても、もしそれが可能ならためしたい。

 示された一縷の光に、ロイは一瞬呼吸を忘れた。


「あるのか?」

「あ、ああ……」

 ロイは指輪を外して、リヒトの手に置いた。


「よろしく頼む」

 リヒトはロイから受け取ると、またあの『ぐるぐる眼鏡』を掛けて作業を始めた。

 小型化された魔法道具は、この世界には流通してない型の物ばかりで、ローズにはリヒトが何をしているのかわからなかった。

 そんなリヒトを、ロイは戸惑いを隠せないという表情で見つめていた。


「どうされたのですか?」

「いや……。少し、友人を思い出して」

「友人?」


 ローズの問いに、ロイは曖昧に笑った。



「出来た!」

「……本当に、それで鍵が開くのか?」

「信じてないな」


 ロイの言葉にリヒトは少しムッとした。

 リヒトはその後、ローズに手を伸ばした。


「ローズ。剣を貸してくれ」

「はい」

「あとは、この式を書きこんで……と」


 聖剣の石に、解呪の式が吸い込まれる。

 リヒトはその剣の石を、ロイの手の中の小箱にあてた。

 石と石が触れ合う瞬間。かちりという音がして、閉ざされていた箱は開いた。


「ほら、開いたぞ! ちゃんと! ほら!」

「リヒト様、静かになさってください」

 声で喜びを表現したリヒトは、ローズに注意されて口を閉じた。


「まさか、こんなことが……」

 ロイは震える手で、箱の中身に手を伸ばした。


「――母上」

 箱の中に入っていたのは、折り畳まれた一枚の紙だった。


【ごめんなさい。ごめんなさい。

 私は貴方に、何度謝っても謝り足りない。 

 貴方が、悪いわけではなかったのに。

 私は貴方を、これまで沢山傷つけた。

 私の子。

 私をこの国に縛り付けたその象徴。

 でも子どもには、何の罪もない。

 子どもは親を選べない。

 もしこの世界に生まれ変わる魂が、不幸になって生まれることが、もし宿命づけられているという人間が居るなら、そんなことは違うと私は言いたい。

 誰もが幸福になるために産まれてくる。

 私はそう信じていたい。

 あの人のことが嫌いだった。国王と言う地位を笠に着て、私から全てを奪ったあの人が。

 だから私はあの子を否定した。

 私から仲間を奪ったあの人の子だから。

 私から時間を奪ったあの人の子だから。

 私からすべてを奪った人の子だから。

 世界中を仲間と渡る。あの輝かしく楽しい日々に、もう私は帰れない。

 けれどあの人が最後に言った言葉を、私は今でも忘れられない。

「傍に居てくれてありがとう」

 なんて、勝手な言葉なのか。

 でも、今は思う。

 この人はずっと、孤独だったのかもしれない。

 民を。国を守る王として生まれたこの人もまた、何かを奪われた人だったのかもしれない。

 私はずっと私一人だけが不幸で、奪われたのだと思っていた。

 結婚してから子供が生まれ、その子が強い魔力を持っていて。 

 私は役目を終えたとばかりに思っていたのに、あの人はよく私に花をくれた。

 王として? 

 同じものを背負い生きる中で、生まれた絆が夫婦の絆。それは恋や愛とは違う静かなもので、彼はそれを受け入れ、私は拒んだ。

 そして自分の子を憎み、たくさん彼を傷つけた。

 なんてひどい母親かしら。

「母上」

 私にそう言って花を差し出した。あの人によく似た子供の手を、どうして私はありがとうと包んであげられなかったのかしら。

 無理やり奪われた人生は、もう戻ることは無い。すれ違った時間は、もう取り戻せない。

「ごめんなさい」

こんなことを、今更言ったって何も変わらない。

だから。

 この想いは、箱に仕舞っておこう。

 誰も空けられないこの箱に。私の心は仕舞っておこう。

 そして箱を贈ろう。決して届かない私の心を、後悔を。あの子に送りたかった思いを込めて。

 許しなんて必要ない。私はきっと悪い母親だった。貴方は、私を許そうと自分を責める必要なんてない。

 それでもどうか、貴方が生まれて来てくれたことを、祝福する言葉を貴方に贈りたい。


「私の子どもに生まれてくれてありがとう」


 あの人はいつも花をくれた。あの子はいつも花をくれた。

 毎日毎日。

 その行動に、意味があることを。心があることを受け入れず、踏みにじった私を、今更許してなんてどうして言えるだろう。

 傷付けて、傷付けて。私の言葉は、行動は、あの子の性格さえも変えてしまったかもしれない。笑わないあの子の、笑顔を奪った私。その業をなかったことにすることなんて、もうできやしないのだから。

 私は、罪を背負って眠ろう。

 

 馬鹿みたいって笑えばいい。でも私、今は思うの。

 一目で落ちる恋があり、その相手を自分のものにする使らがあるなら。

 それが私とあの人の関係だったのかもしれないと、今は少しだけ思うの。あの人は私を愛してくれた。この国の他の人間が、私のことを悪く言ったとき、あの人がずっとそれを私に伝わらないようにしてくれていたことを、私はあの人が亡くなってから気が付いた。

 子どもを産むだけの器としての選ばれたと思っていた。与えられた愛を拒んだ私を、一度も責めることもなく。ずっとそばで、あの人は国を思い生きていた。

 国を愛する王であること。そのことを誇らしいと思うこの心は、きっと、偽りなんかではなかったのに。

 ごめんなさい。私は何もかも、気付くのが遅すぎた。


 我が君。私は貴方を、貴方の御子を、貴方の国を。心から、愛しております。】

 

 

「……馬鹿な女だ」

 ロイは手紙を破ることもできた。けれどそうは出来なかった。

 ロイの母は旅の踊り子だった。

 結婚した当初は、言葉が通じなかったとも聞いている。

 言葉が通じない国の王に見染められ、見知らぬ地に一人彼女は取り残された。そんな中、彼女はロイを身ごもった。そして大国の王妃となった。

 浪費家ではなった。ただ、優しい人とは言い難かった。

 踊り子としてグラナトゥムにやって来ただろうに、彼女が王妃になって、人前にその姿を晒すことは殆どなかった。


 ロイの父である亡き王は、生涯一人の女性しか娶らなかった。それは異例なことだと誰もが言った。国のために、もっと子を作るべきだ、と。

 でも、王が自身の子として設けたのは、結局ロイ一人だけ。

 玉座は簡単に回って来た。

 『大陸の王』の生まれ変わりと持て囃されていたロイの道を阻む者は、誰一人としていなかった。

 彼の母親を除いては。


『こんな花、要らないわよっ!』

『私に近づかないで!』


 彼女は、自分が王妃であることを拒んでいた。そしてロイの母親であることも。

 よく彼女はロイに辛くあたった。いつもロイの存在を否定した。だからこそロイは、大陸の王が持っていたという地属性を、得ることができなかった。


 代わりに得たのは炎属性。

 夢の中での記憶だけが、ロイに王としての資質を自認させてくれた。

 幼い頃、ロイにとって『彼』の記憶だけが救いだった。くだらないこの世界で、遠い昔の記憶だけが、唯一の希望だった。

 

 墨を薄めて書かれた文字は、弱弱しくてロイの中の『母親』とは一致しない。

 ただ、母といつか母の国の話をしたくて、昔勉強した遠い異国の地の植物。

 命の象徴。

 成長と健康を祈る植物の絵が、小さく紙の端に書かれているのを見つけて、ロイはその手紙が皺にならないよう優しく胸に抱いた。

 長く高くのびるおやの下で、小さく芽吹くこどもは、やがて空へ向かって大きくのびる。


『貴方なんか、産まなきゃよかった』


 そんな言葉も彼は言われた。

 こどもの世界は狭い。

 手を伸ばして届くのは、きっとその身体より小さくて。そんな世界で、自分を否定された日々は、深く記憶に刻み込まれて消えてはくれない。

 後悔は遅れてやってくる。

 時間が経って償いをしたいと思っても、与えられた深い傷は、跡になって残る。時間が痛みを和らげたとしても、記憶も消えることはない。


「……本当に、大馬鹿だ」


 誰が肯定してくれなくても、自分を肯定することを誓った。

 どんなに人に否定されても、自分に笑いかけてくれる声が響くから、心を守って生きてこれた。

 愚かな母。愚かな父。

 この魂はきっと、この国に居たかつての王のもの。

 不思議と昔から妙な記憶があった。才能というよりは記憶の片鱗。それを垣間見せる度、周囲の人間は彼を天才と持て囃した。


『大陸の王』

『賢王』

『海の皇女』

 かつてこの世界に居た、三人の王から名前を与えられた人間が揃うこの世界で。

 ロイは幼い頃、海の皇女に自分を知っているかと聞いてみたことがあったが、彼女は知らないようだった。


 ロイがこの国を、クリスタロス王国を訪れたのにはもう一つだけ理由がある。

 ロイは、レオンに会いに来た。

 『賢王』レオンの生まれ変わりかもしれない少年に。

 誰も覚えていない遠い昔の記憶。自分に笑いかける声の主に。

 目を瞑れば蘇る。その声が何度自分を救ったか、数えることも馬鹿らしい。


『ロイ! 俺が子どもっぽいから、恋愛できなさそうってどういうことだよ!』

『言葉のままの意味だ。君はいい年して経験が無さ過ぎる』

『ふふふふふ』

『五月蝿い! ロイ、既に結婚してるからって馬鹿にするなよ! あとロゼリアは笑うな!』

『ちなみに君はどういう女性が好みなんだ?』

『そうだなあ……。大人しくて、女の子っぽくて、俺の一歩後ろをついて来てくれる可愛い子かな』

『独創的過ぎる君についてこられる女性が、そんなおしとやかなわけがないだろう』

『貴方には似合わないわ』

『ふざけんな!』

『その怒り方が子どもっぽいんだよ。だから駄目なんだ君は』

『モテませんわねえこれは。王だというのに、相手が居ないんじゃなくて? おしとやかな女性は、貴方のような方は好みませんわ』

『二人とも五月蝿い!』


 記憶の中のかの王は、そう言って笑う自分と海の皇女の言葉に憤慨する。

 『彼』に会うためだけに、『彼』に会いたくて、記憶の中の自分や『海の皇女』は、水晶の王国を訪れていたような気がする。

 『彼』の国は笑顔で溢れていて、誰もが幸せそうで。

 自分のいつかこの国のように、国民の全てが笑い合える国を作りたいと思った。

 自分には無い輝き。人を惹きつけるその才能。世界で一番強い魔力を持っていたかの王は、記憶の中では自分に笑っている筈なのに、その名前だけが聞き取れない。その顔だけが良く見えない。


『民と共にあれ。民と友であれ。それが、俺の理想なんだ』


 けれどそんなかの王は、この世界を語るときだけは、いつも真面目な声をしていた。


『――平民も貴族も、みんなが平等に通える学校を作りたい。俺はみんなが笑い合える世界が好きだ。この世界を変えたいんだ。協力してくれ。大陸の王、海の皇女!』


 幼い頃から見る夢がある。その記憶だけが、両親から愛情を得られなかった自分に、感情を与えてくれた。

 夢の中の『彼』に会いたい。

 そう期待して国に来たものの、『レオン王子』は力のないただの少年だった。

 暗い闇を照らすような光を、彼は持ち合わせては居なかった。


『氷炎の王子はこの程度か』


 がっかりした。でもその一方で、かつての友人にどこか似た第二王子に、少しだけ興味が湧いた。まあその王子も、結局はかの王とは程遠い力のない男だったが。

 魔力は魂によって受け継がれる。

 リヒトが『彼』であるならば、魔力を持たないのは有り得ない。ロイはそう考えていた。

 もしリヒトが、本当に『彼』の生まれ変わりだと言うのなら、その魔力はローズと同等、あるいはそれ以上の筈で、測定不能をはじき出すに違いない。


 『彼』は優しい人だった。

 誰よりも人を思っていた『彼』だから、『彼』が誰より強い魔力を持ち得たことが、ロイは嬉しかったのを覚えている。

 大国であるグラナトゥムからすれば、小さな国だったとある国の王は、当時世界で一番強い魔力の持ち主だった。

 いつだって『友』を呼ぶ。その姿を思い浮かべる。

 三人で学校を作ろうと言ったその王を、記憶の中で笑い合う、今でも『友』を探している。


「お、おい。大丈夫か?」

 箱の中の手紙を見て、動かなくなったロイにリヒトは心配そうに尋ねた。


「――リヒト・クリスタロス」

 ロイはそんなリヒトの名を、顔をあげずに呼んだ。


「君は、俺が前世の記憶があると言ったら信じるか?」

「なんでそんな話、俺にするんだ?」

「いいから答えてくれ」

「……知りあったばっかりだし、俺にはないからわからなんとも言えないけど。その記憶が楽しい記憶だったなら、あって良かったなって思う」


 その言葉を聞いて、ロイは右手で自分の目元を隠した。

 瞳の奥で蘇る。美しい景色とともに、優しい声が世界に響く。


『ロイ、笑ってくれ。そしたら、俺も嬉しい』


「やはり……夢の中のあの声は、彼より君の方が似ている」

「?」


 ロイの言葉の意味がわからず、リヒトは首を傾げた。そんなリヒトの間の抜けた顔を見ると、なんだかロイは楽しくなった。

 やはりリヒトは、『彼』に似ている。

 だからこそ自分は、彼に期待したかったのかもしれない――ロイはそう思った。

 魔力のない弱い王子。

 でもどこか自分の知る友に似た王子だからこそ、自分はリヒトにこの国を継いでほしいと思ったのかもしれない。 

 王になるには力が必要だ。

 ロイがどんなに後押ししようと、周りが認めない限り、弱いリヒトを王にすることは難しい。

 碌に魔法の使えないリヒトが彼のはずはないけれど、それでもリヒトを王にと望むほど、ロイにとって『彼』は大切な友人だった。


 ――リヒトが王になればローズがいなくても、この国を再び守ってやってもいいと思うほどに。


「戯言だ。気にするな」

 視界を覆う手を払う。

 するとその時、廊下を走る足音が聞こえて、ロイは扉の方を見た。


「……騒がしいな」

「おうさま!」

「……シャルル?」


 部屋に駆け込んできた子どもは、走ってきた勢いそのままにロイに抱き付いて、布団に顔を埋めた後にがばっと顔を上げた。

 いつもより髪が乱れている。ロイはシャルルの頭に触れて、乱れた髪を優しく戻してやった。


「すいません。ローズさん。シャルルちゃん、その人が起きたって知ったら走り出してしまって」

 シャルルを追いかけてきたアカリが、ローズに謝罪する。


「おうさま。もう、おからだはよいのですか?」


 心配そうに自分を見つめる子どもの瞳。

 その目を見た時に、ロイは自分がベアトリーチェに土の剣を受けた時のことを思い出して、苦笑いした。

 そして思い出す。

 初めて子供と出会った日のことを。そして『首輪』を与えた日のこと。

 それは彼が、自分の婚約者を決めるための舞踏会を、途中抜け出した日の夜のことだった。


『侵入者だ! 捕まえろ!』

 宴席に飽きて広間から離れた場所で一人林檎をかじっていると、ロイは衛兵たちの声を聞いた。

 馬鹿な輩もいるものだ。

 こんな夜に忍び込むなど、一体何を考えているのだろう?

 ロイは、これから捕まるであろう人間を思って鼻で笑った。

 きらびやかなドレスを見ても、豪華な宝石を見ても、何も面白いとは思えないのに――それでも人は、それを望んで命までかけて侵入する輩もいるらしい。

 ロイが感傷に浸っていると、小さな何かが彼の肩を踏みつけた。


『にげるが、かち!』

 にげるがかちではない。


『……侵入者というのはお前か』

 ロイは素早くその人物を捕まえた。

 子供の手には宝石ではなく、宴席に並べられた食べ物が握られていた。捕まった拍子に落としてしまったらしく、子どもはきっとロイを睨みつけた。


『そう威嚇するな』

『……』

『腹が減ったなら食事を与えてやろう。ついでにこれから、俺の傍に居ることを許可してやる。そうすれば追われずに済むぞ?』

『……だれ?』


 子どもは、ロイが何者かも知らなかった。


『俺は、ロイ・グラナトゥム。この国の王だ』

 そんな子どもに、ロイは笑顔を向けた。


 ロイは子供を自分の部屋に招き入れた。

 出会ったばかりの頃の子どもは、まるで獣のようだった。これまで一体どういう生活をしてきたか、ロイは聞くことがはばかられた。

 一生聞かなくてもいいと思った。

 今の――これからの子どもの顔を知るのは、自分一人なのだから。


『食べたいか?』

『ごはん!』

 痩せた子どもは、食事を与えると喜んだ。元々そのために城に忍び込むような子どもだ。

 自分の治世の及ばぬことに少し胸はいたんだが、同時に食事を与えるだけで自分に懐く子どもは、なんて安上がりなんだろうともロイは思った。


『俺のことを好きと言ったらくれてやるぞ』

『わたしは、おうさまが、すきです』

 食事を与えてやる時に、たまに子どもにそう言わせた。


 こんな言葉は偽りだ。

 そうはわかっているはずなのに、子どもの言葉が不思議とロイには嬉しく思えた。


『名前が無い? じゃあ……シャルル、というのはどうだ?』

『シャルル?』

『ああ。この本にかいてある名前だ』

『シャルル……シャルル!』

『気に入ったのか?』

『はい!』


 名前がないと言った薄汚れた子どもに、ロイは名前をつけて居場所を与えた。


 我ながら短絡的だったと今は思う。だってそれでは男の名前だ。

 けれど無知な子供は何も知らずに、自分が与えたものを喜んだ。

 それからというもの、ロイはずっと子どもをそばにおいた。毎日絵本を読んで聞かせた。

 ロイは、子どもとどんなことを話していいのかわからなかった。ロイは新しい世界で、親しく語り合える人間はずっといなかった。

 父は忙しい人だった。母は自分を否定した。


 子どもの頃、自分が読んでもらえなかった本を、文字の読めない子どもの代わり、ロイは子どもに読んで聞かせた。

 その度に、子どもは目を輝かせた。その目を見ていると心が踊った。理由なんてわからなかった。

 ある日城下に視察に出たときに、彼は子どもに似合いそうな赤い服を見つけて、子供のために買って帰った。


『手を上げろ』

『?』

 すっぽりと体を覆う赤い布。

 ロイが何も言わず子供に服を着せると、シャルルが目を瞬かせていてロイは思わず笑ってしまった。


『まるで、あかずきんみたいだな』

『あかずきん?』

 それは二人が、昨日の夜途中まで読んでいた絵本のタイトルだった。


『あかずきんは、おおかみにたべられるいきものなんだぞ』

『そ、そんな……!』

 子供はロイの言葉を疑わない。

 明らかに動揺するシャルルを見て、ロイはまた笑った。


『おおかみ、あぶない。きけん、です! ……たたかいます。あかずきんは、おおかみをたおすためにつよくなります!』

『あはははははっ!』

 あまりにも斬新すぎる発想の転換に、ロイは腹を抱えて笑った。


『その必要はない』

 子供の頭をそっと撫でる。

『お前がどんなに弱くても、狼に食べられても、俺が助け出してやる』

 小さな子供の体を抱く。自分より体温の高い子どもの体。そのことに、何故か胸がいたんだ。

 ベッドの上には、自分には読まれることのなかった本がある。


『おうさま……?』

『――なんでもない』

『赤ずきんの話にはな、続きがあるんだ。赤ずきんは銃を持った助け出されるんだ。先に食べられていたおばあさんも一緒に』

『そうなのですね。おうさまはつよいので、おおかみなんかいちころですね。でも……』


 子どもは納得したようだった。けれど子どもは、そのあと自分が想像した架空の出来事のためにロイから距離をとった。


『おうさまのまほうほのおだから、わたしまでまるやきに……』

『お前のことは燃やさない!』

 ロイは慌てて否定した。


『……お前だけは、傷つけない』

 そう言って、子どもを再び抱き寄せる。

『――はい。おうさま』

 子どもが自分に手を伸ばす。自分を信頼して、安心しきった声を聞くと、ロイは空っぽだった心に、何かが満ちていくような気がした。

 たとえ自分がほしいものを与えられなかったとしても、腕に抱くこの子には、すべてを与えてやりたいと思った。


 そんな日常が続いた、ある日のことだった。

『一体、この傷はどうしたんだ!?』

 ロイが執務を終え部屋に戻ると、子どもが体に傷を作っていた。

『なんでもありません。ころんだだけです』

 子どもはただそう言うだけだった。

『転んだ? こんなに深く傷を作る程にか?』

 子どもは小さく頷いた。ロイは仕方ないなとため息をついた。

『――全く。ほら、ここに座れ。治療をするぞ』


 小さな手を引いて、椅子に座らせる。

 ロイは光魔法を使えない。

 だが問題はなかった。『彼』の国から取り寄せた薬は、光魔法を使えないものでも扱える。


『少ししみるぞ』

 子どもの足に薬を塗布する。

 子供は痛みに耐えるように目を瞑った。けれどすぐに傷が癒えていくことに気づいて、子どもは目を瞬かせた。


『まるで、まほうみたい』

『ああ。そうだな』


 心優しい『彼』の国。その国に住む人間が作る薬。

 この世界に、魔法を使えない人間は多い。その薬は、光属性を持たぬものにも扱えた。

 それはまるでおとぎ話の中の魔法のようで、相変わらず変わらない優しさの中に『彼』がいるような気がして、ロイは静かに笑って同意した。


 幼い頃からある『友』の記憶。

 その頃のロイは、『彼』の笑い声が遠く響いても、子どもと出会ってからは以前のように胸が痛むことはなくなっていった。

 新しい人生なのだ。いつまでも、過去を引きずるわけには行かない。

 ロイは子どもの頭を撫でた。子どもはロイにされるがままに目を瞑り、ロイに自分の体重を預けていた。

 その重さが、ロイには何より大切なものに思えた。


 それから数日後、ロイは子どもに手巾を送った。

 夢見草。

 その花びらは、消え入りそうな薄桃色をしている。

 子どもは城に設けられた川の橋の上で、その刺繍を眺めていた。それはロイが、子どものために縫った花だった。

 子どもにはその花が、この世界で一番美しいものに思えた。消え入りそうな、薄い色の花びら。


『かえして』

『こんなもの、貴方に相応しくないわ!』

 子どもの大切にしていたものは、彼女を取り囲んだ女たちに奪われた。

『……かえして!』

 子どもは、精一杯手を伸ばした。けれど子どもと大人の身長差では、どんなに手をのばしても届かない。

 奪われたものは取り戻せない。


『貴方のような人間が、あの方の傍に居るなんてあってはならないことなのよ! ほら』

 大切なもの。守りたかったもの。

 シャルルの手は届かない。手が届くかと思った瞬間、手巾は風に飛ばされて池へと落ちた。


『あら、残念。可哀想に。まあこれに懲りて、身の程をわきまえることね』

 女たちはけらけらと笑いながら、子どもの前から去った。

 一人残された子どもは、深さのわからない池に向かって飛び込んだ。

 池は少し深かった。子供の足では、底に足が届かない。

 溺れそうになりながら、なんとか子どもは池から上がった。水を含んだ服は重い。

『……よかった』

 子どもは、泥を含んで少し汚れた花びらを、優しくなぞって胸に抱いた。

 そんな出来事があったのをロイが知ったのは、時間が経ってからだった。


『昨日は泥だらけ、で今日は水浸しか』

 その後子供は、池に落ちたことを隠すために冷たい水で体を洗った。

 ロイにバレないよう庭で体を乾かしていた子どもを、通りかかったロイは見つけた。


『……いけに、おとしてしまって』

『おとしたからって池の中に入るなんて、一体何を考えているんだ!』

 ロイの怒声に、シャルルはびくりと体を震わせた。

 怖がらせてしまったかと思って、ロイは口調を緩めた。


『……全く。ほら、ふいてやるからこっちにこい。風邪をひく』

『……おうさま』

 おひさまの匂いのする布にくるまれて、王の自室に連れてこられていた子どもは、自分にのばされた手を掴んだ。


『ありがとうございます』

『……ああ』

 珍しく、子どもが頬をほころばせて笑う。

 嬉しそうに礼を言った子どもの声に、ロイは上手く返事ができなかった。

 子どもの髪をふいてやりながら、ロイは静かに目を瞑った。

 きっとこういう触れ合いを、人は『幸福』と呼ぶのだろう。ロイはふと、そんなことを考えた。

 こんな時間が、ずっとこれからも続けばいい――しかし彼の願いは、すぐに否定されることになった。


『シャルルが倒れただと!?』

『どうやら毒を盛られたようです』


 父の代から国に仕え、王となったロイにも忠誠を誓っていた臣下は、当然のように言った。

『しかし、幸いあの子は『精霊の愛し子』。毒は致死量をゆうに超えていましたが、あの子であればもちこたえることは可能でしょう』

『致死量、だと……?』


 ――それでは、本当は。本当は、殺すつもりでシャルルに……?

 ロイの声は震えていた。

 悲しみと怒りが混ざり合う。感情が制御できず彼の体から魔力があふれる。


『精霊は、死にかけた人間を助けることがある。だから、大丈夫です』

『何が大丈夫だ! ふざけるな!!』

 ロイは年老いた臣下に怒鳴った。

『毒を盛ったのは、誰だ? 連れて来い。今、この場に。俺が……俺が同じ目に……ッ!』

 ロイは剣に手を伸ばす。

『なりません』

 その手に、老人は皺だらけの自分の手を重ねる。


『――あの子が他のものにあのような扱いをうける理由が、わかられないのですか?』

『……何が言いたい?』

『――王よ』

 男はため息をついた。

 そしてまるで聞き分けのない子どもに対し、大人が諭すような声で言った。


『立場をお考え下さい。王がそのような子どもを傍に置くなど、あってはならぬことです』

 この国は、この世界は、血統を重んじる。そしてそれよりもまず魔力を重んじる。

 王のそばにある人間は、『相応しい者』ではなくてはならない。

 王の妃となる人間は、強い魔力でなければならない。

 それは、大国の妃となればなおのこと。


『あの子があのような扱いを受けるのは、貴方のせいです』

『……っ!』

 ロイは動揺を隠せなかった。

 何も言い返せずに下を向く。ロイの頭の中には子どもの声が響いていた。

『おうさま。ありがとうございます』

 向けられる言葉に動く心は、簡単に踏みにじられて否定される。


『――なあ、ロイ。みんなが笑える国って、いいよなあって、思わないか?』


 記憶の中の『彼』が笑う。

 いつか自分も、『彼』の国と同じように、そんな平和な国にしたかった。記憶の中の大切な友人。優しい彼の作る、優しい国。

 自分の国も、そう在ってほしいと思っていた。

 ――けれど。


『おう、さま……?』

 目を覚ました子どもら、ロイの名前を呼んだ。

『わたし、は、だいじょうぶ……です』

『……!!!』


 理想と現実は程遠い。夢の中の『彼』の語る優しい国。自分では、そんな国は作れない。

 拳を握りしめる。

 かつての自分――『大陸の王』と呼ばれていた頃より小さな手では、守りたいものを守れない。


 自分の城の人間すら、まともに掌握できず。何が。

『……っ!』

『正しい振る舞いをなさってください。貴方は、この国の王なのですから』

 ――何が、『王』だ。

 その日ロイの中で、何かが崩れる音がした。


『今日からこれを付けておけ』

『これは、なんですか?』

『……首輪だ』

『かしこまりました』

 その翌日、ロイは回復した子どもに石のはめ込まれたチョーカーを渡した。

 首輪だと言って渡した。その事実に対し、子どもがなにか言うことはなかった。


『それがおうさまの、おのぞみとあらば』

 子どもはロイの前でそれを首につけた。

 首の周りを一周する。ぐるりと引かれたその線を見て、ロイは子どもに悟られぬよう拳に力を込めた。

 ロイはそれから、子どもに必要以上には触れなくなった。かつて子どもの歩幅に合わせて歩いた、隣を歩いていたはずの子どもの前を、今のロイは一人で進む。


 抱きしめられたはずの小さな子どもを見る度に、触れてはならない存在だと自覚した。

 超えてはならない境界は、自分の手で繋いだ楔だ。

 そんなロイの治世によって、グラナトゥムはより国力を増したと評価されるようになった。

 流石『大陸の王』だと誰もが言った。でもそれでは、『彼』には及ばないようにもロイには思えた。


『誰も、俺に逆らわない国なら。お前を傍に置いても責められないか? いや……いっそ、血さえ残せばいいのなら』


 年若い自分では、国の民の全ての意見は覆せない。

 けれど王として、次代の王を望む臣下の心は否定できない。

 跡継ぎがいなければ、自分亡き後の玉座を巡って争いが起きるかもしれない。

 ロイには子どもが必要だった。

 自分の血を継ぐ子。けれどロイは、それを欲しいとは思えなかった。自分の血を分けた子どもを、この世界に産んでほしいと思う人はいなかったから。

 ――たった一人を除いては。


『血を繋ぐ器さえ手に入れば。……別に、誰を愛しても構わない』


 ロイにとって、王であることは義務だ。

 でも心を、王だからと犠牲にするのは嫌だった。だから身代わりが居ればいいと思った。

 魔王を倒した公爵令嬢、ローズ・クロサイト。

 彼女なら、誰もが認めるに違いない。大国の王である自分には、相応しい相手にロイには思えた。

 ロイの部屋には今もたくさんの絵本がある。

 そして部屋の中の、少し大きめの籠の中には、柔らかそうな毛布が敷き詰められている。

 ロイは、冷たいそこにそっと手を這わせた。


 そばにいてくれるだけでいい。この思いが、永遠に届かなくても、『おうさま』と呼んでくれるこどもの、望む王で有り続けたい。

 たとえそのせいで、自分とは違う誰かを傷つけても。国民のことを思う王ならば、自分の感情など持ってはならない。

 力故に選ばれた母親。

 その子どもである彼は、『世界の仕組み(おやのおしえ)』から抜け出せない。


『――シャルル』

 子どものいない部屋。

 笑い声も、温もりも無い部屋で、一人彼はその名を呼んだ。



「おうさま。おれいは、ちゃんとしなくてはだめなのですよ」


 自分を見つめる大きな瞳。ロイはシャルルの目を見て苦笑いした。

 父の気持ちはわからない。

 ただ父が妃に迎えたのは母一人だった。

 母のことが好きだった? 母をあの人は愛していたんだろうか。

 今は不思議と、父は自分と似ていたのかもしれないとロイは思った。

 一目で愛してしまった小さな生き物を、自分に縛るために理由を与えた自分のように――父もまた、母を思っていたのかもしれない。

 傍に居てほしいと思った。

 でも子どもは魔力が低く、そんな子どもを自分のものにする方法は、下僕のような扱いしかなかった。

 かつての自分。『大陸の王』と呼ばれた記憶の中の男は、魔力の高い女性を妃に迎えた。


 彼女は自分を愛してくれた。だから自分も彼女に尽くした。

 それが王族にとって『幸福』だ。あの日々は自分にとって、それは確かに『正解』だった。今だって、そう思う気持ちは変わらない。

 ――それでも。

 ロイは、胸に手を当てた。

 この魂はずっと、かつて愛した者たちを、いつも何処かで探している。

 魔力の強い者は魔力の強い者との婚姻を。

 王族であるならば、そう望まれるのが当然だ。


 祝福されない結婚。祝福される結婚。

 王が選ぶべきは前者でも、王である前に自分は人でありたいと思ってしまう心は止められない。

 だって、『彼』はいつだって笑っていたから。

 自分も、守るべき国民も。みんなが幸せな世界があると、そう信じたいと思わせる。

 今も昔も、ロイが憧れた『ゆうじん』は、そういう人だった。


「――君の見せる夢の景色を、愛してしまった俺も。……本当に、大馬鹿だ」


 ロイは懐かしそうに目を細めた。

 自分を救い苦しめた、その記憶を思い出して。


「君たちに、心から感謝する」


 ロイはシャルルに言われたように、二人に礼を言おうと思った。

 しかし当の二人は、大国の王の前だというのにぎゃあぎゃあと喧嘩していた。


「リヒト様。悪用されそうな魔法は作らないでください。この方は貴方を騙して危ない魔法を作らせるに違いありません。本当に貴方は昔から、どうしていつもそう人とずれたことばかり。ガラクタを作るのは構いませんが、犯罪を生むようなものは作らないでください」


 ズケズケと物を言う。

 そんなローズに、リヒトが反論する。


「なんだよ! 前回だって今回だって、俺の魔法だって役に」


 しかしその言葉を、ローズの高い声が遮った。


「それはたまたまでしょう!? 使い方を間違っては危ない魔法を作るのはおやめください。貴方が魔法の研究のために一人で他の国に行くなんて、絶対に許しません。貴方はこの国から出てはいけない」

「な、なんだよ!? そこまで言わなくていいだろ!」

「……」


 まるで子供の口論のような二人のやりとりを、ロイは黙って見つめていた。

 それはどこか、いつかみた夢の景色と似ている。


「子どものようなことを言うのはおやめください。もし本当に、他の国に行きたいと仰るならば!」

 心がざわついて収まらない。ローズは泣きそうな顔で叫んだ。


「私も一緒について行きます!」

「……ローズ?」

 下を向いて顔を挙げない彼女を見て、リヒトは首を傾げた。


「でも、今はあいつの婚約者だから一緒に来るのは無理じゃないか?」

「…………物のたとえです。私でなくても構いません。とにかく一人で行くのは駄目です」


 リヒトに指摘されて、ローズは自分でも何を言ってしまったんだろうと思ってすぐに訂正した。 

 自分はベアトリーチェの婚約者。

 結婚して彼の妻ともなれば、一番優先すべきはベアトリーチェだ。他の誰も優先してはならない。王族の命の危機を除いては。


 長らくリヒトの面倒をみてきた癖が抜けないのかもしれない。習慣とは恐ろしい。

 ローズはリヒトに背を向けて、眉間に薄く皺を作った。

 そんな二人のやり取りを見て、ロイ・グラナトゥムは腹を抱えて笑った。


「あははははは!! く……くく……はははは!!」


 おかしくて仕方がないという顔。そんなロイを、リヒトとローズは呆然と見つめていた。

 ロイの目には涙が残っており、彼はそれを指で拭った。


「……全く。今も昔も、この国の人間は本当に面白い」


 今のロイからは、威圧感は感じられない。不思議と、ローズには今の彼こそが、本当のロイの姿のように思えた。


「母上の箱を開けることが出来たのは、君たちのおかげだ。――ありがとう」


 だからロイが差し出した手に、ローズは自分の手を伸ばした。

 その時触れたロイの手は、大きくて温かく――もう今の彼の手を、ローズは怖いとは思わなかった。


 ロイはその後、決闘はやめてグラナトゥムに帰ると二人に告げた。

 ロイの帰国ということで、ベアトリーチェも呼び出された。


 決闘は終わり。ベアトリーチェの勝利。

 ローズの婚約者は、相変わらずベアトリーチェだ。

 指輪を外したベアトリーチェの体は小さい。

 けれど、女性であるローズよりも小さなベアトリーチェが、今のロイには大きく見えた。


「しかし、君を連れて帰れないとなるといろいろと面倒だな」

「フツーに帰れよ。負けたんだから」


 ローズを見て発言したロイにリヒトが言う。


「大国の王となるとなかなかそうもいかなくてな。それに俺は国を出るとき、国にとって重要な物とってくると言って出てきたんだ」


 何と言うアバウト。ローズは内心ため息をついた。


「ローズのこと物扱いするなよ」

「彼女のことを物扱いしないでください」


 その時、二人の声がハモった。

 ベアトリーチェは思わずリヒトを見た。

 どうして、彼が――……。

 そんなベアトリーチェの顔を見て、ロイはふっと笑った。

 人が見えていないと自分に言った男だが、まだ彼も、自分や周りの人間が見えていないらしいと。


「王の言葉とは、大仰なほど響くものさ」


 ロイは不敵に笑って言った。

 わざわざクリスタロスを訪れる理由だが――前世の友人に会いに行きたいとか、母の遺品を開ける鍵をとりに行きたいなんて臣下に本当のことを言えるわけがない。


「さて、どうするか……」 

 決闘での敗北はいいとして、手ぶらで帰還するのは格好がつかない。


「その理由なら、俺がやる」

 ロイが思案していると、遅れてやってきたギルバートがロイに紙の束を渡した。


「これは……」

「これがあれば、この国に来た価値が証明できる」

「お兄様。何を渡されたのですか?」

「あいつの国が欲しい情報」

「いつそんなものを……」

「まあ、気にするな。ローズ、お前のお兄様は何でも知っている。そうだろう?」


 確かにそんなふうに思ってはいるが、大国の王を満足させるほどの力が兄にあるのかは、ローズにも疑問だった。

 そんなローズとは違い、ロイはギルバートの言葉の意味に気付いて目を見開いた。


「……。まさか『先見の神子』が、こんなところにいようとは」


 ぽつり呟かれたその言葉は、ギルバート以外、他の人間には聞こえなかった。


「よければ俺の国に来ないか? 君のことを歓迎しよう」

 有能な部下を求める。力あるものを求めることは、ロイの王としての気質だ。


「断る。俺はこの国のために働く。ここから動くつもりはない」

 ギルバートはローズの頭を優しくなでた。


「妹のことも心配だしな。ローズ。お前のことは、俺が守る」

「お兄様……!」


 ローズは目を輝かせた。

 その様子を見て、ベアトリーチェは少し複雑な気持ちになった。

 照れるのでもなく、自分の時と明らかに反応が違う、心から嬉しそうな表情。

 守るも何も、魔法の威力だけで言うならローズのほうが明らかに兄より戦闘むきで強いが、ローズはそれに気づいていないのか、手を合わせて感激していた。


「ローズ様……」

「ローズの結婚相手の一番の敵って、もしかしてギル兄上なんじゃ……」

 リヒトの言葉に、その場にいた全員が沈黙した。


「ありがとう。これならあいつらも納得するだろう。礼と言ってはなんだが――……レオン、リヒト、ギルバート。そして光の聖女。この国のこれからを担うであろう四人を、我が王国の学院に特別に招きたい」


 ギルバートから受け取った紙の束を懐にしまったロイは、王らしくそう言った。

「え」

 リヒトは目を丸くした。


「俺だけだったんじゃ……?」

「気が変わった。きちんと教育を受けさえすれば、彼は確実に君より伸びる。君は正々堂々戦って負けるといいさ」

「……」

「――俺は、君には手を貸さない。出来そこないと呼ばれる君が、俺の助け無しにどこまで戦えるか、眺めておいてやる」


 リヒトに酷い言葉を吐きながら、ロイ・グラナトゥムはにやりと笑った。

 王故の上からの物言いだ。しかしその声は、今はどこか優しく響く。 


「王族だからな。護衛はつけてくれ。何なら薔薇の騎士。君が彼らに着いてくれても構わない。彼がどんな不始末をやらかすか、君だって心配だろう?」

「…………私でよければ」

「よかったな。君の保護者はついて来てくれるらしいぞ」

「ローズは俺の、保護者じゃないッッ!!!!」


 リヒトは憤慨した。

 なぜか大陸の王はやたらと自分に突っかかって来る。

 でも不思議と今の彼が浮かべる彼の笑顔を、嫌いにはなれない自分に気づいた。

 確実に自分を、からかって遊んでいる。この野郎と思うけれど、でも何故か、彼が笑っていることが、リヒトは少しだけ嬉しく思えた。


 自分の知らぬところで話をすすめられていたベアトリーチェは、少し困惑した表情を浮かべていた。

 騎士団のこともあるが、ローズとアカリが外国に行くならば、三番目に強い魔力を持ちかつ光属性を使える人間である彼は、リカルドの為に国を離れることは避けるよう言われるだろう。そしてベアトリーチェ自身、長くは騎士団をあけられない。


 彼女はそれを理解しているのだろうかとローズの方を見て、自分の前とは違う元気な彼女が目に映って、ベアトリーチェは胸をおさえた。

 今のローズはいきいきとしていて、それでこそ彼女と思う自分に気付く。

 心が欲しいと言って、結婚の承諾を拒んだのは自分自身だ。そのことに心の何処かで後悔して、これでよかったのだと思う自分がベアトリーチェの中にはいた。


 薔薇は棘に覆われて、簡単に手に出来ないからこそ人は求める。その花を手に入れるために全ての棘を抜いてしまったら、それはもう、気高く美しい薔薇とは言えない。


「君たちが俺の国へ来ることを、楽しみに待って居よう。ああそうだ。君たちの入学に合わせて、『海の皇女』も呼び寄せよう。良ければ仲良くしてやってくれ」

「他国の皇女のことを、そう勝手に決めてよいのですか?」

「もともとその父親に頼まれている。今のアイツは引きこもりだからな。暇の筈だ」

「?」


 今は引きこもりってどういうことだろう。

 ローズは少し疑問に思ったが、詳しく聞くことはできなかった。


「さて。そろそろ帰るとしよう」

「はい。おうさま」


 出立の準備はすでに整っていた。

 クリスタロスに来たときのように、ロイとシャルルは同じドラゴンに乗った。


「随分軽いな」

 その時、ロイは久々に子どもを抱きかかえたような気がした。

 塔に落ちかけたときは頭がいっぱいで、重さを感じる余裕などなかった。


「おうさまがごはんをくれないからです。わたしはおきさきさまだから、ごはんをいただきました。でも、おうさまはじぶんからしかごはんをもらってはだめだとおっしゃいました」

 拗ねたような子供の声に、ロイはふむと頷いた。


「俺のせいか? ……そうか」

 小さな子どもの頭を撫でる。


「じゃあ、これからはたくさん食べて大きくならなきゃな」

「ごはん! おうさま、たくさんくださるのですか!?」

「ああ」


 子どもの昔から変わらない、相変わらずの食いつきに、ロイは笑った。しかしその彼女の珍妙な発想までは、流石のロイも予想外だった。


「……まさか。わたしをふとらせて、おうさまはわたしをたべるきなのですか」

「?」

「いぜんよんでもらったほんに、わるいまじょが、こどもをふとらせてたべると」

「ああ……」


 ロイは苦笑いした。


「お前をとって食いはしないさ。ただ早く、もっと大きくなって欲しいと思っただけだ」


 この世界には、違う世界から伝わる書物がいくつかある。

 『赤ずきん』『ヘンゼルとグレーテル』『白雪姫』『シンデレラ』。

 これまでに、ロイは小さなシャルルにいろんな絵本を読んで聞かせた。


 絵本の中の世界では、主人公が危険にさらされることはある。シャルルは絵本を読んでもらうとき、それが本当は少し怖かった。

 でもそんな時は、『おうさま』を信じればいいのだとシャルルは思った。

 どんな魔女があらわれても、どんなに怖い狼があらわれても――きっと『おうさま』なら、わたしを助けてくれる。

 シャルルは、自分に笑いかける『おうさま』を見た。

 思い出す。

 首輪だと言って自分にチョーカーを渡した時、少しだけきらめいて見えた瞳のことを。

 シャルルにとってロイは、やっぱり『やさしいおうさま』だった。


「……おうさま。ありがとうございます」


 その言葉を聞いたとき、ロイは昔のことを思い出した。

 シャルルはロイを『否定』はしない。

 でも、ロイがいけないことをしたときは、ちゃんとシャルルは口にする。


 自分にこびへつらうわけでなく、何かを望むわけでなく、ロイの力に屈して従っているわけではない。

 自分を王にと望み、そのために首を垂れる。そんな小さな存在を、やはりロイは嫌うことなどできはしなかった。


 『彼』のいないこの世界で。

 ロイの心が大きく動く瞬間は、小さな子どもの表情が変わるときだ。

 自分の声が、言葉が彼女の中で感情に変わる瞬間に、ロイは自分が生きているのだと感じられた。


 静まりきった暗い世界に、とてとてと走り回る足音が響く。

 その音が聞こえると、少しだけ世界は明るく思える気がした。

 この感情をなんと言うのか。そんなことは、本当は最初からわかっていたはずだったのに。

 自分を偽り続けたせいで、ここまで時間がかかってしまった。


 ――魔力の弱い人間は、王妃にはなれない?


 そんなこと、誰が決めた。

 王である前に人なのだ。言葉に傷つくことはいくらだってある。人を愛することは止められない。

 願わくば、自分と愛する人との間に生まれた子供に、愛する国を継いでほしい。

 きっとこの思いは、自分が得ることのできなかった大地の属性を、子に与えることができると信じている。

 きっとそのこころは、自分の愛する国の命を、育てる力を持ち得ると。


 ――シャルル。君がもっと大きくなったら。たとえ誰に反対されてでも、君を選ぶと誓おう。


 今度は、もう間違えない。

 この心が選ぶのは、ただ一人だ。


「手を出せ」

「おうさま?」

 ロイの言葉に、シャルルは首を傾げた。


「この国には、庇護する者に指輪を与える風習があるらしい。お前は俺のものだ。その証に、この指輪を付けておけ」

「わかりました」


 ロイの言葉に、シャルルは小さく頷く。


「わたしは、あなたのものです」


 小さな子どものその言葉が心の底から嬉しくて、ロイはシャルルに笑いかけた。


「ああ。――ずっと、お前は俺のものだ。忘れるなよ?」

 自分の指に嵌った指輪を、そっと指から外す。


「お前は俺のもの。そして俺も、お前のものだ」

「おうさま?」


 ロイはシャルルの首にそっと手を伸ばし、『首輪』と呼んでいたそれを外した。

 代わりにまだあたたかな指輪を、彼女の指に通した。


 グラナトゥムの王家の紋章の入った、ガーネットの指輪。

 嘗て『友人』が作った指輪の細工は、指をとおした者に合わせて形を変える。

 赤い色を宿すその王は、自分の色をした指輪を嵌めた小さな子供の手をとって、そっとその石に口づけた。


 この世界には結婚の際に指輪を贈り合う制度はあるが、婚約の為に指輪を贈る制度があるのはクリスタロス王国の王族のみだ。

 ロイがシャルルに贈った指輪は王家に伝わる財宝の一つで、その指輪は元々、『大陸の王』の所持品だったとされている。


「さあ、帰るぞ」

 ロイはシャルルの体を抱き上げた。シャルルはロイの大きな体に慌てて手を伸ばし、ぎゅっとその服を掴んだ。


「我が王国へ!」

 ロイの声と共に、一斉にドラゴンが飛翔する。

 空を覆う程の武力を持つロイは、水晶の王国と呼ばれるその国を見下ろして、懐かしそうに目を細めた。


◇◆◇


「やっと終わったな。……じゃあな、ローズ」


 ロイが帰った日の夜。

 リカルドが催した宴に招かれていたローズとギルバートが屋敷に戻ったのは、夜も遅い時間だった。

 ギルバートは昔からあまり酒を飲まない。

 だというのに妙に足元をふらつかせる兄を不審に思っていたローズは、兄と部屋の前で別れてすぐ、何かが倒れるような音を聞いて、ノックをせずに扉を開いた。


「お兄様!?」

 扉のすぐ向こう側で、ギルバートは床に倒れ込んでいた。

 冷たい室内には窓からは月明かりだけが差し込んでいる。

 顔色が悪い。呼吸が浅い。

 ローズは兄の手を取り、自分の魔力を流し込んだ。

 魔力の器はスポンジと似ている。

 器が大きく、枯渇していればいるほど、魔力を流し込んだ際多く奪われる。

 ギルバートはローズほどではないが、魔力の貯蓄量がかなり多い。そのはずの兄が、これほど他者の魔力を補給しようとするのは、どう考えてもおかしかった。


「これ、は……」

 命をも危険にさらす、光属性の魔法の使い過ぎによる魔力枯渇の症状だ。

 ローズは兄の体調不良の原因に気付いて、顔を蒼褪めさせた。


『先見の神子』

 過去の文献でそう呼ばれる人間たちは、多くが短命だ。

 ローズは兄がその存在であることは知らない。ただ少なくとも、兄が自分のせいで危険な状態にあることだけは、ローズにも理解できた。


「嫌です。お兄様。お兄様……!」

 ローズは兄の胸に耳を当てた。

 心臓の鼓動の音が弱い。

 また失ってしまう。大切な人を、愛しい人を、やっと取り戻せたと思ったのに。


「思いは願い。思いは祈り。思いの全ては心より生まれ、魔法もまた心より生まれる。これは私のひとしずく。――この心を、貴方に捧げる」


 詠唱を必要とする魔法は、魔力の消費が激しいのが普通だ。

 普通魔法が単純でない場合、複雑で高度な魔法程、その指示として詠唱を行う。

 そしてあまたある属性の中でも、多くの魔力を消費するのは光属性の魔法。


 ローズの使った詠唱を伴う魔法は、光魔法でもかなり魔力を消費するものだった。

 自分の魔力を、相手にうつす緊急処置。

 急激な魔力の枯渇。それは、寿命を縮める魔法の一つ。

 ギルバートに魔法を使ったローズは、がくりとその場に倒れ込んだ。

 目を瞑る兄に手を伸ばし、その胸元に耳を当てる。


 ――大丈夫。この人はまだ、ちゃんと生きている。

 再び確かに打つ鼓動の音を聞き、ローズはそのまま目を閉じた。

 彼女の頬を涙が伝う。

 それから間もなく目を覚ましたギルバートは、頭を押さえながら上体を起こした。

 予想より、随分と早い目覚めだ。

 その理由である人間が、自分の体の上に載っているのに気づいて、ギルバートは苦笑いした。


「俺に魔法を使ったのか?」

 妹の頭を優しく撫でる。

 しかし彼の口調は、いつもの彼よりも些かローズに対して厳しかった。


「いけないことだぞ」

 アカリがまだ完全に力が使えない今、ローズが命をかけて救うことを許されるのは、本来王族に対してのみだ。

 ローズだってそれは分かっている筈だ。

 そして彼女の施した処置が、自分の命を縮めることも。

 それでもローズは、自分の為に魔法を使った。その意味に気付いて、ギルバートは表情が険しくした。


「――また、泣いたのか?」

 ギルバートはそう言うと、ローズの瞳に溜まっていた涙を拭った。


「全く、お前はどれだけ俺が好きなんだ? ここまで俺に執着する理由を、お前は何もわかってないんだろ? ……それが全て、俺が仕組んだことだったと言ったら、お前はどんな顔をするだろう?」


 ギルバートはそう言うと、どこか寂し気に目を細めた。

 妹の手が、普通の令嬢とは異なることを確かめて。


「ローズ。時が来るまで、俺がお前を守ってやる。……だから、いつかは俺のことを昔みたいに、『兄上』と呼んでくれてもいいんだぞ?」


 いつもより少し乱暴に妹の頭を撫でてから、ギルバートはローズの体を抱えて妹の部屋へと向かった。

 

◇◆◇


 どんな人間も、どんなに立場が変わっても、その心を支えるのは、案外誰かにとっては、些細な言葉や物なのかもしれない。


「この国は、僕の国だ」

 月明かりのさしこむ部屋で、彼は小さく決意を呟く。


「約束は、違えません。……母上」


 けれどその誓いは、深い夜の闇に、消えてしまうようにも感じられた。


 彼は夜が嫌いだった。

 夜の静寂は、世界に一人ぼっちの自分を、食べてしまうような気がしたから。

 でも、そう怯えていては生きてはいけない。

 闇を怯える様な弱い人間は、誰からも望まれない。

 だから彼は一度も、夜が怖いと口にしたことは無かった。

 大嫌いなその夜に、夜色の服を着た死神が、母の命を奪っても。


『リヒトはとても弱いから。だから貴方が、この国を守ってね』

『私の完璧な王子様。貴方ならできるわ』


 手の中の銀色に力を籠める。

 母の形見の銀時計は、確かに時を動かすのに、ずっと止まっているように彼には思えた。

 ゆっくりと瞳を閉じる。

 瞼の裏に映るのは、笑い声の響く懐かしい景色だ。


『兄上。僕も大きくなったら、魔法を使って、この国を守ってみせます。お姫様と一緒に、お城で暮らすんです!』


 何も知らない幼い子供。

 子供の持つ絵には、金色に碧の瞳の少年と、黒髪に赤い瞳の少女が描かれている。

 お城で一緒に暮らしたい。

 そんなお伽噺のような幸福なことを、自分に話していた子どもの笑顔を思い出して、彼は拳を握りしめた。

 それは、叶わない夢だ。

 王の城で暮らせるのは、王の座を継ぐ人間だけ。彼がどんなに願っても、周りは彼を認めない。

 二歳差の出来損ないの弟。夢物語のようなことばかり語る子どもには、目を覚まさせることが必要だ。


 感情なんて必要ない。

 わかってもらおうなんて思わない。

 魔力の弱い人間を、誰も王には望まない。

 現実を突きつけることが、時には必要なこともある。


「人には向き不向きがある」


 言葉は呪いのように降り積もる。

 その言葉を紡ぐ彼自身にも、また。



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