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今は使えない道具

「本当にすまない」

「……リヒト様」


 リヒトが指輪を奪われ三日経ったが、あれ以来『鍵』が使われたと思われる事件は起きていなかった。

 ベアトリーチェあれから植物園に籠もり、ずっと騎士団を不在にしていた。


 そして三日目にして、ようやくやってきたリヒトを前に、ローズは腕組みをして溜め息を吐いた。

 今更謝罪に来られても困る。

 ベアトリーチェが不在ということもあり、リヒトの相手はユーリとローズがつとめていた。


「リヒト様。貴方に謝られても、ユーリが困るだけです。そして貴方に頭を下げられても、何も変わりません」 

「……お前は本当にえげつなく俺の心をえぐってくるな」

「本当のことを言っただけではありませんか」


 少し兄に似たところを感じるベアトリーチェが、あれほど取り乱す姿を見ていただけに、ローズの言葉はリヒトに対して刺々しかった。

 騎士団の訓練場にやってきたリヒトは、何故か大量の荷物を手に持っていた。


「これが役に立てばいいんだが」

「何です? これは」

「まず、これは魔力の残滓を可視化できる」


 リヒトが手にしていたのは、変わった形をした眼鏡だった。眼鏡のレンズ部分には、ぐるぐるとした渦巻き模様のような模様が施されている。

 普段こんなものをつけている人間がいたら間違いなく頭を疑う。ローズは眉間に皺を作った。


「……残滓?」

「ああ。使われた魔力のみだが」


 リヒトは至極真面目な顔をして言う。


「それを辿って何になるというのです?」


 魔力の形跡を辿る方法なら、こんなものがなくても方法はある。

 魔王討伐のときのように、ベアトリーチェのような自身の魔力が体外に溢れ出るような体質の人間であれば、魔力の流れを感じることができるからだ。


「……これはもともと、俺の魔力をコントロールするために研究していたことから作った物なんだ」

「それがどうかしたのですか?」


 意味がわからずローズは首を傾げた。


「……だからこれを使えば、魔力が低い人間でも、これまでよりも高い精度の調査が出来る」


 従来のやり方は、個人の能力に依存する。だがリヒトの道具を使えば、誰もが平等に行動出来る。


「私の調査よりも、ですか?」


 実はローズも、ベアトリーチェに似たことが少し行える。

 しかしその力では、兄たちが眠りについた原因はわからなかった。

 力の流れが小さすぎたからだ。


「お前の言う『細かい』は、俺からしたら大ざっぱなんだ。魔力が強いと必然的にそうなるんだろうが……。この道具は、普通は目には見えない魔力の痕跡をたどることができる。効果は半日という点はまだ課題点なんだが」

「…………半日? それだと、今は役に立たないのでは?」


 ローズの言葉に、リヒトはギクリとした。


「うぐっ」

「そういえばリヒト様は昔から人とは発想が違いましたね」

「お前、俺のことバカにしてるだろ?」


 他にもたくさんのとんでもグッズを持ってきてきたリヒトに対し、ローズは冷ややかな言葉を浴びせた。

 彼のことだ。どれも今は使えないものばかりに違いない。つい、ローズはそう思ってしまった。

 それにしても、どうしてこうもいちいち使いたくなくなる見た目なのか。センスが悪すぎる。


「というか、何故今更来られたのです?」


 ローズはさくっと再びリヒトの心を抉った。


「作ってたら時間がかかって」

「そこは普通、捜索の為に役に立つものを作るのではなく、謝りに来るのが先では? 順番がおかしい」


「……」

 ぐうの音も出ない正論だ。

 しかも作った道具は、今は使えない。

 かつてのリヒトであれば、ここで引き下がっていたところだろう。しかし今の彼は、ぎゅっと拳を握って、精一杯前に進もうと声を上げた。


「……俺のせいで迷惑がかかったなら、せめてなにか手伝いがしたい」

「……わかりました」


 リヒトの言葉に返事をしたのはユーリだった。


「ユーリ、よいのですか?」

「ええ」


 ユーリは頷く。彼はリヒトの作った発明品を手に、にこやかにローズに笑いかけた。

 しかしユーリがリヒトを見る目は厳しかった。


「ただし、私と一緒に行動していただきます」

「…………えっ?」



 針の筵このことだ。

 ユーリの隣を歩くせいで、リヒトは明らかに侮蔑の目を向けられていた。


 平民出身でありながら騎士団長で見目美しいユーリと、兄王子に劣り魔法を使えない、第二王子であるリヒト。

 姿勢が綺麗なユーリに対し、リヒトは下を向いて歩いていた。

 これではどちらが高貴な身分なのか分からない。


「……リヒト様は」

「うん?」

「ローズ様のことを、どう思われているのです」


 そんな相手に突然まさかの質問をされて、リヒトは混乱した。


「……は?」

「私には、貴方がわざわざ会いに来れるような状況を作られたようにも思えてしまいます」

「……俺がわざわざ、ローズに会うために指輪を紛失したと言いたいのか?」

「違うのですか?」


 ユーリの声は冷ややかだった。

 リヒトは顔をしかめた。 

 まさか幼馴染の信頼がここまで落ちていたとは――……当然といえば当然だけれど。


「……俺はこれでもこの国の王子だ。わざわざ周りを困らせるために指輪をなくすわけがないだろ」

「……」


 リヒトの返答にユーリは静かに目を伏せた。

 リヒトが周りを困らせるとき。それは彼が意図的にやっていることではなく、意図せず、勘違いなどで周りを混乱の渦に巻き込んでいるだけなのだ。

 ローズとの婚約破棄然り。ただ本人に悪気がないだけ、余計たちが悪いとも言える。


「しかし普通、自分が婚約破棄した相手にわざわざ会いに来ないのでは……?」


 ユーリの言葉は正論だった。

 リヒトは最近、何かと理由をつけては騎士団によく来ていた。

 ローズの元に来ているアカリに会うためらしいとは周囲に聞いていたものの、ユーリはそれが不満で仕方がなかった。


 ――貴方は自ら彼女を傷付けたのだから、はやく舞台から退場してください。


 新しく公爵が指名したという婚約者のことも気掛かりだったが、リヒトとローズの決闘(?)の時にローズを抱き上げ、魔王討伐の時はローズへの思いを新たにしたユーリからすれば、リヒトの存在は邪魔でしかなかった。

 

「ユーリは」


 リヒトは、普段温厚な筈のユーリがなぜここまで自分を責めるのか一つ理由を思いついて尋ねた。


「もしかして、ローズのことが好きなのか?」

「はい。私は、ローズ様をお慕いしております」


 それはリヒトがローズの婚約者だったときには、絶対ユーリが口にしなかった言葉だった。

 そしてそれが伝えられなかったからこそ、ユーリはローズと長い間、会って言葉を交わそうとはしなかった。


 ユーリの初恋は彼の身分のせいもあるが、リヒトがいたからこそ実らず、彼はローズに手を差し出すことができなかった。

 兄たちを失い笑顔を失ったローズに、一番最初に手を差しのべたのは幼いリヒトだ。

 指輪を贈られたローズは、リヒトと婚約した。

 ローズを励まそうとしていたユーリは、ローズの婚約後、騎士団に入団した。


 笑ってほしくて。幸せでいてほしくて。

 でも自分は相応しくないとどこかで理由をつけている間に、ユーリはいつも一歩他人に遅れる。


 今回のことだってそうだ。

 ローズの新しい婚約者。

 二代にわたり恋愛結婚の家系である公爵家であれば、ユーリがもっとはやくローズに思いを告げ、彼女に婚約を了承してもらえていれば、それは認められたかもしれない。


 ローズは恋愛面でかなりの鈍感だが、今のように告白すれば流石に気付く。

 ただ、騎士団の入団試験のときのような求婚では、ローズが状況とユーリの性格を考慮に入れてしまうせいで伝わらない。


 少しずつ、何かがずれて。ユーリの言葉はローズには届かない。

 そしてそれを踏み越えようとしても、不幸な偶然が彼のそれを阻んでしまう。


「……そうか」


 リヒトは、ユーリの言葉に静かに頷くだけだった。

 そんなリヒトに、ユーリはまた悔しくなった。

 騎士団に来るたびに、リヒトは当然のようにいつもローズの隣にいる。

 それを見るたびに、ユーリの胸は痛む。そして心のどこかで責めてしまう。

 それを許す、ローズのことも。


 自分と彼の、何が違うというのか。

 婚約破棄した彼と身分差がある自分なら、今はどちらも壁があるのは同じはずなのに。

 誰かの不幸を願うことは、ユーリにとって一番遠いはずの感情だ。

 けれど最近のリヒトにだけは、少しだけ不幸を願っている自分に気付いていた。


 その感情は、ユーリの魔法や剣に迷いを与える。

 だから。

 これ以上自分を嫌いにならないでいいように、自分の世界が曇らないように――人を拒絶することに、なんの罪があるというのだろう?

 ユーリはリヒトの目を見て言った。


「リヒト様。私は――貴方が嫌いです」



 一人残されたローズは、ガラクタの入った箱を前に一人手持ち無沙汰だった。


「さて、私はどうしましょう……?」


 昨日までは魔力を感じとれるローズが調査に参加していたが、指示を出す人間であるユーリは何も言わず、リヒトともに出かけてしまった。


「リヒト様のこれ、とりあえず何か役に立つかもそれませんし、お借りしておきましょうか」


 ユーリとリヒトが帰ってくるまで待つべきか? ローズは思案した。

 魔力の痕跡を辿るのは眼鏡では半日らしいが、ローズなら二日ほどはわかる。ただ、その精度はそこまで高くない。

 解呪の式程度の少ない魔力を使った痕跡は、リヒトの言うように人の力で辿るのは難しいのだ。


「え?」


 そんなとき、開け放たれた窓から一羽の鳥が室内に入ってきた。

 手紙を運ぶ『輝石鳥』。

 それは真っ白な体に、青い目の鳥だった。

 首には青い紐と共に鈴がくくりつけられていて、ローズに手紙を渡した際鳥が首を動かすと、その音が静かに鳴った。

 ――ちりん。


「……?」


 宛名はローズ宛てだった。

 ローズが手紙を受け取ると、鳥はすぐさままた窓から飛び立ってしまった。


「待って!」 


 ローズは手を伸ばしたが、鳥はもう遠くへといってしまっていた。


「一体誰から……?」


 ローズは差出人を確認した。

 そこに名前はない。


 ただ――丁寧な文字は見覚えがあり、何より。

 その手紙からは、ローズには以前彼から淹れてもらったハーブティーの香りが、微かに残っているような気がした。



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