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盗まれたもの

「リヒト様の指輪が盗まれた」


 リヒトが指輪を紛失したことは、すぐに騎士団の知るところとなった。


「本当に、あの方には頭が痛くなりますね……」


 真面目な顔をしているユーリに対し、ベアトリーチェの表情は厳しい。

 ローズは『聖剣の守護者』であり救国の英雄ということで、今は騎士団の会議への参加を許されていた。

 リヒトが何者かに襲われ指輪を奪われたという話を聞いたローズは、一瞬動揺の色を見せたが、発言は控えることにした。

 今回の問題はリヒトだ。

 元婚約者である自分の意見は、相応しくないとローズは思った。


「だから、さっさと差し出しておけばよかったのです。もしものときの被害は理解していただろうに、自分のことだけを考えて渡さないからこうなる」


 ベアトリーチェはこの事態を予測して、リヒトに指輪を渡すよう求めていたのだ。

 だというのにその進言が聞き入られず、指輪が盗まれたと聞いたベアトリーチェの言葉は厳しかった。


「ビーチェ……」

「しかし、過去を悔やんでも仕方がない。今やるべきことは一刻も早く指輪を取り戻すことです」


 確かに自分は危険視していたし伝えてもいたが、今更それを話しても何の解決にもならない。

 今すべきことは、状況を打開するための策を考える行動することだけだ。

 ベアトリーチェは目を細めた。


「指輪が鍵となることを知っている人間は少数のはず。わざわざ王子に暴行を加えて指輪を奪う人間は馬鹿なのか賢いのか……前者であればまだよいですが、後者の場合厄介です」

「とりあえず報告が上がってからすぐに王都の門は閉じさせた」

「今のところそうするしかないでしょうね」


 ユーリの行動にベアトリーチェは頷いた。今のところその判断は正しい。

 ただ――……。


「しかし、時間が経っていることを考えると、捜索範囲は広げたほうが良いかもしれません」


 彼はそう言うと地図を広げた。王都を中心とした地図だ。


「いっそ王都で鍵が使われ、王都に指輪があるとわかればまだ考えようによっては救いかもしれない」

「どうして?」

「少なくとも、捜索範囲が絞られる。王都にあるならまだ楽です」


 ベアトリーチェは地図を指でなぞった。


「犯人の目的がわからない。一体、何のために……」


 鍵として利用するために、魔力を充填させるために他にも人間を襲うつもりだろうか? だったら用心の警備を――いや、今更それをして、全てを守り切れる可能性は低い。

 それに、次の事件が起こってもいいだけの時間は十分に経過している。

 リヒトが倒れて目を覚まし、報告を上げて騎士団が警備を開始するまでの時間何もしないような間抜けなら、そもそも指輪を鍵とは思うまい。ベアトリーチェはそう考えた。


「やはり犯人は、指輪の力を知らず盗んだということでしょうか? それとも、王都からすでに持ち出されたか……」


 ベアトリーチェの表情が険しくなる。

 どこにでも入れる魔法の鍵を、その存在も世界に明かしておらず、碌に管理もせずに「はい盗まれました」では、他国に申し開きが出来ない。


「『地剣』殿!!!」


 そんな時、突然会議室の扉が開かれ中に入って来た人物を見て、ベアトリーチェは目を見開いた。


「貴方がどうしてこちらへ……まさか」


 ローズはユーリの顔を見た。

 ユーリはベアトリーチェと親しげな男を見て驚いているようにローズには見えた。

 男は息を切らして言った。


「薔薇が……『青い薔薇』が盗まれました!」


「……え?」

 その瞬間、ベアトリーチェの顔から表情が消えた。


「青い薔薇……?」

 ローズは思わず言葉を繰り返していた。

 それは三年前――ベアトリーチェが発表した、ある病気の特効薬の材料の筈だ。

 ローズは盗まれたものが、青い薔薇(ただのはな)であったことに胸を撫で下ろした。

 だが。


「薔薇は……薔薇は無事なのですか!?」


 ベアトリーチェは声を荒げ、手を震わせて男に尋ねた。


 これはよくない――ローズは静かにそう思った。

 騎士団の精神的な柱であるベアトリーチェの激しい動揺は、騎士たち全員に不安となって伝染してしまう。

 けれどベアトリーチェが、たかが花ごときに揺らぐなど一体誰が予測出来ただろう?

 皆の顔に動揺が走る中、ユーリは一人、あの日のベアトリーチェを思い出していた。

 ローズは魔王を倒し、生きて戻ることが出来るのか。そう自分に尋ねたときの、ベアトリーチェの揺れる瞳を。


『――私は。ずっと、それを感じて生きてきました』


 その言葉に込められた彼の過去を、ユーリは知らない。


「早く。早く、あの花を見つけなければ! あの花は、私でなくては薬には出来ないのです。ただ摘み取られた花では毒になってしまう!」


 ただベアトリーチェにどんな過去があったって、ユーリには団長として場を纏める義務がある。

 半人前なせいでいつもは年上の部下(ベアトリーチェ)に頼ってばかりだが、今その部下かれが心を乱しているならば、自分がしっかりしなくては騎士団が纏まらない。


「ベアトリーチェ・ロッド!」


 ユーリはベアトリーチェの名を叫び、彼の頬を叩いた。


「落ち着け。お前が焦ってどうする!」

「……ッ!」


 これでは、いつもと立場が逆だ。

 会議室の中の動揺はユーリの一声によって漸く打ち消され、騎士たちは平静さを取り戻した。


「なんでそんなに焦っているんだ。――その花の毒は、それほど強いものなのか?」

「……そういう、わけでは……ありませんが…………」


 ベアトリーチェの言葉は、珍しく歯切れが悪かった。

 そう。そのはずなのだ――。ローズは首を傾げる。

 ローズは彼の論文で、薔薇の毒性についての記述も読んでいた。

 正しく処理されなかった場合の青い薔薇の毒性は、寝込む可能性はあるが死に至るほどではない。

 そうであるなら、今は薔薇より指輪の捜索を考えるべきだろう。

 有能な筈の彼が、何故そう考えられないのかローズにはわからなかった。

 ベアトリーチェはユーリに叩かれた頬を手で触れてると、黙って下を向いてしまった。


「――すいません。頭を冷やします。今の私がここに居ても場を乱すだけですし、私は今日はあちらに戻ります。ユーリ、貴方は引き続き捜索をお願いします」


 いつもの彼の普段とは明らかに異なる行動に、会議室がしんと静まり返る。


「ビーチェ……」


 ユーリは会議室を一人後にしようとする彼に手を伸ばした。

 しかしユーリが伸ばした手は、ベアトリーチェの知り合いらしい男に遮られた。


「『天剣』殿。『地剣』殿は、私が」

「……すいません。アンクロット」


 男は、動揺のためか少しふらついているベアトリーチェの体を支えた。

 そんな男に、ベアトリーチェは礼を言う。


 その声は、ユーリの知るベアトリーチェの声とは違う。教えるような声ではなく、対等に話すベアトリーチェの声に気付いて、ユーリは手を引いた。


「団長殿」

「……ああ、わかっている。俺の指示に従ってくれ」


 ベアトリーチェが部屋を出てから、老騎士に呼ばれユーリは気を引き締めた。


「指輪が鍵だとは知られてはならない。これ以上被害が広がらないよう、早く指輪を見つけなければ」

 ユーリはそう言うと、騎士たちに指示を出した。

 とりあえず、王都にあるとわかったのは朗報だ。



「あんなビーチェを見たのは、初めてだ」


 指示を終え会議室に一人残った彼は、いつもベアトリーチェがしているように、カーテンに寄りかかって窓の外を眺めた。

 彼と同じ行動でもしてみれば何か閃くかと思ったが、結局何も思いつかずユーリは姿勢を正した。


「『青い薔薇』はそれほど、ビーチェにとって大切なものなのか……?」


 薬学に疎いユーリに、青い薔薇の価値は分からない。

 そしてユーリは何故か、その薔薇の価値を知っているのは、あの男だけなのかもしれないとも思った。

 自分の知らないベアトリーチェの過去。

 それを知っているからこそ、ベアトリーチェは自分ではなくあの男の手を取ったのだと。


「ビーチェ……」

 ベアトリーチェの幼い頃を、十歳年下のユーリは殆ど知らない。

 そのことを、今になってユーリは気が付いた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 陽光が生者を照らす光なら、月光は死者を照らす光だ。

 月明かりの下、ガラス張りの薔薇園で、彼は愁いを帯びた表情で青い薔薇を見つめていた。


 調査の結果、盗まれた薔薇はおよそ一〇。

 彼には余計に、犯人が何の意図をもって植物園に侵入したのか理由がわからなかった。

 まるで子どもの悪戯だ。

 どこにでも入れる鍵を手に入れて、その鍵で少し盗みを働く。

 そんな幼稚さしか感じられないというのに、指輪を鍵と理解しているところが恐ろしい。

 この理解出来ない行動は、何らかの大仕事の前準備かとも思われたが、その場合何故植物園を狙ったかが彼には分からなかった。

 夜の吐息は白く染まる。


「……貴方に、誰かを傷つけさせるようなことはしない」


 新緑の瞳は月夜に光る。


「私は、ずっと貴方のことを愛している」


 ガラスの向こう側に浮かぶ月に、彼は手を伸ばした。

 彼は『地剣』。

 どんなに彼の魔力が強くとも、その魔法は、手は、決して空には届かない。

 彼の瞳を、涙が伝う。

 もう戻らない。もう会えない。貴方は月の向こう側に行ってしまった。

 この花は、貴方が私に残した希望だ。

 だからそんな花で、誰かを傷つけることなんて許さない。

 瞳を閉じれば、かつての誰かの声が聞こえる。

 光が降る。与えられた水の温かさに気付くまでに時間がかかりすぎた、かつての自分を思い出す。


『――君は、【神の祝福】を受けた子どもだ』

『……泣くなよ。俺はお前を、泣かせたいわけじゃないんだ』

『貴方は愛し愛される人だ。貴方が選ばれたのは、きっと貴方が、誰よりも優しいから』

『貴方はいつか、この国を変える人になる。だから、貴方を生かすと決めたのです』

『彼は、必ず役に立つ人間になるでしょう』

『森の精霊かと思ったの』


 小さな彼の体に与えられたいくつもの肩書は、彼の心にたくさんの傷を作る。

 そんな彼を支え、笑いかけていくれた少女は、今はもう彼の前にはいない。


『身長が低い貴方とは結婚できません』 


 今の彼を作る過去たちは、前に進めと彼に告げる。

 それでも今は痛む傷が、彼を少しだけ立ち止まらせる。


「――……ティア」


 まるで恋人にするように、彼は青い薔薇に口付けた。

 青い薔薇から透明な雫が落ちる。

 それはまるで涙のように。


 その薔薇は彼の痛みも静寂も、何もかもを受け入れ吸い込むような、深い青い色をしていた。


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