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平穏な日常と波乱の幕開け

「決めねばならん。ローズの新しい婚約者を」 


 クリスタロス王国公爵、ファーガス・クロサイトは、机の上に娘の縁談の手紙を積み上げて、窓の向こうに昇る朝日を眺めていた。


 魔王討伐後、レオンが纏めさせたローズの英雄譚は、今や国民の――いや、世界が知るところとなっている。

 元々ローズを望む人間は多くいたが、これまではリヒトやレオンのことがあって強く言ってくる者はいなかった。

 しかし今、リヒトに婚約破棄されたローズには、国内外問わず毎日縁談が届いていた。

 中には他国の王子たちの名も多くあり、ファーガスは日々頭を悩ませていた。


 公爵令嬢であるローズが騎士になることを認めた公爵は、一人娘を溺愛していた。

 おそらく娘は国外へ出ることを望まない。

 では、やはり無難にレオン王子に嫁がせるべきか? ――いや、それでは駄目だ。レオン王子に嫁がせた場合、ローズはリヒト王子の姉という立場になってしまう。

 娘にはせめてこれからの人生、心穏やかに過ごしてほしい。

 ファーガスはそう考えていた。

 娘が騎士として生きたいと望むなら、それを認めたうえで女性としての幸せを与えてくれるような相手が望ましい。そのためには身分のある家系であることが必要だ。そしてローズに相応しいと周りの人間が思えるほどの、人望・能力も求められる。


「やはり、彼が適任か」


 ファーガスはそう言うと、ゆっくりと瞳を閉じた。

 この世界には娘を物のように扱い結婚させる親も多いが、祖父の代から恋愛結婚の家系であるクロサイト家現当主である彼は、心から娘の幸福を願っていた。


 今のところ娘に好きな相手はいないらしい。ならば彼女に相応しい男を選ぶのが、親の役目というものだろう。

 最近剣一筋の娘は、このまま行けばいかず後家になりかねない。彼はそれは避けたかった。

 ただもし娘を嫁がせるなら、娘を傷付けず、守り、慈しんでくれる――その器が無ければ安心出来ない。

 もうリヒト王子の時のような失敗は出来ない。


「彼ならば、ローズに相応しい――……」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「きびきび動いて下さい」


 ぱんぱんと手を叩く小柄な彼の、その態度はかなり大きい。

 反論を許さず指揮をとる、彼の持つ独特の威圧感に押されて、騎士たちは黙々と部屋の中の荷物を外へと運んでいた。

 鬼だ……鬼が居る!

 命令に従う騎士たちの心は、全員綺麗に一致していた。


 クリスタロス王国騎士団副団長。

 ベアトリーチェ・ロッドは、その見た目に反して今日も立派に騎士団を纏め上げていた。

 普段温厚な人間ほど怒らせると怖いのだ。

 先日騎士団長であるユーリを叱責した彼の姿を思い出して、騎士たちは震えた。


「どうしたんだ?」

 そこへ本来非番の筈のユーリがやって来る。

 今日はローズが午前中騎士団に居る予定だったため、ユーリがここに来たのはその為だろうと騎士たちは推測した。


 ユーリは基本、真面目で優しい。

 休日返上で仕事をしていることも多いから、今日もそのつもりだった可能性は高いが、最近の彼の行動はローズが中心なので、騎士たちは生温かい目をユーリに向けていた。

 自分たちの長は、現在青い春真っ最中らしい。


「ええと、実は……。アカリ様がローズ様のところに遊びに来られてたんですけど、その時に虫が出たんです」

 ユーリの問いには、ベアトリーチェの傍に控えていた少年が答えた。

 会議の際、ベアトリーチェの補佐をつとめていた少年だ。


「虫……」

「…………はい。虫です」

 彼は、手で虫の大きさを表現した。

 確かにその大きさなら、アカリが怖がるのも仕方ないとユーリは思った。


 アカリは魔王討伐後、よくローズに会いに来ている。

 以前のように二人の仲が悪ければ周りもとめただろうが、今は姉妹のように二人は仲が良い。

 ローズ(うつくしいあね)のために差し入れを持ってくるアカリ(けなげないもうと)を咎める者は誰もいない。


「まさかここまで管理がなっていないとは思いませんでした」

「ビーチェ……」

「ユーリ。貴方にも責任がありますよ。私が席を空ける日があるからこそ、貴方が目を光らせていてくれないと困ります。男所帯なのだから油断しないでください。流石に私も手が回りません」

「すまない……」


 ベアトリーチェに叱られユーリは謝罪した。

 騎士団の外となればユーリを立てるベアトリーチェだが、騎士団の中での二人の関係は、指導者と追随者、あるいは教師と生徒だ。


「ここはこれを使って掃除をすると良いですよ」

「……ろ、ローズ様!!」


 わざわざ休日出勤したのに怒られて項垂れていたユーリだったが、ローズの声が聞こえて彼は顔を上げた。


「おはようございます、ユーリ。……でも確か、貴方は今日非番だったのでは……?」


 ローズは首を傾げる。

 『ローズ様、そこに気付かないで!』騎士たちの心は再び一つになった。


「……い、いえ。わ、私は騎士団長なので、休日ですが何か騎士団の為に出来ることをと思いまして……」

 ユーリの言葉はカミカミだった。


「ユーリは真面目ですね。尊敬します」

 ローズは心からの賛辞を述べた。

 想い人に優しく微笑みながら褒められて、ユーリは思わず胸を抑えた。嬉し過ぎて胸が苦しい。


「お、おはようございます。すいません。私のせいで……」

「アカリ様のせいではありませんよ」


 騎士たちは、申し訳なさそうにするアカリに微笑んだ。

 あれから、男性に触れられたら泣いてしまうというアカリの体質を知った騎士たちは、アカリと物理的な距離はあるものの、心理的な距離は以前よりずっと近くなっていた。


「申し訳ありません、ユーリ。アカリが怯えていたので傍についていたのですが、落ち着いたようなので私も手伝おうかと」

「――ローズ様は、掃除(このようなこと)にも心得がある方なのですね」


 ローズがそう言って水魔法でバケツに水をためていると、後ろから甘さを含んだ声が聞こえて、ローズは振り返った。

 艶のあるアルトの声は、ベアトリーチェの特徴の一つだ。


「申し遅れました。私はベアトリーチェ・ロッド。ここの副団長を務めております」


 以前の印象とはまるで違う。

 大人びた優しげな声で挨拶をされて、ローズはどう反応すべきなのか困惑した。


「……」

「警戒なさらないでください。確かに以前の貴方は騎士には相応しくないと思い厳しく接してきましたが、今は考えを改めておりますので」

「え?」

「あの戦いで、なにか新しく見出されたのでしょう?」


 ローズは自分の心を見透かされたような気がしてドキリとした。

 つまり彼は、自分の未熟さと成長をきっちり見抜いて認めると言っているのだ。


「すいません。突然このようなことを言われても困りますよね?」

 ベアトリーチェは苦笑いする。


「こんな外見ではありますが、一応私は貴方より年上ですので、人のことはよく見ているつもりです。今後何かお困りのことがあれば、私を頼ってください。……ああ。そろそろ行かなくては。ユーリ。私はこれからあちらの仕事に行くので後は頼みます」

「え? 俺は今日は非番……」

「先程貴方が言っていたではありませんか。今日は騎士団の為に働いてくれるのでしょう?」

「…………わかった」


 ――合掌。

 騎士たちはユーリに同情の目を向けた。

 ユーリは、ローズに見栄を張ってしまったため断れない。

 休日返上で掃除決定だ。

 ベアトリーチェは意気消沈するユーリを放置して、ローズたちに一礼すると、さっさと門の方へといってしまった。


「……行ってしまわれましたね」

「ユーリ、騎士団以外の仕事とはなんなのですか?」

 ベアトリーチェの見送って、ローズはユーリに尋ねた。


「詳しくは知らないのですが、確か植物の管理……そう聞いています。ローズ様の試験の時もそれで居なかったんですよ」

「そうだったのですね」


 立場あるが人間が自分の試験のとき不在だったことは不可解だったが、そんな理由があったのか。

 ローズは一人納得した。

 ――でも騎士団と両立しなくてはならない仕事なんて、なんの仕事なのだろう……?

 それに彼の名前は、ローズはどこかで聞いたことがある気がした。

 ローズが疑問を口にする前に、アカリがユーリに尋ねた。


「そういえば、ずっと疑問だったんですけど、ベアトリーチェさんって何歳なんですか?」

「ああ。二六歳ですよ」

「一〇歳年上……」

 衝撃の事実にローズは思わず呟く。


「合法イケショタ」

 アカリはぼそりつぶやく。


「アカリ、何か言いました?」

「い、いいえ。何も!」

 ローズに尋ねられ、アカリは慌てて誤魔化した。


「随分とお若いんですね!」

 アカリは話を変えた。


「ああ。それはビーチェの魔力のせいですよ。魔王討伐の時にお二人はご覧になったかと思いますが、ビーチェの魔力は回復量が普通の人間より多いせいで、どうやら成長が止ま……いえ、遅いみたいで」

 ユーリは失言に口元を抑えた。


「……今のはビーチェには言わないでください」

「成長、止まってらっしゃるんですね……」

 アカリはしみじみ言った。


「じゃあ、あとは頼んでいいかな?」

 大方の掃除を終えたローズは、掃除のために纏っていた魔法をといた。

 ベアトリーチェから課せられた課題(そうじ)のために、一日が終わりそうなユーリは、ローズとは分かれて掃除をしていた。

 指揮をとれる人間が複数いる場合、分かれたほうが細かいことにも目が行くし、早く終わるとユーリ自身が判断したためだ。

 彼の真面目さは身を削る。


「はい。お任せください。ローズ様」

「ありがとう」

「すいません。私も失礼しますね」

 アカリはペコリと騎士たちに頭を下げた。

 アカリは本来騎士団の人間ではないが、ローズに会いに来ていたアカリは、結局ローズの班で掃除の手伝いをしていた。


「お手伝いありがとうございました。アカリ様」

「――はい。どういたしまして」


 騎士団の中で、以前アカリのことを誰もが『聖女様』と呼んでいたが、今は少しずつだが、彼女のことを『アカリ様』と呼ぶ人間も増えている。

 そう呼ばれるたびに少し照れる彼女を見て、ローズは微笑んでアカリの手をとった。


「それではアカリ、行きましょうか?」

「――はいっ!」

 アカリは元気よく返事をした。



「ローズさんは甘いものがお好きなんですね」

 アカリとローズは、仲良く城下を歩いて話をしていた。

 本人たちは無自覚だが、二人とも知名度が高すぎるせいで、二人が通る場所が「道」になっていく。


「はい。甘いものには目がなくて……。私はフィガルが一番好きです。あまり良くないとは思うのですが、つい食べてしまいますね。アカリはなにか好きな食べ物はありますか?」

「そうですね。この世界に来てだと一番おいしいと思ったのは……」


 この世界には異世界からの転生者や転移者が過去にも居り、彼らが使っていた言葉や名前が今でも残っている。

 ローズの作るマヨネーズを使ったサンドイッチも、元々彼らが伝えたものだ。

 因みにローズが作るサンドイッチは甘く、マヨネーズに砂糖を入れてある。

 甘いサンドイッチをアカリはこの世界に来て初めて食べたが、案外口に合う――というか、心から美味しいと彼女は思っていた。

 ……勿論、作るのがローズだからというのもあるけれど。


「ローズさんの手作りのサンドイッチが一番好きです!」

「……褒めても何も出ませんよ?」

 ローズは照れつつ微笑する。


「ローズさんのサンドイッチは世界一です!」

 そんなローズの表情の変化が嬉しくて、アカリはぐっと手を握った。

 年齢の割に子どもっぽいアカリの挙動に苦笑いした後、ローズは温かな目を彼女に向けた。子どもの成長を見守る母のように。


「アカリ、神殿での仕事はどうですか?」

「はい。少しずつですが……前よりはちゃんと出来ているかなって。この間は褒めてもいただけたんです。闇魔法に汚染された水をやっと浄化できるようになって……」


 魔王討伐の際、ローズを守るために『加護』を使ったアカリだが、実はまだ、完全に使いこなせるようになったわけではない。

 追い込まれ、ローズを守るために覚醒の片鱗を見せた彼女だが、三ヶ月程度の訓練で使いこなせるほど、そもそも魔法は簡単なものではないのだ。


「よかったですね」

「はい!」


 アカリは日々、神殿で働きつつ魔法を学んでいる。

 ローズはというと、魔王討伐後も騎士として生きることを選んだ。

 普通であれば公爵令嬢に戻って早く結婚相手を見繕うべきなのだろうが、本人はまるでその気がなかった。

「ローズさんは騎士団でどうなんですか?」


「毎日楽しく過ごしていますよ。魔法の精度も上がりましたし、前より回復量も増えたようでたくさん使えるようにもなって……。それにうまく言えないんですが、日々鍛錬を行っていると、もしかして私の魂はずっと騎士として生きてきたのではないかと思うほど、剣が体によく馴染む気がするんです」


 公爵令嬢としてそれはどうなんだろう……。

 アカリはそうも思ったが、ローズが楽しそうなので笑顔を作った。


「じゃあ、私はこれからお仕事なので」

「頑張ってください」

「はい! ありがとうございます!」


 神殿までアカリを送ったローズは、自分に手を振る彼女に手を振り返す。

 『光の聖女』に宿るとされる強大な力を完全に使いこなすために、努力を重ねるアカリの姿を見ていると、ローズは彼女との過去を、遠いことのように感じている自分に気が付いた。

 関係は緩やかに変わる。

 アカリが壁の向こう側に姿を消すのを見守り、ローズは神殿に背を向けた。


 聖剣は魔王討伐後無事ローズに返還され、ローズは今聖剣を帯剣しているが、返還された際『聖剣の守護者』という名もローズは国王から賜った。

 赤い瞳と同じ赤い石のはめ込まれた剣はキラリと輝き、彼女の高潔さを際立てる。

 高く結われた黒髪はサラリと揺れ、颯爽と歩く男装の騎士であるローズに、人々は目を奪われる。


 『ローズ・クロサイト』の名は、今は世界中に轟いていた。

 美しさとともに強さも兼ね備えた、心優しき男装の騎士――。

 今や騎士団における将来有望株は、ユーリ、ベアトリーチェに続いて、何故かローズの名が挙げられているほどだ。

 公爵令嬢としての男性人気はさることながら、男装騎士としてのローズの女性人気はとどまるところを知らない。


 『ローズ様であれば女性でも構いません! 結婚してください』と、毎日のように同性の友人を装った告白の手紙が届いているほどだ。

 ミリアは日々粛々とそれを処理している。


 ローズ本人はそのことを知らなかったので、

『安心してください。お嬢様に近付こうとする女狐は私が排除します』

『? ありがとう?』

 手を握ってミリアに言われても意味がわからず、ローズは首を傾げつつそう返していた。

 日々女狐に狙われているお嬢様は女性である。


「ミリアにはこれと……お父様にはこれ……お兄様はこれがお好きでしたよね」


 アカリと分かれたローズは、家へ持ち帰るためのケーキを選んでいた。

 十年間、兄のために戦ってきたローズにとって、今の生活は喜びばかりだ。

 ついつい顔がほころぶ。

 今は兄のためにお土産を買ってかえることが出来るのだ。嬉しくてたまらない。

 ローズがお土産を選んで店の外に出ると、人だかりが目に入った。

 見れば妙齢の少女たちが、きゃあきゃあと黄色い声を上げている。


「なんの騒ぎでしょう……?」

 ローズが疑問に思いながら近付くと――。


「やあ、ローズ」

 騒ぎの中心にはレオンがいた。

 レオンの周りには女性がたむろしていた。


「レオン様、これは一体……」

 ローズは思わず頬をひくつかせた。

 ――また、この方は……。


「ああ、今日は城下を視察に来たんだけど、女の子に話しかけられてしまってね」

「相変わらずおモテになりますね」

「なに? やきもち……?」

 レオンはそう言うと、ローズの髪を指に絡めて口付けた。


「君が僕の求婚に『はい』と言ってくれたら、僕は喜んで君だけを選ぶよ」


 きゃ――! 

 レオンの熱い求愛の言葉に、少女たちは声を上げた。ローズとレオンの二人は、見目と立場なら『お似合い』なのだ。


「やめてください」

 ローズは表情を変えずレオンの手を払った。

 彼が目覚めてから二週間。連日何度も行われると、流石に慣れる。

 またどうせこの人は自分のことをからかっているだけなのだ。ローズはそう思って顔を顰めた。


「私が選ばなくても、一国の王子が不特定多数の女性とこのような場で過ごすのはいかがなものかと思います」

「相変わらず、かたいなあ。ローズは」

「立場をわきまえているだけです」


 ローズは溜め息を吐く。

 レオンはそんなローズを見てくすくす笑った。

 この相手に対しての誠実さが、彼女が騎士で公爵令嬢でありながら、多くの女性に「理想の王子様」と慕われている理由である。

 ローズがレオンと話をしていると、道の向こう側から、聞き慣れた誰かの慌てた声が聞こえてきた。


「こら! やめろって!」

「馬鹿王子」

「アホ王子」

「『お前にはもうたくさんだー!!!』」


 リヒトが子どもたちに絡まれていた。

 レオンが作らせた『令嬢騎士物語』が発表され、ローズの人気はうなぎのぼりの一方、リヒトの人気は更にだだ下がりしている。 


「リヒトはああやって、子どもに囲まれている姿が本当似合うねえ。人間同じレベルの人間じゃないとつるめないと言うけど、リヒトには子どもがぴったりということかな?」

「レオン様。貴方が目覚められてからずっと思っていたのですが、リヒト様に対して態度がひどすぎませんか?」

「ローズはリヒトの肩を持つわけだ? 婚約破棄されたのに優しいね」

「別に……肩を持つわけではありませんが……」


 冷たい目を向けられて、ローズは視線を反らした。

 レオンの言葉は否定できないが、彼らが自分と兄との関係とは違いすぎて、どうしても気になってしまうのだ。


「痛っ!」

 リヒトをからかって遊んでいた子どもたちの一人が、押し合いになって転んだ。

 擦りむいたらしく、膝には赤く血が滲んでいた。


「……ったく。何やってるんだ。ほら、大丈夫か?」

 リヒトは、半泣きの子どもの手をとって立ち上がらせる。


「ああもう……泣くなよ……」

 しかしリヒトに子どもを泣き止ませる力はない。

 自分にちょっかいを出して怪我をした子どもを、リヒトは困った顔をして頭を撫でてなだめていた。


「どうかしたのでしょうか?」

「何事かな?」

「レオン様!」


 リヒトのもとにレオンとローズは近寄ると、子どもたちの目の色が変わった。

 レオンは子どもたちにとって、憧れの存在なのだ。

 レオンは目を覚ましてから精力的に城下におり、その際、雨で増水した川で溺れかけた子どもを助けるために、一瞬で川を凍らせ子どもを助けたという話は、今や王都に住むものならば、誰もが知る話である。


 レオンの属性は炎と氷。

 相反する二つの属性を持つ彼は、その力を合わせて水属性に近い魔法も使うため、実質彼は三つの属性を使い分けていた。

 レオン目当てに、一斉に子どもたちが走り出す。

 そのせいで、一人の少女が周りに押されて倒れかかった。


「おっと」

 そこを、レオンがさっと手を出して支えた。


「大丈夫かい?」

「……はい」


 その姿はまるで、物語の王子様そのもの。

 少女の瞳には、もうレオンしか見えていなかった。

 いたいけな少女の心を奪ったレオンを見て、ローズは顔を顰めた。

 ――この方は、またこうやって人を誑かして……。

 そして、ローズはとあることに気がついた。少女と同い年くらいの少年が、呆然と立っていたのだ。おそらく彼女を支えるために、伸ばした手をそのままに。

 初恋が散る瞬間。

 ローズの眉間の皺が更に深くなった。


 子どもたちに囲まれるレオンから離れ、ローズは泣いている子どものもとへ向かった。


「どうされたのです?」

「こいつが転んだみたいで……」


 リヒトは魔法があれからうまく使えない。

 指輪がある頃の彼であれば、水魔法と光魔法も使えたというのに、今の彼ではこの程度の怪我も治してやることができなかった。


「はい。これで大丈夫」

 リヒトの代わりに、ローズは光魔法で子どもの怪我を治してやった。


「……いいのか? あまり魔法は使わないほうが……」

 当たり前のように魔力を使ったローズに、リヒトは顔を曇らせた。

 強い魔力を持ち、全属性に適性を持つ。レオンの件もあり、ローズはこれまで他人のために魔力を使うことは制限されてきた。

 大事があった際常に最大の魔力が使えるように、回復力に合わせた魔法しか使えなかったのだ。

 人体に影響を与える光魔法は、他の魔法より魔力の消費が激しい。


「このくらいの消費ならすぐに回復できます。それに最近、前より回復力が上がったらしいので」


 自分の心配に対して、さらっととんでもないことを言った元婚約者に、リヒトは顔をひきつらせた。

 『測定不能』の魔力の上に『回復力の上昇』? とても同じ人間とは思えない。


「流石ローズ様!」

「お優しくて強いのですね!」

 そんなローズに、今度は人が集まる。


「あの……」

「魔王を倒したときのお話など聞かせていただきたいです!」

「えっと……」

 一斉に話しかけられ困惑するローズを、そっとレオンが後ろから抱きしめた。


「こらこらみんな、ローズを困らせたらいけないよ? 一斉に話しかけられたら、みんなだって困るだろう?」

「れ、レオン様……」

「君もまだまだ修行が足りないね。僕の王妃になるならこれくらいこなしてくれないと困ってしまうな。……まあ、そんな君の不器用さを、僕は可愛いと思うわけだけど?」


 づらづらと並べられる甘い言葉に、ローズは表情を強張らせた。

 日々あの手この手で口説かれ褒め殺されると、果たして彼の言葉のどこに本心があるのかわかったものではない。

 寧ろ全て偽りのようにすら思えてくる。


「レオン様もローズ様も、お二人共素晴らしい。お二人がいてくだされば、この国は安定ですね」


 しかし他人から見れば、二人の姿は紛れもなく未来の理想の王と王妃にも見えるらしかった。

 英雄譚で、ローズがレオンを十年間愛していたとも取れる記述があったためだろうとローズは思った。

 愛する人のために愛のない婚約を行い、そして命がけで彼を目覚めさせた――『令嬢騎士物語』。

 それはレオンと、ローズの愛の物語のようも読めるものだったのだ。

 実際のところはブラコンの妹が兄のために努力していただけで、レオンはおまけだったわけだが。


 世における正史とは、権力者によって作られたものであり、それが本当に全て正しいとは限らない。


「さて、そろそろ時間か」

「レオン様?」

 レオンローズを抱きしめていた手を離すと、銀時計で時間を確認して言った。


「ああ。ごめんね、ローズ。名残惜しいだろうけどまた今度」


 まるでローズが、彼にこのまま抱きしめられていたかったと思っているような言い草だった。

 ローズは微妙な気持ちになった。

 レオンのことは嫌いではないが好きでもない。ただの幼馴染というか、喧嘩相手で腐れ縁だ。


「リヒト、君も今日呼ばれているだろう?」

「はい……」

 ローズを無視して、レオンはリヒトに話を振る。リヒトは兄に名前を呼ばれて表情を暗くした。


「何かあるのですか?」

「今後の話を少しね。父上からお呼び出しがあったんだ」

 にこやかに笑うレオンと、下を向くリヒト。

 同じ髪色なのに、醸し出す雰囲気が間逆だ。


 レオンが戻ってからというもの、二人並ぶときのリヒトの表情はいつも暗い。

 ローズは別に、リヒトにこんな顔をさせるためにレオンを目覚めさせたかったわけではなかった。

 だからこそ、ここまで彼が落ち込むのを見ると、複雑な気分になる。

 ――どうしてこのお二人は、こんなに仲が悪いんだろう?

 昔のレオンはリヒトに優しかった気がするだけに、ローズは今の二人の関係がよくわからなかった。


「……そういえば、私も今日はお父様に話があると言われましたね……」


 その時ふと、ローズは今朝のことを思い出して呟いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ローズ。新しい婚約者を選んだ」


 ローズが家に帰ると、父であるファーガス・クロサイトは彼女を自室に招き言った。


「……相手の方の名前は?」


 ローズは騎士だが公爵令嬢だ。

 貴族の娘である彼女は、父の決定に対して反抗的な言葉は述べない。

 黙ってそれを受け入れる。


「それは、今は言えない」

 ファーガスは静かに言う。


「まだ返答を貰っていないのだ。彼が了承してくれたら、彼の方からお前に声を掛けるようお願いしてある。私は、彼であればお前を幸せにしてくれるとは思っているが、彼も立場がある方だからな……」


 ――立場がある? 誰だろう……?? 

 ローズは思案した。

 公爵である父が『立場がある』とまで言うほどの相手は、自分と同年代だとレオン以外考えられないが、レオンであれば二つ返事で了承する筈だと思ったから。


「私は父として、お前の幸福を願っている。騎士として生きることは構わない。しかし一人娘に、女性としての幸福も掴んで欲しいのだ」

「……」


 神妙な顔をして父は言う父に、ふうと小さくため息を付いて尋ねた。


「お父様。本音をおっしゃってくださいませ」

「早く孫の顔を見たい」

「それはお兄様に言われたほうが……」

「ギルバートの場合、相手が相手だろう」


 先程までの公爵と公爵令嬢としての顔から、今は父親と娘という顔へと変わっていた。

 扉の向こう側で、屋敷の廊下を走る音がする。


「ミリア! 君が俺の運命なんだ!」

「何が運命ですか!!! 毎日毎日、追いかけてこないでくださいと言っているでしょう!!!!」


 声の主は、ローズの兄であるギルバート・クロサイト。

 そして、ローズ付きのミリア・アルグノーベンだ。


「お兄様とミリアは……?」

「あれじゃあ当分先だろう」


 目を覚ましてからというものの、ギルバートは毎日ミリアを口説いている。

 扉を開けて廊下を見たローズは、二人の痴話喧嘩(物理)を見てふふと笑った。


「相変わらず仲がいいですね」

 多分、そう言えるのはローズだけだ。

 身体強化系魔法を使うミリアに殴られたら、普通の男であれば立ち上がることは出来ない。

 壁さえ破壊するミリアの拳は、人間相手には強すぎる。


「あの攻撃を受けたら普通重傷のはずなんだが、我が息子ながら恐るべき回復力だな」


 だが、その攻撃を受けても立ち上がれるのがギルバートだ。

 光魔法が使える彼は、自身の怪我を治すことが可能だ。

 アカリが以前話していた、ギルバートの『運命』の相手は、この世界ではミリアだったりする。


「お兄様は光と水ですから……回復もおはやいですし、ミリアの攻撃を受けて生きて追いかけられるのはお兄様くらいかもしれません」


 一般的に、水属性に適性をもつ人間は人よりは回復がはやいとされる。


「私もお兄様であればミリアを任せられます。それにお兄様とミリアが結婚ともなれば、ミリアは私のお姉様になるのでしょう? それはすごく素敵だと思いませんか? お父様」


 おそらくミリアは、ローズのその言葉を聞いたら頭を抱えるだろうなと公爵は推測した。

 お嬢様第一のミリアだ。

 はっきり言って、ギルバートはローズを味方につけて『私のお姉様になってほしいのです』と言わせたほうがはやいのではないかと彼は思った。


「なんだかこうしていると、昔を思い出して楽しくなりますね」


 しかし魔王討伐後、ギルバートが戻ったことにより、漸く明るく笑うようになった娘に、打算的なことを頼むことはファーガスには出来なかった。


「とりあえず、そういうわけだ。ローズ、今後の行いには気をつけなさい」

「はい。お父様」

 ローズは静かに首肯した。



 公爵家が慌ただしいながらも幸福な時間を過ごしていたその頃。


 レオンとリヒトは、父リカルドの前に膝をついていた。

 かつてリヒトとローズとの婚約を認め、二人の婚約破棄の際ローズを引き止めたかの王は、今は二人の息子の名前を呼んだ。


「レオン、リヒト。――顔を上げなさい」

「はい、父上」

「……はい。父上」


 父の声にすぐに応えるレオンに少し遅れて、リヒトは顔を上げた。

 しかしリヒトはレオンと違い、父の顔を真っ直ぐに見ることは出来なかった。

 リカルドは二人の息子に言った。


「レオン。十年の月日は長い。いくらお前が優秀な子であったといっても、その時をすぐに埋めることは出来ないだろう。この一年で、それを取り戻せるよう努力しなさい」


 まずは、兄であるレオンに向かって。


「リヒト。いくらお前がこの十年努力を重ねたといっても、お前がローズ嬢に行ったことは決して許されない。また指輪が壊れたことで、魔法が碌に使えないと聞いている。今の状態で民がお前を望むことはないだろう。王になりたいと思うなら、人並みの魔法は使えるようになりなさい」


 次は、弟であるリヒトに向かって。

 ただその言葉は、レオンのときよりずっと厳しい。


「お前たちがどちらが王に相応しいのか――私は、その決断を、人に託すことにした」 

 王は王子たちに静かに述べる。


「これから一年の後、お前たちのどちらが王に相応しいのか、五人の人間に選んでもらう。その票数の多い方を、次の王とする」


「――僕たちを選ぶのかどなたなのか、聞いてもよろしいですか?」

「それは教えられない」

 レオンの問いに、リカルドは首を振った。


「ただこれだけは言っておこう。お前たちを選ぶのは、この国の未来に関わる者たちだ。お前たち二人はこれから一年、王の資質を問われることとなる。一年間。後悔がないよう、努力しなさい」


「かしこまりました」

「……かしこまりました」

 最後の言葉は、王というより父の言葉だ。

 二人は父に頭を下げた。しかしやはりその行為でも、リヒトはレオンに遅れを取った。


「さあ、もう行きなさい。子どもたち」


 そんな二人に、リカルドは静かに言った。

 リカルドは、王だ。しかし父でもある。

 王であるリカルド自身は、レオンを選ぶほうが正しいと思っていた。

 ただ父である彼は、暗い表情をするリヒトに、すぐに答えを与えることは出来なかった。


「この試練は、やはり酷だろうか……?」


 次の王を決めるための一年。

 この一年は、レオンのための一年だ。

 一年あれば、レオンは国民の誰からも慕われる存在となることだろう。

 だからこれは、リヒトのための一年でもある。

 ――リヒトが王になるという、夢を諦めるための。


 父の心を知らない二人は、二人廊下を歩いていた。

 レオンは前を向いたままリヒトに話しかける。彼はこれから、また城下に行くのだとリヒトに言った。

 リヒトは、兄の後ろを少し下がって歩くことしか出来ない。

 城を出るときになってやっと、レオンはリヒトの方を振り返った。


「……さて、これで晴れて敵同士だね? リヒト」

「……」


 レオンの声には、余裕しか感じられない。


「魔法が使えなきゃどうしようもないけれど……。まあ、『王の資質』? 本当に君にそれがあるのか、楽しみにしているよ」

「…………」


 薄く笑う兄を前に、昔も今も、リヒトはどうすることも出来なかった。


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