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騎士の結婚 3

 一度足を止めたリカルドは、それから何も聞こえなかった振りをしてその場を去ろうとした。

 そんな父を、声は再び呼びとめた。


「父上。逃げないでください」


 リカルドはその言葉に再びピタリと足を止めたものの、振り返ろうとはしなかった。


「……リヒト」


「最近、ここにいらっしゃることが多いと聞いたので」


 リカルドはその言葉を聞いて、ポツリつぶやくように言った。


「……彼女も、あの子も。この場所を愛していたから」

「あの子とは……俺の、伯母上のことですか?」


 リヒトの問いに、リカルドは静かに頷いた。

 

 『光の巫女』と母の仲が良かったという話は、リヒトは後から兄に聞いた。

 昔から体の弱かった母の治療は、そもそも『光の巫女』が行っていたらしいということも。

 だからその『光の巫女』が亡くなったからこそ、後を追うように母は亡くなったのかもしれないと、リヒトはレオンに聞いた。


「伯母上は、どんな方だったのですか?」


 『光の巫女』のことを父に尋ねるのは、リヒトがそれが初めてだった。

 と、いうより――父と話というものを、リヒトはこれまでほとんどしたことがなかった。


「妹は、優秀な人間だった。私と違い誰からも、妹はその能力を認められていた」


 兄弟での才能の差。

 それはどこか、リヒトとレオンと似ていた。


「『炎属性』に適性がある。私が妹より『王の資質』があるとするなら、その一点だけだった。だから私はいつだって、私を慕う妹が、愛しいのに憎らしかった」


 リヒトだって、レオンが嫌いではなかった。

 でも、周囲の人間に比べられて心ない言葉を吐かれる度に、いつからかリヒトも、兄のそばに立つことが苦しくなったのは事実だった。


「陽だまりのような妹だった。まるで彼女がその場にいるだけで周囲が明るくなるような、妹はそんな人間だった。そしてその子どもは金色の髪に赤い瞳を宿して生まれ――力を隠してこそいたが、私の二人の息子よりも優れた力を持っていることは、疑いようはなかった」


 今のリヒトなら、ローゼンティッヒを上回る。

 けれど『賢王』の転生者とされるレオンでさえ、一〇年の月日を魔法の研鑽にあてたとしても、ローゼンティッヒと肩を並べるのが精一杯だったはずだ。

 ましてや彼には『強化属性』持ちの妻がいて、なおかつリヒトたちより、ずっと早くに生まれているのだから。


「魔力の低い王など受け入れられるはずがない。――お前に向けた言葉は全部、かつて私自身が、自分に向けた言葉だった」


 リカルドは、美しい花に触れて言った。その手は、かすかに震えていた。


「お前や、眠りについたレオンより、妹の子のほうが相応しいという者さえいた」


 父が母を愛していたことを、リヒトは知っている。

 それは、王としてでは一人の人間として。

 

 だとしたら、それは――。二度と目覚めないかもしれない我が子を切り捨てるような言葉を吐く者たちの声は、父の目にはどう写ったのだろう? リヒトは、考えると胸が苦しくなった。


「弱い私では……お前が『失敗』した時に、力の弱い私では、お前を守ってやることができない。だから私は、お前が新しいことをなすことを禁じた。結局私は、大国の王のように振る舞うことなど出来なかった。お前を認め評価できるほどの力が、私にはなかった」


 ずっと、自分の道を阻んでいたはずの大きな壁。

 それが今は、今のリヒトには、何故かとても小さく見えた。


「私がそばにある限り、お前は私を思い出すだろう。……だから」


 リカルドは振り返り、リヒトを真っ直ぐに見つめて言った。


「お前を、私から解放する」


 どこか、寂しそうに笑って。

 リカルドはリヒトに言った。


「私のことは王とも、親とも思わなくていい。存在しなかったようにも扱えば良い。事実私が王になって成したことなど微々たるものだ。これからお前が成すことを思えば、居ても居なくても変わらぬほどの。だから――」


 しかしそのリカルドの言葉を遮るように、リヒトは言った。



「許しません」



「……今、なんと?」

 

 リカルドは、思わず聞き返していた。

 自分の息子なら、喜んで聞き入れるだろうと思っていたのに。


「貴方が俺から逃げることは、許さないと言いました」


 リヒトはもう一度、はっきりリカルドに言った。

 リカルドは、思わず目をまたたかせた。予想外の事態に、どう反応していいかがわからない。




 『光の巫女』、アメリア・クリスタロス。

 彼女はかつて、ベアトリーチェの命を救った。

 それから数年後、彼女は『死んだ』とされている。けれどその体は――実は、今この世界にはない。

 リヒト自身、この事実を知ったのは最近だった。

 そして、アカリが生きてきた異世界に存在していた『Happiness』というゲームには、クリスタロスの言葉でこう書かれていた。


【これは私が、未来を変えるために紡ぐ幸福の物語。私がこの国を守ると誓う。たとえそのために、この命が潰えても。 アメリア・クリスタロス】


 『光の巫女』が強化魔法の使い手であることは、公式の記録では完全に伏せられていた。

 神託を賜るような高貴な女性が、強化魔法の使い手であることを、神殿は隠したのだ。

 強化魔法は己と他者を強化する。

 そしてその力は、『運命を打ち破る者に与えられる』とされる。


 『光の巫女』がベアトリーチェを救ったからこそ、ローズちは魔王を倒すことが出来た。

 『光の巫女』が不在だったからこそ、ローズは兄やレオンのために己を磨いた。

 アカリにとってこの世界が偽物で、ローズだけが本物だったからこそ、アカリはローズのために『守護』の力を使うことが出来た。

 リヒトを中心とした『今』の全ては、『光の巫女』の行動なしでは有り得ない。

 この事実に気づいた時に、リヒトは考えた。

 『光の巫女』が命をとしてまで救いたかったのは、救いたかった世界の中心には――一体誰がいたのだろうと。

 

 愛すべき人。

 夫や子どものことだけを思うなら、もしかしたらいつか滅ぶ世界であっても、最期の時を共にするという決断だって出来たはずだ。

 ――なら。

 彼女がずっと、幼い頃からずっと、救いたかったのは。

 変えたかった、『世界』は。

 ローズとは違って、結局たった一人、自分の命を賭けることを選んだのは。


「俺と貴方は、ある意味似ているかもしれないと思うんです。俺も昔アカリのことを、部屋にとじこめてしまった。それが、自分にできる最善だと思っていたから。でもそれは、今思えば、父上が俺にしたことと同じでした」


 親を見て子は育つという。

 だからだろうか。リヒトはリカルドが自分にされたことを、かつてアカリにしてしまった。

 かつて自分が、そうされたことで苦しんだことすら忘れて。


「貴方がこれまで、どんなふうに育てられたのか。どんな風に生きてきたのか。その中で、感じたこと。『分かって欲しい』――もしかしたら貴方は今、俺にそう思っているかも知れない。でもそれは、これまでの俺にとって、何の意味も無かったことなんです。俺が知ることが出来る貴方は、他者が語る貴方であり、そして何より、俺が知る貴方で。兄上とは違う俺を、どうしようもなく無力な俺を、その努力も思いも、無駄だと言った貴方でしかなかった。貴方は『クリスタロスの国王』で、ロイのような大国の王ではなかった」

「……」

「でも、どう嘆いても、過去を変えることなんて出来ない。あの時ああして欲しかった。ああ言って欲しかった。勿論、俺自身の責任もあります。だから全て、貴方が悪かったとは俺は言いません。……ただ、これだけは、言わせてください」


 リヒトは深く息を吸い込んで、父にずっと伝えたかった言葉を口にした。


「俺は、貴方に信じて欲しかった」


 その言葉を口にした瞬間に、ずっと胸にしまっていた感情が溢れ出すのをリヒトは感じた。


「兄上じゃなくて、俺のことも、ずっと信じて欲しかった。――……だって」


 泣きそうになるのを必死に堪えて、リヒトは言った。


「愛することは、信じることだ」


 リカルドはその言葉を聞いて、大きく目を見開いた。

 そうして子どもの瞳が僅かに揺れているように見えて、リカルドはぐっと拳に力を込めた。


「今更言ったとしても、過去は変えられない。ただ俺はこの不幸の連鎖を、俺はここで断ち切りたい。俺はもう、貴方の庇護がなくても生きていける。だからこそ今俺は、一人の人間として、貴方に向き合いたいと思うんです。俺はもう、逃げません。これまでのことからも、これからも。だから貴方も、俺から逃げないでください。貴方が俺に対して負い目があるなら、今、そう感じているのなら。一生を賭けてでも、証明してください。人は変われるいうことを、今度は貴方が、俺に教えてください。それが俺が貴方に望む、唯一の贖罪です。――……父上」


「……リヒト」


 リカルドは、リヒトに手を伸ばそうとしてやめた。


「過去の私の行動を、許してくれとは言わない。……それでも、これだけは、言わせて欲しい」


「?」


「こんな私を、もう一度信じようと思ってくれてありがとう。私の子どもとして、生まれてくれてありがとう。きっと彼女も、そう思っていることだろう」


 その時。

 父の心からの笑顔を、リヒトは久々に見たような気がした。

 リヒトは何も言えなかった。

 もしかしたらそれは、自分が生まれたときに、父が自分に向けてくれたかもしれないもの。

 覚えていなくても。きっと、思い出せなくても――リヒトは心は、確かに覚えているような気がした。

 

『リヒト様さえいらっしゃらなければ』

『陛下に嫌われているのは、リヒト様のせいで王妃様が――……』

 

 心ない誰かの言葉を、知らなかったわけじゃない。だからこそリカルドのその言葉が、リヒトは心から嬉しかった。


 ――やっと。……やっと。

 

 リヒトはその時ようやく本当の意味で、自分を許せたような気がした。


 リヒトは父に背を向けると、前に足を踏み出した。



「リヒト」

「……兄上」


 リカルドと話を終えたリヒトを、レオンは待っていた。


「父上のこと、許すのか」


 レオンの問いに、リヒトは足を止め、曖昧に微笑んだ。


「……許すとか許さないとか、そういうことじゃないと俺は思うんです。そんな簡単な言葉で片付けられるなら、きっと誰も苦労なんてしない。俺は大事なことは、気持ちに『区切り』をつけることだと思うんです」


「区切り?」


「父上とのことがなかったら、もし俺が魔法が使えなくても、ロイみたいに父上が俺の魔法道具を認めてくれていたら――俺がローズや兄上に対して抱いていた感情も、きっと今とは変わっていたはずです。こんなふうにローズを傷つけて、アカリのことを振り回すこともなかった。でも俺は、それは『俺の罪』だと思うんです。……前世の自分のせいたからだとか、そういうことではなくて」


 リヒトは胸に手を当てた。


「たとえ自分が傷ついたからとしても、誰かを傷つけていい理由にはならない。傷付けた時に、きっと自分も『同じ』になってしまう。そのためにこの不幸の連鎖を、俺はここで断ち切りたい。だから俺は、父上にも変わることを願っています。俺を選んでくれたローズや、俺を信じてくれるたくさんの人の俺が出来る贖罪は、きっとこれからの俺で、証明することでしか出来ないと思うから」


 『変わること』――父に願ったそれは、リヒト自身の誓いでもあるのだ。


「自分に向けられた言葉は、一生消えることはありません。悲しかったこと、悲しかった時間。もしそれがなかったら、俺はもっと早く、前へ踏み出せたこともあったかもしれない。その思いは、これからも俺の中にあり続けます。その全部を許せるかと言われたら、俺だって……もしかしたらこれからも、思い出しては、胸が苦しくなることはあるかもしれない」 


 自分を変えることは自分で出来ても、他人を変えることは難しい。

 血が繫がる家族だから、全てが許せるわけじゃない。

 いいやむしろ、家族だからこそ――期待が裏切られる度に、また胸は痛むだろう。


「詰まるところどんな過去があったとしても、一人の人間としてみたときに、一緒に居て欲しいかどうかだっても思うんです」


 父は――『リカルド・クリスタロス』という人間は、決して『悪人』ではない。

 今のリヒトにはそう思えた。


「もし側に居て欲しいと思うなら、共にありたいと思うなら、どんな過去があったとしても、それを受け入れるしかない。……ただもしかしたら、心では一緒に居たいと思っても、体が付いていかないということもあるかも知れない。そしてこの選択が正しいとかそうじゃないとか、そう議論することは無意味だとも俺は思います」


「……どうして?」


「自分にとってのその時の『最善』は、他の誰かの『最善』だとは限らない。誰かの気持ちを完全に理解できる人間なんて、結局はどこにもいないんだから」


 もし自分の心の『理解者』だと、『代弁者』だと思う相手と出会ったとしても、そこにはきっと問題を抱える当人の、『期待』や『理想』が入りまじる。

 決断をできるのは当人だけだ。

 同じ人生を歩む人間なんてこの世界にはどこにも居ないのだから、他人だれかの決断に、他の誰も、口出しする権利はない。


「誰かに与えられたせんたくを進むのは簡単で、でもその道が自分にとって『過ち』だと思ったときに、手を差し伸べた誰かのことを、憎んでしまう瞬間もあるかも知れない。だから俺は、いつか後悔したとしても、その責任は俺の中にとどめていたい。大切な誰かを嫌わなくて良いように、どんな未来であっても、向き合うべきは、過去の自分であるために。俺は、『神様』ではありません。これからのことは、俺にはまだ分かりません。でもこれが――『今の俺』の選択です」

 

 リヒトは空を見上げた。

 空は快晴。美しい青の色を見つめていると、リヒトは自分の心も晴れるような気がした。


「……それにきっと、『明るい方に光は伸びる』」


 差し出された手を掴んだからこそ、今のリヒトがいる。

 だから今度は、自分が掛けて貰った思いの分、違う誰かに手を差し出したいとリヒトは思った。

 相変わらず王侯貴族らしくないリヒトの言葉に、レオンは目を瞬かせた。


「……ああ、そうだね」 


 美しい希望の光。

 それは白百合のような、純粋で無垢なものではない。

 ――それでも。

 泥の中に咲く花もまた、きっと美しいに違いない。

 迷いながら弟が辿り着いた結論を祝福するかのように、レオンは笑って頷いた。

 そうして彼は、母の遺品である懐中時計を優しく撫でた。


「それって母上の……?」

「ああ。そうだ」

 レオンは頷いて――じっと時計を見つめる弟に少し不機嫌そうに尋ねた。


「……何ずっと見ているのかな」

「あっ。いえ、ただ綺麗だなあって思って」

「これは僕のだ。君が欲しがっても、これだけはあげないよ」

「べ……別に俺は、『欲しい』だなんて言ってません!」


 リヒトの返答に、レオンは思わず笑ってしまった。

 自分の全ては弟に奪われたと思っていたレオンに、母が遺してくれたもの。

 大切な人がこの世界からいなくなっても、変わらずに時は動く。

 この世界で時間だけは、平等に与えられる。

 止まっていた時が動く音を聞いて、レオンは笑った。


「兄上、そんなに笑わないでください。……父上とは話も出来ましたし、そろそろ俺はローズのところに行ってきます」


「ああ。行ってらっしゃい」


 レオンは笑ってできた涙を指で拭って、弟を送り出した。


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