もし、人生の岐路に立ったなら
私がシュークリームに戻ると、気を失って倒れているカトくんがいた。
その傍には、疲れ切って壁に背を預け、座って俯きながら寝ているトアさん。
ロリロリも苦しんでいる様子はなく、静かに寝息をたてていた。
死者の姿もない。ユーエンチを支配していた、薄暗さも、いつの間にか無くなっていた。
(終わったんだ。あとは、帰るだけ……)
寂しいような、悲しいような、胸の辺りがざわつく。
人間の世界に行ったら、あのデパートに戻ったら、お客さんに挨拶して、店長と少し会話して、犬を洗って、カットする。人といるよりも、犬の方が多い時間。そう、前と同じ生活に戻るだけ。
たったそれだけなのに、戻る事への抵抗が、少しある。
トアさんに近づき、寝顔を覗く。
(トアさんとも、お別れか。長いようで、短かったなぁ。性格悪いと思ってたけど、そんなことなかった。きっと何年かしたら、トアさんの事も、忘れてしまう。こうやって過ごした時間も、全部……起きたら、プロポーズの件、丁重にお断りしないと)
よく考えた結果だった。
正直、トアさんは嫌じゃない。こんなに心を許したのは初めてだし、好きか嫌いかって言ったら、好きかもしれない。でも、トアさんは、この世界の住人。私とは、何もかもが違う。
(それに、トアさんには、私なんかより、もっと良い人がいる)
トアさんの茶色い癖っ毛を撫でた。見た目通りふわふわしていて触り心地が良い。
「んー? ハイネ?」
起こしてしまったらしい。眠気と戦いつつ、必死に目を擦っている。
私は急いで手を引っ込める。
(トアさんにも可愛いところが、あったのか)
微笑ましく眺めていると、私と目が合った。
トアさんは、無邪気に、力なく微笑むと
「ハイネ、すき」 少しかすれた声を出した。
(え、何で、今その言葉?)
至近距離で言われたせいか、無防備だったからか、何かに衝撃を受けた。
鼓動が早まり、顔周辺に熱が集まる。
心臓か内臓か、よくわからないけど、ぎゅっていうか、収縮したように感じた。
(やばい!やばい! なにこれ!! 好き? 好きなの、私!)
反射的にトアさんに背中を向けた。
恥ずかしくて、顔、見せられない。私から近づいたのに!
顔の熱を冷ましていると、完全に目が覚めたらしいトアさんは、私の肩を叩く。
「ハイネ? どうしたの、大丈夫?」
あんたのせいだろうが!
「……カトくんも、ロリロリも、大丈夫そうだね」
後ろを向きながら答える。
「そうだね。僕が気付いた時には、カトくんは寝ていて、チャーナくんも苦しんでなかったよ。ハイネがやったの?」
私は、トアさんに目線を合わせる。
「うん……それより、これからの事だけど」
どう伝えるか、流れをどう作るか。
直球の方が良いかも。
「そのことなんだけどね。やっぱり、ハイネは人間の世界へ行くんだろう?」
口を開いた瞬間に、トアさんの方が先に話した。
それも、妙に悩んでいるような雰囲気。
「そうしようと思ってる。だから、その……」
ここまで来て、最後の言葉がでない。
さようなら。そう言うだけなのに。
「やっぱり。ハイネ、よく聞いて、僕は考えたんだ。君にプロポーズした手前、こんなことを言うのはどうかと思うけど……」
(も、もしかして、この暗い感じ。私、答え伝える前に、振られる? ユーエンチで、天国と地獄を味わうなんて)
トアさんの次の言葉を待つ。
こっそり深い深呼吸をして。覚悟が必要!
「……僕は、男だ。ユーエンチなら、庭みたいなものだし、ハイネを養うには十分。でも、ハイネは人間の世界へ行くんだろう? 人間の世界で、僕に何が出来るのかわからない。僕も頑張る。頑張るから、人間としての仕事が安定するまで、待っていてほしい。そうしたら、改めてプロポーズするから!」
「……来るんだ、人間の、世界?」
予想外過ぎて、自分が何を言っているのかもわからない。
「当たり前だよ! ハイネの願いは叶えたい! でも、ハイネと離れるのは嫌だ。考えた結果だよ」
照れくさそうに笑うトアさんにつられて、私も笑った。
トアさんと人間界、凄く不安だけど、凄く安心するかも。
「……じゃあ、がんばろ」
私がトアさんに好意を伝えるのは、まだ先かもしれないけど。
(こんなことなら、あの時、お姫様抱っこされとけば良かったー)
臆病なこの人が、知らない世界に私の為に来てくれる勇気を、私は知っていた。
これは、彼が人間になるまでの、時間。
最終話です!
読んでいただき、ありがとうございました。
なんだかんだハイネは、トアの事が好きです。トアはだいぶ前からハイネを知っていました。
設定では……
ハイネが二十五歳、家族にトラウマをもっていて、それがあの性格の原因。
ちなみに持っている資格は漢検三級。
トアが二十七歳、努力家でハイネにカッコいい所を見せたくて、会う前に魔法を練習しまくりました。なので、あんなに強い。
楽しく書いたので、楽しく読んでくれたら幸いです。
続きとか番外編とか、そんな感じのをいつか書きたい!と考える今日この頃。
読んでくださり、本当にありがとうございました!