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もし、死者が見えたなら

 モモタロウが息を荒くしながら、こちらを見ている。

 モモタロウ、まるでオスの様な名前だが、カルテにはメス、四歳。犬種、柴犬。と書かれている。

 どうにも柴犬は日本を思わせる名前が多い。

 タロウだとかジロウ、モモや小さくないのにチビ。


 (いいなー、犬は)


 モモタロウをシンクに入れ、ぽっちゃり気味の体を洗う。……の前に、肛門腺絞り。

 私は、これが嫌いだ。まず、大半の犬は嫌がるし、柴犬は特に敏感。そして油断すると「うぅーーーー……」「……がぁうっ!」咬んでくる。割と本気咬み。

 これだけ苦労して出してあげているのに、激臭い。トリマーとは、こんなもん。


 私、中川灰音なかがわはいね二十五歳独身。が週五で勤務しているのは、近所のデパート一階にあるペットショップ「あにまるらんど」のトリマー。

 六人と少ない従業員の人間関係にも、溶け込めない。五年もいるのに。


 (人間が苦手で、トリマーになったのに)


 ふと、視線を感じた。

 犬の飼い主が心配して、トリミング室の様子を見に来ることは、よくある。でも、これは違う気がする。


「まさか……」


「うわぁっうっ!」


「あっ!」


 よそ見をしている瞬間に、モモタロウがシンクから跳び出してしまった。

 びしょ濡れの体で走りまわる。

 必死に追いかけるけど、あと少しで逃げられてしまう。


 ここからは、本当に大変なことになった。


 最悪な事に、偶然トリミング室の前にいたモモタロウの飼い主に見られてしまった。

 ガラス越しでも分かる驚愕した顔。

 それもそうだ。モモタロウは走りながらも興奮して、時々滑っては派手に転倒している。


 モモタロウ飼い主と話していた店長が事態に気付き、他の従業員を連れて走ってくる。

 店長が急いで来たトリミング室の扉から、モモタロウは華麗に脱走。

 飼い主のもとへ行ったのはラッキーだったが、濡れた前足で飼い主の高そうなスーツをびしょ濡れにした。

 その後は、モモタロウを捕まえて、飼い主はいい人で「気にしないで」と言っていたけど、店長にこでっしり怒られた。


 そして今、昼の時間をほとんど使ってトイレで反省中。

 一通り反省した後、トイレを出たときに、あるお客さんの会話が聞こえた。


「ここ、出るらしいわよ。ほら、二階にあるショップの店員さんが言ってたのよ」


「本当らしいわね。聞いた? 五階から転落した人の話!」


「あらっ、もしかして、どこかにある開かずの扉から入ったって話? やっぱり、怖いわよねー」


 また、この話か。

 最近、ある噂がデパートに来るお客さん内に広がっていた。良い噂ではない。


 デパートができる前、ここはホテルだったらしい。

 五階周辺は、一部まだホテルのまま、残っている。というのも、改装したくてもできない。

 その原因が、幽霊だ。

 心霊現象が起こるという話は、デパート従業員なら誰でも昔から知っている。私も入社したての頃、散々聞かされた。

 私は、そういう存在を昔から見聞きできた。ここに来た時から、誰かに言われる前から、徘徊している彼らを何度も見た。でも、誰にも言うつもりは無かった。知らないふりをした。今も、気付かないふりして、彼らとすれ違う。


 一度だけ、目撃例の多い五階をお払いに来た人がいた。

 効果は無かった。そのせいか、その年の夏、発見しにくい五階の、改装していない部屋へ入った人がいた。その人は、その部屋から外へ出て、飛び降りた。自殺だった。

 この事によって、彼らの強さが大きくなった。

 そのため、噂という形でお客さんも彼らを知ることになった。


 モモタロウのよそ見も、彼らだと思った。

 幽霊、死者、妖怪、物の怪。呼び方はたくさんあるけど、皆同じ。

 彼らは、私の様な存在を知ったら、必ずまとわりつく。

 救いの手を、永遠に探しているから。


 (もし、私が助けたら)


 何かが変わるだろうか。

 噂のせいで客足が遠のいているデパートを、救えるだろうか。

 大好きなアニメの主人公みたいに、人間嫌いな自分もデパートも変えられるだろうか?


 そんなことを考えていたからか、気付いたら五階にいた。

 彼らがゆらゆら歩いているのが、わかる。

 彼らの様な存在は直視できない。なので、目線を下に、視界の隅で見る。

 彼らの中に、いつも朝、開店前のあにまるらんどを徘徊している者を見つけた。

 後を追ってみる。幽霊の追跡なんてバカげていると思うが、先ほど仕事で失敗した分、どうにか汚名返上したかった。


 ゴンッ

 鈍い音と共に、額に痛みを感じた。

 追うのに夢中で前を見ていなかった。そう思えば、彼らは壁とか地面とか関係ない。


 (なんだ、本屋の壁か)


 額を手で押さえながら、壁を見る。


 (あれ?)


 よく見ると、壁ではなく、壁に見せかけた扉。

 こんなに近づいて見ないと分からないなんて、まるで。


 (例の発見しにくい扉、なのでは?)


 この先が、改装されていない部屋?

 辺りを見回すと、この場所は死角になっている。


 (嫌な感じもするし、当たりだね)


 驚いた。こんなに上手くいくなんて。

 入るか、否か。

 いや、その前に、扉が開くかどうかだよね。

 小さくて短い取っ手を、親指と人差し指でつまみ、恐る恐る引っ張ってみる。

 小さく音を立てて、簡単に開く扉。


 深く、どこまでも暗い印象。前が見えない。まさに、一寸先は闇。


(ここは、行ってはいけない世界)


 足を踏み入れてはいけない。直感がそう言う。


 (私は、どうかしていたんだ。……戻ろう)


 扉を閉めようと、取っ手を再度つまめば、向こう側から伸びてきた真っ白な手。

 一瞬の事に頭も身体もフリーズする。

 真っ白な手が、扉をがっちりと掴み、押してくる。

 力は思ったよりもはるかに強く、仕方なく数歩後ずさりすれば、扉はあっさりと開け放たれた。


 目の前には、丁寧に真黒いマジシャンの様なハットを胸に当て、お辞儀をしている男性。


「こんにちは、小さなお嬢さん」


 顔を上げた男性は、先ほどの手と同様、肌が異様に白かった。

 西洋の血が混じっているのか、長身に綺麗な作り物の様な顔。癖のある茶髪と青い瞳。フリルのついた上品なYシャツに茶色のベストと、黒いステッキを手にしている。年は私より少し上かな、というくらいで、いかにもモテそう。

 ここまで暗めのコーディネートなのに、何故か真っ青の革靴。ファッションセンスは無いらしい。


 目の前のマジシャンは、唖然とする私を無視して、続けた。


「僕の名前はトア。ようこそ、ユーエンチへ」


「……あ……こ、こんにちは」


 反射的にお辞儀をする。トアさんは幽霊では無いようだった。直視できるから。


「あぁ、そんなにかしこまらないで。僕は、そうだな。案内人さ。君を、案内するのが僕の役目」


「あん、ないにん?」


 とても怪しい。この真っ暗い扉の向こうをユーエンチと言うし、しかもトアさんはそこの案内人だと言う。

 アニメやジブリが好きな私に、この最高に好奇心くすぐられる展開。

 目の前には、見るからに不思議なイケメン。

 私は面食いでは無いが、現実の人間とは違った雰囲気と魅力。


「さぁ、お手をどうぞ、お嬢さん。僕が案内しましょう」


 ハットを被り、右手をゆっくりと差し出してきた。

 やはり、怪しい何かが消えない。


「……い、行かなきゃいけないので、仕事」


 戻ろう。私は仕事がある。そう言い聞かせて、後にしようとした時。


「ほぉ、思ったよりガードが高い。どうするか……よし、こうしようじゃないか。君は、命が惜しいかい?」


 ぶつぶつ考えていると思ったら、訳のわからない事を言い始めた。


「い、のち?」


 何故ここで命? 生命の危機かもしれないと思わざるおえない。どこかのアニメのように。自然とトアさんの低く聞きやすい声に耳を傾ける。


「そう、命さ。君も知っているだろう? この場所を通って飛び降り、命を失った哀れな人間について」


「そ、それは。ど、どうして?」


 彼らが強さを増した原因。トアさんは何か知っているのだろうか。


「あの人間はね、君の様に、この扉を開いた。そして、ユーエンチの闇に耐えられなくなり、気が狂って飛び降りてしまった。では、どうして君は平然としていられる? 答えは簡単さ。死者が見えるか、どうか。あの人間は、たまたま扉に気付いて、たまたま開けてしまった……でも、君は違う。死者を追ってここまで来た。死者が見える、ということは、それだけで免疫がある」


「そ、それは」


「君は死なない。でも、いいのかい? この扉がある限り、また、哀れな人間が出てくる。君は、それを止めることが出来るかな?」


 また、同じように人が死ぬ? 全く関係のない人が?

 私は死なない。でも、自分さえ良ければそれでいいの?


「私に、何ができるの?」


 人が苦手な私でも、誰かの為に。

 ぽつり、と呟いた私の声が、トアさんの耳にも届いたようで、チャーミングな笑顔をみせた。


「君なら出来る。僕が保証しよう」


「どうやったら、その、安全、になるんですか?」


「この扉を消すことは出来ないが、ユーエンチの闇を消すことは出来る。闇が消えれば、気が狂うことは無い。まずは、ユーエンチを知ることから、始めよう」


 トアさんは、再び私に手を差し出した。

 ゆっくりと白くて大きな手に触れる。トアさんは優しく私の手を包み、一歩、また一歩と歩き出す。

 闇に包まれるような感覚。

 不思議と、怖くは無かった。


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