崩壊の始まり(愛視点)
「あっ、隆司さん!お帰りなさい。」
ドアの閉まる音に振り向いた私は、そこに隆司さんの姿を見つける。
いつもなら、玄関の私の靴を見つけるなり、ただいまの挨拶をしてくれるのに、黙って入ってきた隆司さんに少し違和感を感じる。
さらに、可愛らしく出迎えた私に、いつもはただいまのキスをしてくれる隆司さんなのに、今日はしてくれない。
どうしたんだろう。
「ああ…。」
「お帰りなさい。今日はね、イカスミのパスタを作ってみたの。手を洗ってきてね。」
「……愛、悪いんだけど、今日は帰ってくれるかな?ちょっと具合が悪いんだ。」
「えっ!大丈夫!?それなら看病を!!」
「大丈夫だから。」
「えっ……でも……。」
「いいって言ってるだろ!」
話しかけるも、荒い口調で拒否され、手を振りほどかれる。
え!?なんで!?
「分かった!今日は帰る!!」
「ああ…。」
あり得ない対応に腹が立ち、帰ると言ってみるが、返事も気が抜けたもの。
いつもなら私が少しでも拗ねるとすぐに甘い言葉をくれるのに…。
それでも、引っ込みがつかなくなった私は、タクシーを呼んで、自分の家へ向かう。
本当は一緒に暮らしたいのだが、嫁入り前から一緒に暮らすなんて!とお母さんがうるさかったのだ。
そのまま帰るのもつまらないので、買い物にでも行こうかと思ったが、今日は花のお稽古とお料理教室へ行ってから、隆司さんの家に行って家事をしてとても疲れていたのでそのまま家に帰ることを選択する。
ここ最近、習い事や花嫁修行ばっかりが続いて正直ストレスがたまってきた。
始めのうちは、新鮮で楽しかったが、それも飽きてきた。
小さい頃からし続けていることとはいえ、3ヶ月ほど前に退職してしまったので、その時間が、今までの3倍ぐらいになったのだ。
退職したら、時間が有り余るから、結婚前に遊びまくろうと思っていたのに、実際は習い事と花嫁修行で予定のほとんどが埋まってしまっている。
結婚式や入籍はまだ半年は先なので、一年近く家にいるだけなのは世間体が悪いと気にしたお母さんに、無理やり花嫁修行を組み立てられたのだ。
全く、あの女のせいだ。
元職場の後輩の女の婚約者がよかったから貰っただけなのに、あの女が何かいったのだろう。職場の非難の的になって退職せざるを得なくなったのだ。
でもそんなの、婚約者を引き留めておくだけの魅力がない後輩が悪いんだし、それに後輩に言われるならともかく、他の女たちに責められる覚えなんてない。
男たちも、ちやほやしてくれていたのが嘘のようにかばってくれなかったし。
まあ、気がある素振りをしてみせて、プレゼントを貰ったり、仕事を代わりにして貰ったりしていたのだから、それは仕方がないか。
でも、退職と言う犠牲を払った甲斐はあった。
そろそろ結婚をしたいと思ったときに現れた、結構な優良物件を捕まえることができたのだ。
今までいろんな男と付き合ってきた私だが、25歳を過ぎると、告白されたりお見合いの話がきたりする回数が激変したのに驚いた。
それに、今までは、家柄も見た目も年収も同居の有無も、全ての条件が並み以上の相手ばかりだったのに、その条件が揃わなくなったのだ。
特に、見た目の条件が少しずつ悪くなっていく。
「そりゃあ、いい人から売れていくもの」といったお母さんの言葉にも納得するしかないぐらいだった。
女は1歳年を取るごとに条件が悪くなるということを実感して焦ったのだ。
それなのに、焦れば焦るほど、条件が悪くなり、気が付いたときには28歳になっていた。
もう、30歳まで少ししかない!
焦っていた私の前に現れた隆司さん。
見た目は好みだし、職場は大手総合商社。しかも花形の海外事業部所属のエリート!
実家も、最近力を伸ばしている会社を経営している。
その上、次男だから、同居はなし!
なんて完璧な条件!
もうこの人だろう!と気合いを入れて落とした。
案外、女性に免疫がなかったのか、ころっと落ちてくれた。
婚約してからも、あの女とは違って、隆司さんをしっかり捕まえておこうと、努力もした。
家事は嫌いだけど、隆司さんの部屋に通って、細々とした家事をこなしたし、お料理教室で習ったばかりの料理も作った。
男は胃袋を掴めっていうものね。
料理を作るのは嫌いじゃないんだけど、後片付けが面倒くさい。
それに、たまに作るから楽しいんであって、毎日作らなければいけない義務となってしまうと、全然楽しく感じなくなってきた。
まあ、結婚するまでは頑張って、結婚したら家政婦を雇うなり、出来合いのものを利用するなり、少し楽させてもらうことにしよう。
そんなことを考えながら、タクシーで移動するうちにイライラも少し治まり、家へ入る。
今日はお風呂に入って早く寝よう…。
そんな風に思っていた私に、リビングからいつもは聞こえないような叫び声が聞こえてきた。
何?一体今日はどうなっているの!?