上司視点
繁忙期に入り、連日残業が続き、少し意識が飛びそうになっていた。少し休憩をとるべきかと目を閉じたとき、あいつの名前が耳に入ってきた。
音源に、視線を向けずに意識だけを傾けると、夜食を買い出しに行った連中が、買ってきた夜食を食べながら話しているのが分かった。
「そうなんですよ。今日、営業に行った先で、近堂が面接に来てるの見かけて!」
「面接ぅ?でも近堂ってどっかの跡取りとかじゃなかったっけ?そこに入るからやめなきゃいけないって自慢たらたらに言って出ていったぜ?」
「跡取りかは知らないですけど、結構な企業の息子でしたよね。」
「じゃあ、似ているだけで本人じゃないんじゃないか?それか、たまたま営業に行ってただけとか。」
「違いますよ。だって、俺の顔見て顔真っ赤にさせたかと思ったら、よく分かんないこと怒鳴り始めて走ってっちゃったんですよ。俺、事情聞かれて大変だったんですから!」
「それは災難だな。」
「まあ、すぐに分かってくれて助かりましたけど。面接受けに来たけど、断りの連絡を入れたら、不服だと訪ねて来てたから、むしろ帰ってくれて有り難かったんですって。」
「ああ、時々うちにも来るけど、そういう人ってちゃんと情報提示しても納得してくれないことあるから困るんだよなあ。」
「近堂も納得しなかったらしくて、『俺は大手会社で課長まで上り詰めたエリートだ』とか『実家は優良企業だ』とか、挙げ句の果てには『この俺がこの程度の企業に落ちる訳がない』だとかわめいてたそうですよ。そんなこというやつ採用するわけがないのにな。」
「そりゃあなあ………………」
……ああ、変わっていないのか。
近堂の相変わらずの態度に、ため息をつきたくなる。
近堂隆司という男は、私の部下であった。
コネ入社で入ってきた割りに優秀で、当たりだと喜んだのも束の間、極端な仕事ぶりに気が付いた。
うちの部署は、主に営業をしているのだが、すごくうまくいく場合と全くうまくいかないかのどちらかだったのだ。
くせが強いので、気に入られることもあるが、嫌われることも多い。
それでも、うまくいくと大きな利益を出したし、フォローをすることでうまくいくだろうと指導を行った。
だが、近堂は自分の問題点を見つめることはなかった。
自分の失敗なのに、フォローにつけた人間が悪いと思い込んだからだ。
近堂がまずい発言や行動をとったときに動く姿を見て『あいつが変なでしゃばりをするからだ』と判断したのだ。
そして、せっかくフォローしてくれている人間に『優秀な俺の足をひっぱるくだらない存在』と言葉で態度で表したのだ。
そのような接し方のため、フォローにつけた人間は早々に嫌気をさし、近堂から離れることを望んだ。
課内でも、悪い噂が流れたが、近堂をやめさせることはできなかった。
コネ入社であること、当時の部長に気に入られていたこと、失敗をフォローしてくれていた人間に押し付けていたので、見た目上はそれなりの利益を出していたことなどからだった。
私も、迷惑をかけられたことがあり、うんざりしていた。
そんな近堂なのに、二十代後半には係長へと昇進した。
なんだかんだいいつつ、コネがあり上へのごますりが上手いやつが出世していくのかと思うとため息がでる。
こっちは定年間近にやっと課長になれたのに。
しかも、汚れ役や面倒なことを多く押し付けるための生け贄として使うためにだ。
それでもなんとか会社にしがみつく。
家族を養う必要があるし、嫌な役目が多いとはいえ、役職についているのといないのとでは退職金の額も全く違ってくるのだ。
そう思い、なんとか近堂とも付き合いながら退職までを穏便に過ごそうとしていた私に、転機が訪れた。
7年前にコネ入社してきた、大病院の院長子息をそろそろ出世させろとの命令が上から下ったのだ。
その男は、近堂と違って、目立つことはなかったが、コツコツと仕事をこなし、着実に力をつけていくタイプの男だった。
コネを利用することもなく、人当たりもよかったので周りにも好印象だった。
だが、本来なら二十代後半で役職につくような実力ではない。
それでも、あの病院との付き合いは大事なものだし、出世させることでうちの会社にもメリットがあるのだろう。
だが、問題は、今役職に空きがないということだ。ということは、誰かに席を譲ってもらわなければならない。
……だから、私に命令が下ったのか。
もし、なにか不都合があったときに、私の責任にするために。他の役職持ちと違って、後ろ楯の薄い私だから。
だが、私だってそう簡単に責任を負わせられる訳にはいかない。慎重に選ぶ必要がある。
恨まれるのは私なのだから。
今後、出世しそうな人間はダメだし、実家や婚家に力がありすぎるやつもダメ。
そうやって、慎重に選んだのが近堂だった。
他の奴らと違って、人望が薄い。実家も急成長しているとはいえ他のやつらと違って中小企業。婚約者であった一ノ瀬の評判がよかっただけに眉を潜めている女性陣は多い。新しい婚約者の父親も力を失いつつあると聞けば、一番ましに思えた。
もともとフォローがなければやっていけないやつだったので、出世もある程度までだろう。私が退職するまでに、上へ行って報復される見込みも少ない。
決定したはよいが、コネ入社した者を、会社都合で退職させるのは非常に難しい。
そこで、一旦昇進させることになった。
ちょうど、総務課の課長が退職することになり、席が空いたのだ。
40過ぎてからやっとできた子供なので……とのことだったが、やり手で女性陣をうまくまとめていた課長だったので、後に就くものは辛いだろう。
しかも、フォローを人材を全くなしにして送り込んだ。
総務課はコネ入社も多く、使える人材は少ない。
女性が多い上に、近堂の婚約者だった一ノ瀬がいた課なので、近堂をよく思っていない者も多い。もちろん、仕事に私情は挟まないだろうが、それでも進んで何でもしてもらえないのは辛いだろう。
近堂の性格ならば、そのうち自主退職するだろう、そうでなくても私が退職するまでに昇進して、私にどうこうという線は消えただろうので安心する。
……だが、思ったよりも近堂が自主退職するのは早かった。
課長になってから一月ほどのことだったという。
実家に入るとのことだったが、辞めてから一月ほどしてから、今日のような話を度々違う人間から聞くことになる。
『近堂が面接を受けに来ていた』『断られた会社に何度も押し掛けて喚きちらしている』などだ。
それを思うと、うちの会社は正しい選択をしたのかもしれない。
早々に近堂に辞めてもらい、かつ自主退職という形で近堂のプライドを保ったのだから。
近堂の話を聞きながら、今までのことを思い返していたが、そろそろ仕事に戻らないと。
気持ちを切り替え、再びパソコンに向かった。