にゃんくま
∧ ∧
ミ゜ω゜ミ
ミu uミ
ワガハイはニャンコである。名前はまだ無い。
しがない日本の高校生だったはずだが、気が付くとこうなっていた。
今の身体は、生まれたばかりと思しき小さな子猫である。
しかも長毛種。少々毛がウザい。ハゲよりマシだが。
「みゃ、みぃぁぁぁぁ!」
お約束として『なんじゃ、こりゃあぁぁぁ!』と叫んでみようと思ったのだが、
口から漏れたのは、可憐にして魅力抜群の愛らしい鳴き声だけだった。
ち、喋れないのか。
幸いにして眼は開いている。この辺は普通の猫とちょっと違うようだった。普通は生まれてから数日は目が開いていない。
周囲に母猫らしき姿は無く、視界にはいる物といえば、背の高い樹木と草ばかり。
どうやら森の中っぽい。
迷子や遭難の鉄則は、『その場を動かず救助を待つ』なのだが、今回に限っては事情が違う。
救助なんて来るかどうかもわからないのだ。とにかく現状認識を最優先にせねばなるまい。
お腹も空いたし。
早速行動に移るべく、ワガハイはその逞しい足で大地を踏みしめ、雄々しく立ち上がった!
ぷるぷる、かくかく。
まぁ、子猫の脚力なんてこんなものだ。立てば良かろうなのだ。
ワサワサと草を掻き分けながら周囲の探索を開始する。お腹空いた。
サバイバルの鉄則、即ち水場の確保も必要だな。お腹空いたし。
食料なんかが見つかると、なお良い。お腹が空いてるから。
とにかく人に会いたい。お腹が空いたってばよ!
キュルキュルとなるお腹を抱えながら、必死に草を書き分け突き進む。
そこでワガハイは、ついに重要案件に気付いてしまったのだ。
「みゃぁ?(どっちからきたっけ?)」
完全に迷子になっていた。
目印もつけず、無目的に彷徨い、自らの位置をロストする。
サバイバルでやってはいけないこと第一位に燦然と輝く失態を犯してしまった。
もっとも救助のあてもなく、保護者の記憶もなく、人間ですらなくなった今のワガハイに、『元の位置』の重要性など欠片も存在しないのだが。
人間には『生きているだけ丸儲け』という諺だってあるのだ。猫だけど。
「みぃぁ、みゃあぁぁぁ(めしー、どこかにないかー)」
無目的な放浪から全力疾走の暴走に変化しさせ、森の中を風のように駆け抜ける。
その姿はまさに野生の証明。肉食獣の端くれに相応しい勇壮な姿だったことだろう。
ぽてちて、とてちて、ぽてちん、ぽてちて。
多少転がったところもあったが、何も問題は無い。
体感時間で数時間(実際には数分)を駆け抜けたワガハイは、ついに第一森人と遭遇することになったのだ。
第一森人氏は身長二メートル弱の逞しい体格を持っており、とても毛深かった。
その毛は顔全体どころか身体まで広がっており――
「みぃあぁぁぁぁぁ!?(ってクマじゃん!?)」
生物学上、ツキノワグマに分類されていた。
「みゃ、みぁ、みぃあ、ふみぁあぁぁ!(くま、熊、クマ、ぐりずりぃ!)」
だが冷静なワガハイは、クマへの対処法をしっかりと思い出していた。
死んだ振りをするというのは迷信である。
クマと出遭ったら、視線を逸らさず、ゆっくりと後退りして距離を取るのが大正解なのだ。
けっして背中を見せてはならない。追っかけてくるから。
死んだ振りもしてはならない。そのまま死ぬから。
「にゃ、みゃあ……みゃあうぅぅぅ(ゆ、ゆっくりだ……ゆっくり距離を取るんだ)」
ワガハイは冷静に後退りし距離を取ろうとしたが、震える足が言うことを聞いてくれない。
勇猛な狩猟生物の本能が逃げることを拒否しているのだ。腰が抜けた訳では無い。
「ガウ?」
「みぃあ」
クマの猛々しい威嚇に、ワガハイも勇ましい雄叫びを返す。
がっちりと組み合う視線。一瞬でも目を離せば――死ぬ。
そんな緊張感。
先に動いたのは、クマだった。
クマはゆっくりとワガハイに顔を近付け……大きく口を開き――
口の中に光る二本の大きな牙を目にしたところで、ワガハイの理性は決壊した。
ついでに下半身も決壊した。
しょわしょわ。
身体を舐める感触で意識を取り戻した。
僅差の、まさに運の差と言っていい接戦で敗北したワガハイを味見しているのだろうか?
目を開けると目の前にクマの顔があった。
場所は森の中からどこかの岩穴の中へと移動している。
おそらく巣にお持ち帰りされたのであろう。
「みゃあぁぁ!(おたすけ!)」
ワガハイの潔い、渾身の『クッころ』も聞き入れられず、クマはワガハイの体を嘗め回した。
いたぶる気か。おのれ。
全身ピカピカにされた所でクマが離れていき、やがて一匹の魚を目の前に差し出してくる。
どうやら貢物のようだ。敗れたとはいえワガハイの実力には勘付いたという所だろうか。
だが生後間も無い子猫に魚は無理だ。
「みゃう!」
食えん、とばかりに顔を背けると、クマは再び穴の奥に去っていく。
そして今度は巨大な狼を引き摺ってきた。もちろん死んでいる。
「ふみみゃあ!?(食えるかー!?)」
怒って前足をパタパタ振って抗議の意を示すと、再び穴の奥へと戻っていく。
次に持ってきたのは桃のような怪しい木の実。
よく熟れていて、半ば潰れている。
これなら子猫の胃腸でも何とか受け付けるだろうか?
ワガハイは貪るように木の実に齧りつき、その甘酸っぱい汁を啜っていく。
この貪欲さは、まさに野生。我ながら恐ろしい姿である。
クマと暮らし始めて数日が過ぎた。
これは川原で殴り合って友情が芽生える的な結果に過ぎない。
けっして怖くて逃げられなかった訳ではない。
現にワガハイは独りで川原に来て用を足しているのである。
猫だから、そこらですればいい?
そんな非文明的な事ができようはずも無かろう。
そもそもワガハイは長毛種。出せば毛に付いちゃうのである。
そして猫がどうやってその身体を清潔に保つかといえば……舐めるのである。
俗に言う毛繕い。
「みゃああぁぁぁ(セルフスカトロとか、誰得だよ)」
そんな訳で、もっぱら川の浅瀬で用を足す毎日を送っているのである。
ここなら自然の水洗トイレに加えて、事後はそのまま水で濯ぐことができる。
最悪、川底の石にこすり付ければ綺麗になるのだ。ワガハイ天才。
用を足して川から上がり、濡れた手足をピッピッと振りながら、水を切る。
長毛種は寒さに強いが、こういう点では不便だ。なかなか乾かない。
トイレからの帰り道。ついにワガハイはその木を発見した。
クマがワガハイの食事に取ってくる謎果実。
たわわに実ったその木を見て、ワガハイの理性は崩壊した。
「みぃあ!(ご飯だ!)」
もちろんクマは三食提供してくれるのだが、子猫の食事は三回ではとても足りない。
少ない量を、何度も何回も一日のうちに食べるのだ。
なのでワガハイの肉付きは少々薄い。
午後のオヤツを手に入れるため、ワガハイは一目散に木に駆け寄った。
ぱたぱた、ぽてちん、のてのて。
必死に手足を動かし、何度か転がりながら木に辿り着く。
その木の周辺には、甘い果実の匂いが漂っていた。
キュルキュルと自己主張する腹の虫。しばし待てと説得しながら、短い手足で木をよじ登っていく。
枝を渡り、先端に実る桃のような果実を引き上げて千切る。
そのままその場で果実を頬張った。
「みゃう、みゃう(うまうまー)」
小さな胃袋に、果実一つは充分すぎる大きさだった。食べ残しは地面に捨てておく。
こうして新たな木が芽吹き、森が広がっていくのだ。えころじぃ。
パンパンに膨れ上がったお腹を見て満足し、地上に戻ろうとして気付いた。
「みゃみゃ!?(高!?)」
そこはすでに子猫が存在していい高さを超えていた。
ワガハイ、勢いに任せて遥かな高み、禁断の地に到達してしまったようだ……
「みゃうー、みぃうぅぅ(だれかー、たっけてー)」
どれほどの時間、そうやって助けを求めていただろうか。
いや、その気になれば自力で降りるなんて簡単なんですよ? ほら、ワガハイ生前は高校生だし。
でもね、えーと……ほら、クマ! クマにも見せ場を与えねば、上に立つ者の度量が示せないじゃありませんか。
だからここは、クマに活躍の場を譲ってあげてるだけなんだから!
「ガウー?」
そんなワガハイの心配りを察したのか、洞窟からクマが出てきた。
まず木を見て、地面に落とした食べかけの木の実を見て、そしてワガハイを見る。
その後何度か頷いてから、枝に向かって手を差し伸べた。
枝の高さは二メートルも無かったので、ワガハイはその手を伝って地上に帰還することができたのだった。
「ガウ。ガウー」
クマはワガハイにお説教らしき鳴き声をあげてから、首根っこをくわえて洞窟へ連行していく。
猫の首の皮は弛みがあるので、さほど痛くは無いが、プラプラ吊り下げられて運ばれるのはさすがに屈辱である。
いつかはリベンジを果たし、上下関係をはっきりと理解させてやる。
「ガァウ?」
「みぃあ!?(なんでもありません!?)」
なんだかんだで今日もクマに世話を焼かれる。
そんな、毎日のお話である。
色々ヤバイネタが入っているので、警告が来るかもしれません。