不穏な気配
放課後になり、燐太は一人教室に残っていた。
休み時間の度に、無言で燐太を睨んでいた棗は、部活を休むと伝えに行っている。もちろん休む理由は、燐太に正直に全てを吐かせる為だ。
燐太は小さくため息を溢した。
──ナツになんて説明しよう……。
棗には何でも話していた。だけど、ただ一つ、霊が視えることだけは、どうしても言えなかった。というか、言えるはずがない。ようやくできた友達だ。体質のせいで逃してしまうなんて、惜しすぎる。
──あー、ほんとにどうしよう……。
燐太は頭を抱えた。
ラッキーなことに(?)、棗は、燐太が霊のせいで負った怪我を、動物にやられたと勘違いしている。
実際、ビックリするほど動物に威嚇される燐太が、動物に襲われることは、決して珍しいことではない。まあ、重度の動物好きである燐太には、ご愁傷さまとしか、言いようがないが……。
では何に悩んでいるのか。
問題なのは、棗が心配性だってことだ。それも重度の。
だから、燐太が動物に威嚇され、酷いときは襲われることを知っている棗は、燐太が動物に近づくことを禁じている。そしてもし、不可抗力で近づいてしまい、更に襲われた場合は、すぐさま棗に連絡するようにと、約束もしている。
以外と世話好きな棗が、自分を心配してくれてるのは分かる。
だけど、燐太だって中学三年生なのだ。ましてや男だ。そこまで守ってもらう必要はない。
って言うのが建前で……。
本音は、どうしていいのか、分からないのだ。
今まで、この体質のせいで疎まれてきた燐太は、誰かに心配されたことがない。だから、棗のように、真っ直ぐな心をぶつけられると、どうしていいのかわからなくなってしまうのだ。
それに、心配させてしまうことに、罪悪感すら感じている。
だから、なるべく何かあっても、何もなかったかのように振る舞ってきた。今までもずっとそうしてきたから、そうゆうのは得意だ。
なのに。今朝クラスメイトのせいで、先日烏に襲われたことがバレてしまった。
棗は普段ニコニコしている分、キレたときはヤバイ。大人ですら、その怒りを鎮めることはできないらしい。
「はぁ……」
燐太が、何度目か分からないため息をついたとき。
突然、教室内に自分以外の気配を感じた。誰かが教室に入って来たわけじゃない。突然、教室に現れたのだ。
──もしかして……。
燐太は冷や汗をかきながら、ゆっくりと、気配がする方を見た。
「……っ!」
ソレを見た瞬間、燐太は思いっきり、顔をひきつらせた。
ソレは、教卓の横にいた。
ゆらゆらと左右に揺れる、黒いソレ。
大きさは教卓ほどで、燐太の三倍はありそうな横幅。霧のようなモノでできているのか、モヤモヤとしたソレは、形が定まらない。
何かの塊のように見えるが、目を凝らしてよく見れば、人のように見えなくもない。
──ヤバイヤバイヤバイ……。
燐太は思いっきり焦っていた。ソレが何か、知っているのだ。
それは、小学校のときのこと。
放課後、一人で教室に残っていた燐太の元に、ソレは現れた。
その頃の燐太は、あまり"それら"に、耐性が付いていなかった。そのため、見事にその場に固まってしまった。
ズルズルと、ゆっくりと近づいてくるソレに、ただガタガタと震えることしかできない燐太。
ソレは、燐太の目の前で止まると、ぶわりと燐太を包み込んだ。いや、食べたと言ったほうがいいかもしれない。
周りを黒に囲まれて、世界から切り離された感覚に陥った燐太は、その場にしゃがみこんだ。しかし足元に地面の感覚はなく、浮いているような気がする。
それと同時に、負の感情が燐太を襲った。それは、児童や教師の"負の想い"。
負の感情に襲われて、燐太までもがその感情に引きずられていった。頭が痺れ、体が重くなって……。
その時のことを思い出して、燐太は青ざめた。ヒクリと喉がひきつる。
ズル……ズル……と近づいてくるソレ。
あの時は、とっさに思い付いた、某アニメ映画のお父さんの「笑ってごらん。おっかないものなんて、みーんないなくなっちゃうよ」という台詞を参考にして、大きく口を開けて笑ってみた。同じ"真っ黒いモノ"だから、いけると思ったのだ。
実際それはうまくいき、気がふれたような笑いだったにも関わらず、ソレは苦しそうな呻き声と共に、消えていった。
だが、今回のソレは、あの時よりも大きい。
──今回も、通用するかな……?
考えている内に、ソレとの距離はどんどん縮まっていく。
──な、何もしないよりはいいよね。
燐太は決意すると、カラカラに乾燥して引くつく喉から、なんとか声を絞り出して、笑った。
「わっ、はっは、は、…は、は……」
これは笑えていると言えるのだろうか。だが燐太は真剣だ。
真っ青な顔を思いっきりひきつらせ、お願いだから消えてくれ、と念じていると、それが通じたのか、ソレはぴたりと止まった。
〈赤い女 不穏な気配〉