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平穏な生活を夢みて  作者: 宮野 圭
第一章 ~赤い女~
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これが日常

 

 寒い冬も過ぎ去り、辺りを柔らかい薄桃色で彩っていた桜の木も、今は青々しい若葉を繁らせ、季節は順調に夏に向かっていた。

 今は六月。梅雨真っ盛りだ。

 大抵の人は、梅雨を毛嫌いする。じめじめするから。憂鬱になるから。外で遊べないから。濡れるから。等など。理由は人それぞれだが、梅雨を好む人の数が梅雨を毛嫌いする人と比べて少ないのは確かだ。


 そんな数少ない梅雨好きの一人、中三川 燐太(ナカミガワ リンタ)は、登校時間を疾うに過ぎているのにも関わらず、連日続く雨の中、傘を差しながら、のんびりと学校へ向かっていた。

 いや、のんびりと、だと語弊がある。燐太はのんびり歩いているのではなく、重たい足を引きずるようにして、歩いているのだから。そう、足が重たいのだ。


「……いい加減、離れてくれないかな?」


 燐太は小さく呟いた。歩みを止め、俯き加減で足元を見ながら。

 梅雨というのと、登校時間を過ぎたこととが相俟って、周囲に人影はない。


 燐太は決して独り言を言うような性格でも、況してや妄想と現実をごっちゃにしてしまうような奴でもない。まぁ、燐太も男の子だから、うふふあはは~な妄想を、しないわけでもないけれど。

 ではなぜ、誰もいないのに、まるで相手がそこにいるかのように、話し出したのか。

 燐太には、視えるのだ。普通ならば、見えないはずの、"それら"が。


 燐太はそれを、ある種の体質だと思うことにしてる。

 いつから視えていたのか。物心ついた頃には、当たり前のように"それら"は燐太の見る世界に存在していた。それこそ、なんの違和感もなく視えていたため、みんなも視えていると思っていた。

 だから、視える自分が異質なのだと、"それら"は視えてはいけないものだと、そう突きつけられたとき、燐太は酷く傷ついた。

 しかし燐太は、生きている人間との区別もつかないほどはっきり視えていたため、あの頃は常に周りを疑い、怯えていた。

 自分が見てる世界が、歪んで見えた。


 今では、何となく区別もつけられるようになり、視えてもスルーできるようになった。また、周囲の人にも、適当に誤魔化す話術もついた、気がする。

 それにあの頃と違い、友達もできた。燐太は今、心から笑うことができる。


 結局、体質は体質なのだ。なくすことなんてできない。だから素直に受け入れて、気にしなければ良いのだ。視えても、視なかったことにすれば良い。そうすれば、向こうも燐太が"視える人"だと気づかない。

 そんな風に思うことで、燐太は今の環境を手に入れた。


 しかし、だ。"それら"の中には、視えていようがいなかろうが、関係なしに纏わりついてくる奴がいる。

 実際、そいつらに纏わりつかれている人は、以外と少なくなく、燐太はそんな人を幾度となく見てきた。

 女の人のような塊を背負っている人や、猫のようなものを肩に乗せている人。何かの生き物らしき物体を大量に背負っている人や、老人を背負っている人など。


 そのような人たちのことを、燐太は"好かれやすい人"と呼んでいる。

 そして、言うなれば燐太も、その"好かれやすい人"らしい。家から一歩でも外に出ればストーカーされ、ちょっと遠出をした日には、団体さんをお持ち帰りだ。

 関わりたくないという燐太の意思に関係なく"それら"はくっついてくるのだ。


 そんなわけで今、燐太の足には、子どもがしがみついている。

 それも、ただの子どもではない。

 頭の大きさはバスケットボール程で、無造作に伸びた黒い髪の毛は絡まり、グシャグシャになっている。頭も顔も薄汚れており、変な臭いを放っている。

 更に、本来眼が在るべき場所には何もなく、暗い穴がそこにあるだけ。鼻はおかしな方向に曲がっていて、鋭く尖った牙を覗かせる口の中は、血のように紅く染まっている。


 その子どもは、小さな骨張った手で、燐太の足首を掴んでいる。いったい、どこからそんな力が出てくるのだ、と疑問に思うくらいの力で掴まれているため、燐太は振りほどくことができないでいた。


《オ゛兄……チャン……遊、ボ?》


 暗い空洞を燐太に向け、しわがれた声で、燐太に話しかける子ども。言いながらも、燐太を掴む力は、ギシギシと音がしそうなほど強くなる。


「……っ。無理だって。他を当たってよ。俺は学校に行かなきゃいけないんだから」


 燐太は端正な顔を僅かに歪めて言った。目には痛みからか、それとも恐怖からか、うっすらと涙が浮かんでいる。


「遊びたいなら、同じ子どもと遊べば良いだろ? ほんとに、勘弁してよ。このままだと、一限が始まっちゃうよ」


 燐太は傘の柄を握り締めながら、暗い空洞を見つめ、必死に頼んだ。

 しかし、そんな燐太の声などまるで聞こえないかのように、子どもは燐太の足によじ登ってきた。長く鋭い爪が、ズボン越しに足に突き刺さる。


《ネ゛エ゛……ア゛ゾ……ボ ウ、ヨ……》

「ひっ……無理だよ。俺はキミとは遊べない。いっ……。お願いだから、いい加減離れてよ」

《ア゛……ソ ボ……》


 子どもは燐太の体をよじ登り、傘を持つ手を握り締めた。ギシギシと、骨が軋む。あまりの痛さに、燐太は傘を落とした。

 しかし、燐太に傘を気にしてる余裕は、全くない。子どもの顔はもう、燐太の目の前に迫っている。


《オ゛…… ニ゛イ゛…… ヂャ、ン……》


 暗い空洞から、赤黒い涙を流し、真っ赤な口を大きく開けて、迫ってくる子ども。牙が鋭く光っている。


《オ゛ォ ォ オ゛……》


 燐太は動くこともできず、固く目を瞑った。

 腐ったような臭いが鼻を掠める。

 顔を掴まれたのか、頬に刺すような痛みが走った。


《ア゛ア゛ァ ァ ……》


 耳に、いや、直接脳に響くしわがれた叫び。声が大きくなるのと同時に、燐太の顔をナニカが通り抜けた。

 なんとも言えない気持ち悪い感覚が、ゾワリと身体中を駆け巡る。


「っ……」


 恐る恐る目を開けてみれば、もうどこにも子どもの姿はなかった。


「……ぅ」


 今だ拭われない気持ち悪い感覚に、燐太は口元を押さえてふらついた。とん、と横の塀に寄りかかり、大きく息をついく。

 ──もう、いないよね?

 燐太は塀に寄りかかりながらも、注意深く周りを確認した。自分以外誰もいない細い路地。降り続ける雨と、地面に転がった開いたままの傘。

 さっきの子どもの姿は、見あたらない。静かな住宅街がそこにあるだけ。

 燐太は肩の力を抜くと、緩慢な動きで雨に濡れた傘を拾い上げた。すでに自身も結構濡れてしまっているが、差さないよりはましだろう、と傘を差す。


 ──はぁ……、朝から散々な目に合った。

 燐太はふぅ、と一つため息を溢して、学校に足を向けた。



〈赤い女 これが日常〉

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