先輩
「御崎チーフ、ごはん行きましょ」
めんどくさそうに、先輩は返事をする。
でも、断られることはない。
その理由を考えた事は無かったが、自分の誘いを受けてくれる異性が、彼女以外にもいるということが純粋に嬉しい。
学生時代3年付き合った彼女と、別れた。
社会人になって、仕事優先になって。
彼女はまだ学生だったから、その辺の大人の事情を理解できなくて。
別れた当初は、ちょっと落ち込みもした。
だけど。
同じ部署に、面白い女のチーフがいた。
キャリアウーマンといった雰囲気なのに、言うことが男っぽい。
よく、話を聞いてくれるし、後輩社員たちを見捨てない。
ミスもフォローしてくれるし、いつも仕事に熱心で。
そういう意味であまり女性っぽくない、といったら失礼だろうか。
他の女性社員に比べ、OLっぽくない、というか。
まるで、体育会系のサークルにいるかのような錯覚に陥る。
だから、誘いやすい。
他の人といるよりも、頼りに出来て、自然体でいられる気がする。
「お腹すいてたんなら、さっきの誘い受けなさいよ」
「いやいや、僕は先輩を誘ってるんです」
「なに、この仕事の礼でもさせる気?」
「あはは、それでもいいです」
いつも、何だかんだと理由をつけて先輩と仕事をした。
「先輩、って呼んでもいいですか」
「はぁ?」
「いや、だって先輩だし」
「あなた、ねぇ。会社で先輩って、呼ばれたことないわよ。聞いたことも無い」
御崎チーフが苦笑している。
その表情ひとつで、嫌がってはいないと分かる。
「ねぇ、先輩。回転寿司食べません?」
「回転寿司?いいわよー」
「おごりますよ」
「後輩におごってもらうほど、安いお給料ではありません」
「さっすがー」
「いや、逆におごらないわよ?」
「え、ケチだなー」
その日、俺たちは初めて会社の外で2人っきりになった。
同じ部署に同期がいないわけではない。
友達がいないわけではない。
それでも。
先輩と一緒にいるのが楽だった。
だから。
いつの間にか「付き合っている」という噂が耳に入っても、それを無視しつづけた。
実際付き合っているわけではなかったし、異性としてみているわけではなかった。
ただ、一緒にいるのが当たり前だった。
男友達のノリ。
それが、先輩に対しては許されている気がしていた。
だから、今の関係が壊れるのが嫌だった。
まるで乙女のようだと、自分で自分の気持ちがおかしかった。
俺が配属されて、1年が経過しようとした頃。
突然辞令が出た。
先輩の転勤。
少しだけ郊外の、販売の部署。
不振部門を改善してこいとの上層部命令。
毎日のように顔を合わせていた先輩と、会えなくなる。
信じられないような不安が、俺を襲う。
親を見失った迷子のような感覚。
退社時間になって、俺はいつものように先輩をごはんに誘う。
先輩も、いつものように「いいよ」と返事をくれた。
ファミレスを出た頃には夜の空気が深くなっていた。
「先輩…」
「なぁに?」
先輩は、いつも通りなんでもないような顔している。
「あんまり会えなくなりますね」
「そう?そんな遠い距離じゃないわよ」
「…」
「ん?」
「先輩、抱きしめて良いですか」
「はぁ?」
「だって、先輩が遠くにいっちゃう」
「お前は子供か!」
「子供でいいです」
「バカなこと言ってんじゃないわよ」
独りで歩き出そうとする先輩を、俺は後ろから抱きしめた。
「ちょいちょいちょい、危ないなーもう」
抵抗はされなかった。
「先輩…」
やさしく頭をなでられる。
先輩は、知っているのだろうか。
俺たちの仲が疑われていることを。
「仕事、頑張りなさいよ?」
「はい…」
「何かあったら、電話していいから」
「…はい」
「たまには、顔だすから」
「はい」
俺は、そっと先輩の体を離した。
先輩が、苦笑しながら歩きだす。
先輩は、俺のことをどう思っているのだろう。
むしろ俺は、先輩のことを本当はどう思っていたのだろう。
「先輩、ありがとう」
「ん」
あと何回、並んで歩けるだろう。
今、俺は。
卒業式の後のような、そんな気分。