ときめき・中編
カップルや夫婦だろうか、周りには男女の二人組が目立つ。
料理長もそれに気付いたのか
「おひとり様って少ないんだね」
そう小声で呟いている。
「あたしも普段は一人ですけど、やっぱり夜だからですかね」
「俺たちも、傍から見たらカップルに見えるんじゃない?」
何かのトラップでも仕掛けられているのか。
リサは胸の前で両手を堅く握りしめた。
緊張しているのを悟られたくない。
「やだ、そうですかね」
どきどきが止まらない。
上映前の薄明るい館内で、ちらりと料理長を盗み見る。
短く整えられた髪は、いつも自分で切るんだと話していた。
まっすぐで、濃い眉と、長いまつげが、スクリーンの光を吸収して鈍く光っている。
少しだけ伸びたあご髭を気にしているのか、アゴ先で長い指が左右に動いている。
がっちりとした肩と、大きなフライパンを支える腕。
男らしい筋肉の付いた体。
それが、プライベートという特別な時間で、すぐ隣にある。
リサは、手が触れてしまうのではないかと緊張して、上映中はポップコーンに手を伸ばすことができなかった。
「面白かったな」
上映が終わったころには、深夜0時を回っていた。
「リサちゃん、今日はありがとう」
「いえ、そんなお礼なんて、あたしの方こそありがとうございます」
「お腹すいてない?」
「りょ…じゃなかった。雅紀さんは?」
「ちょっとだけ」
「お店、寄りますか?」
「えー、いいよー。どっか別のとこ行こ?」
そう言いながら、料理長はスマートフォンの画面を操作し始めた。
「…この辺だと…牛丼屋か、居酒屋くらいしか開いてないなー」
飲食店情報を検索しているようだ。
「あ、牛丼屋って行ったことないです…」
「ほんと?学生の時も?行く?」
「はい!行きたいです!」
料理長とふたりで外でごはんを食べるシチュエーションがあろうとは。
想像していなかった展開に、テンションがあがる。
ふたたび料理長が運転する車に乗った。
ステアリングを回す腕だけが、ちらちらと視界に入る。
映画館から牛丼屋までの道のりはあっという間だったが、その間、リサは体を硬くしたまま動けなかった。
牛丼屋の店内は、深夜だからか若い男性ばかりだった。
ノーマルに牛丼の並を頼んだリサ。
料理長は小うどんのついたセットを食べている。
「夜中の牛丼ってうまいよなー」
そんな事を言って、にこにこと上機嫌のようだ。
「リサちゃんって、普段自炊してんの?」
「え、あぁ、まぁ、ある程度は」
「へぇ、何つくるの」
「…煮物とかが多いです」
「お、家庭的だね」
「いえ、だって材料切ってお鍋に入れるだけですから簡単なんです」
「今度、食べさしてよ」
「えええ!?」
思いもよらぬ申し出に、大きな声が出てしまった。
途端、恥ずかしくなって肩を縮める。
「そんな、専門家に食べさせられるような味では…」
「いやいや、こんなチェーン店の料理長なんて専門家でもなんでもないよー」
料理長は「ははは」と短く笑う。
もそもそと牛丼を口に運びながら、それを咀嚼する。
初めての牛丼屋。
想い人と一緒。
ロマンチックでもなんでもないけど、うれしくて仕方ない。
それに。
自分の料理を食べたいと言ってくれる。
こそばゆい気持ちになる。
そして。
ついに丼は空になった。
「ごちそうさま」
そう言って、料理長が財布から札を一枚抜いた。
さっさと立ち上がり、レジカウンターへ行くとさっさと会計を済ませている。
リサは慣れないカウンターの丸椅子からよたよたと降りると、慌てて料理長の後を追った。
自動ドアの前で、料理長が待っている。
「あの、お金…」
「いいよー牛丼くらい」
軽く手を振り、料理長はまた笑う。
店を出ようとする二人を、店員が呼びとめた。
「お客様、これ、彼女さんの忘れものです」
「え」
二人の足が止まった。