社内恋愛
恋愛ってややこしい。
そんなの、わかってる。
【社 内 恋 愛】
「市田くんって、バカなのね」
エレベーターホールで。
酔いのまわった同僚を支えながらつぶやく彼女は、心底呆れているようにみえる。
「んふ。あれ、俺の実家に運んでくれるんじゃないの?」
酔って変な言葉遣いの男の体重が、彼女の肩にのしかかる。
慣れた手つきで指定の階のボタンを押す。
そこは、男の住むマンションだ。
「……なかなか来てくれないから、俺の部屋忘れてるんじゃないかって思った」
面白そうに男が言う。
二人っきりのエレベーターが、重力に逆らって上昇する。
「ね」
彼女の顔を覗き込むように、男が顔を近づける。
彼女が嫌悪をあらわに手のひらを二人の間に差し込んだ。
「だから、バカっていうのよ」
ため息。
男は、なんでだよーとけらけら笑っている。
さっきまで。
職場の同僚4人で飲んでいたところだ。
若い新入社員と、男と男の同期と、そして彼女。
新入社員にちょっかいをかけつづけた男に、彼女は呆れているのだ。
少し乱暴にエレベーターが停止する。
「さっさと歩いて」
彼女にうながされ、男はご機嫌そうに鼻歌を歌いながら廊下を歩きだす。
また、彼女はため息をついた。
男のスーツのポケットから、器用に家の鍵を取りだす。
ドアを開け、男より先にヒールを脱いだ。
単身世帯用のマンション。
玄関からすぐに伸びる廊下にはキッチンと、トイレのドア。
こぎれいにしている。
彼女の考えを見抜いてか、男が言う。
「汚いと怒られるからねー」
誰に、とは聞かない。
靴を脱いだ男は、歩きながら靴下も脱いでいる。
目隠し用の戸を開け、そのまま洗濯機に放り込んでいる。
廊下の突き当たりのドアもきちんと閉まっている。
ノブをとった彼女の手を、上から男が押さえた。
「なに」
背中から抱きすくめられるような格好になり、彼女の心拍数がすこし乱れる。
そして。
やはり抱きしめられた。
「妬いた?」
「だからバカだって言ってるの」
「ブラフだよ」
「知ってるわよ」
「怒ってるじゃん」
「呆れてるのよ」
言葉が途切れ。
口びるが重なる。
アルコールの香り。
「なんで隠すの、私たちのこと」
「社内恋愛なんて、恥ずかしくない?」
彼女の言わんとするところを察して、言葉を返す。
「年下だし、自信ないし」
「だから最近大沢さんにちょっかいだしてるの」
「店長怖いし」
「今年、30だもの。いろいろ考えるわ」
「結婚しよ?」
ぴくり、と。
彼女の肩がふるえる。
「簡単に言うのね。真剣に考えてるの?自信ないって言ったばかりよ」
「どうしたら、安心してくれる?仕事の邪魔って、指輪も喜ばないじゃん」
「自分で考えなさいよ」
「だから、結婚しよ」
「バカね」
彼女のセリフに、男がくすりと笑う。
「早く部屋に入ろう」
「誰かがここで抱きしめてるから動けないのよ」
「うん」
「なんで嬉しそうなのよ、本当にバカね」
「嫌って、断られなかったから」
部屋の扉が。
ゆっくりと開く。
男が電気をつけた。
彼女の鼓動が速くなるのを、男は感じている。
二人で買ったテーブルの上に。
ふたの開いたジュエリーケース。
「……ほんとにバカね。いつ来るかわからないのにセッティングしてたの?」
「俺、ロマンチストじゃね?」
「明日起きたら、素面で言って頂戴」
「え?ロマンチストだって?」
「もう!何度バカって言われたいのあんたは」
あはは、と男は笑って。
「愛してるよ。結婚してください」
朝など待てないと。
「……バカ……」
彼女の指に気持ちのすべてを預けた。