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社内恋愛  作者: みねお涼
1/15

理想のキャリア

「早く辞めればいいのに」


悪気はないのだろう。

だが、その言葉に腹を立てている。

その事実に気づいて、作業する手が止まった。


「小出?」


隣のデスクから、先般の台詞をはいた男性が声をかける。

小出みちるは、は、と平静を取り戻す。

「ごめんなさい、なんの話でした?」

「営業部の田中さん、妊娠したらしいって話だよ」

「あ、あぁ」

おめでたい話だ。

経理部に勤めるみちるにとって、営業部は花形の部署だ。

入社し4年。

キャリア志向の強いみちるにとっては、経理部よりも魅力的な仕事場だ。

そこに配属されている女性は少ない。

男性的な職場環境に加え、体力的にも女性には不利だとされている。

「結婚だけならまだしも、子供ができちゃったんなら仕事に支障がでるなー」

話題の田中さんは、今年期待の新人として入社した。

まだ、入社して半年。

5ヶ国語が堪能で、日本一の大学をトップレベルの成績で卒業したと聞いている。

なぜこんな中小企業に就職したのか、部外者の知るところではない。

だが、そんな彼女だからこそ、会社は入社してすぐの結婚にも反対せず、異動もさせなかった。


何に、腹を立てているというのか。


「ていうか、仕事したくてうちに入ったんじゃないのかね?なんで避妊しなかったんだろ」

先輩社員の独り言に近い話を聞きながら

「そうですね…」

みちるは無難な返事をくりかえす。

「だいたいよー?いくら妊娠中でも仕事できるっていっても、デスクワークだけじゃないんだし」

「…はぁ」

「フォローする他の社員にも負担がかかると思うんだよねー」

「まぁ。でも、産休もとれますし」

「えー?ありえない!」


ありえない。


「会社と他人に迷惑かける前に辞めろって感じ」





――ダン!

「これだから保守的な男っていやなのよ!」

空になった中ジョッキを、勢いよくテーブルに叩きつけた。

「…うん」

「生中!追加!」

みちると同じテーブルで酒を飲んでいたゆうこは、彼女の様子に若干身を引いて返事をする。

ゆうこは、同じ会社の同期で総務部に勤務している。

急に飲みに行こうと誘われ、会社近くの居酒屋で女二人で晩酌中だ。

かくかくしかじかと昼間の次第を話してやると、ゆうこは「うーん」とうなった。

「エリート部署で、期待の新人で、妊娠ねー」

「そこじゃない!」

みちるは、人差し指を突き立てる。

「なんで結婚して妊娠したら仕事辞めろっていわれなきゃなんないの!」

「…別にあなたの事じゃないじゃん」

「だいたいさ!田中さんも辞めたいわけじゃないのよ!」

「知らんし」

「なんで、なんで仕事がしたいのに辞めないといけないわけ!?」

「…まだ、辞めるわけじゃないんでしょ?それに、入社してすぐ結婚、半年で妊娠って、あたしからしてもありえないけど」

同じ性別の同期にまでありえないなどといわれては、みちるの勢いもにぶる。

「仕事したいんなら、そこんとこもコントロールできるんじゃないの?」

「でも、何の関係もない男にまで言われたくないと思わない?そんなんだから、世の女性は産休とっても仕事復帰できないのよ」

みちるは、一生懸命弁明する。

「それはそうかもしれないけどねー。昨今、旦那の給料だけでやっていけるとは思えないし」

「でしょー?」

みちるの目の前に、次の生が運ばれてくる。

ぐび、と口をつけ喉をうるおして、次の話題を振る。

「てゆうか、田中さんってなんで営業部なんだろ。ゆうこ知ってる?」

「知らないわよー。それだけ期待されてるんでしょ?インテリのお嬢様だし」

「旦那さんってどんな人なんだろう?」

「あ、なんかどこぞの大富豪らしいよ」

「なに、その不明確な情報」

「医者かなんか?」

「ふーん」

「聞いておきながらそこは興味ないの」

「旦那さんは、どう思ってるのかしら」

「ん?仕事のできる女を妻にして、鼻が高いか、仕事を辞めて家庭に入ってほしいか?」

「…大富豪なら、奥さんに仕事なんかさせないよね」

「わかってるじゃん」

「身重の妻を仕事というストレス環境にさらしておく必要、ないもんね」

「もしあたしが旦那で、お金持ちだったら、間違いなく仕事辞めろっていう」

「世の中、そんなもんなのかしら…」

「すべてがそうではないと思うけど、大富豪じゃなくても、身重の妻はいたわりたいでしょ」

田中さんが休業するにしろ、退社するにしろ、営業部は臨時で人員を補充するか、他の社員で田中さんの仕事をかけ持つだろう。

入社したてとはいえ、少なからず社内外で仕事をこなしている。

女性だからといって、コピーや資料作成だけやっていたというわけがない。

あの営業部だ。

定時に帰ることなど稀な部署。

残業代の計算もしているから、それは分かる。

「田中さん、かわいそう…」

生中の泡を眺めながら、みちるはそう思うしかできなかった。



■ ■ ■


「小出。僕と付き合わない?」

「はぁ?」

あくる日の昼休憩。

当番で事務所に残っていたみちると、昨日、みちるにとっていけすかない発言をした先輩。

なんの前置きもなしに、その先輩社はとんでもない告白をした。

文字通りの告白。

「どこに?」

お約束なボケをかましてスルーしようとしたみちるだったが、先輩社員の真剣な眼差しに、それ以上なにも言えなくなる。

「このタイミングであたしに何を言うんですか?」

うすうす気づいてはいた。

彼の言動に「好意」があることは。

だけど、昨日の今日でそれはない。

「小出彼氏いた?」

「あの、あたしの話、聞いてます?」

「このタイミングだから、告白してみたりしているんだけど」

なんて男だろう。

呆れてものも言えない。

「新入社員のおめでたい話題に便乗」

おめでたいなんて、昨日の発言にはそんな考えちらりとも感じ取れなかった、とは言えない。

「結婚して妊娠したから仕事辞めろなんて言う人、あたしが好きだとでも?」

「…なに、怒ってる?」

「怒っていません」

「小出」

強く名前を呼ばれ、体がこわばる。

「俺、お前も俺の事少しは好いてくれてるんじゃないかって、思ってたけど。勘違い?」

か、と顔に血が集まるのが分かった。

よくも。

昼休憩で部署には他に誰もいないからとはいえ。

よくも。

「俺は、小出が好きだよ」

よくも。

「返事は?」

よくも。

「男の人って…勝手です」

気分がわだかまる。

「ん?」

「あたしは、本当はバリバリ仕事したいんです。ある程度はお給料もらって、重要な仕事して、満足したいんです」

「今もしてるじゃん、仕事。経理も、立派な仕事だよ?会社にとって重要な部署だ」

「…楽しく仕事がしたいんです」

よくも。

「俺は、俺の隣に小出がいるから、仕事が楽しいよ?」

よくもそんな台詞を。

「ずるい」

鼻声になる。

「あたしの理想はそんなんじゃないんです」

「んー?どんな」

男が苦笑している。

ティシューを1枚、差し出している。

「仕事ができて、ブランド物のスーツをさらっと着こなして、アフターではおしゃれなバーで素敵な彼とお酒飲むの」

「お酒、好きだね」

差し出されたティシューを受け取り、目元にあてる。

マスカラが落ちないよう、そっと。

「そして、結婚して、子供産んでも、仕事と両立していつかみんなが憧れるキャリアウーマンになるの」

「ふーん。だから怒ってたのか」

だから怒っていた?

あたしが何に怒っていたって?

「小出、俺がお前の理想に反してて、落胆したんだ?」

「なんでそんなポジティブ思考なんです!?」

「ふふ、鼻水出てる」

「ちょっ!」

みちるは慌てて鼻を覆う。

「もう一枚、ティシューくらさい」

「ん」

音をたてないように、慎重に鼻の下もおさえる。

「小出さ、俺の考えに幻滅したん?」

みちるは答えられない。

図星だったから。

「言い方は間違ったかもしれないけど、俺は、他人に迷惑をかけるくらいなら、仕事なんてするなって思う」

「なんでですか…」

「お前もそう思うんだろう?仕事ができる女になりたいって」

「…どういう意味ですか」

「ん?全部言わないと分からないか?」

「負担になるからですか」

「違う。仕事ができる人なら、他人に協力されても迷惑はかけないって持論があるから」

男は笑った。

男、多田はみちるの座る椅子をくるりと回した。

自分の正面を向かせる。

「君が、俺の意見に落胆してお怒りだったってことは、俺にとっていい意味かな?」

「ずるいです」

みちるは、上昇していく自分の脈拍を感じた。

俯きたかったが、まっすぐ見つめられて動けなかった。

涙がこぼれた。

仕事がしたいと願う一方、結婚して、幸せな家庭を築く、そんな夢を見た。

この、多田という先輩社員と。

自分の理想を打ち砕くような彼の意見に、正直怒りを覚えた。

なんてバカな夢を、見ていたんだろうと自分に落胆した。

自分の願望をかなえられる相手であってほしいという、淡い祈りこそ、自分勝手だと。

「俺は、君の理想も大事にしたいけど、自分の気持ちを譲る気もない」

「結婚したら、辞めろってことですか」

「俺が君を好きだって気持ちは、譲らない」

胸が、締め付けられる。

「君が仕事を続けるというなら、俺は協力する準備はあるってこと」

「俺と、これからの未来をスケジューリングしない?」

「するい!」

「はいはい。泣かないで」

「子供みたいに扱わないでください」

「ごめん」

苦笑。

「仕事ができる女になるんだもんな」

「やっぱり、ずるくて勝手です!」

多田の、暖かな手が。

みちるの手を取った。




その後。

あたしはまだ仕事を続けている。

結婚して、子供を産むかどうかは、まだ未定だ。

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