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すももデンタルクリニック  作者:


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10/12

第10話 すもも先生の苦手な患者さん

その男性は、

初診の予約電話の時点で、すでにぶっきらぼうだった。


「……痛い。いつ治る」

「話は短くしてくれ」


受付の沙耶が困った顔で桃に耳打ちしたほどだ。


そして午後。

扉を荒々しく押し開けて入ってきたのが、

無精ヒゲの生えた 高梨秀一(たかなし しゅういち・51) だった。


「早くしてくれよ。

 仕事の合間で時間ないんだ」


声は刺々しく、視線は険しい。

桃は笑顔で迎えたものの、

心の奥が少しだけ怯えた――

こんなふうに思うのは珍しいことだった。


(……苦手、かも)


診察椅子に座る高梨は落ち着かず、

器具を出すたびに苛立ったように肩を動かした。


「歯の痛みはどのあたりですか?」

「全部だよ。

 どこ触っても痛ぇんだよ」


桃は丁寧に触診したが、

虫歯は軽度、歯周病も中度。

“全部が痛い”と言うほどの理由は見当たらない。


(…根岸さんのように、

 心の問題が歯の痛みに出ることはあるけれど)


高梨は、桃が少しでも黙ると

「時間がねぇって言ってんだろ」と舌打ちする。


苦手意識が、桃の胸でじわりと広がった。


けれど、桃は思い出した。


──お母さんは、どんな人にも“一度は寄り添う”人だった。


(逃げちゃだめ。まずは、向き合ってみよう)


桃は器具を置き、

すっと椅子を離れて高梨の前に立った。


「高梨さん。

 歯そのものより……

 “何か他に痛いところ”はないですか?」


高梨は一瞬、怪訝な顔をした。


「は? ねぇよそんなもん」

「本当に?」


沈黙が落ちた。


数秒のうちに、

高梨の表情がほんの少しだけ揺れた。


「……俺には関係ねぇだろ」


「関係ありますよ」

桃は真っ直ぐに言った。

「歯の痛みって、心が疲れている時ほど強く感じますから」


高梨は目を伏せた。

その指が、わずかに震えていた。


「……仕事、辞めさせられそうでな」


かすれた声だった。


「現場でミスした。

 若い奴らは細かい作業うまいし、

 俺がいる意味なんて……

 最近はもう、わからなくなる」


桃はそっと椅子に腰を下ろした。


「それで、全部の歯が痛く感じるんですね」


高梨は黙って頷いた。

その顔は“怒り”よりも、むしろ“寂しさ”に満ちていた。


桃は高梨の横に、

そっと“温かい手”を置いた。


「高梨さん。

 まずは深呼吸しましょう」


「……は?」

「大丈夫、誰も見てませんから」


高梨は不満そうにしながらも、

桃に合わせて息を吸った。


吸うたびに、

硬かった肩が少しずつ落ちていく。


「痛みが全部歯に来ているだけなんです。

 だから……まず“休むこと”が治療になります」


「休むなんて……俺はそんな――」

「“休むのが一番の仕事”の時もありますよ」


桃の声は柔らかく、

しかし不思議と揺るぎなかった。


高梨の目尻が、かすかに赤く染まった。


「……俺、誰にも必要とされてない気がすんだよ」


まるで幼い子どものように、

高梨は呟いた。


桃はゆっくりと言葉を返す。


「必要とされていない人なんていません。

 それに……ちゃんと、痛いって言いに来てくれたじゃないですか。

 それだけで、十分ですよ」


高梨の強張っていた肩が、

ついにストンと落ちた。


「すまねぇな……先生。

 今日、怒鳴って。

 本当は……怖かったんだよ」


「怖いって言えて、えらいですよ」


桃の言葉に、

高梨は目を細めて小さく笑った。


「じゃあ今日は、痛み止めを少し強めに出します。

 でも本当の治療は、ゆっくり休むこと。

 いいですね?」


「……はい」


帰り際。

高梨はふいに立ち止まり、後ろ手で頭を掻いた。


「先生さ……

 俺、あんた苦手だと思ってたけど……

 なんか、泣きそうになった。

 ありがとな」


桃は笑った。

「私も、最初はちょっと怖かったです」


高梨は一瞬ぽかんとしたあと、

肩を震わせて笑いながら帰っていった。


閉院後、桃は母の手紙を思い出した。


──“誰かの痛みを見つけられる人になってね”


高梨の背中が、

不器用に揺れながら去っていく姿は、

なぜか幼い日の自分と重なった。


(お母さん……

 今日はちょっと勇気が必要だったけど、

 あなたの言葉のおかげで向き合えたよ)


桃は診療室の灯りを落とし、

夜の冷たい風を吸い込んだ。


人は、誰かに小さく弱音を吐くだけで軽くなれる。


その当たり前を、

今日またひとりに渡せた気がした。

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