女たちの企み
とある別荘に、執事が訪ねてきた。
そこは、権利書が見あたらなかった物件だ。
「奥様、終わりました」
「そう、ご苦労様」
離婚した妻は、夫が十年前に浮気したときにこの別荘の権利を譲り受けていた。
離婚したいと妻が言ったのに、引き留めたのは夫だ。
それが初めてではなかったので、「謝罪をするなら、言葉ではなく財産を寄越せ」と要求した。
そのときに名義を妻に換え、書類は金庫に入れていた。忘れっぽい夫が、別荘はまだ自分の物だと思い込んでいただけ。
湖の側に立つ、しゃれた別荘だ。都会から離れ、心の洗濯をするのにぴったりだった。
かつては隠居した貴族が住んでいたという。
「座って。ゆっくり聞かせてちょうだい」
元妻は、執事を二階に誘った。その部屋からは、湖がとても美しく見えた。
「元婚約者の家は、納得してくださった?」
「数ヶ月前から折衝を重ねた結果ですから、問題ございません。
ご令嬢の次の婚約も、滞りなく進んでいるそうです」
「それはよかったわ。
あの人が強引に幼なじみたちを引き裂いたんですものね。幼なじみの彼の家も持ち直したのでしょう?」
「旦那様の妨害がなくなれば、元通りでございます……」
執事が苦笑した。夫は羊毛がほしくて、三年前に強引に婚約を成立させたのだ。
「ほんとうに強欲で、迷惑な人だったわね。
でも、我が家のお金で紡績工場を建てさせて、そっくり手に入れたのだから、あちらにしても悪くはない取引……いえ、ご令嬢を巻き込んだのは、良くないわね。
あちらのご当主はご自分の娘に嫌われてしまうがいいわ」
「三年ほど、まともに口を利いてもらえていないそうですよ。
それ以来、反省して、ご家族の意見を聞くようになったとか」
「三年前は、二人とも似た者同士だったのに……片方だけ強引さを反省したのね」
妻がぽつりと言った。
ぱしゃん。湖で魚が跳ねた。
元婚約者のご令嬢は、自分の父親を許すのだろうか。
これから好きだった人と結ばれるとはいえ、一度は引き裂かれ、嫌な男と婚約させられたあげく、一方的な婚約破棄。
すべては、自分の父親が金儲けの口車に乗せられたから。親としての信頼は地に落ちている。
いくら反省されたとしても、彼女が傷ついた時間は取り返しがつかない。
息子がすっぽかした自宅でのお茶会。申し訳なくて彼女とお茶をしたが、普通の良い子だった。
自分が、婚約者を勝手に決めた父親を今も恨んでいるせいで、元婚約者の気持ちが気にかかる。
憎しみが消えない状態で、結婚式に父親と腕を組んで歩くのは苦痛だった。
彼女はそんな苦しみを抱えずに済みますようにと、心の中で思う。
風が冷たくなってきたので、窓を閉めて食堂へ移動した。
「奥様、窓を閉めるなど、私がいたしますよ」
「これくらいできるわ。
寝る間も惜しんでやる仕事など、ここにはないのですもの。
それに、今日の貴方はお客様なのよ」
にこりと微笑む顔は、タウンハウスでは見たことがないほどリラックスしていた。
ここでは、晩餐の前にドレスに着替えることもない。
食卓に並ぶのも、食べられそうな分だけ。豊かさを誇示するための料理は必要ない。
「夜会の主催者は、あのタウンハウスを譲ることで満足しているかしら?
装飾品や内装はどうなさるか知っていて?」
ワインを味わいながら、おしゃべりをする。
「旦那様は側妃殿下のご実家から取り上げたあと、特に興味もなく改修もしておりませんでした。
侯爵家はタウンハウスを見にいらっしゃる際に、側妃殿下をご招待されたのです。側妃殿下は、昔のままだと感動されていました」
側妃の実家が傾いたときに、夫が高額を提示して購入したタウンハウス。
妻は夫の仕事をやらされていたので、調度を整えたりする女主人の仕事はあまりできていなかった。それが、結果的によかったらしい。
夫は手に入れただけで満足し、妻は家に愛着を持つゆとりもなかった。家にとっては、無関心な主で気の毒だったと思う。
夫は結婚した後に、穀物の先物取引で巨万の富を築いた。
それまでのパッとしない平凡な人生を塗りつぶそうとするように、高位貴族から物を奪い、女性に手を出し、経済力を誇示しようとした。
情報収集だと家を空け、当主の仕事を妻に押しつける。
卑しさが顔に出て、人相が変わるまでそう時間はかからなかった。
いや、実の弟を虐げていたのだから、元々、劣等感を自分で処理できない卑しい人間だったのだろう。
それを隠していたか、隠さずに開き直るようになったか……それだけの違いかもしれない。
「侯爵家は、側妃殿下がお喜びでなによりだと。そのお子様である第五王子殿下との婚約が成立しそうだとおっしゃっていました。
王家に、ご令嬢と第五王子殿下の新居をタウンハウスにしたらどうか、と働きかけるおつもりだそうです。
これで、夜会を台無しにされた怒りを収めてくださるということでした」
妻は「怒りを収める……ねぇ」と、執事の言葉を繰り返して笑った。
夜会で婚約破棄をしようとしていることを、妻と侯爵夫人、側妃も知っていた。
息子の侍従が執事に相談し、それを妻に報告したことが始まり。
妻は学生時代に実家が作った商品を、王都で高位貴族に納品していた。
その関係で顔見知りだった夫人たちに、息子のことを相談した。
その結果――。
妻は夫に復讐して、縁を切りたい。
側妃は、昔暮らしていたタウンハウスを取り戻したい。
侯爵夫人は、自分の娘と側妃の息子を結婚させたい。
執事に三人の希望を伝えると、どんどん計画は膨らんでいった。
息子が事件を起こしたら、慰謝料という形でタウンハウスが侯爵家に渡り、側妃の息子のものにできる。
ついでに、息子が邪険に扱っている婚約者も解放してあげたい。
夫を追い出して、夫の弟に家督を譲った方がいいのではないか。
息子の婚約者の母親も引きずり込み、銀行の融資担当にも根回しし、条件の摺り合わせができていく。
夫の弟にも、家督を受ける気があったら上京し、執事の部屋に隠れているように手紙を出した。
妻を尊重せずに、いろいろなことを勝手に決めてくる夫たちには、意趣返しとして計画は伏せられていた。
夫も、侯爵も、国王も、婚約者の父も蚊帳の外。突然の婚約破棄に驚いている姿を見て、少しだけ溜飲を下げた妻たち。
「側妃様はたいそう興奮されて、ご子息の第五王子殿下が臣籍降下した暁には、ご自分も王宮を下がりたいとご希望を出されると……。タウンハウスで暮らしたいと仰せです」
執事はパンを一口サイズにちぎりながら、苦笑いした。
「新婚家庭に乗り込むのは、どうかしら……ねえ?」
妻は、言外にやめた方がいいと匂わせた。
「側妃様は、孤児院など貧困や福祉のお仕事を担当されていますよね。ですから、国王陛下がお聞き入れになるかは……いずれ、王子妃のどなたかが引き継いでくださればいいですけど」
女性が暗躍する気になったら、どれほどのことをなしとげることやら……。
男たちが女の声を封じようとするのは、きっと、心のどこかで恐れているからだ。執事はワインを飲みながら、そんなふうに考えた。




