虹の来訪
次の日の朝。
「こっちに来るなー!」
顔面にキュウリを張り付けている女が、全速力でこっちに走ってくるので、私が全速力で逃げる夢をみて、おもわずベッドから飛び起きた。
・・・なんだ、夢か、といって、安心してはいけない。そう、夢からさめた夢ってパターンがあるかもしれない。
注意深くまわりを見渡し、誰もいないことを確認していると、どたどた、バタン!
音を立てて、ドアが開いた。
「ぎゃー!」
「わー!」
悲鳴が二つ重なった。最初の悲鳴は私だ。もう一つは私の部屋に、勝手に入ってきた奴の悲鳴だ。
「こっちに来るなー!」
とにかく身を守ろうと、近くにあった、ゆるキャラのクッションなどを手当たり次第に投げた。
「待って待って!俺だよ!」
俺って誰だよ!オレオレ詐欺?俺ってことは、夢の中に出てきた女ではないのか・・・?ちらりとドアなほうを見てみると、小学三年生の弟、海斗が立っていた。
「なんだー、海斗か・・・。」
ホッとして、胸をなでおろしていると、海斗が焦った様子でいってきた。
「なんだーってなんだよ。ゆっくり寝ている場合じゃねぇよ、姉ちゃん。うちに猫がピンポンしてきたんだよ!」
そこまで聞いて、一気に頭がはっきりしてきた。昨日、虹に会ってから、家に帰ってお母さんにおなかをすかせた猫に会ったと伝えると、帰ってくるのが遅い!とこっぴどく怒られた後、お風呂に入って、死んだようにぐっすり寝て・・・今に至る。
いやいや、そんなこと思い出している場合じゃない。まだ着替えてすらいない。
せっかくの土曜日なのに、訪ねてくるなー!
それに、ふつうの猫はピンポンしない。虹がピンポンしたこと、海斗をごまかさなければいけない。
虹め・・・手間を増やさないで欲しい。
「なぁ、猫ってピンポンするの?」
ほら、やっぱり聞いてきた。
「海斗、あのね、世界は広いんだよ。ピンポンする猫も世の中にはたくさんいるんだよ。ついでに、しゃべる猫もいるかもしれない。」
大真面目に真顔でそう言うと、
「しゃべる猫も!?すっげー!俺、サインもらってくる!」
と、興奮しながら階段を駆け下りていった。・・・ギリギリセーフ!
頑張った!頑張ったぞ、私!海斗が単純でよかった!それに、噓は言っていない。
海斗が虹の相手をしている間に身支度を整え、階段を下りていくと、リビングのソファーに虹がリラックスしたように居座っていた。
「なんでリビングまで来ちゃってるの!?お母さんと海斗は!?」
「ここで待っていてっていわれた」
なんのために海斗をごまかしたのか、わからなくなってきた。
「虹、なんかちょっときれいになってない?」
「でしょ?」
と自慢げにしっぽをふった。
昨日会った時には泥だらけだったのに、今は泥はすっかり落ち、白く毛が輝き、つやつやのもっふもふになっている。虹の毛の色って、真っ白だったんだ。きれいだなぁ。
思わず撫でていると、お風呂場のほうからどや顔をした、お母さんと海斗がやってきた。
「どう?このモフモフ具合。ちょうど、おばあちゃんからもらった猫用シャンプーがあったから、洗ってあげたのよ。昨日、美音がいっていた、おなかをすかせていた猫ちゃんかなって思って」
「すっごくいい子だったんだよ!モフモフしていて、姉ちゃんもびっくりしただろ!あと、肉球のサインもらったんだぜ!」
お母さんも海斗も、うれしそうに笑っていて、虹も、まんざらでもなさそうだ。
なんでちょうどいいタイミングで、おばあちゃんから猫用シャンプーをもらっていたのかはさておき・・・私も虹を洗ってみたかったな。また今度、猫用シャンプーでも買いに行こう。そう、密かに心の中で決めた。
「こんなにいい子なら、猫を飼うのもいいかもね」
おかあさんがにこにこ笑っていたので、私はぎょっとした。
「賛成!俺も猫飼いたい!」
海斗も乗り気なようで、ますます私は焦った。私は虹を飼うことには賛成だけど、昨日断られているので、虹が嫌がってひっかいたらどうしようと思ったからだ。
「うちの子になる?」
お母さんが虹と目を合わせて言った。
「うん、なる」
虹がそう言うと、お母さんと海斗はフリーズした。
「・・・ねぇ、姉ちゃん。さっき、この猫しゃべらなかった?」
海斗が聞いてきたので、私は全力でごまかした。
「え?気のせいじゃない?猫がしゃべるわけないじゃーん」
棒読みになりながらも、私は全力で否定しまくった。私の頑張りのおかげか、
「そ、そうだよね!海斗、気のせいだよ」
とお母さんは納得しかけていたのに・・・
「昨日あんなに話したのに!覚えていないの!?」
と虹がショックをうけた様子でしゃべり、全てが無駄になった。
時、すでに遅し。
リビングで、海斗は困惑して走り回り、お母さんは頭を抱えて座り込んだ。
「虹・・・。私ががんばってごまかしていたのに、何てことしてくれたの・・・」
般若のような顔をして振り向くと、虹は縮こまって
「はい、すみません・・・」
としょぼくれていた。まったく。
とりあえず、昨日虹が言っていたことを簡単に伝えると、二人とも、あんがい簡単に納得した。
「猫ちゃんも苦労したんだねぇ」
とお母さんは涙ぐみ、
「ちょっとよくわかんないけど、しゃべる猫ってことだよな?すっげー!」
と海斗は目をキラキラさせた。理解するのがはやすぎて、ちょっと怖い。そのことを虹に伝えると、
「君もこんな感じだったけどね」
と返ってきた。こんな感じか。親子って、似るんだなぁ。
「それを踏まえても、僕を飼ってくれる?」
お母さんと海斗は顔を見合わせて、
「そりゃあ、ねぇ」
「ここまで聞いといて、飼わないわけにはいかないよね」
私もうなずいた。
「大滝家って、肝が据わっているよね」
と、虹が引き気味に言ってきた。褒め言葉として、受け取っておこう。
「近所の人に、知らせていい?」
「俺も、友達に知らせたい!」
お母さんと海斗が今すぐにでも誰かに言いそうだったので、
「いいけど、できれば、僕のことは、ほかの人がいるときは猫として扱ってほしいな」
虹が海斗とお母さんにくぎを刺していた。
「了解!猫じゃないことは、誰にも言わないから!」
それを聞いて安心したのか、ぐでっとソファーに寝っ転がっていた。その様子を見て、海斗とお母さんは盛り上がっていた。
「・・・そういえば、お父さんに相談していないけど、いいよね」
私がつぶやくと、お母さんが微笑んだ。
「あの人は、猫が大好きだし、大丈夫でしょ」
「パパが帰ってきたら、覚悟したほうがいいぜ」
海斗が虹に向かって、いたずらっぽく笑った。
みんな、好き勝手いっているなぁ。
「それじゃあ、覚悟しておくね。」
なんだか楽しそうに虹は言った。
「名前どうする?猫助?猫太郎?」
海斗が出した名前が、絶望的にださい。
「「「却下で」」」
私と、虹と、お母さんの声が重なった。
「虹で!虹でお願いします!」
海斗が選んだ名前がいやだったのだろう。虹が必死に訴えていたので、これからも虹と呼ぶことになった。
「お母さんが名前を考える前に決まってよかったね。お母さんは、海斗よりやばいよ。」
こそっと伝えると、
「海斗よりやばいって・・・もし虹じゃなかったら、一体どんな名前つけられていたんだろう。」
少し青ざめて震えていた。よかったね、改名しなくて。と、しみじみと思ったのであった。