薬草の夜と、秘密の焚き火
その夜、私は珍しく、よく眠れなかった。
寝具のせいではない。むしろ、ふかふかの苔と乾いた葉を重ねたベッドは、貴族の羽毛布団より快適だった。
静けさも、虫の音も、すべてが心地よい。
——けれど、眠れなかったのだ。
私はそっと毛布をはだけ、靴を履き、外へ出た。
すると。
「……起きてたんですか?」
焚き火の傍ら、リアンが湯を沸かしていた。
彼の背中は静かで、けれどどこか、少し寂しげだった。
「眠れなくて。あなたは?」
「僕は、たいていこうしてます。夜は森の音がよく聞こえるんで」
私が黙っていると、彼はマグカップを二つ差し出した。
「これ、飲めますよ。眠りの花から煮出したハーブティです」
「……ありがとう」
一口飲むと、甘くも苦くもない、不思議な味がした。
けれど、体の奥がじんわり温かくなって、肩の力が抜けていく。
「……どうして、あんなところに来たの? 星結びの宴に」
リアンは一瞬、火のほうを見つめた。
「本当は……出るつもり、なかったんです。でも、森の精霊が言うんですよ。“そろそろ、誰かと手をつなげ”って」
「……精霊が?」
「ええ、結構お節介なんです。人の気持ちなんて、ろくに知らないのに」
彼は笑っていたが、その声は少しだけ掠れていた。
「昔、婚約を断られたことがあるんです。相手は貴族の娘で、僕の“能力”じゃ、彼女の家にはふさわしくなかった。だから、宴も嫌だったんですよ。本音を言えば、来たのは半ば精霊に脅されて、です」
私は言葉を失った。
不器用で、評価されず、笑われてきた男——けれど、自分を卑下するでもなく、誰を恨むでもない。
焚き火の赤が、彼の横顔を照らしていた。
その顔を、私はしばらく見ていた。
気づけば、何か言葉を探していた。けれど、何も見つからなかった。
ただ、湯気の立つカップを抱きしめながら、そっと言った。
「……そう。あなたも、大変だったのね」
それだけで、リアンはふっと微笑んだ。
その笑顔が、なぜか胸に、痛いほどやさしかった。