第6話:デッド・オア・アライブ。
◇6◆
「ロシアンルーレット……?」
手にした拳銃とクリスティーナを見比べて、ラットは怪訝な表情を浮かべた。
「ええ、そうよ。私は拝金主義者じゃない。本当に欲しいものなら、お金だけじゃなく、すべてを賭けるべきよね」
彼女はそう言うと緩く口角を上げた。その怪しげな笑みもさることながら、隣りからピリピリとした空気を感じて、視線をリンダへと向ける。
――笑ってやがる。
リンダはその瞳――ビースト・ラボで暴れたときと同種の、危うい光が滾っている。
「新人はなにも知らずにすぐに死んでしまう……ね。その言葉には裏があったわけだ。ウソと言ってもいいのかな」
「ふふ。ウソはひどいわ。本心かもしれないでしょう? それにね――こんなスリリングなこと、慣れちゃったら、つまらないじゃない?」
「だからなにも知らない新人にこの賭けをやらせて、死ぬか生きるかを試させるわけね」
「もちろん、賭けにも種類がある。今回はロシアンルーレットだけれど、毒酒を使う場合もあるし、手榴弾を使う場合もある。火薬入りと火薬無しの二択でね」
彼女は楽しそうだった。リンダは息をついて肩をすくめる。
「なら、俺は君に気に入られているようだ。今回は二択じゃない。六分の一だからね」
「ふふ。一目見たときから面白そうって思っていたわ。現に、こんな理不尽な賭けを前にして、あなたは笑っているじゃない」
彼女の言う通り、リンダは楽しそうだった。まるで新しいおもちゃを前にした子供のような笑みを浮かべている。
「それじゃあ、この命をベットするとしよう――」
「おい、どけ!」
リンダが銃をこめかみに当てようとしたとき、後ろから怒声がして、大柄な男が大股で入ってきた。
「あら、ケイティじゃない。どうしたの?」
「お前から買った服、すぐに破れちまったぞ。こちとら命まで賭けたってのに、どうなってんだ!」
喚いている男――ケイティの服を見ると、刃物で切られたようにボロボロに破れていて、ところどころから血が流れていた。それを見て、彼女は深くため息をつく。
「あのね、服ってものは鎧じゃないの。誰とやり合ったかは知らないけど、その服を選んだのはあなたでしょう。リスクを取るのなら、防刃防弾の服を選べばよかったじゃない」
――まあ、それも完璧ではないけれど。
彼女はそう付け足した。
そしてその様子を眺めていたリンダも、「怪我してるけど、治療したほうが良いんじゃない?」と声をかけるが、男はこちらを向くこともなく怒鳴りつける。
「うるせえ! いいから代わりの服を寄こせ! あの猫をぶっ殺さなきゃならねえんだよ!」
「猫?」
ラットが腕を組んで不思議そうに首をかしげると、「猫を被った虎がいるらしいよ」とリンダが補足した。
「ややこしいな。どんな輩だよ、そいつは」
「ここに保証なんてないのよ。新しく買いなおすなら売るけれど、交換は受け付けてないわ。最初に言ったじゃない」
「ん? 俺たちは言われてないけど」
「バカね。賭けに勝った子に説明はするものよ。死人に耳打ちしたって聞けないでしょう?」
リンダの呆けた声に、クリスティーナは苦笑する。だがいきり立ったケイティは鼻息も荒く、「もう一度命を賭けろってのか!」と怒鳴っている。
「嫌なら別の店に行けば良いじゃない。下層にはもっと上質な服も置いてあるわよ」
「あんなイカレたやつだらけの場所で生き残れるわけねえだろうが!」
「すごいね、行ってることは弱気なのに自信は満々だ」
「うるせえ! ぶっ殺すぞてめえッ!?」
リンダが肩をすくめると、ケイティがこちらを向いて唾を飛ばした。クリスティーナはこめかみに指を当ててしばらく考えたあと、奥から拳銃を取り出した。
「なら、あなたも賭けに参加しなさいな。この前は毒酒の二択だったけど、今回は特別にそこの子たちと同じロシアンルーレット。六分の一よ。それが吞めないなら消えてちょうだい」
「……クソアマめ。じゃあ、これの賭けに勝ったら好きな服を好きなだけ貰うぞ」
無茶苦茶だな、とラットは思う。賭けはあくまで売買に値するかどうかを試す意味だと理解した。つまり、賭けに勝っても金は払わなければならない。
つまり生き残ることでようやく、買うか買わないかの選択肢を選べるというだけなのだ。だというのに、勝てば好きなだけ貰うというのは横暴である。
だが、そもそもが彼女の言うように理不尽であることに変わりはないのだが。
ここでは客は神ではない。主人こそが支配者なのだ。だからこそ理不尽であれ、それを吞まなければいけない。
「それは道理が通らないんじゃないかな」
リンダは何の気なく、そんなことを言った。
「命を賭けさせて金まで取るんだぞ。快楽殺人者に道理もくそもねえだろうが」
確かにそれも一理ある――とラットは思う。しかし、命を賭けない方法もあるのだ。つまり相手の土俵に上がらず、服を買わないという方法が。
彼女はあくまで欲しいのならまずは命を賭けろと言っているに過ぎない。それに乗るかどうかは最初から選べるのだ。
「……いいわよ。あなたが勝ったら、欲しいものはすべて持って行きなさい」
クリスティーナは呆れたようにため息をついてからリボルバーを回転させて、ケイティへと手渡す。
「約束だからな」
へっへ、と笑ってセーフティを外し、トリガーに指を賭ける。そのまま引き金を引いた瞬間――パンッ! という乾いた音とともに鮮血が噴き出した。
「――が」
ケイティはそのまま銃を手放し、こめかみから血を流しながら倒れ込む。
「まずいな、脳に直撃だ。即死じゃないか」
リンダがしゃがみ込み、倒れたケイティの頭部を見る。火傷痕があり、小刻みに痙攣して血が噴き出ている。
「あなたの負けよ、ケイティ」
「……クリスティーナと言ったな。これはスリリングなギャンブルじゃないだろ」
「あら、気付いたのね」
ラットは苦々しい表情でケイティの持っていた銃を取り上げて、リボルバーを外す。すると、四つの薬莢がぱらぱらと落ちた。
「五つ弾が入っていた。空なのはひとつだけだ。ロシアンルーレットに使用される弾丸は一発だが、これは五発入ってただろ」
ラットは銃を握りつぶし、床へと叩きつける。
「ギャンブルは公正じゃないといけないよね。イカサマは信用を落とすよ」
リンダも立ち上がり、困ったように笑っている。
「甘いわね。ギャンブルというのは、一見公平であると見えるものでなければならないのよ」
「でも、バレてしまえば同じことだろうが」
「ええ、そうね。だから今回のイカサマに関して、あなたたちには黙っていてもらうしかない。だから取り引きをしましょう。私はあなたたちに無償で服を提供する。あなたたちは、この場で起きたことは他言しない。どうかしら?」
テーブルの上で両手を重ねるようにして、クリスティーナは笑みを浮かべる。リンダはしばらく考えるそぶりをしていたが、おもむろに握っていた銃をこめかみに当てた。
それを見て、ラットも同じようにこめかみに当て――引き金を引いた。
カチッ、という音がして、弾は出てこなかった。クリスティーナは少し驚いた様子で、目を見開いている。
「一切、躊躇わないなんてね。正直、驚いたわ」
「賭けは俺たちの勝ちだな」
「……せっかくの取り引きに応じないなんて、命知らずね」
「人が死んでんだよ。なのに自分は命も賭けずに安全な道を選ぼうなんて、馬鹿げてるだろ」
「なら、吹聴するということ?」
「いいや――取り引きはまだ終わってないよ。俺たちは賭けに勝った。もちろん、服も買う。でもそれと、この件は別件でしょ?」
リンダは銃を彼女に渡しながら言う。そこでようやく、クリスティーナは怪訝そうな表情へと変わった。
「私の楽しみを奪うということ?」
「その通りだよ。君がこれから先、こんな賭けをしなければ、俺たちは悪戯に吹聴したりはしない。でも、一度でも賭けをしたら――分かるよね」
彼の言葉に、クリスティーナはクスクスと笑った。それは次第に大きくなり、口元を覆って目を細める。
「あー、もう。やってくれるわね。たったひとつの私の楽しみを奪うなんて……」
「ま、その代わり値段を吊り上げてやれば良いんじゃない? 金が流通している以上、新しい楽しみも見つかるかもしれないし」
「そうねえ……良いわ。分かった。今後、この賭けはしない。その代わり、あなたたちも今回の件は黙っておいてね」
「もちろん」
「……俺は納得してねえけどな」
ラットからすれば、人が死んでいる事実に変わりはないのだ。それを見逃すような真似は到底、納得できるものではない。
しかし。
「これからのことを考えるべきだよ、ラット。死者は、生き返らないんだ」
顔をしかめるものの、リンダの言葉には頷くしかなかった。彼の言う通り、どれほど怒り、暴れたとしても死者は帰ってこない。ならば、これからの安全を死守すべきである、と。
「……特別に安値で売ってあげるわ。嫌な思いをさせちゃったからそのお詫びと――私が、あなたたちのこと、気に入ったから」
そう言って奥に引っ込むと、ダークスーツと赤地に白のストライプが斜めに入ったネクタイ、革靴を取り出してくる。
そして半そでで黒のビッグTシャツに同色のドレープスカート風のワイドパンツ、ダークブラウンのショートブーツの入った箱を次々と出して、二人の前に置いた。
「サイズはさっき測ったから、合ってると思うわ。あと――あなたたちだけには、特別に保証をつけてあげる。いつだって交換と修繕を受け付けるわ」
「物は言いようだな。結局は口止め料かよ」
「ラット、好意を無駄にしちゃいけないよ」
「なにが好意だ、クソッタレ」
吐き捨てるように言って、彼女に金を払ってから、その場で二人は着替える。リンダがネクタイを締めるのを見て、やけに手慣れているなと感じて、見入っていると、
「ここに来る前は、スーツが戦闘服だったんだよ」
と返ってきた。出会って数時間であるから、彼の過去のことなどなにも知らないが、その言葉から想像するにサラリーマンかなにかだったのだろう。
そのサラリーマンが国を傾けるような事件を起こすなんて、想像も出来なかったが。
「二人とも良く似合ってるわ。こんな私が言うのもアレだけど、簡単に死んじゃダメよ」
「えっへへ。ありがとう」
「……ああ」
優しい言葉に毒気を抜かれ、ばつが悪くなったラットは短く返事をしてから店を出た。
「さて、これからどこに行こうか」
リンダはうんと伸びをすると腹が鳴り、「食事にしようか」とこちらを向く。
ラットもまともな食事など四年ぶりであるから、それに同意する。しかし同時に、あまりに当たり前の疑問が湧いてきた。
「……で? 飯屋はどこにあるんだ?」