第35話:ノブアキvsバフ。
◇35◆
「あ、あのっ、その人、殺したの……?」
マユが心配そうに倒れたホッパーと永明を交互に見ていて、彼は優しく微笑んだ。
「殺さないのが、君の信念なんだろう。なら、私がそれを破るのは野暮ではないかね」
「あ、ありがとう……。私、結局、なんの役にも立たなかった」
しゅん、と目を伏せる彼女の前で膝をつき、優しく肩に触れる。小さく震えているのが分かった。
まだ成人もしていないくらいの年齢で、罪人を相手に殺す殺さないの戦闘。怖くないはずがない――と、永明は思う。
むしろ、その恐怖を抱えながら相手に向かって啖呵をきったこと自体、その歳にそぐわぬほどに見事なものだと。
「最初は誰だって弱いもの。数多の経験を経て、強くなる。身体も、心も。しかしね、マユくん。君の心はたしかに強い。あとは技術が追い付けば良いだけだ」
――それもさして遠からずのことだろう。
そう言って金髪を優しく撫でた。蔵丸とはまるで逆だな、とも思う。
彼は技術こそ卓越しているが、リンダが言うように信念が弱い。そこを埋めるだけの強さがあれば、やがて弁天一家の頭も務まるだろう、と。
その蔵丸はダチュラに応急処置を施していた。
「きゃあッ!?」
不意にノブアキが吹き飛ばされて二人がいるすぐ隣りの壁へとぶつかり、バフの刀の切っ先が心臓を狙っていた。
それを手掴みで止め、血がだらだらと落ちていく。
ノブアキは弁天一家との戦いで重傷を負っていて、今もまだ完治はしていないのだろう。
紺色の着物が血で染まり、袴まで垂れている。呼吸も荒いが――。
「さすがは壊し屋といったところか」
「今はリンダさんの部下です。壊し屋でも拷問師でも、まして用心棒でもない」
永明がつぶやくと、ぼそりとノブアキがそれに答え、握りこんだ刀を引っ張り、バフの腹へと蹴りを見舞う。
「こいつ……どんだけタフなんだよ!」
切り傷だらけで、包帯からも血が滲み、満身創痍――だが、その目は決して死んでいない。むしろ鋭さだけが増しているように見えた。
そしてその身体で柄の長いハンマーを持ち上げ、肩に担ぎ、駆け出す。
「ノブアキ……か、身体がもう……」
「私も彼を見て長いが、耐久力だけで言えば、弁天一家の中でも際立っていた。蔵丸をはじめ、幹部の中でもあそこまで倒れない男はいなかったよ」
「そんなに、強いんですか」
「難しいところではある。攻撃自体は単調で、搦め手は不得意だ。だから構成員ではなく、用心棒として、守りに徹するように配置していたのだがね」
それがいつからか――否、それもまた永明の判断ミスではあったのだが――蔵丸の手によって拷問に使われることが増えてしまったのだ。
さらに転じて、壊し屋などと呼ばれるようにまでなった。
「私の責任で、彼にはつらい役割をさせてしまった。だが――」
――ようやく、自分の意志でついていく人間を見つけられたようだ。
リンダとどのようなやり取りがあったのか、永明は知らない。けれど、彼の度量の広さと、懐の深さ、なにより柔和でありながら確固たる信条に魅せられたのかもしれない。
永明から見たリンダは、それだけの素量があるように思える。
「ノブアキもまた、君と同じ。強くなる素質は十二分にある」
血まみれの顔で、それでもあきらめていないその眼光で、ノブアキはバフへと立ち向かっている。
ハンマーを振り上げ、地面を砕き、突き出してくる刀が肩を貫いても、そのわき腹へとつま先を叩きつけ――優勢であるはずのバフは表情が曇っている。
「……ハンマーで、狙っていない?」
マユのひと言に、永明も少し驚いた様子でうなづく。
ノブアキが振り下ろしているハンマーは常に相手の一歩前、無作為にさえ見える。そして攻撃は長い柄や蹴りをメインに据えている。
「――この短い時間で、考えて戦うことを覚えたか。なるほど、ならば彼はもう、壊し屋でも拷問師でも、用心棒でもない。君たちの、仲間だ」
◇◆
――なぜだ。なぜ、倒れないッ!?
刺し、貫き、斬ってなお、目の前の男は倒れず、それどころか鮮血をまき散らしながら立ち向かってくる。バフにとってそんな人間は初めてだった。
どんな人間であっても、一撃が入れば戦意を消失するか、恐れて間合いを取りたがる。そもそも一撃で殺すことにこそ、バフの強さがあった。
だというのに――ノブアキは傷が増えることも厭わず、ハンマーを振り上げ、地面へと叩きつけてくる。
そのたびに破片が舞い、視界が塞がれたところに蹴りが入って、バフの身体――その骨が軋むのを感じている。
――この破片、目くらましのつもりか!
「なんなんだよ、てめえはッ!」
「言ったじゃないですか。リンダさんの――部下ですよ。僕は」
「ふざけたことをぬかしやがって! この、化け物がッ!!」
今まで負けたことなどなかった。負けることとはすなわち死を意味する。だから勝ち続けてきた。
人を殺すことなどいとも容易く、相手が銃を使おうと、大砲や爆弾を使おうと、その首を落としてきた。
それがバフにとっての楽しみでもあったのだ。
追い込み、命乞いをしてきたものを殺す。これ以上の快感など、ありはしなかった。強者であればあるほど、血沸き肉躍る瞬間はなかった。
その強者が自分の前で両ひざをつき、泣きながら自身の命を助けてくれと願う。その願いを切り裂くこと――それが至上の喜びでさえあったのだ。
だというのに――。
「化け物でかまいません。あなたを倒せるのなら」
目の前で顔面が真っ赤に染まった男に対し、バフは初めての感情――恐怖を覚えている。
その静かな気迫と狂気に、吞まれかけているのだ。
「おおおおおおおおッ!!」
刀を振り上げ、駆け出す。斜め上からノブアキを切り裂こうとした。だが、刃は肩に食い込むにとどまり、刃の腹はハンマーの柄で止められている。
ぎろりと睨まれ、後ろへと跳躍すると、さっきまで立っていた場所にハンマーがめり込み、地面が割れ、ささくれが盛り上がる。
だが――。
ぐらりと、ノブアキの身体が揺れた。
――やっと、限界が来たか。
ようやくバフは笑みを浮かべる。
どれほどタフな人間であれ、切り刻まれて死なないものはいない。
たしかに頑丈さは認めるが、それでも斬撃を食らい続ければ、やがては限界が来る。人間である以上、否――生き物である以上は。
「はッ! 忍耐強くてもここが限界だ! 多少、手こずったが――これで終わりだッ!!」
哄笑を上げて駆け出す。突きの構えで、揺れるノブアキの心臓をめがけて貫こうとした。
だが。
割れた地面のささくれ立った部分につまづき、態勢が大きく崩れた。
「は?」
崩れる態勢の中で、目に入ったのは、ノブアキの口角が少し上がり、その目が細められるところだった。
――これが狙いか!
地面を執拗に叩きつけてひび割れさせていた。その破片で目くらましを狙っているものだと、バフは勝手に思い込んでしまった。
それ自体が、彼の狙いだとも気付かずに。
本当の狙いは、足場を荒らして態勢を崩すこと――。
そして自身が揺れることで限界が来たと錯覚させ、油断を誘ったのだ。
自身をとことんまで傷つけながら、バフの隙を作り出す。そしてそれは見事に、はまってしまった。
「――あなたの負けです」
カッ、と目を見開き。大きく一歩を踏み出すと、横薙ぎにハンマーを構え、助走をつけた状態でわき腹へと力一杯に叩きつけた。
「ぐっ、があああッ!?」
その威力に吹き飛ばされ、壁にぶつかるとクモの巣状にひびが入り、バフの意識は途切れて、ずるずると倒れ込んだ。
「……殺しはしません。リンダさんが望まないのであれば」
ノブアキはそう言うと、ハンマーを突き立て、座りこむと深く息をついた。
「しかし……本当に強いですね。傷が開いてしまいました」




