第33話:招かれざるもの。
◇33◆
歪曲島――裏側。海岸付近。
一隻の小舟が、島へと近づいていく。
そのはるか沖合いには大型の船舶が停泊していて、密輸の際、運ぶには目立つからという理由で小舟で送るようにしていた。
「ウワサには聞いてたけど、ワタシ、密輸入、したことある。でも、密入国するヒト、はじめてネ」
「密入国って……俺、日本人なんだけど。でもまあ、たしかに入るの初めてだよ。しかしなんというか、なんだか薄暗い場所だなあ。さすがは監獄ってところか……ところでウワサって?」
「ワタシの仲間や、バーバーは人、入れたことあるらしいネ。とってもたくさん、船もたくさん、大変だった聞くネ」
「へえ、そりゃあ物好きもいたもんだなあ」
「それが何度もあった聞く。ワタシのイェイェ、死んだけど、その時代、もっと古い時代から、あの島行く人、多かったらしいネ。ワタシと同じ、他の業者も言ってた。あそこ、宝でもあるか?」
「宝なんてのは聞いたことねえけどなあ。でも、なにかしら用事があっても行くこともないだろうし。わざわざ極刑の流刑の地に踏み入ることなんて、普通はしないわな。宝かどうかは分からんけど、なんかあるんだろうね」
「アナタ、人のこと言えない」
「にっひひ。そりゃそうだ」
鈍りのある日本語で男――ハオランが舟をこいで、そこに腕を組んで座している青年はにんまりと笑みを浮かべている。
青年は赤茶けた髪を右に流し、左側は二筋に結っていて後ろでまとめ上げている。どこか幼げな表情で、大きなアーモンド状の目に小さな鼻、薄い唇と中性的である。
そして黒の着物に暗い灰色の袴を身に着け、黒足袋に草履という格好であった。
なによりその腰の両側に差した二振りの刀は、まるで江戸時代の侍を思わせる身なりである。
「アナタもあの島、なにか用があるか」
「んん~。あえて言うなら人探しってところ。大事な友達が捕まっちまってさあ。まあ、たしかに罪っちゃ罪なんだけど……どうにも納得がいかなくてね。いっそ連れ出しちまおうって考えたんだよ」
「でモ、私タチ、監獄に送ること出来る、でも、迎え、これないよ。海自も海保も網を張ってる。ここに来るのも、簡単じゃないヨ」
男は漕ぎながら青年を見ると、「ま、そりゃそうだわなあ。でもそこまで面倒をかけるつもりはないし。ま、カギを見つけてさっさと出ちまおうって魂胆だし」
小舟が島に着き、青年は懐から巾着を取り出すと、それを男に投げて渡した。
「有り金はこれで全部。足りる?」
「いつも貰ってる値段の一〇倍以上ネ。上等なくらいよ」
「そりゃ良かった」
「ところでアナタ、その格好、変だヨ。昔の服みたいネ」
「うえッ!? 今さらひどくね!? 俺は結構、気に入ってるんだけど……。ま、まあ、別に良いじゃん。カッコ良いし。そう、着物はかっけえ男に似合うもんなんだよ!」
「気に入ってる、とても大事ネ。ワタシも気に入った服、買うの夢ね」
「へえ、良い夢じゃん。ハオランなら絶対に叶えられるよ」
「嬉しいね。シェイシェイ。ああ、でも、名前、聞いてない。アナタ名前、なんて言う? 安心する良いよ。ワタシ秘密、守る」
「イオリ。維月 伊織。名乗るのが遅れて悪かったな。ちょい急いでたもんで――って、言い訳は男らしくねえな。聞き流してくれ」
「イオリ、とても良い人。トモダチ助けて、カギ見つけて、無事に出てくる、祈ってるよ」
イオリははにかんで拳を突き出し、男もその拳に軽く当てた。
「にっひひ。あんがとな」
遠のいていく船を見送ってから振り向くと、廃墟と化した建物を見上げた。
「さて――気付くまでずいぶんかかっちまったけど、お前をあのクソ親父の呪縛から助け出すからよ。待ってろよ、ミコト」
◇◆
「ずいぶんと長い階段だな」
裏側から入り口を見つけ、イオリはかれこれ一時間ほど階段を下りていた。壁にはスプレーアートが描かれていて、『SOUTH B3』とも書かれている。
だが、地下二階を通り過ぎていることには全く気付いていなかった。そもそも裏側からの侵入は表側のそれとは違い、より入り組んでいるのだ。
「あー、腹減った……。おお?」
言いながら、階段を下りて、ようやく廊下に出る。
三叉路になっていて、『WEST B3』が右、『NORTH B3』が真っ直ぐ、『EAST B3』が右側と矢印が書かれている。
「なるほど。こりゃあ迷うな。こういうときは……っと」
差していた刀を抜いて立てると、そのまま手を離す。刀が東側に倒れるのを見て、「よし、東だな」と刀を拾って差し、そのまま歩き始めた。
「迷ったらこれに限るね。おかげで道に迷うこともねえし」
腹を押さえながら、そう言って道なりに進んで行くと、廊下で壁に背をつけてうなだれているものが増えてきて、怪訝そうな表情になる。
やせ細り、目は虚ろで、開けっ放しになった口から唾液が垂れているものまでいた。
中にはそのまま倒れ、死んでしまっているものも――。
「……監獄つっても食料は運搬されてるって聞いたけどな」
ここに来る前、ひと通りの情報や状況を把握しているつもりだった。そこには独自の文化が根付き、食料などは国から、あるいは密輸で運ばれていると聞いていた。
「おい、なあ、あんた。喋れるか」
うなだれている老人の前にしゃがみ込み、声をかける。だが、反応はなく、訝しげに眉を寄せる。
「どうなってんのよ、まったく。洒落じゃ済まねえってこれ」
「……こ」
立ち上がろうとした瞬間、老人が口を開いた。
「ここ、に、いたら死ぬだけ、だ。早く、逃げなさ、い」
「どういう意味だ?」
「こ、こは、シンゼンに支配、されている……逆らえば、殺さ、れる」
「飯も独り占めしてんの?」
「あ、あ。わしらに、配給、されるのは」
そこまで言いかけて、老人は事切れたようだった。うなだれたまま、沈黙する。イオリは半分開いていた目を閉じてやり、立ち上がる。
「なるほどね」
「おい、そこでなにをしてんだ」
奥から声が聞こえそちらへ向くと、ワイシャツにチノパンという姿の青年が立っていた。その後方には二十人ほどの屈強な男たちが構えている。
「お前がシンゼンか?」
「……俺はハルヒサ。シンゼンは奥だ」
「ふうん。なら、連れてってくれよ」
ハルヒサに向き直り、イオリは、にっ、と笑ってみせた。ハルヒサは「なにが目的だ」と問い、それを聞いて一歩踏み出す。
「潰すんだよ。お前らを」
瞬間だった。
「維月 伊織――参る」
駆け出し、腰の両側に差した刀を抜く。ハルヒサは「お前ら、敵だ。行け」と指示を出し、二十人もの人間が雄たけびを上げながら武器を片手に向かってくる。
「あんなチビひとりだ! さっさと殺せ!」
「ひどくない!? これでも一六八はあるんだぞっ!? 四捨五入したら一七〇だし!」
「知るか! 死ねッ!」
「――まったく――横暴じゃね? そう簡単に死ねねえのよ、俺は!」
イオリは跳躍して壁を走り、男たちの頭を踏みつけて着地する。それを囲むように男たちは円形に広がった。
窮地に陥った中でも、イオリは笑っていた。
「いいねえ。まずは腕鳴らしだ。景気よく行こうぜ」
 




